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洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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やっと、観れました。
平日の昼間だというのになかなかの混み具合。やはり話題の映画だからなんでしょうか?
さて、私見ですが、この映画のフェリシティ・ハフマンて、ちょっとな~と思ってたんですよね。
ポスターとか、去年のいろいろな賞レースでの映像とか見ても(個人的には、彼女自身もあまり美人ではないと思うんですけど……ノーメイクだとあんなかもしれないとか……見たことあるような気もする)主人公のブリーはとっつきにくい感じがするというか、近所とかに住んでても話しかけ難い人、という感じ。
バカなので、ネタバレせずに書けないかもしれないので見てない方は以下注意してお読み下さい。
自分のことが好きじゃないから幸せそうじゃないというのは仕方ないですよね。←よく解る。
余談ですが、私は興味があって性同一性障害の人のドキュメンタリーとか機会があると見るのですが、女性になりたい人たちは、もう、本当に自分の性器なんか見るのも嫌!できるもんなら自分でちょん切ってしまいたい!と思うことさえあるらしいです。(ないことの違和感よりあることの違和感の方が大きいかもしれないですね。)
この映画の主人公ブリーも自分の身体にそうした違和感を抱えて今まで生きてきたわけです。
ストーリーですが、性転換の手術を間近に控えたブリー(F・ハフマン)の元に自分の男の頃だった名前宛てに一本の電話がかかってくる。
しかも、自分は息子だと言う。
無視してしまおうとしたブリーだったが、全く身に覚えがないわけではない。
気掛かりな様子からセラピストにそのことがバレてしまい(いや、自分で話すんですけど)そのことを解決しない限り、手術の同意書にはサインできないと言われてしまう。
ここからが彼女の受難の旅(?)の始まり。
息子と名乗る青年はNYの拘置所にいて、ブリーは彼を受け出しに行くだけのつもりが、何故かNY→LAのアメリカ横断の旅に出ることに……
続きは、見ていただくことにして ←おい!(^_^;)
注目していただきたいのは、ブリーの表情の変化。
最初、暗くて、笑ってもどこかウソ臭い彼女の笑顔が旅が進むに連れて変わっていくのです。
息子であるトビー(ケヴィン・ゼガーズ)と打ち解けていくにつれ、また旅先で彼女を女性として扱ってくれる男性との出会いなどを通して、本当の笑顔を私たちに見せてくれるようになります。
彼女が自分を好きになっていくのと、トビーが彼女を愛しく思うようになるのと(そして私も彼と一緒に彼女がとても愛しくなっていきました)がシンクロしている感じがしました。
愛されたければ、まず自分のことを愛しなさいとどこかで読んだ気がしますが、それは本当なのかもしれません。(でも、とても難しいですね。)
トビーが彼女に注ぐようになる愛情は、父親(?)に対するそれとは違う形として現れますが、それは彼が『愛しい』と言う気持ちをお互いの姿形に当てはめた時にそうあるべきと思ったのであって、ただ『愛しい』だけなのではないかな?と私は思うのですが……
この映画には、胸が痛くなるような辛いことも、映し出されるのですが、最後にはブリーと同じように私たちも小さな幸せを手に入れることが出来る筈。
というのは、私の感想ですが……。
関係ないですけど、あちこちで、キュートだセクシーだと評判のケヴィン君。
結構、頭皮がよく見えませんか?(ちょっと、キテるっぽい……)
そんなこと気にしてたから、泣かなかったんだったりして(^_^;)