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私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。

赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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かうんたー
数え始め 2006/11/14
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と、中村歌右衛門様が大成駒と呼ばれたように、呼ばれたかどうかは分かりませんが、そんな機会もなくなってしまいました。
書くといえば、訃報ばかりだな~(-_-;)
テレビでもバンバンやってますね。

十八代中村勘三郎が亡くなりました。
私は、そんなに中村屋贔屓ではなかったので、大好きな雀右衛門さまが亡くなった時のように寝ても覚めても何だか悲しくて……(>_<)
ということはないのですが
まだまだこれからだったのになぁ……とは思います。
五十代といえば、円熟してきた、一番いい時期なんじゃないかと思うんですよ。偉そうな言い方ですけどね。
それにプラスして、新しいことを試みる気力も体力もまだままだある、そういう年代なんじゃないかと思う訳です。
肺を患ってるという話を聞いた時から復帰は難しいんじゃないかな~とは思っていたんですが、(やっぱり声を出すのが難しくなると思うんですよ)、死んじゃうとまではね~
本人もまだまだやりたかったことがあるでしょうし
周りもまだまだやって欲しかったことがあるでしょう
それでも、普通の人が一生でやること以上の沢山のことを既にやっちゃったんじゃないのかな~と思います。
もう、今生はこんなもんでもういいんじゃないの?
ちょっと、休んで次の機会にしたら?
って、ことなんじゃないかと思ったりします。
でも、まぁ、ねぇ。
あぁいう人は、歌舞伎っていう世界に必要だったと思うので、誰がその穴を埋められるのか……
まぁ、世界はそれなりに回っていくものですよ。
寂しいけどね~
ここは、やっぱり。
『あがり』、おめでとう存じます。
今頃は先代に、早く来過ぎだと怒られているかもしれないなぁ……なんて(^_^;)
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幼い頃からヒマラヤ山脈にある標高8,125mのナンガ・パルバート登攀を夢見ていたラインホルトとギュンターの兄弟。
成長して名を知られるようになった2人に、ナンガ・パルバートのルパール壁登攀のチャンスが訪れる。
1970年。
ラインホルトが遠征隊に招待された
いつも前を行く兄に苛立ちを覚えたギュンターだったが、遠征隊に欠員が生じ、兄の推薦で参加する。
カール・マリア・ヘルリヒコッファー博士のもと、パキスタンへ向かう遠征隊。
ルパール壁で兄を失い、何度も挑戦しては失敗してきたヘルリヒコッファーは今回こそ、難壁の制覇に燃えていた。
ラインホルトのチームと、彼に対抗心を燃やすオーストリア軍隊出身のフェリックス・クーエンの2チームを競うかのように登頂させる計画だ。
苦難の連続の登頂にチームが分裂していく中、ラインホルトとギュンターは苦難の末、ルパール壁の初登攀に成功する。
だがその喜びもつかの間だった。
下山のルートがないのだ。
それでも何とか山を降り続ける2人だったが、やがて、ラインホルトは弟の姿を見失う。
最後の連絡から8日後、ボロボロになったラインホルトは、兄弟の帰還を諦め、帰国途中だった遠征隊と運よく遭遇する。
帰国したラインホルトを待っていたのは、”ヘルリヒコッファー遠征隊の初登攀の成功”と”ギュンターの死はラインホルトの責任”と糾弾する新聞記事だった。

何で山になんか登るんでしょう?
ピクニックで行けるくらいの山なら適当な達成感や身体を動かした爽快感があっていいかもしれません。
でも、ヒマラヤなんかに登るとなると、まるで話が違ってきます。
遠征隊が悪天候のため足止めを食らっていた時、食事の席でパトロンがラインホルトに尋ねます。
「何故登るのか?」と。
「画家は何故描くのか?」と、彼は質問で返します。
そうせずにはいられない人がそうするんだろうね~
体中の何もかもがそれを求めているのでしょう。
子供のころから、高い所を見るとどうやったら登れるか?というようなことばかり考えていた兄のラインホルト。
いつも兄の背中を追いかけていたギュンター。
この関係性は最後まで変わらず、この関係性ゆえにこの事故というか事件が起こったと思われます。
ラインホルトの証言に基づく実話のストーリー。
ヘルリヒコッファー博士の講演会にふらりと現れたラインホルト。
話している博士の方にドンドン近寄ります。
彼の話していることは真実ではないというラインホルトに記者達は、問いかけます。
では、何が真実なのか?
ラインホルトが何が起こったのかを語り始めます。

初登攀の手柄云々はちょっと置いといて、ギュンターの死の責任ということになると、これはもうギュンターのせいとしか思えない。
元々の打合せで悪天候の知らせがあれば、兄が一人でアタックし、素早く下山するということになっていた。
相談というか、押しつけられた訳ですが。
目が覚めるといなくなっている兄の後を、言いつけられたとおりに下山用のルートも確保せず、装備もなく追いかけるというのは、やっぱり浅はか過ぎるんじゃないだろうか?
ちょっと考えれば分かること。
キャンプにいるもう一人は病人だし、彼ひとりに押し付けて自分も登るって……?
それに、ルートを作らなければ下山は難しいのは分かり切っていた筈。
ギュンターはそれをしなかったことによって、自分だけでなく兄の命も危険にさらした訳で……
何だかね……。

ベースキャンプにいるのに見てきたように口述筆記させるヘルリコッファー博士が不思議だった。
彼の書かせていることはどこまで本当なのだろう?
合図の信号は、本当に間違っていたのか?

とにもかくにも大自然の厳しさが身に沁みる映画です。
きっと、命の危険さえも感じるからこそ取り憑かれちゃうのだろうね。

何が真実かっていうのは、とても難しい。
誰かが神とやらの視点で語ることが出来るというならともかく、皆自分の見たようにしか受け止められないのだから。
行ってきました劇団新感線30周年記念公演。
いや~30周年にネタものですか(^_^;)
計らずも大阪初日に観ることになっちゃったんですけど(だって第3希望だったんですよ;;)
ご存知の方はご存知でしょうけれども、主演の橋本じゅん氏とスーパーサブというか客演てことを忘れそうなくらい溶け込み過ぎの池田成志が共に降板ということで。
まぁ、身体のことですから仕方がないんですけど。
さすがに主役交代とあって、払い戻しのお知らせなんてのも来たんですけど、これが考える日にちがなくて……
とはいえ、悩めるだけ悩みまして、行くことに決めました。
橋本氏の代わりの三宅さんてダレ?
と、調べてみたら、あ、石鹸(@グループ魂)か~
石鹸……
演技に関しては申し訳ないけど、あんまり拝見していないのか印象が……
でも、まぁ、石鹸だったらいいかな~
新感線の30周年には変わりないし
聖子さんもお出になるし
ま、いっか~
という訳で、行ってまいりました。
少ない日数で、よくぞここまで…
だと思うんですよ。
合間合間に使う映像もちゃんと撮り直してたし。
石鹸さんもかなり頑張られたと思います。
でも、やっぱりね。
いないとしみじみ分かりますね。
その良さが。
じゅんさんだったら、多分もっと顔の筋肉が痛くなるくらい笑ったと思うんだけど、そこには至らなかったですね~
まぁ、あぁいう存在自体が飛び道具みたいな人は、滅多にいないと思いますけど
お話自体は、それはもうくだらない(笑)
それが、いいんですけどね!
やっぱり、じゅんさんと池田氏の舞台も観たかったな~と面白ければ面白い程思っちゃうんですよ。
でも、まぁ、はい。
行ってよかったと思います。
観てきましたよん。
後ろの端の方だったけど、通路が前にあったので、思いのほか視界は開けていました。
新感線ファンなら満足のマンネリズム炸裂の楽しさ全開。
薔薇だけに、天海祐希のあんな姿も見れてしまう!!
宝塚では観れなかったんだよね~眼福眼福(笑)
内容についてはここでウダウダ書くこともないですな。
楽しいから、もう一回くらいは観たいところなんだけど、この値段設定になってからは、複数回はホント無理;;

あ、山本太郎って実は男前?って、生まれて初めて思いました(爆)
顔描き込んだら、男前じゃないですか~!
あ、誰でも?
そんなことないよね?
描き込んで似合う顔とそうじゃない顔があるでしょう?
描き込むとエキゾチック。うん。

冠さん、高音出てるなぁ。
ホント、上手いんだけどねぇ……(笑)
久々の阿佐ヶ谷スパイダース。
いや、
苦手なんですよ、阿佐スパ。
1,2回観たんですけど、帰り道それはもう厭な気分で。
昔、『十字架』だったか、観た後はふらりと線路に降りてしまわないのが不思議な程厭な気分でした。
でも、それだけ人の感情をどうこうするっていうのは、やっぱり凄いんでしょうけど。
何で、そんなとこの芝居を観に行ったかというと
「あれ、加納さまお出になるの!?」という思いがけない出演者。
そして、イギリスに行って(から帰って)変わったという、長塚圭史氏の弁。
じゃあ、再チャレンジってことで。

客電が消えて、時計が時を刻む音が響きだした時点で既に、来たことを後悔し始めた。
ダメなんである、時計の音。
ADD傾向の人間には結構あるらしい。
子供の頃はそうでもなかったように思う。
数年前から本当にダメで、何かの粗品でもらったチクタクと音を立てる時計は電池を抜かれて捨て置かれたまま。
1年ほど前に粗品でデジタル時計(音はしない)をもらうまで、ビデオデッキやケータイ、はたまた給湯器の時計表示で間に合わせていた。
事務所のあるオッサンの机の上においてあるチクタクとウルサイ時計もその内キレて投げつける日が来るかもしれない。

とにかく
そんな人間なので、芝居が始まる前から神経がヒリヒリしている。
時計の音は私に動悸を起させるし、呼吸も上手く出来なくする。
10日間ばかり悩まされていた呼吸しづらさがマシになってきたところだったので、これには参った;;
まだ、上演予定もいっぱいあるし、詳しくは触れない。
こういうお話で、というストーリーでもない。
でも、登場人物たちは実は…というのは、今までに何度も観てきた気がする。
現実と非現実の境界が曖昧なのは、よく分かっている。
そもそも境界なんてあるのかどうか……。
多くの人というものは、それを考えない。
考えないようにしている。
気づかない振りをしている。
振りをしているうちに、そんな気になってしまったのか?
これは、恐ろしげな衣装を身にまとった胡蝶の夢なのではないだろうか?

自分が誰かの夢の産物でないという保証はどこにもない。
などと、時々ふと思ってしまう人間にはさほど堪えなかった。
のは、ラッキーなのか?

とりあえず
やっぱり、阿佐スパに私は向いていない。
現実からほんの一時でも逃れようと、劇場や映画館の闇に身を潜める人種には不向きなようだ。

追記:
普通の男の人の格好をして普通の男の人を演じて舞台に立っている加納幸和氏
というのが、今回私にとって一番シュールだったかも(^_^;)
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