私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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オモシロモノ
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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かうんたー
数え始め 2006/11/14
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昨日深夜、辛いニュースを見た。
そっか……
仕方ないなぁ……
正直言って、全く予想してなかった。…ということはない。
もうずい分長い間、一軍の試合でまともに投げてないんだから。
だけど、泣けた~。
涙が止まんなくて、しゃくりあげるくらい泣いてしまった。
彼の口から『野球をやめる』という言葉を聞くのがこんなに辛いことだとは……
ロッテもよく我慢したな、と思うのと同時に、いっそもっと早く出してやってれば少しは状況が違ってたのだろうか?と思ったり……。
34歳。投手として、引退するのに早過ぎるってこともないけど、小宮山や工藤がやれてることを思うと、やっぱり早いよね。
いいことを探すとすれば、他のチームのユニフォーム姿の彼を見ることはないってことだ。
彼を思い出すとき、彼はいつもロッテのユニフォームを着てるだろう。
これが、見つけられる数少ないいいことっていうのは、哀しいけど……
お疲れさん、ジョニー・黒木。
ほんで、今まで、ホンマにありがとう。
それから、お誕生日、おめでとう。
今日からの新しい人生が、楽しいものでありますように。
そっか……
仕方ないなぁ……
正直言って、全く予想してなかった。…ということはない。
もうずい分長い間、一軍の試合でまともに投げてないんだから。
だけど、泣けた~。
涙が止まんなくて、しゃくりあげるくらい泣いてしまった。
彼の口から『野球をやめる』という言葉を聞くのがこんなに辛いことだとは……
ロッテもよく我慢したな、と思うのと同時に、いっそもっと早く出してやってれば少しは状況が違ってたのだろうか?と思ったり……。
34歳。投手として、引退するのに早過ぎるってこともないけど、小宮山や工藤がやれてることを思うと、やっぱり早いよね。
いいことを探すとすれば、他のチームのユニフォーム姿の彼を見ることはないってことだ。
彼を思い出すとき、彼はいつもロッテのユニフォームを着てるだろう。
これが、見つけられる数少ないいいことっていうのは、哀しいけど……
お疲れさん、ジョニー・黒木。
ほんで、今まで、ホンマにありがとう。
それから、お誕生日、おめでとう。
今日からの新しい人生が、楽しいものでありますように。
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水球の試合のシーンから、映画は始まる。
ソ連対ハンガリー戦のようだ。
ソ連側のファウルを見逃し、ハンガリーに不利な判定を下す審判。
彼は、とうとう持っていたボールを審判に投げつけた。
……そのまま試合は終了。
このシーンは、この当時のソ連とハンガリーの関係を表しているのだろう。
水球の花形選手、サボー・カルチ。
遠征から戻り、大学に顔を出した彼は、講堂で学生達に立ち上がれと呼びかける演説を耳にする。
その中にいた女子学生ヴィキに一目惚れしたカルチは、最初は彼女の気を引くために運動の片棒を担ぐような真似をするのですが、彼自身の中にも愛国心と自由への渇望が芽生えていく。
1956年、独裁的な共産主義政権下にあったハンガリーで、市民達は自由を求める声をあげた。
だが、彼らの前にソ連軍が立ちはだかる。
世界はハンガリーを見捨て、革命は敗れた。
その数週間後、運命の女神の悪戯か、メルボルンで開催されたオリンピックで、ハンガリー水球チームは、ソ連チームと戦うことになった。
のちに「メルボルンの流血戦」として伝えられる、オリンピックの歴史に残る悲劇のゲームである。(チラシより抜粋)
この二つの歴史的事実を映画化した本作。
自由を求めて戦う市民達、その戦いの最中に愛を育む二人を中心に物語は進んでいく。
個人的には、こんな時になんでそんなことしてるのか!?といつも思うのだが、それが種の保存なのだろう。
人間はただ遺伝子の乗り物に過ぎず、遺伝子のいいように操られているという説に私は賛成である。
それは、さて置き
他国に支配されている、というのはやはり辛いし、大変なことなのだろう……と、私には想像するしかない。
自分達が武器を持って立ち上がらなければ!と人々に思わせるというのは、余程のことだ。
多くの犠牲を出したものの、革命は成功した。
……ように見えた。
カルチたち、水球チームはオリンピックに出場するために、メルボルンへと向かう。
そのバスのすぐ横を、市民達に屈し、撤退した筈のソ連軍の戦車が次々と市街地へと進んでいく。
バスを降り、戻ろうとするカルチを幼馴染で同じチームのティビは、殴りつけて気を失わせる。
メルボルン、TVは、何もかも破壊されたブダペストを映し出している。
選手達の多くはアメリカのチームに誘われ、故郷に戻る気を失くし、投げやりになっていた。
だれ切った様子の選手達に監督は言う。
「ハンガリーは、まだやれるんだと世界に見せてやるんだ。自分のためじゃない、みんなのために勝つんだ。」
想像もつかないような世界の話に思えるけど、歴史的な目で見れば、日本だってほんの少し前まで占領下だったのだ。
ひょっとしたら、アメリカやソ連によって分割統治されていたかもしれないというのも聞いたことがある。
もしそうなっていたら、今とは何もかも違っているんだろうか?
ハンガリーという国の、そして、自由を求める人々の記録と記憶がこの中にある。
ソ連対ハンガリー戦のようだ。
ソ連側のファウルを見逃し、ハンガリーに不利な判定を下す審判。
彼は、とうとう持っていたボールを審判に投げつけた。
……そのまま試合は終了。
このシーンは、この当時のソ連とハンガリーの関係を表しているのだろう。
水球の花形選手、サボー・カルチ。
遠征から戻り、大学に顔を出した彼は、講堂で学生達に立ち上がれと呼びかける演説を耳にする。
その中にいた女子学生ヴィキに一目惚れしたカルチは、最初は彼女の気を引くために運動の片棒を担ぐような真似をするのですが、彼自身の中にも愛国心と自由への渇望が芽生えていく。
1956年、独裁的な共産主義政権下にあったハンガリーで、市民達は自由を求める声をあげた。
だが、彼らの前にソ連軍が立ちはだかる。
世界はハンガリーを見捨て、革命は敗れた。
その数週間後、運命の女神の悪戯か、メルボルンで開催されたオリンピックで、ハンガリー水球チームは、ソ連チームと戦うことになった。
のちに「メルボルンの流血戦」として伝えられる、オリンピックの歴史に残る悲劇のゲームである。(チラシより抜粋)
この二つの歴史的事実を映画化した本作。
自由を求めて戦う市民達、その戦いの最中に愛を育む二人を中心に物語は進んでいく。
個人的には、こんな時になんでそんなことしてるのか!?といつも思うのだが、それが種の保存なのだろう。
人間はただ遺伝子の乗り物に過ぎず、遺伝子のいいように操られているという説に私は賛成である。
それは、さて置き
他国に支配されている、というのはやはり辛いし、大変なことなのだろう……と、私には想像するしかない。
自分達が武器を持って立ち上がらなければ!と人々に思わせるというのは、余程のことだ。
多くの犠牲を出したものの、革命は成功した。
……ように見えた。
カルチたち、水球チームはオリンピックに出場するために、メルボルンへと向かう。
そのバスのすぐ横を、市民達に屈し、撤退した筈のソ連軍の戦車が次々と市街地へと進んでいく。
バスを降り、戻ろうとするカルチを幼馴染で同じチームのティビは、殴りつけて気を失わせる。
メルボルン、TVは、何もかも破壊されたブダペストを映し出している。
選手達の多くはアメリカのチームに誘われ、故郷に戻る気を失くし、投げやりになっていた。
だれ切った様子の選手達に監督は言う。
「ハンガリーは、まだやれるんだと世界に見せてやるんだ。自分のためじゃない、みんなのために勝つんだ。」
想像もつかないような世界の話に思えるけど、歴史的な目で見れば、日本だってほんの少し前まで占領下だったのだ。
ひょっとしたら、アメリカやソ連によって分割統治されていたかもしれないというのも聞いたことがある。
もしそうなっていたら、今とは何もかも違っているんだろうか?
ハンガリーという国の、そして、自由を求める人々の記録と記憶がこの中にある。
試写会に行ってきました。
三度目の映画化だそうですが、私がチラッと知っているのがオリジナルかと思ったら、二作目で最初の映画化は1964年。
1954年にリチャード・マシスンが発表した最初の(だったはず)長編作品が原作。
日本で最初に刊行された時のタイトル『吸血鬼』が示すように、全世界の人間が吸血鬼となってしまうというのが元々のストーリーのようです。
で、見て来たのは、もちろんウィル・スミス版。
死んだように静まり返るNYの街を一台の車が駆け抜けていく、運転しているのはロバート・ネヴィル。
三年前人類に降りかかった災厄をくぐり抜け、ただ一人生き残った男。
彼は、愛犬サムと街を歩き、食料や日用品を調達し、レンタルDVDショップで店員代わりに置いたマネキンに話しかけ、DVDを借りて帰る。
だが、腕時計のアラームがなると、彼は家路を急ぐ。
帰り着き、食事を摂り、犬を洗ってやり、一見のんびりと暮らしているように見える。
が、二度目のアラームがなると、窓という窓に鎧戸を下ろし、扉には厳重に鍵をかけ、明かりもつけずじっとしている。
家の外では、異様な物音が……
事の発端は、癌の画期的な治療薬の発見にあった。
ウィルスを変化させて作られたこの薬は、すばらしい効果をもたらした……ように見えたが、副作用なのか、やがて人々が変異していく。
ウィル・スミス演じるロバート・ネヴィルは軍人であり研究者で、変異した人々の治療薬を開発しようとしていた。
だが、ウィルスはあっという間に蔓延し、NYは閉鎖されることに……
それから、三年後が私達の見る彼が暮らす世界。
ちょっと調べてみたら、原作よりも、二度目の映画化『地球最後の男オメガマン』のリメイクと思った方がいいらしい。
主演は、チャールトン・ヘストンでした(違う人と思ってた;;)。
多分彼だからだろうね。最後は英雄になる。それがレジェンド。
アメリカって、世界を救うのが本当に好きなのね~。と思う(^_^;)
原作でも、もちろん彼はレジェンドになるのだけど、全く意味が違っているようです。(Wiki調べ)
…ある日、ネヴィルは変異したもの達にとうとう捕らえられる。
処刑されようとする彼は、変異したもの達が自分を見る目に恐怖が宿っていることに気付く。
彼は『人々が寝静まった頃、街を徘徊し、殺戮を繰り返す異形のもの』が、自分であると知る。
そう、『俺は、今では、伝説の怪物なのだ(I am Legend)。』
リチャード・マシスンの映画化作品はケビン・ベーコンの『エコー』くらいしか他には見てないのだけど、何かこう哀感がある気がするんだけど……
この作品も、原作は哀しいし、皮肉なラストですね。
作者はアメリカ人なんだけど、(ぽくない気がしますね)彼の感覚は、多分マイノリティーなんだろうな。
お金かかってる大作だし、ホラーっぽくもあるし、正月にこれはどうよ?って内容ではあるけど。
映画としては、なかなか楽しめる作品だと思います。
あ、犬好きの方、犬飼ってる方、また、飼ってた方は、ちょっと、うぅ…(>_<)ってなる箇所があるかも。
私は泣きました(@_@。
そうだ!『ある日どこかで』も、彼が原作でしたね。
三度目の映画化だそうですが、私がチラッと知っているのがオリジナルかと思ったら、二作目で最初の映画化は1964年。
1954年にリチャード・マシスンが発表した最初の(だったはず)長編作品が原作。
日本で最初に刊行された時のタイトル『吸血鬼』が示すように、全世界の人間が吸血鬼となってしまうというのが元々のストーリーのようです。
で、見て来たのは、もちろんウィル・スミス版。
死んだように静まり返るNYの街を一台の車が駆け抜けていく、運転しているのはロバート・ネヴィル。
三年前人類に降りかかった災厄をくぐり抜け、ただ一人生き残った男。
彼は、愛犬サムと街を歩き、食料や日用品を調達し、レンタルDVDショップで店員代わりに置いたマネキンに話しかけ、DVDを借りて帰る。
だが、腕時計のアラームがなると、彼は家路を急ぐ。
帰り着き、食事を摂り、犬を洗ってやり、一見のんびりと暮らしているように見える。
が、二度目のアラームがなると、窓という窓に鎧戸を下ろし、扉には厳重に鍵をかけ、明かりもつけずじっとしている。
家の外では、異様な物音が……
事の発端は、癌の画期的な治療薬の発見にあった。
ウィルスを変化させて作られたこの薬は、すばらしい効果をもたらした……ように見えたが、副作用なのか、やがて人々が変異していく。
ウィル・スミス演じるロバート・ネヴィルは軍人であり研究者で、変異した人々の治療薬を開発しようとしていた。
だが、ウィルスはあっという間に蔓延し、NYは閉鎖されることに……
それから、三年後が私達の見る彼が暮らす世界。
ちょっと調べてみたら、原作よりも、二度目の映画化『地球最後の男オメガマン』のリメイクと思った方がいいらしい。
主演は、チャールトン・ヘストンでした(違う人と思ってた;;)。
多分彼だからだろうね。最後は英雄になる。それがレジェンド。
アメリカって、世界を救うのが本当に好きなのね~。と思う(^_^;)
原作でも、もちろん彼はレジェンドになるのだけど、全く意味が違っているようです。(Wiki調べ)
…ある日、ネヴィルは変異したもの達にとうとう捕らえられる。
処刑されようとする彼は、変異したもの達が自分を見る目に恐怖が宿っていることに気付く。
彼は『人々が寝静まった頃、街を徘徊し、殺戮を繰り返す異形のもの』が、自分であると知る。
そう、『俺は、今では、伝説の怪物なのだ(I am Legend)。』
リチャード・マシスンの映画化作品はケビン・ベーコンの『エコー』くらいしか他には見てないのだけど、何かこう哀感がある気がするんだけど……
この作品も、原作は哀しいし、皮肉なラストですね。
作者はアメリカ人なんだけど、(ぽくない気がしますね)彼の感覚は、多分マイノリティーなんだろうな。
お金かかってる大作だし、ホラーっぽくもあるし、正月にこれはどうよ?って内容ではあるけど。
映画としては、なかなか楽しめる作品だと思います。
あ、犬好きの方、犬飼ってる方、また、飼ってた方は、ちょっと、うぅ…(>_<)ってなる箇所があるかも。
私は泣きました(@_@。
そうだ!『ある日どこかで』も、彼が原作でしたね。
観て来ました。
前の晩(ということは、土曜の夜)から、喉が痛くなって、これはマズイ…と思い、早めに就寝。
したんですけどね~(>_<)
朝起きると喉はさらにヒリヒリ、鼻も少しグスグス。
とはいえ、止めるわけにはいかないので(私の一ヶ月ぶんの食費よりも高いチケット代ですから;;)薬を飲んで(そして持って)出かけました。
京都に着くと、雨がポツポツ。
きつくはなかったけど、まだ開場前だったので、外で待つ羽目に(~_~;)
そんなに待たずに済んでよかったけど……
一つ目は『将軍江戸を去る』
これ、確かに梅玉ははまり役だと思うのですが、もう4,5回目になると思うので、さすがに飽きてきた。
新作(といっても、去年や一昨年のものではないですが…)だからかな?と思ったけど、別の理由が思い当たった。
配役がほとんど変わらないからだ。
メインの配役が今まで見た回全部一緒なんですよね。
将軍徳川慶喜=梅玉、伊勢守=秀太郎、山岡鉄太郎=我當。
うん、ずっとこれだわ。
二つ目、勧進帳
今回、ネットでチケットを取ったら、チラシも何ももらえなくて、配役が分からない。
事前にネットで調べとけばよかったんだけど、サボってしまいました。
出てきてからのお楽しみ、というのも楽しいですけどね~、だから自分の今までの経験と知識が頼り(^_^;)
この公演は、錦之助の襲名披露も兼ねてるのですが、富樫が登場したところで、「萬屋!」の声がかかって、あぁ、これね。と(笑)
義経の藤十郎はすぐに分かったんだけど、弁慶が、吉右衛門か幸四郎か分からなくて…(さすがに兄弟なので声も似ている。)
これも、大向こう頼み(~_~;)
「高麗屋!」の声がかかって、幸四郎と判明しました。
錦之助がちょっと声が枯れちゃってる感じで、ハラハラしたけど、まぁ、上手くこなしたのではないでしょうか?って偉そう…(^_^;)
三つ目、義経千本桜、すし屋の段
菊五郎のいがみの権太、何度か見てるはずなんだけど、似合っているのかな~?と思う。
でも、上手いからね。やっぱり泣かされちゃう(:_;)
妹役に息子の菊之助、後は左團次、家橘など、芸達者が脇を固めているし、富十郎も出番は少ないけど、出てくると舞台が締まる。
最後に、二人椀久
チケットの二万円分くらいは、これのためかな~て感じなんだけど。
すし屋の前が、お昼ご飯用の長めの休憩で、私も食事して、朝の薬が切れてきたのか、また鼻がグスグスしだしたので、薬を飲んだんです。
で、これがね……いけなかった。のでしょうね。
二人椀久って、舞台とか、客席とか、暗いのね。そこへ薬が効き始める。
そいで、ふ~っとなって、眠っちゃうところまでは行かないけど、意識が集中できない。
舞踏だから、台詞もないし、三味線や義太夫は心地よいわでふ~っと……
夢うつつにいるのは椀久なんだか私なんだか……(-_-;)
そんなふわふわぼんやりした感じで、朝の10時30分~3時30分くらい迄を南座の中で過ごしたのでした。
はぁ、疲れた((+_+))
前の晩(ということは、土曜の夜)から、喉が痛くなって、これはマズイ…と思い、早めに就寝。
したんですけどね~(>_<)
朝起きると喉はさらにヒリヒリ、鼻も少しグスグス。
とはいえ、止めるわけにはいかないので(私の一ヶ月ぶんの食費よりも高いチケット代ですから;;)薬を飲んで(そして持って)出かけました。
京都に着くと、雨がポツポツ。
きつくはなかったけど、まだ開場前だったので、外で待つ羽目に(~_~;)
そんなに待たずに済んでよかったけど……
一つ目は『将軍江戸を去る』
これ、確かに梅玉ははまり役だと思うのですが、もう4,5回目になると思うので、さすがに飽きてきた。
新作(といっても、去年や一昨年のものではないですが…)だからかな?と思ったけど、別の理由が思い当たった。
配役がほとんど変わらないからだ。
メインの配役が今まで見た回全部一緒なんですよね。
将軍徳川慶喜=梅玉、伊勢守=秀太郎、山岡鉄太郎=我當。
うん、ずっとこれだわ。
二つ目、勧進帳
今回、ネットでチケットを取ったら、チラシも何ももらえなくて、配役が分からない。
事前にネットで調べとけばよかったんだけど、サボってしまいました。
出てきてからのお楽しみ、というのも楽しいですけどね~、だから自分の今までの経験と知識が頼り(^_^;)
この公演は、錦之助の襲名披露も兼ねてるのですが、富樫が登場したところで、「萬屋!」の声がかかって、あぁ、これね。と(笑)
義経の藤十郎はすぐに分かったんだけど、弁慶が、吉右衛門か幸四郎か分からなくて…(さすがに兄弟なので声も似ている。)
これも、大向こう頼み(~_~;)
「高麗屋!」の声がかかって、幸四郎と判明しました。
錦之助がちょっと声が枯れちゃってる感じで、ハラハラしたけど、まぁ、上手くこなしたのではないでしょうか?って偉そう…(^_^;)
三つ目、義経千本桜、すし屋の段
菊五郎のいがみの権太、何度か見てるはずなんだけど、似合っているのかな~?と思う。
でも、上手いからね。やっぱり泣かされちゃう(:_;)
妹役に息子の菊之助、後は左團次、家橘など、芸達者が脇を固めているし、富十郎も出番は少ないけど、出てくると舞台が締まる。
最後に、二人椀久
チケットの二万円分くらいは、これのためかな~て感じなんだけど。
すし屋の前が、お昼ご飯用の長めの休憩で、私も食事して、朝の薬が切れてきたのか、また鼻がグスグスしだしたので、薬を飲んだんです。
で、これがね……いけなかった。のでしょうね。
二人椀久って、舞台とか、客席とか、暗いのね。そこへ薬が効き始める。
そいで、ふ~っとなって、眠っちゃうところまでは行かないけど、意識が集中できない。
舞踏だから、台詞もないし、三味線や義太夫は心地よいわでふ~っと……
夢うつつにいるのは椀久なんだか私なんだか……(-_-;)
そんなふわふわぼんやりした感じで、朝の10時30分~3時30分くらい迄を南座の中で過ごしたのでした。
はぁ、疲れた((+_+))
ぽろぽろと零れ落ちる涙の理由は自分でも解らない。
篠井英介がブランチを演じる本作の上演を見てきました。
何回目かの上演だと思うのですが、大阪には来てなくて(と、思うんですが;;)、今度上演が決まったら東京だけの公演でも、何とかして見に行こうかな。
そう思っていたので、大阪に来てくれてとても嬉しい、と思った途端にどうやら封印してしまうらしい。
観る機会があって、本当によかった。
『欲望という名の電車』
観たのは、映画が最初、まだ子どもの頃TV放送されたものを見た覚えがあるけど、ちゃんと見たのかどうかは分からない。
比較的最近、廉価版のDVDを見つけて買ったのだけど、落ち着いてじっくり観られる時…、と思うとなかなか観る機会がなて、そのままになっている。
それに、ちょっと怖いのだ。スタンリーが……多分、自分の子どもの頃の経験と関係あるんだろうけど。
今回、劇場で、芝居という、集中して見られる形で観てみて、こんなだったかな?と思った。
スタンリーとステラの夫婦は今見ると、DVの夫とせっかく逃げ出しても何故かまた戻ってしまう妻の典型のようだった。
ホントに、何で戻るんだう?
泣きつかれたり、急に優しく怪我の手当てを(自分が殴ったりしたところだ!)してくれたりすると、「私がいないとダメだ。」とか、「愛されている。」と思うらしい。
話がずれたけれど、この二人は共依存のように他人から見ると不思議に見えても、お互いは幸せに(だと思って)暮らしいてる。
そこにステラの姉、ブランチと言う闖入者が現れる。
上流の家庭で育った彼女は、妹の落ちぶれぶりも、その夫の下品さも我慢できない。
ブランチもずい分嫌な女なんである。
自分が良家の出だというのを鼻にかけているし、自分の容姿に自信を持っている一方で、誰かに褒めてもらわないと不安で仕方がない。
ストーリーをご存知の方は多いと思うが、本当はそんなご身分じゃないのだ。
だけど、その自分を捨てられない。しがみついている。
嫌な女なの。
だけと、嫌いにはなれなくて……最後には、抱き締めたくなるほどだ。
嫌な女を嫌いになれなくするってスゴイよね?
これは、モチロン、元々の戯曲の力であり、翻訳者の力であり、演出家の力であり、役者達、そして、何より篠井英介という女形の力である。と、思う。
ラスト、ステラの家を後にするブランチに涙が出た。(それまでも、何度か泣いたシーンはあるけど…)
可哀想だと思っているのか、他の人間を酷いと思っているのか、もうこれで、彼女は酷い目に遭うことはないという安堵からなのかは分からないけど……
とにかく、ぽろぽろと零れ落ちる涙は彼女のためのものだということだけ。
団十郎の相手役で揚巻をやるよりも、ブランチがいいと、篠井氏は言っているようですが、そんな素敵な機会があったらぜひぜひやっていただきたい。
ホントに。
篠井英介がブランチを演じる本作の上演を見てきました。
何回目かの上演だと思うのですが、大阪には来てなくて(と、思うんですが;;)、今度上演が決まったら東京だけの公演でも、何とかして見に行こうかな。
そう思っていたので、大阪に来てくれてとても嬉しい、と思った途端にどうやら封印してしまうらしい。
観る機会があって、本当によかった。
『欲望という名の電車』
観たのは、映画が最初、まだ子どもの頃TV放送されたものを見た覚えがあるけど、ちゃんと見たのかどうかは分からない。
比較的最近、廉価版のDVDを見つけて買ったのだけど、落ち着いてじっくり観られる時…、と思うとなかなか観る機会がなて、そのままになっている。
それに、ちょっと怖いのだ。スタンリーが……多分、自分の子どもの頃の経験と関係あるんだろうけど。
今回、劇場で、芝居という、集中して見られる形で観てみて、こんなだったかな?と思った。
スタンリーとステラの夫婦は今見ると、DVの夫とせっかく逃げ出しても何故かまた戻ってしまう妻の典型のようだった。
ホントに、何で戻るんだう?
泣きつかれたり、急に優しく怪我の手当てを(自分が殴ったりしたところだ!)してくれたりすると、「私がいないとダメだ。」とか、「愛されている。」と思うらしい。
話がずれたけれど、この二人は共依存のように他人から見ると不思議に見えても、お互いは幸せに(だと思って)暮らしいてる。
そこにステラの姉、ブランチと言う闖入者が現れる。
上流の家庭で育った彼女は、妹の落ちぶれぶりも、その夫の下品さも我慢できない。
ブランチもずい分嫌な女なんである。
自分が良家の出だというのを鼻にかけているし、自分の容姿に自信を持っている一方で、誰かに褒めてもらわないと不安で仕方がない。
ストーリーをご存知の方は多いと思うが、本当はそんなご身分じゃないのだ。
だけど、その自分を捨てられない。しがみついている。
嫌な女なの。
だけと、嫌いにはなれなくて……最後には、抱き締めたくなるほどだ。
嫌な女を嫌いになれなくするってスゴイよね?
これは、モチロン、元々の戯曲の力であり、翻訳者の力であり、演出家の力であり、役者達、そして、何より篠井英介という女形の力である。と、思う。
ラスト、ステラの家を後にするブランチに涙が出た。(それまでも、何度か泣いたシーンはあるけど…)
可哀想だと思っているのか、他の人間を酷いと思っているのか、もうこれで、彼女は酷い目に遭うことはないという安堵からなのかは分からないけど……
とにかく、ぽろぽろと零れ落ちる涙は彼女のためのものだということだけ。
団十郎の相手役で揚巻をやるよりも、ブランチがいいと、篠井氏は言っているようですが、そんな素敵な機会があったらぜひぜひやっていただきたい。
ホントに。