私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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オモシロモノ
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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かうんたー
数え始め 2006/11/14
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人様のブログの5周年におめでたいとコメントを書き込んだ後、ふと、『あ、そういや、オレも9月頃に始めたっけか?』と思い、調べてみたら……
何と
5年目に突入しちゃってました(^_^;)
ま、自分の誕生日とかも、その日の夜の11時くらいに気づいて、ケーキくらい買ってあげれば(自分によ)よかった……(;_;)
と思うようなボーっとした人間ですので、まだ早く気づいた方かと……
こんな、ヘボいブログを覗きに来て下さる皆様、ありがとうございます。
目次も作れないようなヘボヘボでごめんなさいm(__)m
検索のハコがあるから、いいかな~
とか、つい思っちゃって……
素直に映画のタイトルを記事のタイトルにしてるし。
そんな訳で、検索をご活用くださいね(笑)
赤姫の近況
ん~そぅですね~
シャンプーを無添加のものにしてみました。
何かね、使ってたシャンプーがだいぶ減ってきたので、それも1度詰め替えて2周目(?)だったのですが、最近ボリュームが更になくなった気がするなぁと。
もちろん、年齢も関係あるだろうし、長くなってきたのも関係してるんだろうけど、改善できるようなものはないかしらん?と。
で、ちょっと調べてたら自分の使ってるシャンプーが、すっごいダメなシャンプーなんじゃないかということに;;
PとGの会社のなんですけど、ヘッド□パとか言ってるやつね。
これに入ってる××硫酸という成分が、頭皮とかにはキツ過ぎるらしい、のでさらにいろいろ混ぜて指通りとかいい感じにしていると。
××硫酸は安価で泡立ちをよくするもので、大手メーカーのものにはかなりの確率で入っているそうです。
落とし過ぎといて、後から色々塗りたくるっていうのも何だかね~
となったので、安価でスーパーとかでも手に入る割には結構いいという評価の、今のものに変えてみました。
まだ、1週間も経ってないくらいなので、すごく改善されたな~って感じもないし、毛先とかはやっぱり今までよりパサパサするし、香料も入ってないから頭洗っててもいい気分じゃないしね。
シャンプーするって、汚れを落とすってことだけじゃない気がするから。
『南太平洋』みたいに、嫌なことも一緒に洗い流しちゃおう!
なら、ちょっとリフレッシュするような匂いがあると嬉しいんだけどね。
香料も刺激があるからよくないのかな?
何か、シャンプーの話ばっかだな。
最近、一番の関心事だったので。
まぁ、このように、ゆるゆる、ヘボヘボ、自己中心ブログでございます。
いつまで続くか分かりませんが、これからもよろしく哀愁です。
何と
5年目に突入しちゃってました(^_^;)
ま、自分の誕生日とかも、その日の夜の11時くらいに気づいて、ケーキくらい買ってあげれば(自分によ)よかった……(;_;)
と思うようなボーっとした人間ですので、まだ早く気づいた方かと……
こんな、ヘボいブログを覗きに来て下さる皆様、ありがとうございます。
目次も作れないようなヘボヘボでごめんなさいm(__)m
検索のハコがあるから、いいかな~
とか、つい思っちゃって……
素直に映画のタイトルを記事のタイトルにしてるし。
そんな訳で、検索をご活用くださいね(笑)
赤姫の近況
ん~そぅですね~
シャンプーを無添加のものにしてみました。
何かね、使ってたシャンプーがだいぶ減ってきたので、それも1度詰め替えて2周目(?)だったのですが、最近ボリュームが更になくなった気がするなぁと。
もちろん、年齢も関係あるだろうし、長くなってきたのも関係してるんだろうけど、改善できるようなものはないかしらん?と。
で、ちょっと調べてたら自分の使ってるシャンプーが、すっごいダメなシャンプーなんじゃないかということに;;
PとGの会社のなんですけど、ヘッド□パとか言ってるやつね。
これに入ってる××硫酸という成分が、頭皮とかにはキツ過ぎるらしい、のでさらにいろいろ混ぜて指通りとかいい感じにしていると。
××硫酸は安価で泡立ちをよくするもので、大手メーカーのものにはかなりの確率で入っているそうです。
落とし過ぎといて、後から色々塗りたくるっていうのも何だかね~
となったので、安価でスーパーとかでも手に入る割には結構いいという評価の、今のものに変えてみました。
まだ、1週間も経ってないくらいなので、すごく改善されたな~って感じもないし、毛先とかはやっぱり今までよりパサパサするし、香料も入ってないから頭洗っててもいい気分じゃないしね。
シャンプーするって、汚れを落とすってことだけじゃない気がするから。
『南太平洋』みたいに、嫌なことも一緒に洗い流しちゃおう!
なら、ちょっとリフレッシュするような匂いがあると嬉しいんだけどね。
香料も刺激があるからよくないのかな?
何か、シャンプーの話ばっかだな。
最近、一番の関心事だったので。
まぁ、このように、ゆるゆる、ヘボヘボ、自己中心ブログでございます。
いつまで続くか分かりませんが、これからもよろしく哀愁です。
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1961年、中国山東省の小さな村で7人兄弟の6番目として生まれたリー・ツンシン。
家は貧しかったが、両親に愛情深く育てられた。
リーが11歳になったある日、北京からの視察団が学校にやってくる。
適格者がいないと視察団が帰ろうとした時、担任の先生がリーを指さす。
「あの子はどうでしょうか?」。
そして、リーは青島でのテストを受け、合格して、北京の舞踏学校に入ることに。
村中が大喜びだったが、幼いリーは親元を離れることを不安に思っていた。
入学すると、毎日の厳しいレッスンが待っていた。
力の弱かったリーは、劣等生と先生に日々罵られる。
しかし、そんな彼に転機が……
日頃から彼の素質を見抜き、やさしく指導してくれたチェン先生から、木箱を手渡されるリー。
早く隠せと言う先生の言葉にリーが木箱を胸元にしまい込むと、「私はここを離れるだろう」と、チェン先生は言った。
チェン先生がくれたのは1本のビデオテープだった。
そこに映っていたのは、『本物のバレエ』。
それを見て、リーは初めてバレエの素晴らしさに感動し、踊りにのめり込むようになる。
数日後、チェン先生は江青夫人の方針に反抗したとの疑いで政府に捕えられてしまった。
当時の中国ではそれは永遠の別れを意味していた。
時は流れ、中国で改革開放が進む中、青年となったリーに思いもよらないチャンスが訪れた。
中国を訪ねたアメリカのバレエ団の招きで、研修を受けることになったのだ。
こうしてリーは初めて自由の国、アメリカの土を踏む。
文化や言葉の違いに戸惑いながらも、レッスンに励むリーは、やがては頭角を現し、大きな舞台でケガをしたプリンシパルの代役を見事に務め、拍手喝さいを浴びる。
また、その頃出会ったダンサーのエリザベスと愛し合うようになったリーは、結婚し、アメリカに残る決意をする。
彼のこの決断は大きな波紋を呼び、一時は中国領事館に監禁され、強制送還されそうになるが、弁護士フォスター助けで、アメリカへの亡命が認められる。
しかし、それは中国に2度と戻れず、愛する家族に会えないことも意味していた。
アメリカでさらにダンサーとして認められていくリーだったが、中国に残した家族を心配しない日は無かった。
やがて妻エリザベスとの結婚生活は破綻し、彼女は家を出てしまう。
遠い故郷の家族への思いを募らせるリー。
そんな彼に奇跡の日が訪れようとしていた……
亡命してなお活躍した中国の名ダンサー、リー・ツンシンの半生の実話を感動の映画化。
ということで、バレエが好きならなおのこと楽しい作品だと思いますが、文革当時の中国の様子なども窺い知れて、歴史ドラマとしても興味深い。
中国版『リトル・ダンサー』などとも言われていますが、それはどうかと……
踊りたくても父親に反対され、踊ることを諦めそうになったビリー・エリオットが、恩師と出会い、やがて父親にも認められ、長じてダンサーとして成功する物語。
それが、『リトル・ダンサー』でしょ。
リーは、見たことも聞いたこともない『バレエ』とやらを踊るために、体つきが向いてるとかそういう理由で無理やり親元を離れて学校に入れられる。
後に、彼自身も『バレエ』の素晴らしさに気付き、踊ることの楽しさに目覚める訳ですが、きっかけとしては、ま逆だよね。
文革…は、中国の汚点だろうな~やっぱり。
京劇のように、自分達の祖先が作り上げてきた芸術を破壊したり……
『バレエ』を取り入れようというのは、何でなのかな~
やはり西洋諸国に追いつけ追い越せなんだろうか?
中国のバレエダンサーは、何となく体操選手に近いような感じがあるよね。
ジャンプも高く、技術も素晴らしい、でも、どことなくシャキシャキし過ぎているような、まるで功夫の技を見るような、そういう雰囲気がついて回る。
この映画で見るような、まず身体の適正ありき(本人の意思よりも)というところが関係しているのかもしれないですね。
まず、体を鍛え、心は後から……ということなのかな?
もちろん、素晴らしいダンサー達がたくさん輩出されていることは間違いないのだけど……
リーの心がどういう風に、身体についていったのか…ということは、描かれていませんが2時間ほどの映画ではそれも仕方がないことでしょう。
あるダンサーの物語、というよりは自由を求めた一人の中国人青年の祖国との葛藤の物語、かな。
改革開放路線に転換した中国にとっては、皮肉なことにリーはいい宣伝材料だったかもしれません。
でも、それ故に特別な計らいで『奇跡』が実現したのだろう。
ラストシーン、もう2度と会うこともないと思っていた人との再会は見ていて胸が詰まる。
その人のために、彼が土埃の舞う中踊って見せたダンスも、他のダンスシーンのように華麗ではないけど、とても美しいものでした。
そうそう、数々のダンスシーンも見どころの一つです。
ドン・キホーテ、白鳥の湖、春の祭典などなど。
リーを演じたツァオ・チーの踊りは本当に素晴らしい。
バレエ好きもそうでない方も、ぜひ。
家は貧しかったが、両親に愛情深く育てられた。
リーが11歳になったある日、北京からの視察団が学校にやってくる。
適格者がいないと視察団が帰ろうとした時、担任の先生がリーを指さす。
「あの子はどうでしょうか?」。
そして、リーは青島でのテストを受け、合格して、北京の舞踏学校に入ることに。
村中が大喜びだったが、幼いリーは親元を離れることを不安に思っていた。
入学すると、毎日の厳しいレッスンが待っていた。
力の弱かったリーは、劣等生と先生に日々罵られる。
しかし、そんな彼に転機が……
日頃から彼の素質を見抜き、やさしく指導してくれたチェン先生から、木箱を手渡されるリー。
早く隠せと言う先生の言葉にリーが木箱を胸元にしまい込むと、「私はここを離れるだろう」と、チェン先生は言った。
チェン先生がくれたのは1本のビデオテープだった。
そこに映っていたのは、『本物のバレエ』。
それを見て、リーは初めてバレエの素晴らしさに感動し、踊りにのめり込むようになる。
数日後、チェン先生は江青夫人の方針に反抗したとの疑いで政府に捕えられてしまった。
当時の中国ではそれは永遠の別れを意味していた。
時は流れ、中国で改革開放が進む中、青年となったリーに思いもよらないチャンスが訪れた。
中国を訪ねたアメリカのバレエ団の招きで、研修を受けることになったのだ。
こうしてリーは初めて自由の国、アメリカの土を踏む。
文化や言葉の違いに戸惑いながらも、レッスンに励むリーは、やがては頭角を現し、大きな舞台でケガをしたプリンシパルの代役を見事に務め、拍手喝さいを浴びる。
また、その頃出会ったダンサーのエリザベスと愛し合うようになったリーは、結婚し、アメリカに残る決意をする。
彼のこの決断は大きな波紋を呼び、一時は中国領事館に監禁され、強制送還されそうになるが、弁護士フォスター助けで、アメリカへの亡命が認められる。
しかし、それは中国に2度と戻れず、愛する家族に会えないことも意味していた。
アメリカでさらにダンサーとして認められていくリーだったが、中国に残した家族を心配しない日は無かった。
やがて妻エリザベスとの結婚生活は破綻し、彼女は家を出てしまう。
遠い故郷の家族への思いを募らせるリー。
そんな彼に奇跡の日が訪れようとしていた……
亡命してなお活躍した中国の名ダンサー、リー・ツンシンの半生の実話を感動の映画化。
ということで、バレエが好きならなおのこと楽しい作品だと思いますが、文革当時の中国の様子なども窺い知れて、歴史ドラマとしても興味深い。
中国版『リトル・ダンサー』などとも言われていますが、それはどうかと……
踊りたくても父親に反対され、踊ることを諦めそうになったビリー・エリオットが、恩師と出会い、やがて父親にも認められ、長じてダンサーとして成功する物語。
それが、『リトル・ダンサー』でしょ。
リーは、見たことも聞いたこともない『バレエ』とやらを踊るために、体つきが向いてるとかそういう理由で無理やり親元を離れて学校に入れられる。
後に、彼自身も『バレエ』の素晴らしさに気付き、踊ることの楽しさに目覚める訳ですが、きっかけとしては、ま逆だよね。
文革…は、中国の汚点だろうな~やっぱり。
京劇のように、自分達の祖先が作り上げてきた芸術を破壊したり……
『バレエ』を取り入れようというのは、何でなのかな~
やはり西洋諸国に追いつけ追い越せなんだろうか?
中国のバレエダンサーは、何となく体操選手に近いような感じがあるよね。
ジャンプも高く、技術も素晴らしい、でも、どことなくシャキシャキし過ぎているような、まるで功夫の技を見るような、そういう雰囲気がついて回る。
この映画で見るような、まず身体の適正ありき(本人の意思よりも)というところが関係しているのかもしれないですね。
まず、体を鍛え、心は後から……ということなのかな?
もちろん、素晴らしいダンサー達がたくさん輩出されていることは間違いないのだけど……
リーの心がどういう風に、身体についていったのか…ということは、描かれていませんが2時間ほどの映画ではそれも仕方がないことでしょう。
あるダンサーの物語、というよりは自由を求めた一人の中国人青年の祖国との葛藤の物語、かな。
改革開放路線に転換した中国にとっては、皮肉なことにリーはいい宣伝材料だったかもしれません。
でも、それ故に特別な計らいで『奇跡』が実現したのだろう。
ラストシーン、もう2度と会うこともないと思っていた人との再会は見ていて胸が詰まる。
その人のために、彼が土埃の舞う中踊って見せたダンスも、他のダンスシーンのように華麗ではないけど、とても美しいものでした。
そうそう、数々のダンスシーンも見どころの一つです。
ドン・キホーテ、白鳥の湖、春の祭典などなど。
リーを演じたツァオ・チーの踊りは本当に素晴らしい。
バレエ好きもそうでない方も、ぜひ。
12歳の少年オスカーは、ストックホルム郊外の小さな町で集合住宅に母親と2人暮らし。
時々は、今は離れて暮らしている父親の家に泊まったりもする。
彼は同級生からイジメを受けていたが、誰も気づいてはくれず、また、彼もそのことを誰にも告げられずにいた。
彼に出来るのは、夜の中庭で木を相手に復讐する自分を演じてみることだけ。
そんなある晩、オスカーは謎めいた少女と出会う。
オスカーの家の隣に父親と引越してきたばかりだという、彼女の名はエリ。
同じ12歳だというエリと毎晩のように会うようになり、オスカーは次第に心惹かれていく。
その頃、町では残忍な殺人事件が起こり、住民の間に不安が広がっていた。
そして、ある日オスカーはエリの秘密を知ってしまう……
えっとですね。
ここから、ネタバレなど一切気にせず書きますので、ご覧になっていない方はご承知おきください。
そもそもは、原作について先にちょっと調べてしまった私がいけないのかもしれないのですけど……
タイトルにもある通り、エリはもう200年も生きている。
「ヴァンパイアなの?」と訊かれて、「確かに、人の血を飲んで生きている」と告げるエリ。
人間の少年とヴァンパイアの少女の恋物語なのか?
それも、ちょっと違う気がする。
オスカーの孤独。
エリの孤独。
それは、同じではないけれど、二人の心の底には『誰かに受け入れて欲しい』という願いが潜んでいる。
ゴマカシなしのありのままの自分を。
そんなこと、普通の人間でもなかなか難しいけれど。
自分の気持ちを『恋』だと思うオスカー。
それは美しく神秘的なエリへの憧れでもあり、同胞愛でもあるかもしれない。
エリの口から幾度か語られる「女の子じゃない」という言葉の意味。
では、何者なのか?
「女の子じゃない」とエリは言うが「男の子だ」とも言わない。
さて、『ボカシ』です。
オスカーが、血で汚れたエリにお風呂を貸してあげて、母親の服を着るよう勧めます。
そこで、彼が覗いたもの。
これは、やっぱりね、『ボカシ』(というにはあれは汚いね。絵を壊し過ぎる。本当にぼかせば、まだよかったのに…)をかけてはいけなかったと思う。
私達はオスカーと同じように、エリの姿に驚き、しかしそれでもエリを受け入れ、愛する決意を固めねばならなかったのだと思う。
このシーンのために、ずっと言葉で表現することが省かれてきたのだと思うので、これを映倫がやったのだとしたら、やっぱり大バカだと思う。
多分、ワイセツだというよりも残忍だと思ったのかもしれない。
だけど、この衝撃は、この身で受け止めなければいけなかったのだと思うのだ。
私が言葉から察することが出来たのは、偶然手に入れた予備知識があったからなので、そうでない人にどんな風に伝わるのかな…と、気になったりもする。
まぁ、解釈は人それぞれなのだけど、材料を隠すのは反則だろう。
色んなことがはっきりとは語られないが、これは、オスカーの父親の所に訪ねて来た男は十中八九、彼氏だな。雰囲気だけど。
というようなレベルじゃないのである。
話の根幹にかかわることじゃないのか?
女の子じゃないし
男の子でもない
人の血がないと生きられない
この先も成長しない
きみが死んでも生き続ける
それでも、受け入れてくれる?
と言う、エリに答えなければいけないのだ。
ま、怒りはコレくらいにして
北欧の白い景色、それに溶け込むようなブロンドが美しいオスカー
その景色から浮き立つような黒髪のエリ
そして、真っ赤な血
残忍なシーンも数々あるのだが、不思議に静かで美しい。
最初は、オスカーを拒んでいたエリも次第に彼に惹かれていく。
オスカーのガッカリした顔が辛くて、食べられもしないキャンディーを口に運んだり。
二人はお互いを求めていたのだ。
それが、「恋」だとか「愛」だとか呼ばれるものかどうかは別として。
光に溢れたラストシーンの幸福感は不思議な程だが、お互いを見つけた二人に私達もホッと胸をなでおろすのだろう。
これから続く旅は過酷で光に溢れていないと知っていても。
全然違うんだけど、鉄郎とメーテルを思い出した。
少年は美しい人と出会い、成長し、やがて別れの時が来る。
そして、美しい人は、また旅に出て新たな少年と出会うのだ。
そんなことがグルグルと行われてきたのだ、きっと。
そして、これからも続いていくのだグルグルと。
メーテルは、とっても辛いって言ってたよね……
時々は、今は離れて暮らしている父親の家に泊まったりもする。
彼は同級生からイジメを受けていたが、誰も気づいてはくれず、また、彼もそのことを誰にも告げられずにいた。
彼に出来るのは、夜の中庭で木を相手に復讐する自分を演じてみることだけ。
そんなある晩、オスカーは謎めいた少女と出会う。
オスカーの家の隣に父親と引越してきたばかりだという、彼女の名はエリ。
同じ12歳だというエリと毎晩のように会うようになり、オスカーは次第に心惹かれていく。
その頃、町では残忍な殺人事件が起こり、住民の間に不安が広がっていた。
そして、ある日オスカーはエリの秘密を知ってしまう……
えっとですね。
ここから、ネタバレなど一切気にせず書きますので、ご覧になっていない方はご承知おきください。
そもそもは、原作について先にちょっと調べてしまった私がいけないのかもしれないのですけど……
タイトルにもある通り、エリはもう200年も生きている。
「ヴァンパイアなの?」と訊かれて、「確かに、人の血を飲んで生きている」と告げるエリ。
人間の少年とヴァンパイアの少女の恋物語なのか?
それも、ちょっと違う気がする。
オスカーの孤独。
エリの孤独。
それは、同じではないけれど、二人の心の底には『誰かに受け入れて欲しい』という願いが潜んでいる。
ゴマカシなしのありのままの自分を。
そんなこと、普通の人間でもなかなか難しいけれど。
自分の気持ちを『恋』だと思うオスカー。
それは美しく神秘的なエリへの憧れでもあり、同胞愛でもあるかもしれない。
エリの口から幾度か語られる「女の子じゃない」という言葉の意味。
では、何者なのか?
「女の子じゃない」とエリは言うが「男の子だ」とも言わない。
さて、『ボカシ』です。
オスカーが、血で汚れたエリにお風呂を貸してあげて、母親の服を着るよう勧めます。
そこで、彼が覗いたもの。
これは、やっぱりね、『ボカシ』(というにはあれは汚いね。絵を壊し過ぎる。本当にぼかせば、まだよかったのに…)をかけてはいけなかったと思う。
私達はオスカーと同じように、エリの姿に驚き、しかしそれでもエリを受け入れ、愛する決意を固めねばならなかったのだと思う。
このシーンのために、ずっと言葉で表現することが省かれてきたのだと思うので、これを映倫がやったのだとしたら、やっぱり大バカだと思う。
多分、ワイセツだというよりも残忍だと思ったのかもしれない。
だけど、この衝撃は、この身で受け止めなければいけなかったのだと思うのだ。
私が言葉から察することが出来たのは、偶然手に入れた予備知識があったからなので、そうでない人にどんな風に伝わるのかな…と、気になったりもする。
まぁ、解釈は人それぞれなのだけど、材料を隠すのは反則だろう。
色んなことがはっきりとは語られないが、これは、オスカーの父親の所に訪ねて来た男は十中八九、彼氏だな。雰囲気だけど。
というようなレベルじゃないのである。
話の根幹にかかわることじゃないのか?
女の子じゃないし
男の子でもない
人の血がないと生きられない
この先も成長しない
きみが死んでも生き続ける
それでも、受け入れてくれる?
と言う、エリに答えなければいけないのだ。
ま、怒りはコレくらいにして
北欧の白い景色、それに溶け込むようなブロンドが美しいオスカー
その景色から浮き立つような黒髪のエリ
そして、真っ赤な血
残忍なシーンも数々あるのだが、不思議に静かで美しい。
最初は、オスカーを拒んでいたエリも次第に彼に惹かれていく。
オスカーのガッカリした顔が辛くて、食べられもしないキャンディーを口に運んだり。
二人はお互いを求めていたのだ。
それが、「恋」だとか「愛」だとか呼ばれるものかどうかは別として。
光に溢れたラストシーンの幸福感は不思議な程だが、お互いを見つけた二人に私達もホッと胸をなでおろすのだろう。
これから続く旅は過酷で光に溢れていないと知っていても。
全然違うんだけど、鉄郎とメーテルを思い出した。
少年は美しい人と出会い、成長し、やがて別れの時が来る。
そして、美しい人は、また旅に出て新たな少年と出会うのだ。
そんなことがグルグルと行われてきたのだ、きっと。
そして、これからも続いていくのだグルグルと。
メーテルは、とっても辛いって言ってたよね……
ミシガン州の地方紙の記者ボブは、退屈ながらも自分の人生に満足していた。
地元に住む自称“超能力者”の取材などというバカげた仕事も妻のためを思えば平気だった。
が、ある日彼の妻は編集長の元へと走り、順調だった彼の人生は音を立てて崩れた。
ボブは妻を見返そうと、戦争が始まったばかりのイラクでの取材を志願する。
クウェート。
イラクへの入国待ちでホテルに滞在していたボブは、レストランでセールスマンらしき米国人と知り合う。
ふと、その男の名札を見た時、記憶が甦った。
“リン・キャシディ”
地元の超能力者は、彼の有能さをボブに語っていたのだ!
最初は警戒していたリンだが、ボブの出現は必然だと感じ、米軍の“ジェダイ計画”から生まれた超能力部隊=“新地球軍”のことを打ち明ける。
共にイラクへ旅するボブとリン。
道中で語られる“超能力部隊”の話は驚くべきものだった。
ベトナム戦争で啓示を受け、帰還したビル・ジャンゴの修行の日々。
その経験から彼が記した“新地球軍マニュアル”。
そして、それに基づく“新地球軍”の設立。
この超極秘特殊部隊でリンは愛と平和の精神に基づき、新たな能力を開花させることを学んだのだった。
しかし、そんな日々も長くは続かなかった。
彼の才能に嫉妬したラリー・フーパーによって、ビルは追放されてしまう。
精神的な支柱を失った新地球軍は、動物を使った殺傷実験を行うように……
リンは心に傷を抱え、軍を去る。
見つめるだけでヤギを殺したという伝説を残して…。
そんな信じがたい話をしながら進む、リンとボブの旅は波乱の連続。
あまりの危機の連続に、最初のうちはついて来たことを後悔していたボブも、リンの信じられない行動と話にしだいに魅せらいく。
そして、旅のゴールには、さらに信じられないような事実が待ち受けていた!
『瞳の奥~』を観た時に、こっちでもいいかな~と思ってたのですが、気分ではなくて止めた映画。
いや、これ、予想外によかった。
ジョジクル見直しちゃったかも。
このキャストと、制作陣を集めたのも彼の人望のなせる技でしょうか?
あまりにもバカバカしいけど、それでも“新地球軍”の兵士たちの目指したラブ&ピース作戦?が、成功してたら世界はちょっと変わってたかもね。
と思ったり。
戦力としての超能力研究な訳ですが、それを戦争を防ぐという方向に使おうとしたところが、予想外でありヒッピー的であり、ベトナムを引きずってるな感がある訳だけど、もし、実現してたらそれはそれでスゴイかも、でしょ?
必殺技の“キラキラ眼力”も、ただ単に『眼力』なんじゃないかと思いつつ、ジョジクルにあんなに見つめられたらさすがに手が止まるかも(^_^;)
まぁ、でも、ジョジクルがユアンに『ジェダイ』について熱く語るって言うだけで、観客をグッと引き寄せることはほぼ成功。
ケビン・スペイシーもジェフ・ブリッジスも意外なと言ってはいけないほどのハマりっぷり。
最後のケビン可愛いよね~
ね~
ねぇ?
観終わると心の中には意外にも爽やかなものが残るのは、意図したのか、しなかったのか?
「バッカだべ、アメリカって!?」と言いたいのかな…と思うんだけど。
こんなに信じられるものがあるって、ちょっといいかもね、個人としては。
っていう気もちもあるんじゃないかな~?
とりあえず
何と爽やかな男たちじゃろう!
と、言っておきますわ。アホやけど(^_^;)
地元に住む自称“超能力者”の取材などというバカげた仕事も妻のためを思えば平気だった。
が、ある日彼の妻は編集長の元へと走り、順調だった彼の人生は音を立てて崩れた。
ボブは妻を見返そうと、戦争が始まったばかりのイラクでの取材を志願する。
クウェート。
イラクへの入国待ちでホテルに滞在していたボブは、レストランでセールスマンらしき米国人と知り合う。
ふと、その男の名札を見た時、記憶が甦った。
“リン・キャシディ”
地元の超能力者は、彼の有能さをボブに語っていたのだ!
最初は警戒していたリンだが、ボブの出現は必然だと感じ、米軍の“ジェダイ計画”から生まれた超能力部隊=“新地球軍”のことを打ち明ける。
共にイラクへ旅するボブとリン。
道中で語られる“超能力部隊”の話は驚くべきものだった。
ベトナム戦争で啓示を受け、帰還したビル・ジャンゴの修行の日々。
その経験から彼が記した“新地球軍マニュアル”。
そして、それに基づく“新地球軍”の設立。
この超極秘特殊部隊でリンは愛と平和の精神に基づき、新たな能力を開花させることを学んだのだった。
しかし、そんな日々も長くは続かなかった。
彼の才能に嫉妬したラリー・フーパーによって、ビルは追放されてしまう。
精神的な支柱を失った新地球軍は、動物を使った殺傷実験を行うように……
リンは心に傷を抱え、軍を去る。
見つめるだけでヤギを殺したという伝説を残して…。
そんな信じがたい話をしながら進む、リンとボブの旅は波乱の連続。
あまりの危機の連続に、最初のうちはついて来たことを後悔していたボブも、リンの信じられない行動と話にしだいに魅せらいく。
そして、旅のゴールには、さらに信じられないような事実が待ち受けていた!
『瞳の奥~』を観た時に、こっちでもいいかな~と思ってたのですが、気分ではなくて止めた映画。
いや、これ、予想外によかった。
ジョジクル見直しちゃったかも。
このキャストと、制作陣を集めたのも彼の人望のなせる技でしょうか?
あまりにもバカバカしいけど、それでも“新地球軍”の兵士たちの目指したラブ&ピース作戦?が、成功してたら世界はちょっと変わってたかもね。
と思ったり。
戦力としての超能力研究な訳ですが、それを戦争を防ぐという方向に使おうとしたところが、予想外でありヒッピー的であり、ベトナムを引きずってるな感がある訳だけど、もし、実現してたらそれはそれでスゴイかも、でしょ?
必殺技の“キラキラ眼力”も、ただ単に『眼力』なんじゃないかと思いつつ、ジョジクルにあんなに見つめられたらさすがに手が止まるかも(^_^;)
まぁ、でも、ジョジクルがユアンに『ジェダイ』について熱く語るって言うだけで、観客をグッと引き寄せることはほぼ成功。
ケビン・スペイシーもジェフ・ブリッジスも意外なと言ってはいけないほどのハマりっぷり。
最後のケビン可愛いよね~
ね~
ねぇ?
観終わると心の中には意外にも爽やかなものが残るのは、意図したのか、しなかったのか?
「バッカだべ、アメリカって!?」と言いたいのかな…と思うんだけど。
こんなに信じられるものがあるって、ちょっといいかもね、個人としては。
っていう気もちもあるんじゃないかな~?
とりあえず
何と爽やかな男たちじゃろう!
と、言っておきますわ。アホやけど(^_^;)
刑事裁判所を定年退職したベンハミン・エスポシト。
彼は、仕事も家庭もない孤独な時間を、25年前の忘れ難い殺人事件を題材に小説を書くことで埋めようと決心し、久しぶりに当時の職場を訪ねる。
彼の元上司のイレーネ・ヘイスティングスが彼を迎えた。
相変わらず美しく聡明な彼女は、今では検事に昇格し、二人の子供の母親でもあった。
1974年にブエノスアイレスで事件は起こった。
銀行員の夫リカルドと、幸せな新婚生活を送っていた23歳の女性教師リリアナが、自宅で暴行され殺害された。
現場でベンハミンは、無残な遺体を見て衝撃を受ける。
捜査を進める内、ベンハミンはある男の存在に気づく。
その男はリリアナの幼馴染で、彼女の古いアルバムの中の写真でいつも彼女を見つめていた。
ベンハミンは部下で友人のパブロと共に男の居場所を捜索する。
しかし、それは判事の指示を無視して強引に行ったことであり、事件は未解決のまま捜査を終了されることとなった。
事件から1年が経った頃、ベンハミンは駅で偶然、リカルドと再会する。
彼は仕事が終わると、毎日、曜日ごとに駅を変えて、容疑者が現れるのを待っているというのだ。
彼の深い愛情に衝撃を受けたベンハミンは、「彼の瞳を見るべきだ。あれこそ真の愛だ」とイレーネに捜査の再開を嘆願する。
とうとう、ベンハミンとパブロは容疑者の居所を突き止め、逮捕に至るのだが……。
事件当時、事務所で使っれていたタイプライターをイレーネから譲り受けたベンハミン。
タイプライターで文字を綴りながら、あの事件を振り返ると、彼女の存在が彼の中に鮮やかに甦る。
彼は過去と決別するために、事件の裏側に潜む謎と、今も変わらぬイレーネへの秘めた想いに向き合うことを決意する。
サスペンスの形をした、実はラヴストーリー。
リリアナ殺害事件は、犯人逮捕で一応解決したが、犯人は行政措置により釈放されてしまう。
軍事政権下、使えるならず者が恩赦を受けたのだ。
ベンハミンがブエノスアイレスを長らく離れていた理由。
部下で友人でもあったパブロの身に起こった悲しい出来事。
そして、ベンハミンが真の愛の姿だというリカルドの伏せられた眼差しに宿るもの。
それらが、次第に明らかになっていく。
ベンハミンは、人生の終盤を迎えても、いまだ過去に囚われ、前に踏み出せない。
だから、職を退いた今、忘れ難い出来事を小説として表現することによって、その過去を解き放ち、また過去から解放されようとしているのだ。
先に書いたように、この映画は上質のサスペンスドラマでありながら、二人の男の25年に渡る愛の物語でもある。
息詰まるような緊張感と、それをふっと緩和させるユーモア。
悲しい友情の物語や、当時の歴史的背景も窺わせる。
そして、Aの打てないタイプライターの伏線と、実は終わっていなかった25年前の事件の現在にアッと言わされる。
ラストは、ハッピーエンドでしょう、コレ。(ハッピーじゃない人も、もちろんいるけど。)
アカデミーで外国語映画賞を獲った本作。
そんなことはすっかり忘却して映画館に行ったら、予想外に混んでいてビックリ(@_@;)
見て損はない、いや、映画好きならぜひ見て欲しい映画。
頼むから、リメイクとか考えないでね、ハリウッド。
彼は、仕事も家庭もない孤独な時間を、25年前の忘れ難い殺人事件を題材に小説を書くことで埋めようと決心し、久しぶりに当時の職場を訪ねる。
彼の元上司のイレーネ・ヘイスティングスが彼を迎えた。
相変わらず美しく聡明な彼女は、今では検事に昇格し、二人の子供の母親でもあった。
1974年にブエノスアイレスで事件は起こった。
銀行員の夫リカルドと、幸せな新婚生活を送っていた23歳の女性教師リリアナが、自宅で暴行され殺害された。
現場でベンハミンは、無残な遺体を見て衝撃を受ける。
捜査を進める内、ベンハミンはある男の存在に気づく。
その男はリリアナの幼馴染で、彼女の古いアルバムの中の写真でいつも彼女を見つめていた。
ベンハミンは部下で友人のパブロと共に男の居場所を捜索する。
しかし、それは判事の指示を無視して強引に行ったことであり、事件は未解決のまま捜査を終了されることとなった。
事件から1年が経った頃、ベンハミンは駅で偶然、リカルドと再会する。
彼は仕事が終わると、毎日、曜日ごとに駅を変えて、容疑者が現れるのを待っているというのだ。
彼の深い愛情に衝撃を受けたベンハミンは、「彼の瞳を見るべきだ。あれこそ真の愛だ」とイレーネに捜査の再開を嘆願する。
とうとう、ベンハミンとパブロは容疑者の居所を突き止め、逮捕に至るのだが……。
事件当時、事務所で使っれていたタイプライターをイレーネから譲り受けたベンハミン。
タイプライターで文字を綴りながら、あの事件を振り返ると、彼女の存在が彼の中に鮮やかに甦る。
彼は過去と決別するために、事件の裏側に潜む謎と、今も変わらぬイレーネへの秘めた想いに向き合うことを決意する。
サスペンスの形をした、実はラヴストーリー。
リリアナ殺害事件は、犯人逮捕で一応解決したが、犯人は行政措置により釈放されてしまう。
軍事政権下、使えるならず者が恩赦を受けたのだ。
ベンハミンがブエノスアイレスを長らく離れていた理由。
部下で友人でもあったパブロの身に起こった悲しい出来事。
そして、ベンハミンが真の愛の姿だというリカルドの伏せられた眼差しに宿るもの。
それらが、次第に明らかになっていく。
ベンハミンは、人生の終盤を迎えても、いまだ過去に囚われ、前に踏み出せない。
だから、職を退いた今、忘れ難い出来事を小説として表現することによって、その過去を解き放ち、また過去から解放されようとしているのだ。
先に書いたように、この映画は上質のサスペンスドラマでありながら、二人の男の25年に渡る愛の物語でもある。
息詰まるような緊張感と、それをふっと緩和させるユーモア。
悲しい友情の物語や、当時の歴史的背景も窺わせる。
そして、Aの打てないタイプライターの伏線と、実は終わっていなかった25年前の事件の現在にアッと言わされる。
ラストは、ハッピーエンドでしょう、コレ。(ハッピーじゃない人も、もちろんいるけど。)
アカデミーで外国語映画賞を獲った本作。
そんなことはすっかり忘却して映画館に行ったら、予想外に混んでいてビックリ(@_@;)
見て損はない、いや、映画好きならぜひ見て欲しい映画。
頼むから、リメイクとか考えないでね、ハリウッド。