私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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オモシロモノ
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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かうんたー
数え始め 2006/11/14
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1962年11月30日。
愛する人を突然の事故で失って、8か月。
ジョージ(コリン・ファース)は、この日で人生を終わらせようと、着々と準備を整えていた。
しかし、大学での講義はいつもより熱を帯び、うんざりしていた隣の家の少女との会話も何故か楽しいと思える。
大学の部屋や、貸金庫を整理し、遺書を書き上げ、いよいよ行動に移そうかという時、かつての恋人チャーリー(ジュリアン・ムーア)から電話が入り……彼女と食事をし、思い出を語る。
そんな些細な出来事すべてが、その日はいつもと少し違って見えた。
そして、ついに一日を、しかも最期の、を終えようとしていたジョージの前に大学の教え子のケニーが現れて……
ファッション業界には疎い赤姫でも、名前くらいは聞いたことのあるデザイナーとして大きな成功を収めたトム・フォードの初監督作品。
ロサンゼルスの話、なのにあんまりそんな気がしないのは、出ている人たちのせいなのでしょうか?
一コマ一コマが美しい。
さすが一流デザイナー、と思わせる映画です。
朝、目が覚めるとガッカリする。
その感覚は、実は慣れ親しんだもので(笑)、自分からはとても遠い筈のジョージに共感できてしまう。
あぁ、また一日生き延びてしまった。
また一日やり過ごさなきゃいけない。
一日やり過ごせば、それは確実に近付いている筈なんだけどね。
死のうと決めた彼に、周囲が今までとは違う輝きを放つように見えたのは、ごく当たり前のことかもしれない。
生きていくために、死ぬ手段が欲しい。
そういう人たちの話を聞いたことがある。
毒薬とか、銃とかね、そういうものを手に入れたら、「あぁ、これで、どうしようもない程耐えられなくなったら、自分は死を手に入れられる」そう思うことで、生きていけるっていう。
逆説のようだけど、とてもよく分かる気がする。
いつでも実行出来る。
だから、もう一日頑張ってみようか…
そんな気持ちだと思う。
死を決意したジョージは、うんざりする朝はもうやって来ない、そう思って、フッと気持ちが軽くなったのではないだろうか?
幸せは道端に転がっている石ころのようなもの
そう、前に書いたことがあるかもしれない。
彼が『本物の愛』を失うまでは、見えていたかもしれない道端に転がっている幸せが、気分が軽くなったことによって再び見えるようになったのかもしれない。
もう少し生きていてもいいかもしれない。
もう少し生きていけるかもしれない。
もう少し生きていたい。
そう、思えるようになった時、『あがり』は近づくのかもね。
美しい映画だけど、思わず笑っちゃうような場面も数々出てくる。
芸術的なだけでなく、エンターテインメント作品でもある。
ケニー役がジェイミー・ベルに決まってたのに、交代になったのは(本人のせいだけど)ちょっと残念。
でも、これがよかったのかもね。
静かで深い悲しみを表現したコリン・ファースは本当によかった。
とりあえず、冷蔵庫の修理屋さんに私からもお礼を言いたい。
愛する人を突然の事故で失って、8か月。
ジョージ(コリン・ファース)は、この日で人生を終わらせようと、着々と準備を整えていた。
しかし、大学での講義はいつもより熱を帯び、うんざりしていた隣の家の少女との会話も何故か楽しいと思える。
大学の部屋や、貸金庫を整理し、遺書を書き上げ、いよいよ行動に移そうかという時、かつての恋人チャーリー(ジュリアン・ムーア)から電話が入り……彼女と食事をし、思い出を語る。
そんな些細な出来事すべてが、その日はいつもと少し違って見えた。
そして、ついに一日を、しかも最期の、を終えようとしていたジョージの前に大学の教え子のケニーが現れて……
ファッション業界には疎い赤姫でも、名前くらいは聞いたことのあるデザイナーとして大きな成功を収めたトム・フォードの初監督作品。
ロサンゼルスの話、なのにあんまりそんな気がしないのは、出ている人たちのせいなのでしょうか?
一コマ一コマが美しい。
さすが一流デザイナー、と思わせる映画です。
朝、目が覚めるとガッカリする。
その感覚は、実は慣れ親しんだもので(笑)、自分からはとても遠い筈のジョージに共感できてしまう。
あぁ、また一日生き延びてしまった。
また一日やり過ごさなきゃいけない。
一日やり過ごせば、それは確実に近付いている筈なんだけどね。
死のうと決めた彼に、周囲が今までとは違う輝きを放つように見えたのは、ごく当たり前のことかもしれない。
生きていくために、死ぬ手段が欲しい。
そういう人たちの話を聞いたことがある。
毒薬とか、銃とかね、そういうものを手に入れたら、「あぁ、これで、どうしようもない程耐えられなくなったら、自分は死を手に入れられる」そう思うことで、生きていけるっていう。
逆説のようだけど、とてもよく分かる気がする。
いつでも実行出来る。
だから、もう一日頑張ってみようか…
そんな気持ちだと思う。
死を決意したジョージは、うんざりする朝はもうやって来ない、そう思って、フッと気持ちが軽くなったのではないだろうか?
幸せは道端に転がっている石ころのようなもの
そう、前に書いたことがあるかもしれない。
彼が『本物の愛』を失うまでは、見えていたかもしれない道端に転がっている幸せが、気分が軽くなったことによって再び見えるようになったのかもしれない。
もう少し生きていてもいいかもしれない。
もう少し生きていけるかもしれない。
もう少し生きていたい。
そう、思えるようになった時、『あがり』は近づくのかもね。
美しい映画だけど、思わず笑っちゃうような場面も数々出てくる。
芸術的なだけでなく、エンターテインメント作品でもある。
ケニー役がジェイミー・ベルに決まってたのに、交代になったのは(本人のせいだけど)ちょっと残念。
でも、これがよかったのかもね。
静かで深い悲しみを表現したコリン・ファースは本当によかった。
とりあえず、冷蔵庫の修理屋さんに私からもお礼を言いたい。
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