私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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オモシロモノ
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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かうんたー
数え始め 2006/11/14
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パリ。
売れっ子ジャーナリストのマリーは、恋人との休暇旅行中に津波に遭遇し、生死の境をさまようが、何とか一命を取り留める。
しかし、帰国してからも、その時に自分が見た不思議な光景を忘れることが出来なかった。
休暇を取り、「本でも書けば…」と勧められたマリー。
当初は政治関係の本の執筆を考えていたが、その内、自分が見たビジョンについて、調査を開始する……。
サンフランシスコ。
かつて霊能者として活躍したが、死者との対話に疲れきったジョージは、過去を隠して工場で働いていた。
彼は、過去のことを忘れようと通い始めた料理教室で知り合った女性に好意を寄せるが、彼の能力が原因で、彼女は彼の前から去ってしまう……。
ロンドン。
ヘロイン中毒の母親と双子の兄と一緒に暮らすマーカス。
ある日、彼に代わってお使いに出かけた兄ジェームスが、交通事故で亡くなってしまう。
母親と別れ、里親に預けられたマーカスだが、里親になじめず、どうしても、もう一度兄と話したいと霊能者を訪ね歩く。
しかし、どれも偽物ばかり……
ある日、彼は、ジョージの古いウェブサイトに行きつく。
臨死体験の調査の成果をイギリスの出版社から本にして出すことになり、ロンドンのブックフェアに参加するマリー。
すべてから逃げ出して大好きなディケンズゆかりの地を訪ねるジョージ。
3人は何かに引き寄せられるように出会うのだが……。
試写会に行ってきました。
なるほど、こういう話だったんやね。
結末を言っちゃうのはどうかと思うけど…、まぁフランス映画とかイタリア映画とか見た時に「え、そんで!?」みたいなラストがありますが、あの感覚と似ている。
何かがスッキリ解決するわけではない。
死後の世界というか来世といっていいのかな…のことを描いているとも言えるのですが、具体的には何も出てこない。
これは、証明されていなかったり、自分が体験したりしなかったことはテキトーに描写しないという姿勢でもあると思うので、ここいら辺が誠実というか……
ジョージは感応しちゃう人なのかな?
相手の手に触れるとピピッと感じてしまうものがある。
もちろん視る気で手を握る場合もあるが、思いがけず手が触れてしまった時もピピッと来てしまう。
大変だね。
ドラマのアリソン・デュボアとか見てても、寝る度にビジョンが見えるんじゃ寝不足で死んじゃうよ;;と思ったり。
特殊な力があるということは大変なことだと思う。
自分に全く関係ないことに悩まされてるんだもんね。
一方、死んでしまった大事な人にもう一度会いたい、話をしたい、何かしてあげられないか訊きたい。
というのも、よく分かる。
喪失感はいつかは別のモノでだんだんと埋まっていくかもしれないけど、そこにピタリとはまるものは永遠に現れない。
臨死体験。
は、したことないんで、どんな感じか分からないのですが、ほとんど誰もが口にする光を感じると言う話は、脳の同じ部分が刺激されるからではないかとも言われている。
その話は、この映画には出てこないんだけどね。
でも、皆が似たような経験をするように、私達の体が出来ているのだとしたら、私達に預かり知らぬところで計画された、しかし、私達に必要なものなのだろう。
死後の世界を体験し、周りに理解されず、孤独になったマリー。
死後の世界と繋がり続け、人とうまく関係を築けなくなったジョージ。
2人で1人だった双子の兄を失い、誰よりも孤独を感じるマーカス。
人は本当は孤独なのだけど。
『我々人間は偶然の内に生まれ、出会い、孤独のうちに死んでいく』
というのは、子供の時にバカボンで読んだ実存主義の説明の一文だったりする(笑)
でも、これが真実だろうな~と思う。
双子だって手を繋いで生まれて来やしないしね。
それぞれがこれからの人生にきちんと向き合って生きていけることを予感させるラストにホッと息をつく。
まぁ、物足りない人はいっぱいいるだろうけど。
キャストも監督も物語も、こうでなければならなかった…!
というところは見つけられない映画。
あ、デレク・ジャコビの「リトル・ドリット」の朗読が聴けちゃうのは、お得だな(^_^)
私も、サインが欲しい!!(朗読CDも)
売れっ子ジャーナリストのマリーは、恋人との休暇旅行中に津波に遭遇し、生死の境をさまようが、何とか一命を取り留める。
しかし、帰国してからも、その時に自分が見た不思議な光景を忘れることが出来なかった。
休暇を取り、「本でも書けば…」と勧められたマリー。
当初は政治関係の本の執筆を考えていたが、その内、自分が見たビジョンについて、調査を開始する……。
サンフランシスコ。
かつて霊能者として活躍したが、死者との対話に疲れきったジョージは、過去を隠して工場で働いていた。
彼は、過去のことを忘れようと通い始めた料理教室で知り合った女性に好意を寄せるが、彼の能力が原因で、彼女は彼の前から去ってしまう……。
ロンドン。
ヘロイン中毒の母親と双子の兄と一緒に暮らすマーカス。
ある日、彼に代わってお使いに出かけた兄ジェームスが、交通事故で亡くなってしまう。
母親と別れ、里親に預けられたマーカスだが、里親になじめず、どうしても、もう一度兄と話したいと霊能者を訪ね歩く。
しかし、どれも偽物ばかり……
ある日、彼は、ジョージの古いウェブサイトに行きつく。
臨死体験の調査の成果をイギリスの出版社から本にして出すことになり、ロンドンのブックフェアに参加するマリー。
すべてから逃げ出して大好きなディケンズゆかりの地を訪ねるジョージ。
3人は何かに引き寄せられるように出会うのだが……。
試写会に行ってきました。
なるほど、こういう話だったんやね。
結末を言っちゃうのはどうかと思うけど…、まぁフランス映画とかイタリア映画とか見た時に「え、そんで!?」みたいなラストがありますが、あの感覚と似ている。
何かがスッキリ解決するわけではない。
死後の世界というか来世といっていいのかな…のことを描いているとも言えるのですが、具体的には何も出てこない。
これは、証明されていなかったり、自分が体験したりしなかったことはテキトーに描写しないという姿勢でもあると思うので、ここいら辺が誠実というか……
ジョージは感応しちゃう人なのかな?
相手の手に触れるとピピッと感じてしまうものがある。
もちろん視る気で手を握る場合もあるが、思いがけず手が触れてしまった時もピピッと来てしまう。
大変だね。
ドラマのアリソン・デュボアとか見てても、寝る度にビジョンが見えるんじゃ寝不足で死んじゃうよ;;と思ったり。
特殊な力があるということは大変なことだと思う。
自分に全く関係ないことに悩まされてるんだもんね。
一方、死んでしまった大事な人にもう一度会いたい、話をしたい、何かしてあげられないか訊きたい。
というのも、よく分かる。
喪失感はいつかは別のモノでだんだんと埋まっていくかもしれないけど、そこにピタリとはまるものは永遠に現れない。
臨死体験。
は、したことないんで、どんな感じか分からないのですが、ほとんど誰もが口にする光を感じると言う話は、脳の同じ部分が刺激されるからではないかとも言われている。
その話は、この映画には出てこないんだけどね。
でも、皆が似たような経験をするように、私達の体が出来ているのだとしたら、私達に預かり知らぬところで計画された、しかし、私達に必要なものなのだろう。
死後の世界を体験し、周りに理解されず、孤独になったマリー。
死後の世界と繋がり続け、人とうまく関係を築けなくなったジョージ。
2人で1人だった双子の兄を失い、誰よりも孤独を感じるマーカス。
人は本当は孤独なのだけど。
『我々人間は偶然の内に生まれ、出会い、孤独のうちに死んでいく』
というのは、子供の時にバカボンで読んだ実存主義の説明の一文だったりする(笑)
でも、これが真実だろうな~と思う。
双子だって手を繋いで生まれて来やしないしね。
それぞれがこれからの人生にきちんと向き合って生きていけることを予感させるラストにホッと息をつく。
まぁ、物足りない人はいっぱいいるだろうけど。
キャストも監督も物語も、こうでなければならなかった…!
というところは見つけられない映画。
あ、デレク・ジャコビの「リトル・ドリット」の朗読が聴けちゃうのは、お得だな(^_^)
私も、サインが欲しい!!(朗読CDも)
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伝説のカンフースター、ブルース・リーのただ一人の師匠で、中国武術・詠春拳の達人、イップ・マンの激動の半生を描いた映画。
1950年、英国統治下の香港。
イップ・マンは家族を連れて広東省佛山から移り住む。
知り合いの好意で詠春拳の武館を開くが、1週間が過ぎても入門者は一人も現れない。
そこへウォンという若者がやって来る。
自分との勝負に勝てば入門すると、イップに挑戦を挑む。
イップの技に感服したウォンは仲間とともに、入門する。
しかし、香港には様々な門派の武館があり、新しく武館を開くには従わねばならない掟があった。
それぞれの師匠たちの挑戦を受けて戦い、線香が燃え尽きるまで勝ち残ること。
次々と相手を倒していくイップ。
そして、武館の元締めでもある洪拳のホンとの戦いが始まる。
2人戦いは決着がつかず、ホンは武館を開くことを認め、自分達の会に入会し金を納めれば、面倒は起きないと言うが、イップはそれを拒否する。
やがてホンの弟子達とウォン達が騒ぎを起こし、イップの武館は閉鎖に追い込まれてしまった。
公園で指導を続けるイップに、ホンは、警察署長主催のボクシング大会の招待状を渡した。
イップを認めたことの証しだった。
だが、そのボクシング大会の折、事件が起こる。
試合後、イギリス人ボクサー、ツイスターが中国武術を侮辱したのだ。
他の師匠たちを押さえ、リングに上がったホンは壮絶な最期を遂げる。
このことは大きな騒ぎとなり、警察署長は再びツイスターと中国武術家の試合を組み決着をつけようとする。
イップ・マンは中国武術の誇りを守るため、人としての尊厳を守るため、挑戦者に名乗り出るのだった……
続編なんだね。
何か知らんけど、命も狙われたらしいイップ・マンが佛山から逃げてくるところがちょびっと始めに映し出される。
そのことについて、この映画の中でももちろん触れられるのだが、分からないので、とりあえず、何か知らんけど香港へ逃げて来はってんね。
という理解だけで見ました。
よかったね。
サモ・ハンに泣かされる日が来るとは思わなかったよ(T_T)
サモ・ハン演じるホンも彼なりに、中国武術の灯を消すまいと頑張って来たのだと思う。
正攻法じゃないし、褒められた手段じゃないけど、それが一番だと考えてのことだろう。
イップもホンもやり方は違うけど、中国武術を守ろうとしていたのだ。
確執を乗り越え、お互いを認め合った矢先に、事件が起きたのだ。
年齢のせいもあってか、ホンの体は元々万全ではなかったのだろう(薬湯とか飲んでたし)。
それでも、毅然として立ち向かう姿にウルウル(@_@。
サモ・ハン、まだまだ出来るね~
途中、ホンの異変を感じたイップは、「誇りよりも命が大事だ。」と棄権するようにホンに言うが、ホンはこう答えるのだ。
「自分ではなく、中国武術の誇りのためだ。」
最後まで闘い抜いたホンの遺志を継ぐため。
中国武術の、ひいては中国人としての誇りのため。
イップは決して分があるとは言えない異種格闘技戦に挑むのだ。
虐げられている時こそ、人は誇りを持たねばならないのだ。
と、思わされた。
さすがのドニー・イェンなので、闘うシーンはもう言うことなし。
もちろん、ワイヤーとかも使っているようだけど、あり得んわ~みたいなことはないので、昔見たカンフー映画っぽい。
ごくごく普通の豆腐屋のおっちゃんやろ?みたいな師範達も、よう、そんなポーズとれますな~(@_@;)
という技を披露してくれる。(いや、ホンマあの恰好で一瞬止まるだけでもスゴイよ!)
試合を開催する会見でボクサーが、線香のことを揶揄するシーン。
進み出たイップは「時間を図るためだけのものでなく、謙虚であれと教えるためのものだ」というのだが……
ドニ―は、どう思ってんのかな~?と思う。
前の、映画祭か何かでの発言を聞いたところでは、彼の考えは違うように思えるし。
『今』の中国と中国人がどこかに置き忘れてきたものを再発見する映画だと思う。
まぁ、中国でのヒットの理由は違うところにあるんだろうけど。
チラチラと拝見したブログなどには、上映後に前作の予告編が流れたというのもあったけど、私が見た所ではなかった。
5000人が見たら、上映されるのだそうだが、果たして達成するのか?
でも、上映が実現したとして、順番逆に見なきゃいけないのね;;
1950年、英国統治下の香港。
イップ・マンは家族を連れて広東省佛山から移り住む。
知り合いの好意で詠春拳の武館を開くが、1週間が過ぎても入門者は一人も現れない。
そこへウォンという若者がやって来る。
自分との勝負に勝てば入門すると、イップに挑戦を挑む。
イップの技に感服したウォンは仲間とともに、入門する。
しかし、香港には様々な門派の武館があり、新しく武館を開くには従わねばならない掟があった。
それぞれの師匠たちの挑戦を受けて戦い、線香が燃え尽きるまで勝ち残ること。
次々と相手を倒していくイップ。
そして、武館の元締めでもある洪拳のホンとの戦いが始まる。
2人戦いは決着がつかず、ホンは武館を開くことを認め、自分達の会に入会し金を納めれば、面倒は起きないと言うが、イップはそれを拒否する。
やがてホンの弟子達とウォン達が騒ぎを起こし、イップの武館は閉鎖に追い込まれてしまった。
公園で指導を続けるイップに、ホンは、警察署長主催のボクシング大会の招待状を渡した。
イップを認めたことの証しだった。
だが、そのボクシング大会の折、事件が起こる。
試合後、イギリス人ボクサー、ツイスターが中国武術を侮辱したのだ。
他の師匠たちを押さえ、リングに上がったホンは壮絶な最期を遂げる。
このことは大きな騒ぎとなり、警察署長は再びツイスターと中国武術家の試合を組み決着をつけようとする。
イップ・マンは中国武術の誇りを守るため、人としての尊厳を守るため、挑戦者に名乗り出るのだった……
続編なんだね。
何か知らんけど、命も狙われたらしいイップ・マンが佛山から逃げてくるところがちょびっと始めに映し出される。
そのことについて、この映画の中でももちろん触れられるのだが、分からないので、とりあえず、何か知らんけど香港へ逃げて来はってんね。
という理解だけで見ました。
よかったね。
サモ・ハンに泣かされる日が来るとは思わなかったよ(T_T)
サモ・ハン演じるホンも彼なりに、中国武術の灯を消すまいと頑張って来たのだと思う。
正攻法じゃないし、褒められた手段じゃないけど、それが一番だと考えてのことだろう。
イップもホンもやり方は違うけど、中国武術を守ろうとしていたのだ。
確執を乗り越え、お互いを認め合った矢先に、事件が起きたのだ。
年齢のせいもあってか、ホンの体は元々万全ではなかったのだろう(薬湯とか飲んでたし)。
それでも、毅然として立ち向かう姿にウルウル(@_@。
サモ・ハン、まだまだ出来るね~
途中、ホンの異変を感じたイップは、「誇りよりも命が大事だ。」と棄権するようにホンに言うが、ホンはこう答えるのだ。
「自分ではなく、中国武術の誇りのためだ。」
最後まで闘い抜いたホンの遺志を継ぐため。
中国武術の、ひいては中国人としての誇りのため。
イップは決して分があるとは言えない異種格闘技戦に挑むのだ。
虐げられている時こそ、人は誇りを持たねばならないのだ。
と、思わされた。
さすがのドニー・イェンなので、闘うシーンはもう言うことなし。
もちろん、ワイヤーとかも使っているようだけど、あり得んわ~みたいなことはないので、昔見たカンフー映画っぽい。
ごくごく普通の豆腐屋のおっちゃんやろ?みたいな師範達も、よう、そんなポーズとれますな~(@_@;)
という技を披露してくれる。(いや、ホンマあの恰好で一瞬止まるだけでもスゴイよ!)
試合を開催する会見でボクサーが、線香のことを揶揄するシーン。
進み出たイップは「時間を図るためだけのものでなく、謙虚であれと教えるためのものだ」というのだが……
ドニ―は、どう思ってんのかな~?と思う。
前の、映画祭か何かでの発言を聞いたところでは、彼の考えは違うように思えるし。
『今』の中国と中国人がどこかに置き忘れてきたものを再発見する映画だと思う。
まぁ、中国でのヒットの理由は違うところにあるんだろうけど。
チラチラと拝見したブログなどには、上映後に前作の予告編が流れたというのもあったけど、私が見た所ではなかった。
5000人が見たら、上映されるのだそうだが、果たして達成するのか?
でも、上映が実現したとして、順番逆に見なきゃいけないのね;;
音楽好きなら知らない者はいない(と思うんだけど)世紀の野外音楽イベント“ウッドストック・フェスティバル”。
思いがけずこの歴史的大イベントに立ち会った青年の目を通して描かれる愛と平和と音楽の日々。
1969年の夏。
ニューヨークで画家やインテリア・デザイナーをして暮らす青年エリオット。
彼の悩みの種は、両親が郊外の小さな町ホワイトレイクで経営している今にも潰れそうなおんぼろモーテル。
借金がかさんで、銀行から営業停止を迫られていた。
エリオットは何とか返済期限を延ばしてもらうが、金の入る当てはまるでなかった。
この、いささかくたびれた町の若き商工会議所の会長でもあった彼は、街おこしのいい手はないかと考えていたが、他の会員達は老人でこれといった案もなく、エリオットとても“レコード”のコンサート企画くらいのもの。
そんな時、近隣の町ウォールキルで開催される予定だったウッドストック・フェスティバルが地元住民の反対で中止の危機に直面しているとの新聞記事を読む。
彼は、このフェスティバルをホワイトレイクに招致して街おこしを目論む。
すぐさま主催者に連絡を取ると、想像していた以上に話はどんどん進んで行くのだった。
監督主義プロジェクトの一環の作品だそうで、アン・リーとウッドストック……
不思議な取り合わせである。
間違った期待を持たせるといけないので、書いてしまうが、演奏シーンは当時の記録映像も再現シーンも全くなし。
あくまでも主役は、思いつきで世紀の大イベントを招致したエリオット青年。
彼は家を見放した姉に変わり、何とか両親をそしてモーテルを守ろうとしている。
自分の全財産をはたき、銀行にかけあう。
両親が自分を愛してくれていると信じて……
最初は展開がゆっくり目で田舎町での日々が淡々と綴られる。
の、だが……
ウッドストック招致が決まってからの目まぐるしさ!!
24みたいに分割画面なんかも使っちゃって!
この辺り、やはり計算なのかな?
だろうな~
計画が進むにつれて、色々問題も出てくる。
最初の交渉した値段からドドンと釣り上げてくる開催予定地の牧場主。
ヒッピーがあふれかえって町がエラいことになると反対を始める住民たち。
紙袋に無造作に入れられた大量の札束が飛び交う。
裏話って面白いよね?
そして、これはエリオット青年の成長物語でもある。
彼が初めて知る感情や世界。
初めて口にする父への疑問。
エリオットは、コンサートに出かけるんだけど、その度に色んなことに出会って、結局皆が会場を後にしてから空のステージを遠くから眺めるだけ。
でも、彼は美しいと言う。
そこは、確かに宇宙の中心だったし、物凄いことが起こった余韻が場を見たしている。
エリオットは、ウッドストックの間近にいた人だけど、実際にそのコンサートを体験することの出来ない私達に近い人でもある。
観終わった後、何だか幸せな映画。
これがLove & Peaceの効用か?
あ、あの人のミニスカ・ポリス…じゃないわ、ミニスカ・ガードマン?姿も見れちゃう驚きに満ちた映画。
あなたにも、ぜひ見て欲しい!
思いがけずこの歴史的大イベントに立ち会った青年の目を通して描かれる愛と平和と音楽の日々。
1969年の夏。
ニューヨークで画家やインテリア・デザイナーをして暮らす青年エリオット。
彼の悩みの種は、両親が郊外の小さな町ホワイトレイクで経営している今にも潰れそうなおんぼろモーテル。
借金がかさんで、銀行から営業停止を迫られていた。
エリオットは何とか返済期限を延ばしてもらうが、金の入る当てはまるでなかった。
この、いささかくたびれた町の若き商工会議所の会長でもあった彼は、街おこしのいい手はないかと考えていたが、他の会員達は老人でこれといった案もなく、エリオットとても“レコード”のコンサート企画くらいのもの。
そんな時、近隣の町ウォールキルで開催される予定だったウッドストック・フェスティバルが地元住民の反対で中止の危機に直面しているとの新聞記事を読む。
彼は、このフェスティバルをホワイトレイクに招致して街おこしを目論む。
すぐさま主催者に連絡を取ると、想像していた以上に話はどんどん進んで行くのだった。
監督主義プロジェクトの一環の作品だそうで、アン・リーとウッドストック……
不思議な取り合わせである。
間違った期待を持たせるといけないので、書いてしまうが、演奏シーンは当時の記録映像も再現シーンも全くなし。
あくまでも主役は、思いつきで世紀の大イベントを招致したエリオット青年。
彼は家を見放した姉に変わり、何とか両親をそしてモーテルを守ろうとしている。
自分の全財産をはたき、銀行にかけあう。
両親が自分を愛してくれていると信じて……
最初は展開がゆっくり目で田舎町での日々が淡々と綴られる。
の、だが……
ウッドストック招致が決まってからの目まぐるしさ!!
24みたいに分割画面なんかも使っちゃって!
この辺り、やはり計算なのかな?
だろうな~
計画が進むにつれて、色々問題も出てくる。
最初の交渉した値段からドドンと釣り上げてくる開催予定地の牧場主。
ヒッピーがあふれかえって町がエラいことになると反対を始める住民たち。
紙袋に無造作に入れられた大量の札束が飛び交う。
裏話って面白いよね?
そして、これはエリオット青年の成長物語でもある。
彼が初めて知る感情や世界。
初めて口にする父への疑問。
エリオットは、コンサートに出かけるんだけど、その度に色んなことに出会って、結局皆が会場を後にしてから空のステージを遠くから眺めるだけ。
でも、彼は美しいと言う。
そこは、確かに宇宙の中心だったし、物凄いことが起こった余韻が場を見たしている。
エリオットは、ウッドストックの間近にいた人だけど、実際にそのコンサートを体験することの出来ない私達に近い人でもある。
観終わった後、何だか幸せな映画。
これがLove & Peaceの効用か?
あ、あの人のミニスカ・ポリス…じゃないわ、ミニスカ・ガードマン?姿も見れちゃう驚きに満ちた映画。
あなたにも、ぜひ見て欲しい!
待望の赤ん坊誕生が5日後迫ったピーター(ロバダウ)は、妻のもとに向かうため、仕事先のアトランタから自宅のあるロサンゼルスへと向かう飛行機に乗ろうとしていた。
だが偶然出会った俳優志望のイーサンという男のせいで、テロリストに間違われ、飛行機を降ろされてしまう。
荷物は飛行機に乗ったままピーターを残して飛び立ってしまった。
一文無し、IDすらないピーターはハリウッドにエージェントに会いに行くというトラブルの元凶イーサンの車に同乗することに……
男2人(とワンコ1匹)のアメリカ大陸横断の旅……しかし、これはまだこれから待ち受ける悪夢のようなトラブルの幕開けに過ぎなかったのだ!
せっかく、あの遠い映画館まで出かけたので、1本だけで帰るのもな~と、もう1本見たのがこれ。
いや~余韻を壊すね~(苦笑)
『ハング・オーバー』は、予告編を見た時に、「もう絶対無理!受けつけない(生理的に!)」という訳で見なかったのですが、ロバダウがどんなか気になるし、ポイントも使えたし。
珍しく、一人で見なかったのですが、ご一緒した方によると『ハング・オーバー』の方が断然面白かったとのこと。
う~ん、そうねぇ、面白くなくはなかったんですけど。
結構笑ったし。
まぁ、元々アメリカのコメディーのドラマとかって何か合わんな~と思うことも多いので、資質の問題かもね。
かといって、モンティ・パイソンは大好きだけど、『オフィス』(オリジナル英国版)もバカ笑いは出来ないし。
まぁ、米よりは英寄りかな~笑いの感性は、と思うんですけどね。
ちょっとホロリとしちゃうところもあるんだけど、面白いと思ってのことなんだろうけど、あっという間に台無しにしちゃうし。
ん~まぁ、こんなもんですかね~?
だが偶然出会った俳優志望のイーサンという男のせいで、テロリストに間違われ、飛行機を降ろされてしまう。
荷物は飛行機に乗ったままピーターを残して飛び立ってしまった。
一文無し、IDすらないピーターはハリウッドにエージェントに会いに行くというトラブルの元凶イーサンの車に同乗することに……
男2人(とワンコ1匹)のアメリカ大陸横断の旅……しかし、これはまだこれから待ち受ける悪夢のようなトラブルの幕開けに過ぎなかったのだ!
せっかく、あの遠い映画館まで出かけたので、1本だけで帰るのもな~と、もう1本見たのがこれ。
いや~余韻を壊すね~(苦笑)
『ハング・オーバー』は、予告編を見た時に、「もう絶対無理!受けつけない(生理的に!)」という訳で見なかったのですが、ロバダウがどんなか気になるし、ポイントも使えたし。
珍しく、一人で見なかったのですが、ご一緒した方によると『ハング・オーバー』の方が断然面白かったとのこと。
う~ん、そうねぇ、面白くなくはなかったんですけど。
結構笑ったし。
まぁ、元々アメリカのコメディーのドラマとかって何か合わんな~と思うことも多いので、資質の問題かもね。
かといって、モンティ・パイソンは大好きだけど、『オフィス』(オリジナル英国版)もバカ笑いは出来ないし。
まぁ、米よりは英寄りかな~笑いの感性は、と思うんですけどね。
ちょっとホロリとしちゃうところもあるんだけど、面白いと思ってのことなんだろうけど、あっという間に台無しにしちゃうし。
ん~まぁ、こんなもんですかね~?
ロンドン。
クレアモントホテルへとやってきた老婦人サラ・パルフリー。
最愛の夫アーサーに先立たれ、娘から離れ、自立した生活を送るため、新聞広告で見つけたこのホテルに一人でやってきたのだ。
想像していたのとはまるで違うホテルの様子に落胆するパルフリー夫人。
夕食の時間、ドレスアップした夫人が食堂に入ると、他の客達の注目を浴びる。
戸惑っていると、古株らしいアーバスノット夫人が声をかけてくれる。
次の日、パルフリー夫人がロンドンに住む孫デズモンドのことを話すと、皆は興味津々。
夫人は早速、デズモンドに電話をかけるが留守電で、メッセージは残したが、デズモンドから電話はかかって来なかった。
孫が訪ねて来ない言い訳も底をついた頃、外出中に夫人はつまずいて転んでしまい、偶然それを目にした青年に助けられる。
青年の名はルードヴィック・メイヤー、作家志望の彼は、孫と同じ26歳の青年だった。
夫人は、お礼にと、彼をホテルでの夕食に招待する。
ホテルに戻った夫人が、もうすぐ若い男性の来客があると言うと、皆はついに孫のデズモンドが訪ねてくると思い盛り上がる。
否定する機会を失ってしまい、困った夫人は、そのことをルードヴィックに話すと、彼は自分が孫のふりをすると提案する。
ホテルにやってきたハンサムなルードに、ホテルの住人はさらに興味を持つ。
一方、ルードはこの出会いを小説の題材にしたいと思い始める。
こうして夫人とルードは頻繁に会うようになり、お互いの本音を語りあうようになる。
ところが、ある朝、ホテルに突然、本物のデズモンドが現れる。
夫人は慌てて追い返すと、ホテルの皆には会計士だとウソをつくのだが……
お客の入りがイマイチなのでしょうか?
それとも、お昼間に時間が空いている年齢層向けと映画館側は踏んだのでしょうか?
ずっと、昼間だけの上映時間がとうとう朝1回になってしまい、このまま見れずに終わるかも;;
と、思っていましたが、何とか見てこれました。
この映画、2005年製作、とかになってたのかな~ちょっと前ですね。
ルパート・フレンドがシャクレ(と、私と友達は呼んでいるキーラ・ナイトレイ)の男という以外にネームバリューが出来たからの公開でしょうか?
それは、さておき。
よかったです。
ルードと夫人の関係は、友達のようでもあり、想像の産物だった理想の祖母とこうであったらいいのにな~という孫のようでもあり、ルードの元カノが『ハロルド&モード』を例に挙げてしまうくらい恋人っぽくも見える。
まぁ、どれも、自分にないものを埋めてくれる人。
こういう人がいればいいな~という人物が実体となって現れた感じなのでしょうか?
夫人は亡き夫との思い出を語ったり、また、ルードの母親との関係を聞き仲介をしようとする。
後で出てくる夫人の娘を見ると夫人自身も娘との関係に悩んでいたのだろう。
自分のことはどうにも出来なくても、出来ないから、ルードと母親の関係を修復したかったのかもしれない。
ドンドン親密さを増していく二人だけれど、いつまでも二人だけの蜜月は続かない。
ルードにふさわしい年頃の女の子が出現する。
それも、夫人がルードに教えた古い映画をきっかけにして。
寂しさも感じるが、この女の子も夫人を祖母のように慕い、三人で夫人の思い出の土地へ出かけたりする。
でも、こういういい子だからこそ、憎めないし、恐らく今はいない夫をルードに重ねていただろう夫人には却って辛かったかもね。
と、今書いてて思ったりする。
クレアモントホテルは一般的なホテルとは違う長期滞在型のホテル。
一ヶ月とか、二ヶ月とかで契約する。
滞在している人も年配が多く、老人ホームの一歩前といった感じかな~。
だからこそ、夫人の最初の友達(?)アーバスノット夫人は「ご臨終禁止」などと言うのだ。
まぁ、ホテルであって、療養する施設とかはないから、病気になったりしたら、ここを移らざるを得ないし、年齢から考えると、戻ってくる見込みは薄そうだ。
ルードと新しい彼女の間に入り込めない物を感じた夫人はルードに二人を食事に招待したいと書いた手紙を出しに行こうとして、つまずき大怪我をしてしまう。
また、以前から体調が悪かった夫人の病状は深刻なものだった。
毎日病室に通い、夫人の好きな詩を暗誦したりするルード、失いそうになって、その存在の大きさを再認識したのかもしれない。
夫人もまた、最後に一番求めていたものを手に入れられたのだろう。
ルードの小説に夫人の思い出が(恐らく)詰まっていたように、遺伝子以外の形のないものも、次へ残していけるだろうことが、人間が他の生き物と違う点なのかな?
クレアモントホテルへとやってきた老婦人サラ・パルフリー。
最愛の夫アーサーに先立たれ、娘から離れ、自立した生活を送るため、新聞広告で見つけたこのホテルに一人でやってきたのだ。
想像していたのとはまるで違うホテルの様子に落胆するパルフリー夫人。
夕食の時間、ドレスアップした夫人が食堂に入ると、他の客達の注目を浴びる。
戸惑っていると、古株らしいアーバスノット夫人が声をかけてくれる。
次の日、パルフリー夫人がロンドンに住む孫デズモンドのことを話すと、皆は興味津々。
夫人は早速、デズモンドに電話をかけるが留守電で、メッセージは残したが、デズモンドから電話はかかって来なかった。
孫が訪ねて来ない言い訳も底をついた頃、外出中に夫人はつまずいて転んでしまい、偶然それを目にした青年に助けられる。
青年の名はルードヴィック・メイヤー、作家志望の彼は、孫と同じ26歳の青年だった。
夫人は、お礼にと、彼をホテルでの夕食に招待する。
ホテルに戻った夫人が、もうすぐ若い男性の来客があると言うと、皆はついに孫のデズモンドが訪ねてくると思い盛り上がる。
否定する機会を失ってしまい、困った夫人は、そのことをルードヴィックに話すと、彼は自分が孫のふりをすると提案する。
ホテルにやってきたハンサムなルードに、ホテルの住人はさらに興味を持つ。
一方、ルードはこの出会いを小説の題材にしたいと思い始める。
こうして夫人とルードは頻繁に会うようになり、お互いの本音を語りあうようになる。
ところが、ある朝、ホテルに突然、本物のデズモンドが現れる。
夫人は慌てて追い返すと、ホテルの皆には会計士だとウソをつくのだが……
お客の入りがイマイチなのでしょうか?
それとも、お昼間に時間が空いている年齢層向けと映画館側は踏んだのでしょうか?
ずっと、昼間だけの上映時間がとうとう朝1回になってしまい、このまま見れずに終わるかも;;
と、思っていましたが、何とか見てこれました。
この映画、2005年製作、とかになってたのかな~ちょっと前ですね。
ルパート・フレンドがシャクレ(と、私と友達は呼んでいるキーラ・ナイトレイ)の男という以外にネームバリューが出来たからの公開でしょうか?
それは、さておき。
よかったです。
ルードと夫人の関係は、友達のようでもあり、想像の産物だった理想の祖母とこうであったらいいのにな~という孫のようでもあり、ルードの元カノが『ハロルド&モード』を例に挙げてしまうくらい恋人っぽくも見える。
まぁ、どれも、自分にないものを埋めてくれる人。
こういう人がいればいいな~という人物が実体となって現れた感じなのでしょうか?
夫人は亡き夫との思い出を語ったり、また、ルードの母親との関係を聞き仲介をしようとする。
後で出てくる夫人の娘を見ると夫人自身も娘との関係に悩んでいたのだろう。
自分のことはどうにも出来なくても、出来ないから、ルードと母親の関係を修復したかったのかもしれない。
ドンドン親密さを増していく二人だけれど、いつまでも二人だけの蜜月は続かない。
ルードにふさわしい年頃の女の子が出現する。
それも、夫人がルードに教えた古い映画をきっかけにして。
寂しさも感じるが、この女の子も夫人を祖母のように慕い、三人で夫人の思い出の土地へ出かけたりする。
でも、こういういい子だからこそ、憎めないし、恐らく今はいない夫をルードに重ねていただろう夫人には却って辛かったかもね。
と、今書いてて思ったりする。
クレアモントホテルは一般的なホテルとは違う長期滞在型のホテル。
一ヶ月とか、二ヶ月とかで契約する。
滞在している人も年配が多く、老人ホームの一歩前といった感じかな~。
だからこそ、夫人の最初の友達(?)アーバスノット夫人は「ご臨終禁止」などと言うのだ。
まぁ、ホテルであって、療養する施設とかはないから、病気になったりしたら、ここを移らざるを得ないし、年齢から考えると、戻ってくる見込みは薄そうだ。
ルードと新しい彼女の間に入り込めない物を感じた夫人はルードに二人を食事に招待したいと書いた手紙を出しに行こうとして、つまずき大怪我をしてしまう。
また、以前から体調が悪かった夫人の病状は深刻なものだった。
毎日病室に通い、夫人の好きな詩を暗誦したりするルード、失いそうになって、その存在の大きさを再認識したのかもしれない。
夫人もまた、最後に一番求めていたものを手に入れられたのだろう。
ルードの小説に夫人の思い出が(恐らく)詰まっていたように、遺伝子以外の形のないものも、次へ残していけるだろうことが、人間が他の生き物と違う点なのかな?