私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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オモシロモノ
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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かうんたー
数え始め 2006/11/14
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上海で暮らすユィアーに、ある日一通の手紙が届く。
それは、かつて生き別れた夫のイェンションからで、40数年ぶりに台湾から帰ってくると記されていた。
だが、ユィアーには、今の夫、シャンミン、イェンションとの息子である長男のジェングオ、二人の娘、娘婿、そして二人の孫という家族があった。
一家にとってイェンションの来訪は驚き以外の何物でもなかったが、シャンミンの計らいで、温かく迎えることになった。
ご馳走を振る舞い、家に泊まるようにと、精一杯イェンションをもてなすのだった。
イェンションは長い台湾生活で、もう上海語を話せなくなっていた。
高層ビルが建ち並ぶ街並みも自分が知っていた頃の街とはまるで違っている。
イェンションは、ユィアー達が購入したという建設中の高層マンションを見学に行った折、実はユィアーを一緒に台湾に連れて帰りたいと打ち明ける。
国民党軍の兵士の妻であったユィアーの中国での人生は過酷なものだった。
だか、シャンミンに助けられ、文化大革命の時代も何とか乗り切ってきた。
イェンションの告白に「幸せだったのはあなたと過ごした日々だけ」と、ユィアーも告げる。
これからは2人で暮らしたいと決心するイェンションとユィアーだったが……
タイトル通り、何度も何度も食卓、そしてご馳走が出てきます。
最初はイェンションを迎えるため、旧正月のお祝いよりも豪勢な食事。
共産党の班長さんかなんかまで招いて盛大な歓迎会です。
ユィアーがこれからのことを決めて、夫に打ち明けようと待っていると、シャンミンは大きなカニを買って帰ってきます。
倹約家のシャンミンがいつもなら絶対に買わない大きなカニ、しかも4杯も!
常ならぬ夫の行動に、打ち明けられなくなってしまうユィアー。
シャンミンも2人の気持ちを察していたと思われるのですが、自分だって、何十年も一緒に暮らしてきた訳で、まるで好きじゃないという訳ではないですものね。
この後、2人に打ち明けられ、「今まで何十年も自分と暮らしてきたのだから、これからは好きにすればいい」と言うのですが、「でも、子供たちにも相談しないと」と言います。
この辺り、ちょっと計算高い気もしますね(笑)
反対するでしょうから。
年老いた父さんを捨てるなんて酷いという長女。
俺には関係ないという長男。
台湾から訪ねてきたのは実の父だけど、生まれる前に離れ離れになり顔を見たこともない。
恨んでいいのか、懐かしがるべきなのか、自分でもどうしていいのか分からないのかな…と思います。
今の父は、自分も家族の一員として育ててもらった訳ですから恩があるし、どちらに付くことも出来ないですよね。
次女の婿はお金にしか興味がない風です。
これは、揉めるね;;
ケンカする兄弟達を叱り飛ばし、ユィアーの願いを聞くというシャンミン。
で、まずは離婚しなくちゃ!と役所に行くんですが、ここんとこが面白かった。
混乱した時期でもあり、2人は結婚届けみたいなものは出していなくて事実婚だったのですが、どうしても離婚しなくちゃ!と、ドタバタ劇が……
その後、家族を集めた外食の席でずっと物分かりのいい人だったシャンミンの本音がついに現れます。
何十年も一緒に暮らしてきて、子供はもちろん孫までいるのに、前の夫と暮らしたいと言われちゃ、納得いかないですよね。
とはいえ、ユィアーは親の反対を押し切ってまでイェンションと一緒になったようなので、想いもひとしお。
それに、一番一緒に居たかった頃に離れ離れになってしまったのだから、これも、まぁ、気持ちは分かるし。
イェンションも台湾で新しい家族を持って暮らしていたくせに!
と言われても、中国と台湾の関係は、まぁ、長い間上手くいってなくて、今回特別に帰郷出来ることになった訳で、きっともう一生戻ることは出来ないと思っていただろうし。
台湾で結婚した奥さんが亡くなったこともあって、自分に残された時間を思い、帰郷の機会を得たことで、心残りのないようにしようと思ったことだろう。
3人それぞれに、そりゃあ、そうだよね~と思ってしまう。
結局どうなったかは、見ていただくのが一番なので置いといて……
最後の食卓も最初の食卓同様ご馳走が並ぶが、同じ賑やかさはない。
上海の街は近代的に変わっていくが、同時に大事な物も失くしてしまっているような気がする。
ご飯は何を食べるかもだけど、誰と食べるかが重要だって言うよね。
そういう食卓で育まれる大事なことがなくなりつつある、のかも……
ま、私ゃ、基本的に一人ご飯なんですけど。
そして、知らなかったというか、国民党が台湾に行った(ま、逃げた)ということは、歴史で習ったけど、その家族について考えたことってなかったな~と。
教科書には、もちろんそこまで書いてなかったと思うし、教科書に載ってることって、ローマ時代のことも近現代のことも何だか同じ感覚になってたけど……
そうだよね~家族がいるんだもんね、皆。
やっぱり、争いごとはない方がいいなぁと思う。
大きな戦争も、日常の小さなことも。
避けて通るのは難しいけど。
あ、お粥と揚げパンの朝ごはんに「お~上海!」と思いましたが、どんな味なのかな~?
お粥につけて食べる揚げパン……。
それは、かつて生き別れた夫のイェンションからで、40数年ぶりに台湾から帰ってくると記されていた。
だが、ユィアーには、今の夫、シャンミン、イェンションとの息子である長男のジェングオ、二人の娘、娘婿、そして二人の孫という家族があった。
一家にとってイェンションの来訪は驚き以外の何物でもなかったが、シャンミンの計らいで、温かく迎えることになった。
ご馳走を振る舞い、家に泊まるようにと、精一杯イェンションをもてなすのだった。
イェンションは長い台湾生活で、もう上海語を話せなくなっていた。
高層ビルが建ち並ぶ街並みも自分が知っていた頃の街とはまるで違っている。
イェンションは、ユィアー達が購入したという建設中の高層マンションを見学に行った折、実はユィアーを一緒に台湾に連れて帰りたいと打ち明ける。
国民党軍の兵士の妻であったユィアーの中国での人生は過酷なものだった。
だか、シャンミンに助けられ、文化大革命の時代も何とか乗り切ってきた。
イェンションの告白に「幸せだったのはあなたと過ごした日々だけ」と、ユィアーも告げる。
これからは2人で暮らしたいと決心するイェンションとユィアーだったが……
タイトル通り、何度も何度も食卓、そしてご馳走が出てきます。
最初はイェンションを迎えるため、旧正月のお祝いよりも豪勢な食事。
共産党の班長さんかなんかまで招いて盛大な歓迎会です。
ユィアーがこれからのことを決めて、夫に打ち明けようと待っていると、シャンミンは大きなカニを買って帰ってきます。
倹約家のシャンミンがいつもなら絶対に買わない大きなカニ、しかも4杯も!
常ならぬ夫の行動に、打ち明けられなくなってしまうユィアー。
シャンミンも2人の気持ちを察していたと思われるのですが、自分だって、何十年も一緒に暮らしてきた訳で、まるで好きじゃないという訳ではないですものね。
この後、2人に打ち明けられ、「今まで何十年も自分と暮らしてきたのだから、これからは好きにすればいい」と言うのですが、「でも、子供たちにも相談しないと」と言います。
この辺り、ちょっと計算高い気もしますね(笑)
反対するでしょうから。
年老いた父さんを捨てるなんて酷いという長女。
俺には関係ないという長男。
台湾から訪ねてきたのは実の父だけど、生まれる前に離れ離れになり顔を見たこともない。
恨んでいいのか、懐かしがるべきなのか、自分でもどうしていいのか分からないのかな…と思います。
今の父は、自分も家族の一員として育ててもらった訳ですから恩があるし、どちらに付くことも出来ないですよね。
次女の婿はお金にしか興味がない風です。
これは、揉めるね;;
ケンカする兄弟達を叱り飛ばし、ユィアーの願いを聞くというシャンミン。
で、まずは離婚しなくちゃ!と役所に行くんですが、ここんとこが面白かった。
混乱した時期でもあり、2人は結婚届けみたいなものは出していなくて事実婚だったのですが、どうしても離婚しなくちゃ!と、ドタバタ劇が……
その後、家族を集めた外食の席でずっと物分かりのいい人だったシャンミンの本音がついに現れます。
何十年も一緒に暮らしてきて、子供はもちろん孫までいるのに、前の夫と暮らしたいと言われちゃ、納得いかないですよね。
とはいえ、ユィアーは親の反対を押し切ってまでイェンションと一緒になったようなので、想いもひとしお。
それに、一番一緒に居たかった頃に離れ離れになってしまったのだから、これも、まぁ、気持ちは分かるし。
イェンションも台湾で新しい家族を持って暮らしていたくせに!
と言われても、中国と台湾の関係は、まぁ、長い間上手くいってなくて、今回特別に帰郷出来ることになった訳で、きっともう一生戻ることは出来ないと思っていただろうし。
台湾で結婚した奥さんが亡くなったこともあって、自分に残された時間を思い、帰郷の機会を得たことで、心残りのないようにしようと思ったことだろう。
3人それぞれに、そりゃあ、そうだよね~と思ってしまう。
結局どうなったかは、見ていただくのが一番なので置いといて……
最後の食卓も最初の食卓同様ご馳走が並ぶが、同じ賑やかさはない。
上海の街は近代的に変わっていくが、同時に大事な物も失くしてしまっているような気がする。
ご飯は何を食べるかもだけど、誰と食べるかが重要だって言うよね。
そういう食卓で育まれる大事なことがなくなりつつある、のかも……
ま、私ゃ、基本的に一人ご飯なんですけど。
そして、知らなかったというか、国民党が台湾に行った(ま、逃げた)ということは、歴史で習ったけど、その家族について考えたことってなかったな~と。
教科書には、もちろんそこまで書いてなかったと思うし、教科書に載ってることって、ローマ時代のことも近現代のことも何だか同じ感覚になってたけど……
そうだよね~家族がいるんだもんね、皆。
やっぱり、争いごとはない方がいいなぁと思う。
大きな戦争も、日常の小さなことも。
避けて通るのは難しいけど。
あ、お粥と揚げパンの朝ごはんに「お~上海!」と思いましたが、どんな味なのかな~?
お粥につけて食べる揚げパン……。
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思いのほか綺麗
ローマ帝国の繁栄も過去のものとなりつつあった4世紀末。
だがエジプトのアレクサンドリアはその美しさを保ち、また学問の中心であり続けていた。
そんな土地であっても珍しかった女性天文学者ヒュパティア。
彼女は美貌と知性に恵まれ、多くの弟子たちから慕われていた。
彼女に愛を告白する者もいたが、ヒュパティアは学問に一生を捧げると決意していた。
当時の人々は古代の神を崇めていたが、ユダヤ教とキリスト教が勢力を広げつつあった。
キリスト教徒達に古代の神々を侮辱された科学者たちは、彼らに報復しようとする。
ヒュパティアはローマの長官に訴えるべきだと反対するが、決定権を持つ父テオンも報復に賛同してしまう。
一時は優勢だったものの、多勢を集めてキリスト教徒や修道兵士がやって来て、科学者たちは何とか図書館に逃げ込んだ。
ローマ皇帝によって下された裁きは、科学者達の罪は問わない代わりに、図書館を放棄するというものだった。
少しでも多くの書物を運び出そうとするヒュパティアは取り乱し、彼女の奴隷であったダオスに厳しい言葉を浴びせる。
傷ついた彼は、その場に残り、キリスト教徒達とともに、神々の像や図書館を破壊する。
この事件以来、アレクサンドリアではキリスト教とユダヤ教のみが認められることになり、多くの人がキリスト教に改宗した。
数年後、改宗したオレステスはアレクサンドリアの長官に、ヒュパティアの生徒であったシュネシオスは主教に、ダオスは修道兵士となっていた。
しかしヒュパティアは、変わらず、地球と惑星の動きを解明しようと研究に励んでいた。
やがて、キリスト教徒はユダヤ教をも弾圧し始め、主教キュリロスはアレクサンドリアの支配を目論むようになる。
封切直後に見て来ましたよ。
珍しいでしょ。
だいたい休日は引きこもりで無気力なんですけど;;
調べたら上映時間が平日の鑑賞は無理なようだったので……
どうしても見たかったし。
宇宙から見た地球、そしてエジプトの映像が何度も挿入されるのが印象的。
現在では当時のアレクサンドリアの栄華を偲ぶものは何も残っていませんが、はるか上空から見るとほとんど何も変わっていないのですよね。
ヒュパティアを演じるのはレイチェル・ワイズ。
何かを発見したり、思いついたりした時の無邪気な表情、キラキラとした瞳。
ピッタリの配役だったと思います。
実際のヒュパティアはもっと近寄りがたい人だったようですが……
当時は“結婚”したら、仕事を続けるわけにはいかなかったようで、そのことも誰の求愛も受けないと決めた原因のようです。
が、何よりも学問に惹かれていたというのが、本当のところでしょうか?
弟子達が宗教のことで揉めた時も「私達は皆、同じ人間で兄弟」だと言います。
ただ、この時、争いは下層民や奴隷の物と、言ってしまうところは、この時代ではかなり先進的で平等な物の見方をしていたヒュパティアといえども支配階級の人だったのですね。
奴隷であるダオスの作った天体模型に感心し、自分の講義中に彼に説明させたりもしていたのに、です。
そばに控えていたダオスの辛そうな表情が印象に残ります。
やがて、キリスト教の包囲網とでもいうべきものがジリジリと彼女に迫りますが、彼女は押し付けられる信仰を拒みます。
ヒュパティアは特に古代の神々を信仰していたという訳ではないようですが、彼女にとっての信仰の対象は学問であり、無理強いされることを何よりも嫌ったのです。
この時代じゃないけど、「剣かコーランか」というのもありましたね。
無理強いされた人間が心から、その神を崇める気になるとは、とても思えないのですけど、どうしてそんなことまでしたいのか、多くの日本人にはなかなか理解しがたいことだと思います。
よその神さんなんか放っとけばいいやん!と、思うんですけどね。
自分達の神が唯一と思っているとしたってですよ。
「あいつらの神さんなんか嘘もんやのに、アホやな~ふふん」で、済まされへんのかな~?
ねぇ?
そこは置いといて
と言いたいところですが、そうもいかないのですね。
この時代は、下層の人達の支配者への不満がキリスト教と結びついてとんでもない暴動になり、街や当時世界中の英知を集めた図書館を破壊しました。
ふと、思えば、現代の私達も同じような光景を何度も目にしてきましたよね。
着ている物や手に持っている武器が違うだけ。
同じようなことを何度も何度も繰り返してきたのに、まだ懲りないんだな~と思うと、何だか悲しくて……
歴史は繰り返すとはいえ、学習してなさ過ぎじゃないの?っていう。
キリスト教がユダヤ教を迫害するようになった時、火の中を渡るという奇跡を行った修道兵士アンモニオスにダオスが尋ねます。
「イエスは許したのに、何故許せないのか?」
アンモニオスは「イエスは神だから、でも、俺は人間だし許せない」と答えるのが、不思議で仕方なくて……
愛して信仰している神様なんだから、気持ち的に無理があるけど頑張って見習おう!って、ならないの?
ならないのかな~?
自分が許してあげたのに、自分を信仰しているって言う人間が許さないのって嫌だと思うんじゃないかな~と思わないのかな?
理解出来ないのは私が無宗教だから?(嫌な感じがしたら、数珠は身につけるけどね;;)
でも、何かね~
あまりにも不寛容だと思うんだな。
宗教で大事なのは『赦し』だと思うんだけど、人としてもね。
難しいことではあるけど。
さて、アレクサンドリア長官であるオレステスは自分の師であり、愛する人でもあるヒュパティアを出来る限り護って来たのですが、それももう出来ないと、シュネシオスとともに改宗を勧めますが、彼女は拒否します。
キュリロスに負けたくないというオレステスでしたが、こんな行動に出ること自体、既に屈しているということですよね。
改宗もせず、学問を志すヒュパティアにキュリロスは『魔女』の烙印を押します。
そして、ヒュパティアは非業の死を遂げるのです。
ただ、映画の方は、彼女を思いやってか、悲しいけれども少しは安らかな最期です。
遠い遠い何世紀も何世紀も昔の物語であり、宇宙から見た地形のように今も変わらない物語でもあります。
ブラックホーク・ダウンの時も何でこんなに悲しいのかよく分からないと思いながらずっと泣いていましたが、これもそんな感じでした。
変わらない地球の姿に、美しい星空に、争ってばかりの人々に、破壊される街に、そしてヒュパティアの過酷な運命に、多分泣く、と思う方はハンドタオル持参でお出かけください。
まぁ、皆さんは私ほど泣き虫ではないと思いますけど……(~_~;)
アレハンドロ・アメナーバルが歴史スペクタクル?と思ったけど、この監督はやっぱり上手い。
いい映画でした。
だがエジプトのアレクサンドリアはその美しさを保ち、また学問の中心であり続けていた。
そんな土地であっても珍しかった女性天文学者ヒュパティア。
彼女は美貌と知性に恵まれ、多くの弟子たちから慕われていた。
彼女に愛を告白する者もいたが、ヒュパティアは学問に一生を捧げると決意していた。
当時の人々は古代の神を崇めていたが、ユダヤ教とキリスト教が勢力を広げつつあった。
キリスト教徒達に古代の神々を侮辱された科学者たちは、彼らに報復しようとする。
ヒュパティアはローマの長官に訴えるべきだと反対するが、決定権を持つ父テオンも報復に賛同してしまう。
一時は優勢だったものの、多勢を集めてキリスト教徒や修道兵士がやって来て、科学者たちは何とか図書館に逃げ込んだ。
ローマ皇帝によって下された裁きは、科学者達の罪は問わない代わりに、図書館を放棄するというものだった。
少しでも多くの書物を運び出そうとするヒュパティアは取り乱し、彼女の奴隷であったダオスに厳しい言葉を浴びせる。
傷ついた彼は、その場に残り、キリスト教徒達とともに、神々の像や図書館を破壊する。
この事件以来、アレクサンドリアではキリスト教とユダヤ教のみが認められることになり、多くの人がキリスト教に改宗した。
数年後、改宗したオレステスはアレクサンドリアの長官に、ヒュパティアの生徒であったシュネシオスは主教に、ダオスは修道兵士となっていた。
しかしヒュパティアは、変わらず、地球と惑星の動きを解明しようと研究に励んでいた。
やがて、キリスト教徒はユダヤ教をも弾圧し始め、主教キュリロスはアレクサンドリアの支配を目論むようになる。
封切直後に見て来ましたよ。
珍しいでしょ。
だいたい休日は引きこもりで無気力なんですけど;;
調べたら上映時間が平日の鑑賞は無理なようだったので……
どうしても見たかったし。
宇宙から見た地球、そしてエジプトの映像が何度も挿入されるのが印象的。
現在では当時のアレクサンドリアの栄華を偲ぶものは何も残っていませんが、はるか上空から見るとほとんど何も変わっていないのですよね。
ヒュパティアを演じるのはレイチェル・ワイズ。
何かを発見したり、思いついたりした時の無邪気な表情、キラキラとした瞳。
ピッタリの配役だったと思います。
実際のヒュパティアはもっと近寄りがたい人だったようですが……
当時は“結婚”したら、仕事を続けるわけにはいかなかったようで、そのことも誰の求愛も受けないと決めた原因のようです。
が、何よりも学問に惹かれていたというのが、本当のところでしょうか?
弟子達が宗教のことで揉めた時も「私達は皆、同じ人間で兄弟」だと言います。
ただ、この時、争いは下層民や奴隷の物と、言ってしまうところは、この時代ではかなり先進的で平等な物の見方をしていたヒュパティアといえども支配階級の人だったのですね。
奴隷であるダオスの作った天体模型に感心し、自分の講義中に彼に説明させたりもしていたのに、です。
そばに控えていたダオスの辛そうな表情が印象に残ります。
やがて、キリスト教の包囲網とでもいうべきものがジリジリと彼女に迫りますが、彼女は押し付けられる信仰を拒みます。
ヒュパティアは特に古代の神々を信仰していたという訳ではないようですが、彼女にとっての信仰の対象は学問であり、無理強いされることを何よりも嫌ったのです。
この時代じゃないけど、「剣かコーランか」というのもありましたね。
無理強いされた人間が心から、その神を崇める気になるとは、とても思えないのですけど、どうしてそんなことまでしたいのか、多くの日本人にはなかなか理解しがたいことだと思います。
よその神さんなんか放っとけばいいやん!と、思うんですけどね。
自分達の神が唯一と思っているとしたってですよ。
「あいつらの神さんなんか嘘もんやのに、アホやな~ふふん」で、済まされへんのかな~?
ねぇ?
そこは置いといて
と言いたいところですが、そうもいかないのですね。
この時代は、下層の人達の支配者への不満がキリスト教と結びついてとんでもない暴動になり、街や当時世界中の英知を集めた図書館を破壊しました。
ふと、思えば、現代の私達も同じような光景を何度も目にしてきましたよね。
着ている物や手に持っている武器が違うだけ。
同じようなことを何度も何度も繰り返してきたのに、まだ懲りないんだな~と思うと、何だか悲しくて……
歴史は繰り返すとはいえ、学習してなさ過ぎじゃないの?っていう。
キリスト教がユダヤ教を迫害するようになった時、火の中を渡るという奇跡を行った修道兵士アンモニオスにダオスが尋ねます。
「イエスは許したのに、何故許せないのか?」
アンモニオスは「イエスは神だから、でも、俺は人間だし許せない」と答えるのが、不思議で仕方なくて……
愛して信仰している神様なんだから、気持ち的に無理があるけど頑張って見習おう!って、ならないの?
ならないのかな~?
自分が許してあげたのに、自分を信仰しているって言う人間が許さないのって嫌だと思うんじゃないかな~と思わないのかな?
理解出来ないのは私が無宗教だから?(嫌な感じがしたら、数珠は身につけるけどね;;)
でも、何かね~
あまりにも不寛容だと思うんだな。
宗教で大事なのは『赦し』だと思うんだけど、人としてもね。
難しいことではあるけど。
さて、アレクサンドリア長官であるオレステスは自分の師であり、愛する人でもあるヒュパティアを出来る限り護って来たのですが、それももう出来ないと、シュネシオスとともに改宗を勧めますが、彼女は拒否します。
キュリロスに負けたくないというオレステスでしたが、こんな行動に出ること自体、既に屈しているということですよね。
改宗もせず、学問を志すヒュパティアにキュリロスは『魔女』の烙印を押します。
そして、ヒュパティアは非業の死を遂げるのです。
ただ、映画の方は、彼女を思いやってか、悲しいけれども少しは安らかな最期です。
遠い遠い何世紀も何世紀も昔の物語であり、宇宙から見た地形のように今も変わらない物語でもあります。
ブラックホーク・ダウンの時も何でこんなに悲しいのかよく分からないと思いながらずっと泣いていましたが、これもそんな感じでした。
変わらない地球の姿に、美しい星空に、争ってばかりの人々に、破壊される街に、そしてヒュパティアの過酷な運命に、多分泣く、と思う方はハンドタオル持参でお出かけください。
まぁ、皆さんは私ほど泣き虫ではないと思いますけど……(~_~;)
アレハンドロ・アメナーバルが歴史スペクタクル?と思ったけど、この監督はやっぱり上手い。
いい映画でした。
西九龍署・刑事課へ配属された新人のホー刑事は、奇妙な犯罪検証を行う先輩刑事バンに出会う。
吊された豚を斬りつけたり、スーツケースの中に入ると階段から落としてくれと言ったり……
自分を殺人事件の被害者と同じ状況に置くことで犯人が思い浮かぶのだった。
比類ない直感と推理。
だが、バンの行動はだんだん常軌を逸していると見られるようになる。
夜間、張り込みを行っていた刑事、コウとウォン。
2人は容疑者を追いかけて森へ入るが、ウォンだけが行方不明となる。
現在。
今は刑事を辞めたバンの元へ、5年前に2日だけ共に働いたという後輩刑事ホーが現れる。
ウォンの失踪事件から18か月。
失踪後にウォン刑事の拳銃を使った強盗事件も発生していた。
捜査を引き継いだホー刑事は、暗礁に乗り上げた事件解決の糸口をつかもうと、バンの意見を求めてやって来たのだった。
2人は共に捜査を開始することに。
コウを尾行し始めると、バンは、コウに7人の異なる人格が宿っていると言いだす。
彼には、中に宿る別の人格が見えるというのだ。
森の中でウォンの気持ちに近づくため、自ら土に埋まろうとするバンに取って代わるホー。
重い砂を払いのけ、やっとのことで起きあがるとバンの姿はなかった。
コウの犯行を確信したバンは、コウ刑事の所へ向かっていたのだった。
ラウ・チンワンか~久しぶりだな~
という訳で、見て来ました。
ジョニー・トーにはそんなに思い入れはないです(笑)
予告編を見た時はあんまり変わってないと思った彼ですが、やっぱり老けましたね、当たり前やけど。
最初、コンビニかどっかのシーンでは霊でも見えるのかと思ったら、そうじゃなくて中の人格が見えるということらしい。
コウ刑事の後をその人格7人がぞろぞろと歩いているシーンが可笑しい。
撮りようによってはコメディーになると思うのだが、あくまでもシリアス。
しかし、アレ?と思う。
7人は7人とも他の人格のことも知っているらしい。
ということは、いわゆる人格乖離ではないらしい。
人格乖離だと、お互いのことを知っていることはほぼないらしいからね。
核となる人物(現実世界を生きている自分ではないことがほとんど)が何人かの存在や性格を把握していてある程度仕切っているということはあるらしいけど。
だから、ホントに乖離しちゃった別人格ということではなくて、オッサンの中に残っている少年の部分とか、乙女な部分とか、オバハンな部分が形を持って現れるという感じのようだ。
それを実際に目に見えるようにしてしまうという、アイディアは面白いね。
事件そのものは、メチャクチャ複雑ってこともないし、私達もコウがやったに決まってると思っている訳で。
つまり、警部コロンボみたいに初めから犯人は分かってて、それをどう推理し真相に近づいていくのか…というお話。
初めは、新人刑事の頃に自分の目でバンの力を見て、信頼しきっていたホーも着いていけない部分が多過ぎるためか、バンの力に懐疑的になっていく。
しかも、そんな頃にバンの元妻に会い、病院に行っていないとか、薬も飲んでいないとか言われたら、自分のしたことも疑うよね。
で、当初はバンにも何も見えていなかったホー刑事の中に怯えた少年が顔を出す。
まぁ、誰でも色んな部分があるよね。
それを人格とまで言っていいのか分からないんだけど。
ホー刑事のバンへの信頼と自信の喪失とともに、私達もちょっとずつ疑い始める。
これはもしかしたらとんでもないどんでん返しがあるんじゃない?
ラストの見せ場は何と言ってもジョニー・トー印の銃撃戦!
そんなに鏡バッカの部屋なんかあるかよ~と言いたくなるけど、そこはグッと堪えて。
自分も銃弾を受けながら、相手に銃を向けるバンが、留めようとする自分の問いかけに答える時、ハッとする。
かもしれない。
そして、ラストは
どんでん返しだったけど、想像と違ってたな~
ほほぉ、そう来ますか。
これは、人格乖離の話じゃないんだけど、共通する部分もあるようで。
新たな人格が出来る時は、自分じゃ対処できなくなって誰かに何とかして欲しい、また、これは自分の身に起こっている出来事ではない、と強く強く思った時に起こりやすいらしい。
で、二重人格とかよく聞くけど、そういうことはあんまりないらしい。
一度、新しい人格で上手く乗り切れた時、その経験が『いい方法』として刻み込まれる。
そして、今度は以前ほど酷い状態でなくても新しい人格を作ってしまうらしい。
つまり、困ったことが起こるたびに対処してくれる人格が出来る、まぁ、それは大げさだけど簡単に言うとそういう感じらしい。
そういう、別人格とまで言わないようなものだけど、緊急の事態に対処出来るよう何らかの力が働くのかも。
女性の描き方には定評のないジョニー・トーですが
ずる賢く仕切るのは女の仕事と思っているのか?
それとも、守護者は女であるべきと思っているのか?
ラウ・チンワンって、初めて見た時、珍しい顔の人だな~と思ったんですよ(笑)
何かに似てる気がするって、ずっと思ってたんですけど、フッとね。
ベロに似てない?ベロ!
早く人間になりたぁ~い!!
ベロは好きだよ。
ベラも美人だし。
ベムは……お洒落さんやね。
オープニングで本当の姿になった時は、怖くって下向いててんけど(>_<)
子供の時やで。
そうそう、ハリウッドでリメイク決まってるんだって。
誰がやるのかな?
吊された豚を斬りつけたり、スーツケースの中に入ると階段から落としてくれと言ったり……
自分を殺人事件の被害者と同じ状況に置くことで犯人が思い浮かぶのだった。
比類ない直感と推理。
だが、バンの行動はだんだん常軌を逸していると見られるようになる。
夜間、張り込みを行っていた刑事、コウとウォン。
2人は容疑者を追いかけて森へ入るが、ウォンだけが行方不明となる。
現在。
今は刑事を辞めたバンの元へ、5年前に2日だけ共に働いたという後輩刑事ホーが現れる。
ウォンの失踪事件から18か月。
失踪後にウォン刑事の拳銃を使った強盗事件も発生していた。
捜査を引き継いだホー刑事は、暗礁に乗り上げた事件解決の糸口をつかもうと、バンの意見を求めてやって来たのだった。
2人は共に捜査を開始することに。
コウを尾行し始めると、バンは、コウに7人の異なる人格が宿っていると言いだす。
彼には、中に宿る別の人格が見えるというのだ。
森の中でウォンの気持ちに近づくため、自ら土に埋まろうとするバンに取って代わるホー。
重い砂を払いのけ、やっとのことで起きあがるとバンの姿はなかった。
コウの犯行を確信したバンは、コウ刑事の所へ向かっていたのだった。
ラウ・チンワンか~久しぶりだな~
という訳で、見て来ました。
ジョニー・トーにはそんなに思い入れはないです(笑)
予告編を見た時はあんまり変わってないと思った彼ですが、やっぱり老けましたね、当たり前やけど。
最初、コンビニかどっかのシーンでは霊でも見えるのかと思ったら、そうじゃなくて中の人格が見えるということらしい。
コウ刑事の後をその人格7人がぞろぞろと歩いているシーンが可笑しい。
撮りようによってはコメディーになると思うのだが、あくまでもシリアス。
しかし、アレ?と思う。
7人は7人とも他の人格のことも知っているらしい。
ということは、いわゆる人格乖離ではないらしい。
人格乖離だと、お互いのことを知っていることはほぼないらしいからね。
核となる人物(現実世界を生きている自分ではないことがほとんど)が何人かの存在や性格を把握していてある程度仕切っているということはあるらしいけど。
だから、ホントに乖離しちゃった別人格ということではなくて、オッサンの中に残っている少年の部分とか、乙女な部分とか、オバハンな部分が形を持って現れるという感じのようだ。
それを実際に目に見えるようにしてしまうという、アイディアは面白いね。
事件そのものは、メチャクチャ複雑ってこともないし、私達もコウがやったに決まってると思っている訳で。
つまり、警部コロンボみたいに初めから犯人は分かってて、それをどう推理し真相に近づいていくのか…というお話。
初めは、新人刑事の頃に自分の目でバンの力を見て、信頼しきっていたホーも着いていけない部分が多過ぎるためか、バンの力に懐疑的になっていく。
しかも、そんな頃にバンの元妻に会い、病院に行っていないとか、薬も飲んでいないとか言われたら、自分のしたことも疑うよね。
で、当初はバンにも何も見えていなかったホー刑事の中に怯えた少年が顔を出す。
まぁ、誰でも色んな部分があるよね。
それを人格とまで言っていいのか分からないんだけど。
ホー刑事のバンへの信頼と自信の喪失とともに、私達もちょっとずつ疑い始める。
これはもしかしたらとんでもないどんでん返しがあるんじゃない?
ラストの見せ場は何と言ってもジョニー・トー印の銃撃戦!
そんなに鏡バッカの部屋なんかあるかよ~と言いたくなるけど、そこはグッと堪えて。
自分も銃弾を受けながら、相手に銃を向けるバンが、留めようとする自分の問いかけに答える時、ハッとする。
かもしれない。
そして、ラストは
どんでん返しだったけど、想像と違ってたな~
ほほぉ、そう来ますか。
これは、人格乖離の話じゃないんだけど、共通する部分もあるようで。
新たな人格が出来る時は、自分じゃ対処できなくなって誰かに何とかして欲しい、また、これは自分の身に起こっている出来事ではない、と強く強く思った時に起こりやすいらしい。
で、二重人格とかよく聞くけど、そういうことはあんまりないらしい。
一度、新しい人格で上手く乗り切れた時、その経験が『いい方法』として刻み込まれる。
そして、今度は以前ほど酷い状態でなくても新しい人格を作ってしまうらしい。
つまり、困ったことが起こるたびに対処してくれる人格が出来る、まぁ、それは大げさだけど簡単に言うとそういう感じらしい。
そういう、別人格とまで言わないようなものだけど、緊急の事態に対処出来るよう何らかの力が働くのかも。
女性の描き方には定評のないジョニー・トーですが
ずる賢く仕切るのは女の仕事と思っているのか?
それとも、守護者は女であるべきと思っているのか?
ラウ・チンワンって、初めて見た時、珍しい顔の人だな~と思ったんですよ(笑)
何かに似てる気がするって、ずっと思ってたんですけど、フッとね。
ベロに似てない?ベロ!
早く人間になりたぁ~い!!
ベロは好きだよ。
ベラも美人だし。
ベムは……お洒落さんやね。
オープニングで本当の姿になった時は、怖くって下向いててんけど(>_<)
子供の時やで。
そうそう、ハリウッドでリメイク決まってるんだって。
誰がやるのかな?
1967年。
アメリカ中西部郊外の住宅地にマイホームを構える物理学教授ラリー。
地元の大学で教鞭をとる平凡で真面目な中年のユダヤ人を次々に不運と不幸が襲う。
っていうだけの話(笑)
まぁ、予想はしてたんだけど、「…で!?」っていう、ラスト(^_^;)
キリスト教についてもあんまり知らないし、ましてやユダヤ教なんてもっと分からない。
だから、ユダヤの小さいコミュニティーに暮らす、多分敬虔なユダヤ教徒のことなんて分かる由もない、ので、「へぇ、そんなことが…」と思ってばかりというか。
とはいえ、どこの家庭でも問題や秘密があるもの。
ラリー達の家には、いとこ?兄弟?のアーサーが居候になってもうずいぶん経つ。
娘のサラは、鼻の美容整形を計画しているし、息子のダニーもマリファナに手を出している。
オマケに、妻からは急に別れたいと言われてしまう。
宗教上、普通に離婚が出来ないのか、江戸時代の三行半みたいな離縁状を書いて欲しいという。
つまり、夫側から切ってくれって訳だけど、離婚なんて青天の霹靂なラリーは驚き戸惑うばかり。
また、ラリーが落第点をつけたアジア系学生が不満を言いに来た後、現金入りの封筒が残される。
さらに終身雇用の試験?中の大学にはラリーを誹謗中傷する匿名の投書が届いていると言われ、ジュディス、と再婚相手からは、家を出て行ってくれと言われ、アーサーとモーテルに移り、ワイロ学生の父親が名誉毀損で訴えると押しかけてくる。
不幸の連続を友人に訴えるとラビに助言をしてもらうように勧められる。
けど、誰も何の解決法も持ってないんだよね~だいたい
占いとかも、その人の言って欲しそうなことを察して言うらしいし、偉いお坊さんとかもためになる話はしてくれても、それがズバリ自分の解決法になるかと言ったら、やっぱ違うでしょ。
まぁ、それで「あ、こうしたらえぇんちゃうん!」という、気付きを自分が出来るかどうか、なんだろうな~
その後もラリーは大小様々の不幸に襲われる。
もう、ここまで行くと笑っちゃうしかない気もするけど、当人はそういう訳にもいかないか。
開き直れない、『まじめな人』だから、ドつぼにハマっていくのか……
だんだん、まじめな人じゃなくて、深刻な人に思えてくるんだけどね、ラリー。
繰り返し出てくる、ジェファーソン・エアプレーンの曲が何かもう、ここしかない!ってとこに入ってる(と、思う)。
ラリーの息子が授業中に聴いてて取り上げられたラジオから流れていた曲の歌詞は、ラリーが切望しても会えなかったラビの口から息子ダニーに語られる。
偉いラビの言うことも、ロックの歌詞も似たようなものってことなのか……
要は、受け取る方にかかってるってことなんじゃないのかな。
世の中、不公平で不条理で、まじめに生きてたって不運と不幸のエンドレスにハマったりするけど。
結局、自分で何とかするしかないんだね~残念だけど。
When the truth is found to be lies
and all the joy within you dies
don't you want somebody to love
don't you need somebody to love
wouldn't you love somebody to love
you better find somebody to love
あ、1967っていうLOVE&PEACE前夜っていう時期も大事なんだろうね~。
しかし、この映画、もう公開されないんじゃないかと思ってたんだけど……
あれかな、『トゥルー・グリッド』とバーター?
アメリカ中西部郊外の住宅地にマイホームを構える物理学教授ラリー。
地元の大学で教鞭をとる平凡で真面目な中年のユダヤ人を次々に不運と不幸が襲う。
っていうだけの話(笑)
まぁ、予想はしてたんだけど、「…で!?」っていう、ラスト(^_^;)
キリスト教についてもあんまり知らないし、ましてやユダヤ教なんてもっと分からない。
だから、ユダヤの小さいコミュニティーに暮らす、多分敬虔なユダヤ教徒のことなんて分かる由もない、ので、「へぇ、そんなことが…」と思ってばかりというか。
とはいえ、どこの家庭でも問題や秘密があるもの。
ラリー達の家には、いとこ?兄弟?のアーサーが居候になってもうずいぶん経つ。
娘のサラは、鼻の美容整形を計画しているし、息子のダニーもマリファナに手を出している。
オマケに、妻からは急に別れたいと言われてしまう。
宗教上、普通に離婚が出来ないのか、江戸時代の三行半みたいな離縁状を書いて欲しいという。
つまり、夫側から切ってくれって訳だけど、離婚なんて青天の霹靂なラリーは驚き戸惑うばかり。
また、ラリーが落第点をつけたアジア系学生が不満を言いに来た後、現金入りの封筒が残される。
さらに終身雇用の試験?中の大学にはラリーを誹謗中傷する匿名の投書が届いていると言われ、ジュディス、と再婚相手からは、家を出て行ってくれと言われ、アーサーとモーテルに移り、ワイロ学生の父親が名誉毀損で訴えると押しかけてくる。
不幸の連続を友人に訴えるとラビに助言をしてもらうように勧められる。
けど、誰も何の解決法も持ってないんだよね~だいたい
占いとかも、その人の言って欲しそうなことを察して言うらしいし、偉いお坊さんとかもためになる話はしてくれても、それがズバリ自分の解決法になるかと言ったら、やっぱ違うでしょ。
まぁ、それで「あ、こうしたらえぇんちゃうん!」という、気付きを自分が出来るかどうか、なんだろうな~
その後もラリーは大小様々の不幸に襲われる。
もう、ここまで行くと笑っちゃうしかない気もするけど、当人はそういう訳にもいかないか。
開き直れない、『まじめな人』だから、ドつぼにハマっていくのか……
だんだん、まじめな人じゃなくて、深刻な人に思えてくるんだけどね、ラリー。
繰り返し出てくる、ジェファーソン・エアプレーンの曲が何かもう、ここしかない!ってとこに入ってる(と、思う)。
ラリーの息子が授業中に聴いてて取り上げられたラジオから流れていた曲の歌詞は、ラリーが切望しても会えなかったラビの口から息子ダニーに語られる。
偉いラビの言うことも、ロックの歌詞も似たようなものってことなのか……
要は、受け取る方にかかってるってことなんじゃないのかな。
世の中、不公平で不条理で、まじめに生きてたって不運と不幸のエンドレスにハマったりするけど。
結局、自分で何とかするしかないんだね~残念だけど。
When the truth is found to be lies
and all the joy within you dies
don't you want somebody to love
don't you need somebody to love
wouldn't you love somebody to love
you better find somebody to love
あ、1967っていうLOVE&PEACE前夜っていう時期も大事なんだろうね~。
しかし、この映画、もう公開されないんじゃないかと思ってたんだけど……
あれかな、『トゥルー・グリッド』とバーター?