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私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。

赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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アメリカ人神学生マイケルは、自分の信仰心に疑いを抱き、卒業を間近に控えながら、神父となることを辞退しようとしていた。
しかし、恩師の勧めでバチカンのエクソシスト養成講座を受ることになる。
そして、異端だが一流のエクソシストと言われるルーカス神父の悪魔ばらいを手伝うことに。
ある少女の儀式に立ち会うものの、悪魔の存在を疑うマイケルだったが、やがて彼の思いを打ち砕くような出来事の数々に遭遇していく。

スッゴイ寝不足のまま行ったので、正直所々意識が飛んだりしてるんですけど(笑)
話は分かっている筈(^_^;)
家業の葬儀屋に嫌気がさしたのか、“逃避のため”神学校に入学するマイケル。
友達に、家が嫌だからって神学校だなんてどうかしてると言われて、「うちは代々葬儀屋か神父だ」って、それじゃ逃げきれてないんでは?
神学校に入学し、あっという間に月日は過ぎて、卒業も間近。
成績はいい方なのだが、肝心の神学はイマイチ。
元々そうするつもりだったんじゃないかと思うのだが、神父になるのを辞退する届けを提出する(メールでいいのね;;)。
しかし、彼を見込んだ恩師は考え直すように説得する。
ある夜、マイケルを見かけた恩師が呼びとめようとしたところ、転んだことが引き金となり交通事故で女性が命を落とす。
彼女は居合わせたマイケルに最期の祈りを懇願する。
信仰心のない自分が祈ってもいいのか、躊躇するマイケルだが、結局女性の願いを聞き届け祈りの言葉を唱える。
これが、転機であり、彼が呼ばれたってことなのかもしれないと思わせる。
すべての出来ごとは偶然と思っても、必然と思っても、結局は表裏一体で違いがないのかもしれない。
このことで、さらにマイケルを見込んだ恩師は、彼にバチカンでの“エクソシスト”養成講座を受けるように勧める。
というのは、何だか突然のようですが、エクソシストには信仰心以外にさらに必要なものがあると聞くので(それが何かはよく分からんけど、スゴい事態に立ち向かう必要があるからだろう)、彼にその必要な要素を見たのだろう。
奨学金の返還もちらつかされ、バチカンに向かうも、初日から遅刻で、やる気もないし、疑う心の方が大きい。
ルーカス神父の元で、悪魔ばらいを体験し、少女がいきなり英語を話したり、以前に自分が処置した女性のブレスレットを持っていたり、口から釘を吐き出しても、精神疾患だと言って譲らない。
釘は飲むのはともかく、上手に吐き出すのは至難の業よ;;
認めないのは、恐怖の裏返しなのかも。
ま、こうしてず~っと悪魔ばらいにも悪魔にもルーカス神父にも疑惑の目を持ち続けた彼が、ルーカス神父に悪魔がとり付いたことで“悪魔”と対峙することになる。
本当に悪魔がいる、のなら、神もいるってことなのか?
私には分からないけど、マイケルは何かを確信したのだろう。
今も、神父を続けている。
一応、実話をもとにした形の作品で、ドキュメンタリーぽくしたかったからなのか、悪魔に憑かれた少女とかも、人間の体が頑張って出来る範囲のことしかしていないので、ホラーと思ってみるとちょっと違うかも。
キリスト教徒達の言う“悪魔”が、本当にいるのかは分からないけど。
嫌な感じのものが存在していると感じることはあるよね。
その人がいなくなっても、悪意とか、無念さとか、悲しみとか昇華されずに残っていくものが積み重なっていくんじゃないだろうか?
『戦い』に備えなければいけないのかどうか分からないけど。

神々と男たちに続いて、信仰について考える映画かもしれない。
ま、神々~は男たちは神については揺るぎない信仰を持っていた気がするんだけど。
心が揺れてしまうという点では同じかな?
アンソニー・ホプキンスはまたも怪演です。
興味のある人なら、見てもいいんじゃないですかね。
あ、そうそう。
マイケルのお父ちゃんがルトガー・ハウアーだったんやね!
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1990年代のアルジェリア。
人里離れた山間の小さな村の修道院で、カトリックのシトー会に所属する修道士たちが共同生活を送っていた。
彼らは戒律を厳格に守り、貧しい人々とともに働き、病める者の面倒を見て日々過ごす。
修道士の1人、リュックは医者でもあり、近所から訪れる多くの人々を診察していた。
修道士たちはイスラム教徒である地元民とも良好な関係を築いていたが、アルジェリアは内戦の真っ只中にあり、暴力行為やテロがこの土地にも暗い影を落としていた。
やがて、修道院から程近くでクロアチア人労働者が殺される事件が起きる。
軍は修道士たちの保護を申し出るが、修道院長のクリスチャンはこれを辞退する。
奇しくもクリスマス・イブの夜、ついに過激派グループが修道院に乱入する。
負傷した仲間の手当てのために、リュックを連れ出そうとする過激派に、彼は診療所を訪れた人を診察するためにいるのだと、きっぱり断るクリスチャン。
そしてコーランを引用して、キリスト教徒とイスラム教徒が隣人であると説く。
一難去った後、アルジェリアを去るべきか否か、議論が交わされたが、意見はまとまらない。
各自でもうしばらく考えることになる。
大使館からは帰国命令が出ていることを告げられるが、地元住民に慰留され、クリスチャンは迷う。
殺される恐怖、断ちがたい人生への執着。
それぞれが、ひとりの人間として悩み苦しむ修道士たち。
この土地を出て行くか、留まるのか。
やがて彼らは採決の時を迎える……。

いや~、もう、寝不足で行くとヤバいね。
何か、前の晩寝つきが悪くって……じゃ、またにすればいいじゃないか、なんだけど、上映時間の変更やら諸事情あって、そうもいかなかったのです。
さて、無信心な私ですが、宗教がらみの映画は何故か結構見ている気がする。
まぁ、カソリックの司祭の服とかがツボだから…とか、不純な理由もあるのですが(笑)
自分にはあまりないものに対する疑問。
何故、彼らはそんなにも信じることが出来るのか?
会ったこともないのに。
どうして?
映画に出てくる大きな愛はおろか小さな愛にも巡り合ったことはないので、分からないこともいっぱいなのですが、何とも説明しにくいんですよね。
でも、スゴく見て欲しい。
アルジェリアで実際に起こった修道士たちの誘拐及び殺害事件をベースに描いている本作。
この事件には謎がいっぱいあるそうで、いまだにはっきりした犯人も分かっていない。
だけど、これは真実を追求し謎を解く、という類の映画ではない。
信仰というものも、もちろんだけど
生きるということ。
死ぬということ。
そう言ったことについて描かれているのではないかと、私は感じた。
神に何もかもささげた彼らも、やっぱり人の子であり、家族や友人と二度と会えなくなるかもしれないと思えば、恐怖に怯えるのだ。
クリスチャンが、書き残した手紙には、彼らを殺すであろう人間を最後の時の友と書いてある。
コーランにもキリスト教徒を自分たちの隣人だと書いてある。
宗教のもっとも大きなテーマは『赦し』だと思うのだ、個人的にだけど。
だから、テロのニュースを見聞きすると何故こんなに不寛容になってしまったのか…と思うことが多い。
いつまでも恨み続けたりすると、自分が苦しいのに。
とはいえ、なかなか他者を赦せないのも、また、人間である故かもしれない。

心を決めた彼らの、最後の晩餐の場面が素晴らしい。
何の台詞もないのだけど、そしておなじみの『白鳥の湖』の音楽こんなに心が揺さぶられるとは……
音楽として出てくるのはこの曲だけ。
後は彼らが祈りを捧げる讃美歌というのとはちょっと違うな~朗誦というらしいんだけど、のみ。
これがとても美しい。
んだけど、心地良過ぎ……寝不足の人は要注意!
実在する伝説のプロボクサー、ミッキー・ウォードとその異父兄、ディッキー・エクランドの実話に基づく物語。
マサチューセッツ州。
低所得者の労働者階級が暮らす寂れた街、ローウェル。
兄のディッキーは、かつて天才ボクサーとしてスポットライトを浴びたが、ドラッグで身を持ち崩してしまい、今ではかつての栄光にしがみつくだけ。
弟ミッキーも兄の影響を受け、ボクサーとなるがパッとした戦績はなく、『噛ませ犬』などと呼ばれている。
自分勝手な兄とマネージャーである母アリスに振り回されてばかり。
ミッキーの才能を見込んで、ジムを移らないかという誘いもあったが、彼自身も家族と離れることは出来ないとの想いがあった。
しかし、新たな恋人シャーリーンは、悪影響を与える家族から離れるべきだとミッキーを説得し、父親も息子のためを思って新たなマネージャーを探してくる。
ディッキーとアリスを関わらせないことが、条件であり、ミッキーもそれを飲む。
新しいマネージメントの元、ミッキーは勝利を重ねていく。
そして、ついに世界王者への挑戦権を手にするのだが……

ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックの再結成にマーキー・マークが入ってなくてホントによかった!!
と思っております、赤姫です。
マークはやっぱり映画の仕事しなくちゃね!と思っている訳では全くなく(笑)
ドニ―の弟やからっていらんやろ、コイツ!?と、少女時代(韓国美脚ユニットに非ず)思っていたのでした。
それは置いといて
やっと観て来ました。
なかなか時間が合わなくって、すっかり話題も薄れた頃に見ることになりました。

ディッキーは天才肌。
ミッキーは努力の人。
それでも、ディッキーは弟のハードパンチャーとしての力量を買っており、自分の実現できなかった夢を懸けている。
誰よりも試合相手を観察、分析し的確なアドバイスを与える、かと思うと、急な代役がミッキーよりも9kgも重い相手だと聞いても、試合をやらなければ金を貰えないと言われると弟に試合をさせてしまう。
という、よく分からない人。
ステージ・ママならぬリング・ママのアリスももちろん息子を愛して、ボクサーとして立派にしたいと思っているんだけど、金が絡むとどうにもいけない。
それに、ミッキーよりもディッキーなのだ。
彼女にとっては、今もまだ。
明らかにヤク中のいい加減でどうしようもない家族のお荷物的な息子でも。
まぁ、バカな子程可愛いと申しますから、当然なのかもしれません。
早速に次の試合を決めたアリス達にミッキーは、考えたいと言い、一緒にやって来たシャーリーンも二人のやり方はミッキーのためにならないと言う。
ベガスのジムの条件を聞いたディッキーは、同じ金額を出すと言って、金を工面するために犯罪を犯し刑務所に入れられ、ミッキーもとばっちりで警官に手を潰されてしまう。
こうなって、やっと縁を切る決心がついたミッキーは、新しい体制の元実力を発揮していく。
でも、まぁ、この辺りはマネージメント力というか……
やっぱり、自信をつけさせるためには勝てそうな相手と当たらせたり、色々裏がある訳です。
が、世界王者戦となるとそうもいかない。
元々彼のための試合ではなかったしね。
あくまでも、予想外に相手を倒した結果、お鉢が回って来た…というもの。
で、この予想外に相手を倒せたことの裏には、試合前に面会に行った時のディッキーの言葉があったのです。
刑務所でクスリも抜けてスッキリしたディッキーの分析力はやはり天才的だったということなのでしょうか?
出所してきた兄を一度は拒絶するものの、やはり自分には兄が必要だと思うミッキー。
拒絶されたことに傷つき、怒り、ジムを出ていくディッキーは、それでも今までないがしろにしていた大切なものにようやく気付いたよう。
家族だからって一緒にいなきゃいけない訳ではもちろんないし、そうしない方がいい場合もたくさんある。
でも、一緒にいる方がいいと思えるなら、そうした方がいいのだ。
弟と一緒に夢を掴み取るため、兄は自分を変え、奮い立たせるのだ。
こうして、改めて書いてみると、主役はディッキーみたいだ。
くりべいは、助演なんだけどね(笑)
ミッキーの視線の先に彼のヒーローだったディッキーがいたように、私達の視線の先にもくりべいのディッキーがいるのだ。
ところで
ミッキー・ウォードのボクサーとしてのハイライトは終わりに字だけ出てきたガッティとの3試合らしい。
ボクシング誌でその年のベストマッチのようなのにも選ばれたそうだ。
この映画のハイライトは世界王者戦だけど、超マイナーなタイトルらしい。
それでも、世界王者には変わりない。
兄弟が世界の頂点に上り詰めたところを映画の頂点に持ってきたのは、間違ってないのだろう。

いや~それにしても、大家族で……
私、ダメなんですよ。
テレビでも大家族の何とか~みたいな番組あるじゃないですか。
あれ、本当にダメなんですよね~;;
息苦しいというか、何というか……。

色んな映画で色々変身していくくりべいですが、私が好きだった彼を見るようなことはもうないんだろうな~
ま、『コーンウォール~』みたいな役は年齢的にももう無理だけど。
14歳の少女、マティ・ロスは牧場主の娘。
読み書きが苦手な母に代わって契約書を読んだりするしっかり者。
ある日、彼女の父親が、雇い人のチェイニーに撃ち殺されてしまう。
知らせを受けたマティは、遺体を引き取るため、オクラホマ州境のフォートスミスへとやってくる。
一方、チェイニーは、逃亡者となってインディアン領へ向かい、お尋ね者のネッド率いる悪党達の仲間入りをする。
父親の形見の銃を譲り受け、犯人に罪を償わせることを心に誓った彼女は、大酒飲みだが、頼れる男だと言う連邦保安官ルースター・コグバーンに犯人追跡を依頼する。
最初は子供扱いされ相手にもされないマティだったが、決して諦めない執念に根負けした、コグバーンは依頼を受ける。
そこに、別の容疑でチェイニーを追って来たテキサス・レンジャーのラビーフも加わり、犯人追跡の過酷な旅が始まる。
マティにとって、人生初めての、そして危険な旅。
しかし、チェイニーを捕らえ、罪を償わせることしか彼女には考えられなかった。
そして遂に、チェイニーと対峙する時がやって来た。

1969年のジョン・ウェイン主演西部劇で、彼に悲願のオスカーをもたらした「勇気ある追跡」のリメイク?
オリジナルは見てないから何とも…なんですけど。
この映画で彼がオスカー獲ったのはガンで先が長くなくて同情票が集まったから…というのが頭にこびりついてて、元々西部劇はあまり得意ではないし、どうなのかな~?というのがありました。
念のために付け足しですが、ジョン・ウェインにオスカーの値打ちがないって言うんじゃなくて、あげるんならこの映画よりふさわしい映画があったやろ!ってことだと思います。
主演女優賞候補にもなってマティ役のヘイリー・スタインフェルドも彼女を支える名優達、特にジェフ・ブリッジズも、きっと素晴らしいんだろうけど……
何かね~コグバーンというか、ジェフ・ブリッジズが見てる内に何だかだんだん嫌になってきちゃう感覚があって、いざって時は頼りになるんだけど、何て言うか……ウザい;;
マティはしっかりし過ぎた少女で、何だか怖い。
多分、同じ年頃で近所なんかに住んでたらクズな私はずっとやりこめられっぱなしだったろう……という、何だか恐怖感を与えるヒロイン。
もちろん、父親の仇を自分で討つしかない!という、極限状態で気は張っているだろうし、気合も入りまくっているだろうから、威圧感があって当たり前なのかもしれないんだけど……。
所々の思わず眉間にしわのよるウザさはコーエン兄弟の味なのかもしれない。
悪口ばっかり書いてるようだが、結構面白かった。
ただ、旅の過程が何だか物足りない気がする。
結構、色んなところがあっさり進んじゃうんだよね。
これはやっぱり『旅』とそれによって変わっていく少女やおっさんが主題の映画だと思うので、そこをもうちょっと丁寧に撮ってくれてもよかったんじゃないだろうか。
ラストシーンの唐突な時の流れに、最初は違和感があるけど、ふと気づかされる。
これは、少女の勇気ある仇討ち物語なんだけど、旅の仲間のちょっと風変わりな友情の物語でもあったのだな~

ところで、バリー・ペッパーって、最近出る映画出る映画で唇パリパリじゃない?
ども。
体調不良&MR.BIGちょっくら遠征で間が開いちゃいました。
昨日は名古屋で見て来ましたよ。
今回、一番前で見られる会場だったのですが、またビリー側……(^_^;)
嫌なんじゃないけど、違う方向からも見てみたい!!
パットを……(>_<)
後は武道館だけ(つまり3回しか観に行かないんだけど)、ここもビリー側だし、スタンドだし。
ま、武道館のスタンドって観やすいと思うんですけどね。
正規に買って武道館に行くとスタンドですね~いつも。
それは置いといて
何が関係ないかっていうと、昨日会った友達が The Bluetonesを見たことも聴いたことも食ったこともないと言うので……
UPしてみましょ~と。
この前もUPしてるんですけど(笑)
今回は可愛かった昔々のヤツです。
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