私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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オモシロモノ
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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かうんたー
数え始め 2006/11/14
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ハシゴです(笑)
1974年8月9日、リチャード・ニクソンは『アメリカの歴史上、自ら辞任した初の大統領』という不名誉な称号を得てホワイトハウスから去ることになった。
彼の辞任の演説と、高々と両手でVサインを作り、飛び立つヘリに乗り込むニクソンの光景はテレビを通じて全世界に生中継された。
実に4億人がその光景を目撃したのだ。
母国イギリスとオーストラリアでトークショーを持つテレビの人気司会者デビッド・フロストも、その一人だった。
その視聴率の高さにアメリカ進出の足がかりとなると目をつけた彼は、1対1のインタビュー番組を企画する。
ニクソンのエージェントを通じて、出演交渉を開始した。
数ヵ月後。
ニクソンのエージェントは出演の見返りに、60万ドルというインタビューとしては法外なギャラを要求した。
これを承諾したフロストは、旧知のイギリス人プロデューサーのジョン・バートを伴い、アメリカへ飛ぶ。
その機内で出会ったキャロラインを連れ、ニクソン邸へと乗り込んだ。
彼らに邸内を見せながら、ソ連書記長ブレジネフとの歴史的な会談の模様を語って聞かせるニクソンの様子は、実に活き活きとしていた。
一方、フロストの資金調達は行き詰っていて、ニクソンへの前払い金20万ドルも自前で出す羽目になった。
アメリカでの成功を目標に、3大ネットワークに企画を売り込んだが否定的な答えばかり。
彼らはたかがテレビのトークショーの司会者に、大物政治家のインタビュアーなど務まるわけがないと思っていたのだ。
ニクソンが今回のインタビューを受けた理由も、フロストがくみしやすいと思ったからなのだ。
テレビ局との交渉にフロスト苦戦していると知ったニクソンの側近のジャック・ブレナンは、「前金だけもらって企画が流れるかもしれない」と、ほくそ笑んだ。
しかし、ブレナンの予測に反し、フロストは番組を自主制作して放映権を売る方向に方針を転換させた。
そして、借金で当面の制作費を捻出し、インタビューの準備をスタートさせたのだった。
お互いに、ブレーンを雇い、何を質問するか、どう答えるのか、それぞれに準備を進めていく両陣営。
超有名らしい、フロストとニクソンの1対1の勝負が、今、幕を開けようとしていた!
いや、面白かったわ。
ウォーターゲートの知識がぼやっとしかないので、もっとちゃんと知ってれば、もっともっと面白かったかも。
撮影に入ってからも、テープチェンジの休憩の合間に自陣に戻り、アドバイスを受けたり、檄を飛ばされたり、褒められたり。
その様子はまるで、ボクシングの試合を見ているようです。
そして、舞台裏での苦労。
資料を集めたり、作戦を練ったり、芝刈り機の会社にまでCMを頼みに行ったり……。
あんまり、色々書くと面白くないと思うから。
とりあえず、二人の男の真剣勝負をとくと見ようじゃないか!です。
フランク・ランジェラの上手さは言うに及ばず、ですが、マイケル・シーンは毎回化けますね。
え~と、この人、絶対前に何かで見た筈……と思うのだけど、すぐには思いつかせないのだ。
こういう人が、私は好きです。
「ブリトニーだってやれるだろう」と、脚本家に言わせた演技力はさすがでしょう。
それをあんまり感じさせないところが、更にさすが!
1974年8月9日、リチャード・ニクソンは『アメリカの歴史上、自ら辞任した初の大統領』という不名誉な称号を得てホワイトハウスから去ることになった。
彼の辞任の演説と、高々と両手でVサインを作り、飛び立つヘリに乗り込むニクソンの光景はテレビを通じて全世界に生中継された。
実に4億人がその光景を目撃したのだ。
母国イギリスとオーストラリアでトークショーを持つテレビの人気司会者デビッド・フロストも、その一人だった。
その視聴率の高さにアメリカ進出の足がかりとなると目をつけた彼は、1対1のインタビュー番組を企画する。
ニクソンのエージェントを通じて、出演交渉を開始した。
数ヵ月後。
ニクソンのエージェントは出演の見返りに、60万ドルというインタビューとしては法外なギャラを要求した。
これを承諾したフロストは、旧知のイギリス人プロデューサーのジョン・バートを伴い、アメリカへ飛ぶ。
その機内で出会ったキャロラインを連れ、ニクソン邸へと乗り込んだ。
彼らに邸内を見せながら、ソ連書記長ブレジネフとの歴史的な会談の模様を語って聞かせるニクソンの様子は、実に活き活きとしていた。
一方、フロストの資金調達は行き詰っていて、ニクソンへの前払い金20万ドルも自前で出す羽目になった。
アメリカでの成功を目標に、3大ネットワークに企画を売り込んだが否定的な答えばかり。
彼らはたかがテレビのトークショーの司会者に、大物政治家のインタビュアーなど務まるわけがないと思っていたのだ。
ニクソンが今回のインタビューを受けた理由も、フロストがくみしやすいと思ったからなのだ。
テレビ局との交渉にフロスト苦戦していると知ったニクソンの側近のジャック・ブレナンは、「前金だけもらって企画が流れるかもしれない」と、ほくそ笑んだ。
しかし、ブレナンの予測に反し、フロストは番組を自主制作して放映権を売る方向に方針を転換させた。
そして、借金で当面の制作費を捻出し、インタビューの準備をスタートさせたのだった。
お互いに、ブレーンを雇い、何を質問するか、どう答えるのか、それぞれに準備を進めていく両陣営。
超有名らしい、フロストとニクソンの1対1の勝負が、今、幕を開けようとしていた!
いや、面白かったわ。
ウォーターゲートの知識がぼやっとしかないので、もっとちゃんと知ってれば、もっともっと面白かったかも。
撮影に入ってからも、テープチェンジの休憩の合間に自陣に戻り、アドバイスを受けたり、檄を飛ばされたり、褒められたり。
その様子はまるで、ボクシングの試合を見ているようです。
そして、舞台裏での苦労。
資料を集めたり、作戦を練ったり、芝刈り機の会社にまでCMを頼みに行ったり……。
あんまり、色々書くと面白くないと思うから。
とりあえず、二人の男の真剣勝負をとくと見ようじゃないか!です。
フランク・ランジェラの上手さは言うに及ばず、ですが、マイケル・シーンは毎回化けますね。
え~と、この人、絶対前に何かで見た筈……と思うのだけど、すぐには思いつかせないのだ。
こういう人が、私は好きです。
「ブリトニーだってやれるだろう」と、脚本家に言わせた演技力はさすがでしょう。
それをあんまり感じさせないところが、更にさすが!
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