私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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オモシロモノ
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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かうんたー
数え始め 2006/11/14
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20世紀初め、二人の男女が出会う。
男は後にイタリアに独裁政権を築き、歴史上ヒトラーと並び称される独裁者ベニート・ムッソリーニ。
女は、イーダ。
ある夜官憲に追われた若きムッソリーニを匿ったイーダは恋に落ちる。
何年かして、再会する二人。
急速に変わりゆく世界で、祖国を守るべく、ムッソリーニはより深く政治闘争へと身を投じ、イーダは、彼のために全財産を売り払い、その活動を支えた。
身も心もすべてを捧げたイーダは、やがて彼の子供を産む。
しかし、ムッソリーニにはすでに家庭があった。
自分が彼の妻であり、息子をムッソリーニの長男であると認めさせようとするイーダ。
だが、イタリア国内でムッソリーニの支持率が急上昇していく中、彼女は危険人物として排除されようとしていた。
社会主義者からファシストへと転向してゆくムッソリーニ。
最愛の人に裏切られながらも、信念を貫きとおすイーダ。
歴史の闇に葬られた女性の物語。
『愛の勝利を』というタイトルだけ見てると何だかロマンチックな感じがするかもしれないですけど、そんな気分で行っちゃ絶対ダメな映画。
うぅ~ん、疲れます。
再会して抱き合う二人ですが、イーダは溺れきっているようなのに反してムッソリーニは何かを探すように目を見開いたままなのが、印象的。
ムッソリーニに既に妻子があることを知っても、一歩も引かないイーダは確かにこれから上昇しようという男には邪魔だよね。
もう、とにかく激しくって、のちに“偏執狂”という名目で精神病院に入れられてしまうイーダですが、まるっきり間違いでもないという感じも。
当時、大勢に見られただろうニュース映画や無声映画のコメディーがたくさん挿入されます。
比較的人道的な精神病院に入れられたイーダが、病院の中庭でチャップリンの『KID』を見ながら息子を思ってか涙するシーンが美しい。
そして、やっぱり『KID』っていい映画だったな~と、思い返す。
巨大な力に一人立ち向かうイーダは、悲痛な程に激しく強い。
自らが捧げた愛。
息子への愛。
その愛に勝利するために、彼女は闘うのだ。
勝ち目のない闘いでも。
断片的な資料が元になっていると思われるので、どこまでが事実でどこからがフィクションかは分からないけど、彼女はスゴイ。
打ちのめされて地に倒れても、起きあがり叫び続ける姿は目を背けたくなるけど、本当は人ってこう生きなければいけないのかもね。
精神科医が彼女に今は黙っていた方が利口だと言うと、彼女はしかし、このままでは自分の存在がなかったことにされてしまうと言う。
そうだね。
たとえ、かき消されようとも声を上げ続ければ誰かが覚えていてくれるかもしれない。
歴史の裏にはこんな人達がいっぱいいたのだろうと思うと、やっぱり胸が痛い。
男は後にイタリアに独裁政権を築き、歴史上ヒトラーと並び称される独裁者ベニート・ムッソリーニ。
女は、イーダ。
ある夜官憲に追われた若きムッソリーニを匿ったイーダは恋に落ちる。
何年かして、再会する二人。
急速に変わりゆく世界で、祖国を守るべく、ムッソリーニはより深く政治闘争へと身を投じ、イーダは、彼のために全財産を売り払い、その活動を支えた。
身も心もすべてを捧げたイーダは、やがて彼の子供を産む。
しかし、ムッソリーニにはすでに家庭があった。
自分が彼の妻であり、息子をムッソリーニの長男であると認めさせようとするイーダ。
だが、イタリア国内でムッソリーニの支持率が急上昇していく中、彼女は危険人物として排除されようとしていた。
社会主義者からファシストへと転向してゆくムッソリーニ。
最愛の人に裏切られながらも、信念を貫きとおすイーダ。
歴史の闇に葬られた女性の物語。
『愛の勝利を』というタイトルだけ見てると何だかロマンチックな感じがするかもしれないですけど、そんな気分で行っちゃ絶対ダメな映画。
うぅ~ん、疲れます。
再会して抱き合う二人ですが、イーダは溺れきっているようなのに反してムッソリーニは何かを探すように目を見開いたままなのが、印象的。
ムッソリーニに既に妻子があることを知っても、一歩も引かないイーダは確かにこれから上昇しようという男には邪魔だよね。
もう、とにかく激しくって、のちに“偏執狂”という名目で精神病院に入れられてしまうイーダですが、まるっきり間違いでもないという感じも。
当時、大勢に見られただろうニュース映画や無声映画のコメディーがたくさん挿入されます。
比較的人道的な精神病院に入れられたイーダが、病院の中庭でチャップリンの『KID』を見ながら息子を思ってか涙するシーンが美しい。
そして、やっぱり『KID』っていい映画だったな~と、思い返す。
巨大な力に一人立ち向かうイーダは、悲痛な程に激しく強い。
自らが捧げた愛。
息子への愛。
その愛に勝利するために、彼女は闘うのだ。
勝ち目のない闘いでも。
断片的な資料が元になっていると思われるので、どこまでが事実でどこからがフィクションかは分からないけど、彼女はスゴイ。
打ちのめされて地に倒れても、起きあがり叫び続ける姿は目を背けたくなるけど、本当は人ってこう生きなければいけないのかもね。
精神科医が彼女に今は黙っていた方が利口だと言うと、彼女はしかし、このままでは自分の存在がなかったことにされてしまうと言う。
そうだね。
たとえ、かき消されようとも声を上げ続ければ誰かが覚えていてくれるかもしれない。
歴史の裏にはこんな人達がいっぱいいたのだろうと思うと、やっぱり胸が痛い。
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