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私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。

赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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かうんたー
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ども。ご無沙汰です。
久々に帰省など致しまして……ま、帰省っていうのもちょっと違うかな~って感じもしますけど;;
行く前に観たものや帰って来てから取り急ぎ観たものが、まだ書けてないままちょっと溜まっちゃってますので、ぼちぼち書いていきたいと思います。

デンマークに住む医師のアントンは、アフリカで、キャンプに避難している人々の治療を行っている。
患者の中には妊婦の腹を切り裂く悪党“ビッグマン”の犠牲者もいた。
ビッグマンは妊娠している子どもの性別で賭けをしているのだ。
母マリアンと弟のモーテンと暮らしているエリアスは、毎日学校でいじめられていた。
彼の父親はアントンだった。
父の帰国を喜ぶエリアスだが両親は今別居中だ。
ある日、クリスチャンが、エリアスのクラスに転校してくる。
彼は母親を亡くし、祖母の住むデンマークに父親とやって来たのだ。
その放課後、イジメっ子のソフスにエリアスは絡まれ、クリスチャンも巻き添えを食ってしまう。
翌日、クリスチャンはソフスに不意打ちで殴りかかる。
ソフスの怪我が表沙汰になり、呼び出された父親のクラウスは、仕返ししてもきりがないと諭すがクリスチャンには通じない。
帰国したアントンが、子供たちとクリスチャンを連れて出掛けた時、モーテンがよその子と公園でケンカになった。
止めに入ったアントンは、駆けつけた相手の子の父親に、理由も訊かれずに殴られてしまう。
翌日、クリスチャンとエリアスが自分を殴った男ラースの居場所を見つけたと聞いたアントンは、子供たちと訪れる。
殴った理由を問いただすアントンに、ラースは再び殴りかかるが、アントンは決して手を出とず、屈しない姿を子供たちに見せた。
帰り道、ラースを殴るしか能のない愚か者だと言うアントンに、エリアスとモーテンは同調するが、クリスチャンは納得出来ない。
アントンがアフリカへと戻った後、家で大量の花火を発見したクリスチャンは、爆弾を作ってラースに復讐しようとエリアスに持ち掛ける。
一方、アフリカのキャンプでは脚に怪我を負ったビッグマンがやって来る。
アントンは周囲に反対されながらもビッグマンの治療を行うのが……

難しい問題です。
確かに、やり返したってキリがないし、やり返すことで自分も同じ種類の人間になった気がして嫌な気分です。(ならない人もいるんだろうけど)
まぁ、殴られたら殴り返すことは出来るけど、イジメってそういう単純な形ではなかったりするし……
クリスチャンの思うことは分かる。
自分がいじめる相手よりもさらに上の立場になれば、もう誰も自分に構わない。
でもねぇ……
何だか下等な人間になった気がする。
ま、多分、自分で納得するために、そんな人達を下に見るようにして生きてきたからだろうけど。
ちょっと、ビックリしたのはエリアスがスウェーデン人だからとデンマークでいじめられていること。
何でも、ネタになるのだろうけど、私達から見ると違いなんてあんまり分からないんだけどね~
北欧の人だ~って感じやけど。
私達から見ると中国の人や韓国の人が自分達と違っていることがよく分かるけど、欧米人には一緒くたっていうのと同じなんだろうね。
それは置いといて
本当に何でもネタになるし、いちゃもんつける人はいつだって何にでもいちゃもんつける訳で。
それをいちいち相手にしてたらキリがない。
殴られたから殴り返すってことを繰り返してたら、どっちかが死ぬか、どっちかがバカらしくなって止めないと終わりがない。
それに、世の中何が起きるか分からないから、自分が復讐したい相手だけに復讐出来るのか分からない。
仇討ちが延々続きそうなのも、相手だけに影響が出るんじゃないからでしょ。
それどころか、何の関係もない人を巻き込んだりするかもしれない。
そしたら、やっぱり、自分がバカで許せない、と思うんだな。
多分ね。
クリスチャンが爆弾を仕掛けるって言った時、エリアスはイマイチ乗り気じゃなくってアントンに電話をかけて相談したかったんだけど、アントンの方でも大変なことがあって、話をいい加減に聞いて切っちゃうんだね。
で、エリアスはクリスチャンに押される形でやるって言うんだけど、それが思いがけない結果に……
やっぱりね、「人を呪わば穴二つ」ってことなんだと思うんですよ。
だから、自分がバカを見ないうちに恰好よく『赦し』とこう、っていうのもアリだと思うんですけどね。
なかなか、気持ちのやり場が難しいけど。
アフリカで、アントンが“ビッグマン”を医師として治療したのは、それで正しかったと思うし、その後したことは人の気持ちとしてよく分かる。
気もちって、善悪とか正しいか間違ってるかとか、そういうことできっちり線引き出来ないものだと思うのだな。

さて、未来を生きる子供たちの話な訳ですが、『レイン・オブ・アサシン』でお坊さんが言った言葉を思い出す。
本当は、まぁ、“未来”にも生きているだろうという見込みな訳で……
「未来は現在になり、現在は過去になる。人は今を生きるのみ。」
とりあえず、今を乗り切っていくしかないのかな~
来る筈の未来を信じて。
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明の時代。
謎の暗殺組織・黒石に所属する女刺客の細雨は、自らの過去と決別するため、黒石が盗み取った達磨大師のミイラと共に姿を消す。
武術の奥義を究めたインドの王子、達磨大師。
伝説ではその遺体を手に入れた者は武術界の覇者となると言われていた。
細雨は顔を変え、曽静という新たな名前を名乗り、都の片隅で商売を始める。
そして、そこで出会った心優しい配達人の阿生と結婚し、つつましいながらも幸せに暮らしていた。
しかし、あるきっかけで曽静の身元が黒石に知られてしまう。
ひたひたと迫り来る凄腕の殺し屋達。
彼女は人生のすべてを懸け、最強の暗殺組織との壮絶な戦いに身を投じる。

ジョン・ウーが共同とはいえ監督しているというのも、ウリなのかな?
豪華アジアスター競演という感じですね。
曽静役のミシェル・ヨーは現代的なアクションのイメージがあって、こういう時代物の女性剣士という役柄は初めて見ました。(グリーン・デスティニーは何故か観てない)
阿生役はチョン・ウソン。
自分で喋ってるのかな?
違和感のない中国語にビックリ。
ストーリーもアクションも漫画みたいですが、それはそれでいいと思います。
時代劇にはリアリティーよりも様式美を重んじた立ち回りが似合います。
細雨=曽静の使う璧水剣(こんな字だったかな;;)が、あり得へん曲がり方で剣をかわして相手を刺してもいいんです。
ただ、どんでん返しとなる筈のところが、予告編でちょっと察しがついちゃったかな~?
あまり驚きはなかったです。
曽静が阿生に「本当に私を愛したことがあったの?」と尋ねるシーンが入ってるんですね。
とりあえず、亭主の阿生は実は彼女の敵だったんだな……と、分かってしまいます。
まぁ、もう一捻りあったんですけどね。
登場人物が多いせいか、裏の顔と表の顔とか、整形前整形後で人が増えちゃうし、ちょっと詰め込み過ぎてまとめ切れなかった感じはあります。
「スッゴイ、よかった!」という映画でもないですが、「チクショ―、金返せ!」という映画でもありません。
「あぁ、やっぱりミシェル・ヨーは恰好いいわね(*^。^*)」というので満足な私のような人なら合格点でしょ。

それにしても、整形手術の方法が怖い(@_@;)
いや~いくら顔を変えたくても、あれはなかなか……余程の決意と見てとれますね。
しかし、普通の顔になって街に紛れたいって……無理でしょ、個人的には整形前より(ごめんね、ケリー・リン)後の方が美人よ。
紛れない、紛れない(~_~;)
1983年のイタリア、ミラノ。
労働組合員ネッロは正義感が強く、活動に対して情熱を傾けていた。
しかし、やや行き過ぎた情熱が災いし、所属していた組合から異動を命じられる。
そこは、元精神病院の患者達の協同組合。
新しく制定されたバザリア法によって精神病院を出された者達の集まりだった。
仕事はあるものの行政の郵便物に切手を貼るというような、“施し”のような仕事のみ。
彼らの無気力ぶりに、精神病患者に先入観のないネッロは彼らを労働者とみなし、もっといい仕事をして稼がないかと持ちかける。
みんなを集めて会議を開くが、意見はバラバラで、なかなかまとまらない。
しかし、何とか床貼りの仕事に決まる。
ネッロは彼らとともにこの無謀な挑戦を始めるが、注文はなかなか入らない。
やっともらった仕事でも失敗続き。
しかし、ある日床材が足りなくなるというアクシデントが、彼らの人生を変えるようなチャンスになる!

台風とかで、なかなか行けなくって、この間やっと観てきました。
原題は“Si Puo Fare”で、「やればできる」という意味だそう。
協同組合の初会議で仕事を決める時、とんでもない意見も出るのですが、ネッロは“Si Puo Fare”と言って、頭から否定するようなことはしません。
ボヤ~っと切手を貼ったりしている彼ら。
その切手もあっちこっちに貼られているように見えます。
元々入院していた病院の片隅で活動する彼ら、組合も病院長が管理しています。
ということで、元患者達には入院していた頃とあまり変わらない対応が取られていました。
薬も院長の処方で与えられ続けています。
最初は部外者のネッロになかなか心を開いてくれない元患者達ですが、彼の熱心さや自分達を特別視しないところが気に入ったのか、次第に打ち解けて行きます。
そして、下手くそな切手の貼り方の秘密を明かしてくれるのです。
そのことでネッロは彼らの芸術センスを見抜き、床貼りの仕事を思いつくのです。
ネッロが葬式に出かけた日、現場で材料が足りなくなるアクシデントが起きます。
そこで、彼らは廃材をモザイク状にすることで隙間を埋めるのです。
注文通り出来上がらなかった床を見て、ネッロは慌てますが、依頼主は以外にも気に入り、他も任せたいと言い出します。
彼らの貼る芸術的な床は大評判。
ネッロは病院の片隅という環境では本当の自立は出来ないと思い、場所を借り、また、多過ぎる薬の処方を考え直してくれる医師を彼らの担当にします。
外に出た彼らは色々なことに出会います。
恋もしたり。
ただ、世馴れていない彼らに、それゆえの悲劇も降りかかってしまいます。
そのことで、自分は彼らのことを何も分からずにただ、がむしゃらなだけだった……と、深く悲しむネッロは組合を去ってしまいます。
そして、嫌っていた男の下で仕事をすることに。

最後のどんでん返し、でもない、大逆転?違うな。
とにかく、スカッとするラスト。
悲喜こもごも。
イタリア映画らしい、イタリア映画かな……と思います。

仕事に関して、嫌々なんだし、もらえるお金は変わらないんだし、そんなに一生懸命やることない、という彼らにネッロはスゴく怒る訳なんですけど。
正直言って私もそういう感じで仕事してるな~
なかなか、頑張ろう!と思える仕事を出来ることって世の中には少ないですよね?
そんでも頑張らなきゃいけないと言われるのでしょうけど。
終戦間近の昭和20年8月10日。
帝国陸軍の真柴少佐は、突然、軍のトップに呼び出され、重大な密命を受ける。
それは、山下将軍が奪取した900億円相当のマッカーサーの隠し財宝を、移送し隠匿すること。
もはや敗戦を悟った軍のトップ達が祖国の復興をその財宝に託そうとしていたのだ。
真柴は、経理部の小泉中尉、実戦経験のない2人を補佐する望月曹長と共に極秘任務の遂行に当たる。
勤労動員として20名の少女達が集められた。
彼女達には新型の本土決戦用の爆弾と告げ、少女達はそれとは知らず財宝隠しに加担する。
任務の終わりが見えた頃、上層部から思いがけない命令が下される。
果たして少女たちの運命は?

珍しく邦画です。
東京オレンジの軍人さんはどんな感じかな~?と思って観に行きました。
見る前にレビューでチラッと読んだのですが、嫌いなユースケ・サンタマリアが確かに思いがけずよかったです。
試写で見た『男たちの大和』では、ウルサイばかりだった獅童も静かに喋れるようになったんですね。
日本を代表するベストセラー作家・浅田次郎の小説の映画化です。
20名の少女達の1人で級長だった老婦人が、連れあいの死をきっかけに当時を振り返ります。

マレーの虎、山下将軍の財宝が実はマッカーサーの父の財産でそれが日本に運ばれていた。という設定です。
今のお金に換算すると200兆円だそうなので、もし、今そんなものがあったら日本経済はとっても助かりますね。
冒頭は、密命を受けた3人の軍人の緊迫感漂う話の運びなのですが、少女達が登場すると途端に和やかに。
戦争中といえども少女はやはりこうでなくてはいけません。
そんな彼女達が『七生報国』と書かれた鉢巻きを無邪気に締め、本当に一生懸命頑張る姿は感動的でもあり、ちょっと怖くもあり。
やっぱり、教育の力って色んな意味で凄いんだな……と思いました。
前に書いたかどうか分かりませんが、ウチのオトンは戦争に行った人でして……
終戦時、十代でしたから、もちろんペーペーなんですが(南方にいったらしいです。詳しくは知らないんですけど)、昭和天皇が亡くなった時、新聞をビニールシートに包んでアイロンでピッタリ閉じて、パウチっこしてました。
彼にとっては、玉音放送の後も人間宣言の後も、やっぱり特別な人だったようです。
オカンは10歳程離れているので、これまた極端な戦後教育を受けた人で……
よくまあ一緒になったな~と。
傍迷惑な……俺なんか生まれて来ちゃって、踏んだり蹴ったりです(-_-;)

話が横道にそれましたが、このお話はそういうことの善し悪しとかではなく、少女達が一生懸命に未来の国のため、つまり私達のためにしたことについて、考えようよ。
ということなんだと思います。
もちろん、お話はフィクションなのですが、こんな風に一生懸命だった人達がいっぱいいた筈。
状況を知っているだけに心揺れる3人の軍人さんに国のためになすべきことを決意させた少女達。
未来のために戦った人達に、今の日本は応えられているか?と。
応えられていないなら、これからでも応えられるようになろうじゃないか!と。

もうすっかり、ヘタレな日本人には難しいことかもしれないですけど、それでもそれなりに『出来る何か』を考える映画、なのかな。
雪深い森の中で父のエリックと二人きりで暮らす少女ハンナ。
父は彼女に戦闘技術や語学を仕込まれる。
何度となく、「もう街に行ける」と父に訴えるハンナ。
ある日、父はどこからか発信機を取り出す。
そして、「このスイッチを入れればここから出て行けるが、マリッサを殺すかマリッサに殺されるかだ。」と告げられる。
迷った末にスイッチを入れるハンナ。
彼女を残して父は去った。
発信元を探査した追手が迫る!

ちょっとイマイチという噂も聞いてたんですが、エリック・バナも気になるしね~
見て来ました。
冒頭大きな鹿?フィンランドだからトナカイ?を弓で狙うハンナ。
見事に命中するが、彼女は「心臓を外ししちゃった」と不満気。
そこへ後ろから襲いかかる者が!
何かさ宮本武蔵とかであったよね。
いかなる時も気を抜いてはならんとか言って、師匠が次々と攻撃を仕掛けてくる。
あぁいう感じです。
父ちゃんは自分と同じくらい、またはそれ以上の凄腕にハンナを育てようとし、それはほぼ成功する訳ですが……
何でそうしたいのか分からない。
確かにいくら隠れていても、見つかるかもしれないから、鍛えといた方がいいかもしれない。
だけど、もしハンナを守りたいなら、ひっそりと暮らしたっていい筈。
わざわざ信号なんか発信するからバレちゃうんでしょ?
マリッサにとってはもうとっくにCLOSED CASEだった訳で、そんなことしなければわざわざ探さなかったかもしれない。
マリッサがハンナを執拗に狙うのはそのCLOSED CASE、つまりハンナの出生の秘密にかかわりがあるらしい。
きっと、もっと早くに処理したかったんだろうけど、見つからなくてもう諦めていた訳で、今更そんなにこだわるのかな~?
まぁ、完璧に処理してしまいたかったのかな?
という訳で、マリッサ側の動機はやや強引だけど分からないでもないのですが、ハンナ側はどうなのか?
物語の核であろう『マリッサを殺す』動機がどうしてもイマイチよく分からない。
そもそも殺される理由を作ったのは自分達だし。
父のエリックがハンナにどういう風に話していたのか、が、まるで出てこないので、ハンナの気持ちを推し量ることも難しい。
途中で出会う、ハンナにとっては初めての他者との出会いも、ハンナの出生の秘密のせいなのか、鍛えられたせいなのか、感情が爆発することは少なく(電気ケトルには怯え過ぎなくらいだけど)、入りり込めない。
うわ~っと感情的に盛り上がるところがあんま無いんだな。
そのせいなのか、お話の方もフラットな印象。
アクションシーンはそれなりにスゴいし、敵を察知しながらスーツ(!)の前ボタンを外すバナもかっこいいけど。
あんまり血を見ないせいなのか……いや、血は映るんだけど、動いてない血なんだね。
ドピュッ!!って血はない。
そのせいか、スゴくアッサリしてる感じがする。
マリッサ役のケイト・ブランシェットの歯磨きが一番流血してたかもね;;
このお話、所々に“グリム”が登場する。
ハンナが父に隠れてこっそり読む絵本。
父との待ち合わせ場所はグリムの家。
偽マリッサを殺した後に送ったハガキに書かれた「悪い魔女は死んだ」の文字。
最後の対決は、まさに悪い魔女と……何のだろうね?
誰か対決した?
とにかく一騎打ち。
心臓を狙うことに固執している理由が明かされないけど、個人的にはとても優しい理由しか浮かばない。
それと、“ライカ犬”の話。
彼女の運命と重なっているような気がするのは、気のせいだろうか?

あんまり、褒めたレビューになってないと思うけど、それなりに楽しめる作品でした。
ただ、アドレナリンが噴出するようなアクション映画ではないのは確か。
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