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私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。

赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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かうんたー
数え始め 2006/11/14
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幼い頃からヒマラヤ山脈にある標高8,125mのナンガ・パルバート登攀を夢見ていたラインホルトとギュンターの兄弟。
成長して名を知られるようになった2人に、ナンガ・パルバートのルパール壁登攀のチャンスが訪れる。
1970年。
ラインホルトが遠征隊に招待された
いつも前を行く兄に苛立ちを覚えたギュンターだったが、遠征隊に欠員が生じ、兄の推薦で参加する。
カール・マリア・ヘルリヒコッファー博士のもと、パキスタンへ向かう遠征隊。
ルパール壁で兄を失い、何度も挑戦しては失敗してきたヘルリヒコッファーは今回こそ、難壁の制覇に燃えていた。
ラインホルトのチームと、彼に対抗心を燃やすオーストリア軍隊出身のフェリックス・クーエンの2チームを競うかのように登頂させる計画だ。
苦難の連続の登頂にチームが分裂していく中、ラインホルトとギュンターは苦難の末、ルパール壁の初登攀に成功する。
だがその喜びもつかの間だった。
下山のルートがないのだ。
それでも何とか山を降り続ける2人だったが、やがて、ラインホルトは弟の姿を見失う。
最後の連絡から8日後、ボロボロになったラインホルトは、兄弟の帰還を諦め、帰国途中だった遠征隊と運よく遭遇する。
帰国したラインホルトを待っていたのは、”ヘルリヒコッファー遠征隊の初登攀の成功”と”ギュンターの死はラインホルトの責任”と糾弾する新聞記事だった。

何で山になんか登るんでしょう?
ピクニックで行けるくらいの山なら適当な達成感や身体を動かした爽快感があっていいかもしれません。
でも、ヒマラヤなんかに登るとなると、まるで話が違ってきます。
遠征隊が悪天候のため足止めを食らっていた時、食事の席でパトロンがラインホルトに尋ねます。
「何故登るのか?」と。
「画家は何故描くのか?」と、彼は質問で返します。
そうせずにはいられない人がそうするんだろうね~
体中の何もかもがそれを求めているのでしょう。
子供のころから、高い所を見るとどうやったら登れるか?というようなことばかり考えていた兄のラインホルト。
いつも兄の背中を追いかけていたギュンター。
この関係性は最後まで変わらず、この関係性ゆえにこの事故というか事件が起こったと思われます。
ラインホルトの証言に基づく実話のストーリー。
ヘルリヒコッファー博士の講演会にふらりと現れたラインホルト。
話している博士の方にドンドン近寄ります。
彼の話していることは真実ではないというラインホルトに記者達は、問いかけます。
では、何が真実なのか?
ラインホルトが何が起こったのかを語り始めます。

初登攀の手柄云々はちょっと置いといて、ギュンターの死の責任ということになると、これはもうギュンターのせいとしか思えない。
元々の打合せで悪天候の知らせがあれば、兄が一人でアタックし、素早く下山するということになっていた。
相談というか、押しつけられた訳ですが。
目が覚めるといなくなっている兄の後を、言いつけられたとおりに下山用のルートも確保せず、装備もなく追いかけるというのは、やっぱり浅はか過ぎるんじゃないだろうか?
ちょっと考えれば分かること。
キャンプにいるもう一人は病人だし、彼ひとりに押し付けて自分も登るって……?
それに、ルートを作らなければ下山は難しいのは分かり切っていた筈。
ギュンターはそれをしなかったことによって、自分だけでなく兄の命も危険にさらした訳で……
何だかね……。

ベースキャンプにいるのに見てきたように口述筆記させるヘルリコッファー博士が不思議だった。
彼の書かせていることはどこまで本当なのだろう?
合図の信号は、本当に間違っていたのか?

とにもかくにも大自然の厳しさが身に沁みる映画です。
きっと、命の危険さえも感じるからこそ取り憑かれちゃうのだろうね。

何が真実かっていうのは、とても難しい。
誰かが神とやらの視点で語ることが出来るというならともかく、皆自分の見たようにしか受け止められないのだから。
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成功した(らしい。いい家に住んでるし、会社でもいいお部屋にいる)ジャック。
壮年を迎えた彼は、今、自らの少年時代に思いをはせる――。
1950年代半ばのテキサスの小さな町に暮らすオブライエン一家。
成功のためには力が必要だと教える厳格な父は、長男のジャックをはじめ3人の子どもたちに厳しく接する。
一方、自然を愛で、慈愛に満ちた心で子供たちを包み込む優しい母。
そんな両親の狭間で葛藤を抱えながらも、2人の弟との楽しい時を過ごすジャックだったが…。

うぅ~ん、何て書いたものかなぁ……と。
しばらく考えてみたのですが、きっと考えてもいい考えは出てこない。
50回くらい見たら分かるかも知んない、と思う一方で、何も分からないままかもしれないと思う。

宇宙の誕生から、テキサスに暮らす一つの家族まで、時間も、場所も、ズームアウトもズームアップも自由自在。
一つ一つのシーンがことごとく美しい、ので、単調な気さえしてしまう。
息を抜くところが少ないから、疲れるかもしれない。
この人は、良くも悪くも映像作家なんだな~と思いました。
小説家ではなくて、画家。
どちらも作品はそれを受け取る人次第だけど、小説家の方が自分の思う方にリード出来る可能性が高いけど、画家は本当にお任せだと思うんだね。

だから、見た人がどう受け取るか
頭ではなくて、多分、心で……

人はどこから来て、どこへ行くのか?
神の存在は?
という人類の最大の問題を描いているのと同時に、一人の男が過去の自分と対峙する物語でもある。

見ている最中
「ずっと、こんなんなん?」というオバハンの声が聞こえた。
連れてこられたものの、予想外の映画だったに違いない。
入場口で、どでかいポップコーンを持ってるカップルもいた。
「食べる気なん?この映画で?」
思わず訊きそうだった。
帰り際、偶然そのカップルをもう一度見たが、やっぱりポップコーンはあまり減っていなかった。
その後見た中年の夫婦だかカップルだかは完食に近い感じだったので、年を経た人間の凄さを感じたのだった。
でもまぁ
普通の人間の感覚では、この映画を見ながら食べ物をパクつくというのは、難しいと思うので、お食事は先にお済ませください。
自動車事故で母を失い、心に深い傷を負った少年TJと、妻の死から立ち直れないその父親ポール。
そして、スーパーのレジ係として働く女性ニコールはツキに見放された人生にウンザリしていた。
そんな彼らの前に突然、長髪で半裸の謎の男ヘッシャーが現れる。
TJの祖母の家に勝手に住みつき、大音響でヘヴィメタルを流し、下品で乱暴な言動で様々なトラブルを起こす。
彼のバイタリティが、暗く沈んでいた彼らを勇気づける。
そして、もう一度前を向き、新たな人生を歩み始める……。

TJは母親を亡くしたことで、世の中の何もかもが気に入らなくなっているような……
自分だけが世界中の辛い思いを背負い込んだような気分になっている。
まぁ、仕方ない。
事故の様子は終盤にやっと出てくるが、まさに幸せから不幸のどん底にまっしぐらな気分なんだろう。
父親も、同じで、精神安定剤か何かに頼りっぱなしなのか、一日中ソファーで眠ってばかりいる。
ある日、自転車をぶっ飛ばして工事中の住宅地を通り抜けようとしたTJ。
何かにひっかかってすってんころりの見事な一回転。
腹立ち紛れに石(だっけ?)を投げつけ建てかけの家の窓ガラスを割ってしまう。
と、そこから長髪のキッタナイ男が!!
どうやら彼はそこに住みついてたらしいんだけど、窓が割れたことで警備会社が来ちゃったんだな。
で、いきなりダイナマイトか何かを投げつけて逃げ去る!
TJが必死に家までたどり着くと、その男がやって来た!!
いきなり洗濯機を勝手に使い始める。
突然の「スカルファックは?」という質問も、胸のとこにある“そんなもん彫ってどうすんだ!?”的な下手くそな図柄のタトゥーも危険人物の香りをプンプンさせてます。
脅されて友達と紹介することになったTJも、父親ももちろん歓迎ムードではありませんが、おばあちゃんは久しぶりの来客なのか楽しそう。
そして、言い方や喩え話はぶっ飛んでいるのですが、ヘッシャーさんはおばあちゃんには優しい。
TJを散歩に誘うも断られたのを見ると、「1時間早く起きて、ばあ様に付き合え!」と、至極まともなことを言うのです。
そうして、だんだん家族の一員と化していってしまう。
過激ながらも賑やかな日々に、再びの悲しい別れがやって来ます。
おばあちゃんの葬式でのヘッシャーさんの言葉も、TJや父親の行動にも、確かに遅過ぎたけど何とか約束を果たそうとするその姿と、そんでいいじゃないかという感じのヘッシャーさんにちょっとホロリ。
そして、来た時と同じように唐突にヘッシャーさんは消えてしまいます。
おみやげと自分の証しを残して。

あ、ナタポは……個人的にはこういう感じの方がいいですね~
何でもきちんとこなす優等生らしく、地味なレジ係もバッチリです。
脇をこなせる人って技術がいると思うのですよ。
悪目立ちし過ぎず、確かに存在していないとダメだし。
今までで一番いいナタポかも。

何だかワケ分からん記事になってしまいましたが、意外と拾いものと思える映画。
見た後、ほんわりと胸の辺りがあったかい。
思いもかけないお話でした。

余談ですが、突然の訪問者がその家に居座って家族を変えてしまう……
というと、『テオレマ』を思い出します。
まぁ、家族に起こる変化はまるで違いますけど……
でも、出来れば訪問者は美しい方がいいなぁ……
後が大変そうだけど(^_^;)
この時のテレンス・スタンプは本当に美しかった。
パリの病院に勤務する看護助手のサミュエル。
妻のナディアは出産を間近に控えており、2人は慎ましいながらも愛情にあふれた毎日を過ごしていた。
ところがある朝、サミュエルが目を覚ましキッチンに向かうと、突然殴られて気を失ってしまう。
携帯電話の音で目覚めると、電話の向こうから妻の泣き声が聞こえ、「3時間以内に病院から昨日事故に遭った男を連れ出せ。さもなければ妻を殺す」と脅迫される。
連れ出すよう言われた、昨夜交通事故に遭い意識不明の重体で病院に運ばれた男は、指名手配中の強盗殺人犯サルテだったのだ。
訳も分からないまま、誘拐された妻を助けるため、必死の覚悟で犯人の要求に従うサミュエル。
しかし、そのせいで彼もまた、警察からも追われる羽目になる。
誰も味方のいない絶望的な状況。
それでも、妻を救うためにサミュエルは全てを懸けて走り続ける……。

前作『すべて彼女のために』が、とっても良かったフランスの俊英、フレッド・カヴァイエ監督の新作。
前作では、無実の罪で捕らえられ、証人不在のため有罪になろうとする妻のために、限られたながらもそれなりの時間をかけて、素人の男が裏社会のことを学び、自らの手で脱獄計画を練ります。
しかし、今回は何てったって3時間。
でも、いわばプロとの逃避行。
短い時間の間に、サミュエルはそれなりに経験を積んでいきます。
ただ、プロの方は足手まといな彼と離れたがっているというところも、ミソ。
妻は無事に帰すと言われても、「あ、そうですか。じゃ、よろしく。」という訳にはいきません。
不本意ではあるけれども、警察に追われる男と行動をともにせざるを得ないのです。
初めは、サミュエルを鬱陶しいと思っていたサルテも、サミュエルの懸命さのためか、共犯として警察に追われる身になったためか、彼を信用するようになっていきます。
という訳で、何だかバディ・ムービーな様相も呈してきます。
『すべて~』では、「最後の30分でようやくアクションを起こすシーンを、今度は全部を使って撮ってみたいと思った」という監督。
今回は本当に冒頭からスピード感あふれる演出です。
中でも、地下鉄の構内を使ったシーンはスゴイです。
地下鉄が閉まる深夜1時から5時まで、5日間で撮りきったそうです。
サブ・ストーリーも盛り沢山。
警察内部の派閥争い。
組織との癒着。
裏切り。
家族の絆。
などなど。
とにかく、冴えない中年男が妻を助けるためにパリの街を必死のパッチで駆け回る姿は、まさに愛情のなせる技、なのでしょう。
こんなに盛りだくさんな中身なのに、観終わって電車に乗ったら、思っていたよりもずい分早い時間でした。
何と、全編で85分。
もう、本当にジェットコースター・ムービー!
そして、ラストシーンの演出も心憎い。

前作に続いて、ハリウッドに目をつけられそうな本作。
もうね。
リメイクなんかいいから。
吹替えでもいいから、このまま見てくれ、アメリカ人!
ナチス占領下のパリ。
ユダヤ人は胸に黄色い星をつけることが義務付けられた。
11歳のジョーは、星をつけてること、公園や映画館、遊園地への立ち入りが禁じられたことに腹を立てていた。
何かが変わろうとしていた。
しかし、ジョーと家族は、ささやかな幸せが続くと信じていた。
ある朝、荒々しいノックの音が彼らをたたき起す。
フランス警察だ。
1942年7月16日、夜明け前のパリで始まったユダヤ人の一斉検挙。
子供や女性、赤ん坊さえ冬季競輪場に押し込められ、5日間、水、食料もなく放置された。
医師はたった一人。
自分も検挙されたシェインバウム、それと数人の看護士が人々の治療を引き受けていた。
そこに赤十字から派遣された看護師のアネットが加わるが、とても追いつかない。
だが、それは信じ難い出来事の、ほんの始まりに過ぎなかった--。

50年もの間、公式に認められなかったフランス政府によって行われた、史上最大のユダヤ人一斉検挙。
「ヴェル・ディヴ事件」(冬季競輪場の名前に由来している)。
95年にシラク元大統領がフランス政府の責任を認めるまで、事件はナチスドイツによる迫害のひとつだと捉えられていたそう。
いったいフランスは、何をしたのか?

ユダヤ人達が黄色い星を付け、表立って彼らを嫌う人々もいる一方、今まで通り変わらぬ付き合いをしてくれる近所の人達もいる。
昨日まで仲良くしていたのに、人に言われたから、急に嫌うというのも変な話だものね。
それに、起こした事件も酷いが、他人に罪をなすりつけようといういうあたり、『カティンの森』を思い出す。
あのナチス・ドイツ怪物のしたことに比べれば、大したことがない(なんて、スターリンが思ってたらちょっと……)。
自分達は勝ったんだし、負けたやつのせいにしてしまえばいい。
というのは、あまりといえばあんまりな話。

さて、ユダヤ人の一斉検挙の噂が流れ、いつも見回りをしている巡査や、軍で働く女性から気をつけるようにと知らされますが、誰もが兵器工場に男手が必要なためだと思っていました。
しかし、ナチス・ドイツに言われたノルマを達成するため、また、面倒を見切れないとの理由で、ナチス・ドイツからは排除するように言われた子供達まで検挙のリストに載せられます。
ジョーの家でも、検挙の噂に長女は、どこかに逃げようと言いますが、父親はその費用も行く当てもない、第一逃げた知り合いは今は収容所じゃないかとなだめます。
気をつけるに越したことはないと、父親が家族と離れて地下室で眠った翌朝、フランス警察がやって来たのでした。
名簿に載っている筈の父親がいないと言う警察に、とっさの機転でつい先日亡くなったと言う母親でしたが、荷物を持って家を出るよう言われたため、ジョーは思わず「お父さんに言わないと」と、言ってしまいます。
彼には、母親が父親をかばって吐いた嘘が分からなかったのでした。
自分のせいで父親も捕まってしまったことに、どんなに傷ついたかと思うと胸が痛みます。
たとえ、父親が「家族一緒に居られた方がいい」と言ってくれても。
冬季競輪場は、満員御礼以上に人であふれ返っています。
2日分の食料を持ちだすように言われたものの、既にその2日は過ぎてしまい、水すらありません。
そこへ、ホースの点検に消防隊がやって来ます。
人々は水を出してくれると思い、大騒ぎ。
そして、隊長は警察に逆らって人々に水を配ります。
水を配る消防隊員は人々からたくさんの手紙を預り、投函することを約束します。
こんな風に、人には正しいことを選択できる余地があるのです。
でも、この時彼らを止めようとした警察官達のように、大きな力に逆らえず、流されてしまいがちです。
自分には子供がいるからという警備の警官に、看護士のアネットがここの子供たちのことはいいのかと詰め寄ります。
どちらも、同じ子供なんですけど、他の子供を犠牲にしても我が子を守りたいというのは生き物の本能なのでしょうか?
どちらも犠牲にしない方法を考え出すべきなのだと思うのですけどね、人間は。
結局彼らは、収容所に送られ、劣悪な環境で過ごした後、処理施設に送られます。
しかも、親と子供は引き離されてしまうのです。
最期の時すらも、親と離れ、心細く過ごさなければならないというのは、あまりにも不憫です。

終戦後、移送前に収容所を脱走したジョーがアネットと再会します。
彼女に「優しい人が養子にしてくれた」と笑顔を見せるジョーですが、養父母とかつては入ることを禁じられた遊園地にいるジョーの顔には何の表情もなかったように思えました。
「列車に乗った子は誰も帰って来なかった」
そう、アネットに聞いたジョーの心に去来したものは何だったのでしょう?

検挙されたユダヤ人は1万3千人。
名簿では府2万4千人の予定でしたから、1万人以上が匿ってもらったり、逃がしてもらったりしたようで、フランス人の心意気を感じるのですが、それと裏返しなのか、終戦後ナチスの兵士と付き合ってた女の人達に酷いことをしましたよね?
自分や家族を守るために仕方なくそうした人もいるだろうと、思うのですが、そういうところは思いやってくれないのね……。
と、思うと、何だか……(-_-;)
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