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私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。

赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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かうんたー
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フランス国内でツアーをしているニュー・バーレスクの一座“キャバレー・ニュー・バーレスク”。
普段、アメリカで活動している彼女たちのフランス公演の座頭はジョアキム・ザンド。
ツアーは港町を回っている。
フランスに来たからには、一番ありそうなパリの興行はやるのかやらないのか、ハッキリしない。
そもそも彼女たちは、ジョアキムがどんな人物なのかすらよく知らなかった。
移動の列車の中で、携帯電話で話していると、突然激高したジョアキムは、パリ公演がなくなったとみんなに告げる。
そして、それは喜ばしいことだと。
パフォーマンスの練習をする彼女たちにジョアキムがダメ出しをするが、ダンサーは自分のやりたい表現をすると反発する。
その夜、ジョアキムは車でパリに向かった。
パリ公演を実現するため、昔の仲間フランソワに会う。
2人は昔のボスでパリ興行の邪魔をしたシャピュイに会いに行くが、相手にされず、喧嘩になってしまう。
次にジョアキムは息子たちと落ち合うが、彼らを車に乗せると、急に思いついて病院に行き、入院中の知り合いの女性に相談するが、話はまたも決裂。
劇場に先に着いていたメンバーたちに、ジョアキムと息子たちが合流する。
翌日、ジョアキムは息子たちをパリ行の列車に送る。
しかし、同行していたミミともども、乗るはずだったボルドー行の列車に乗り遅れてしまう。
車で一行を追いかけることになった2人は、次第に距離を縮めいていく。

監督したのは俳優としての活躍ぶりを目にすることが多い、マチュー・アマルリック。
彼はこの作品で第63回カンヌ国際映画祭最優秀監督賞受賞したそう。

失敗して国を出た(追われた)男が、旅の一座を引き連れて祖国への凱旋を果たそうとするロード・ムービー。
といったところでしょうか?
ジョアキムは元々は成功したTVプロデューサーだったけど、何か失敗をやらかして業界どころか国にも居辛くなってしまい、妻子も置いて(離婚したみたいだけど)アメリカに渡ったよう。
どういう経緯で<ニュー・バーレスク>の面々のフランスツアーをすることになったのかは描かれない。
ただ、途中でダンサーのミミが言ったように彼女たちを国に帰る口実にしたのだろうか?
ツアーバスで回るのではなく、列車を乗り継ぐ旅にはアクシデントも付きもの。
ダンサーたちにも評判はよくない。
久しぶりに会った息子も面倒を引き起こしたりするし、ダンサーたちは言うことを聞いてくれない。
その上、肝心のパリ公演も決まらない。
もともとUターン禁止の道路で平気でUターンするような嫌な男だったのだろうが、成功している頃ならともかく、落ちぶれた今もイラつかせるのでは、最初は友好的に接してくれた知り合いもウンザリするだろう。
そんな小さい男を包み込むのがダンサーたち=女神たちなのだろう。
舞台でも、楽屋でも、そしてホテルのロビーでも明るい彼女達。
でも、実はみんな孤独を抱えている。
カエルにされた王子様は、女神のキスで王子になって国に凱旋しようとしたのだけど、女神のキスを受けても変わらずカエルの姿のまま?

思いどおりにはいかなかった。
それでも、何とか続けていくしかないんじゃない?
とりあえずキレイサッパリ過去を脱ぎ捨てて。
他人は忘れてくれなくても、とりあえず自分は捨てたつもりになれる、ハズ。

大団円ではないけど、HAPPYなエンディング。
場面場面は印象深いけど、少しまとまりがないように感じるのはロードムービーだからなのかな?
小説ではなくて、詩のような映画というか……
だからこそ、みんなそれぞれに心に残るものがあっていいのかもしれない。

エンドロールの終りの方、みんなが楽しげに何やら話しているのだが、字幕が出なくて残念だった。
大したことは喋ってないと思うけど、大したことじゃない会話が大事な気がするのだ。
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というのは、恰好いいという意味だよん。
『さすらいの女神たち』を見てきたのですが、予告編でも流れていたこの曲がホントかっこいくって!!
ここしかないってとこで、効果的に使われておりました。
タイトルが分かったので
てか、そのまんま歌ってたじゃんね(^_^;)
記事はまだ書けてないんだけど(とっとと書けよ;;)
youtubeで見っけたので、貼り付けときます。
CDも注文しちゃった!
えへへ、こうしてまた、貧乏にそして部屋は物だらけになっていくんだな(-_-;)
誰かどうしたらえぇか、教えてくだされ(T_T)
捨てるのは不安で心が痛いし苦手です……
ま、それはさておき
聴いてね。
ナチスの足音が近づくウィーン。
ユダヤ人画商のカウフマン家は、400年前にヴァチカンから盗まれたミケランジェロの絵を密かに所有しているとの噂が立った。
ある日、長くウィーンを離れていたカウフマン家の使用人の息子で、一家の息子ヴィクトルの親友でもあるルディが訪ねてくる。
ヴィクトルは彼をすっかり信用して、絵の在りかを教えてしまう。
実は、ナチスに傾倒していたルディは、軍で昇進するためにそれを密告、一家は絵を奪われ収容所へと送られる。
ナチスは絵を取引の材料にイタリアと優位な条約を結ぼうとするが、その絵は贋作だった。
本物の絵の在り処は父親しか知らない。
ヴィクトルは絵の在りかも分からぬまま、母の命を救おうとナチスを相手に危険な賭けに出る。
彼の作戦は成功するのか?
そしてミケランジェロの絵はどこにあるのか……!?

どうも、急に涼しくなりましたね。
身体がついて行かないせいか、先日より発熱気味……(-_-;)
またも、記事が遅くなってしまいました。

お気に入りのモーリッツ・ブライブトロイ主演作。
しかも、(SSの)黒服が相当見れそうという個人的には大変美味しい映画。

『ミケランジェロの暗号』というからには、絵自体に何か秘密の暗号があるのかと思ったら違った;;
ミケランジェロの絵を探すための暗号を解くという話、かな?
でも、この謎解き部分はハッキリ言って簡単で、多分殆どの人が主人公よりも早く解けちゃうと思うんですよね~(^_^;)
だから、楽しみはそれ以外の部分ですね。

さて、久しぶりにカウフマン家を訪ねたルディは、最初から何かを企んでたという訳ではなかったと思う。
店の窓ガラスにダビデの星を落書きした子達を追い払ったりしたしね。
うがった見方をすれば、それも作戦なんじゃ……となるけど、そうは思えない。
甘い?
元々家族同然に育った二人、しかも今も変わらず自分を大切に思ってくれていると思ったヴィクトルは秘密を打ち明ける。
秘密の共有は一番の信頼の印だもんね。
が、それを聞いてしまったが故にルディの心にモクモクといけない考えが……
きっと親衛隊に入るのも断られてたんじゃないかと思うんですよね~最初は。
育ちもまぁ、アレだし。
で、絵の情報と交換条件に、入れてもらった感じがする。
家族同然に育ったといっても、お金持ちなのはやっぱり自分じゃなくてヴィクトルな訳で、コンプレックスを感じるのは当然かも。
親衛隊に入るとなれば、まぁ、エリートと言ってもいいですし、自分の母親が使われていた一家はユダヤ人だし、まるっきり立場が逆転するという誘惑に抗えなかったのではないかと……

さて、絵を渡せば国外に出してやると言われた一家ですが、結局、収容所に送られてしまいます。
ルディには、予想外のことであって、世話になった一家をそこまで陥れる気はなかったよう。
絵が偽物と分かって、本物の在り処を吐かせようとヴィクトルに拷問がかけられます。
しかし、実はヴィクトル自身も絵の在り処はもちろん、偽物だったことすら知らなかったのでした。
ただ一人、真相を知る父親は収容所で既に亡くなってしまっていました。
手に負えなくなったウィーン在中のナチス軍、「ベルリンに連れて行こう」となります。
その途中飛行機はパルチザンに撃ち落とされ、ヴィクトルと同行していたルディ以外は皆死んでしまいます。
迷ったものの、ルディを放っておけなかったヴィクトル。
2人が逃げ込んだのはパルチザンのアジト。
帰ってきたら襲われると怯えるルディにヴィクトルは自分の服(収容所で着せられるヤツ)を貸してやると言います。
ルディの黒服をいったんは隠そうとしたヴィクトルですが、何故か着て戻って来る。
と、そこに現れたのはパルチザンじゃなくて、飛行機墜落の情報を得たナチス兵士だったのでした。
立場逆転。
入りたてのSSと、ユダヤ人。
顔を知っている人はわずか。
本当は絵の行方なんてさっぱり知らないヴィクトルはハッタリをかまし続け、幸運も働いて、母親を収容所から出すことに成功。
この辺りは結構クスクスッと笑わせてくれます。(大笑いな人もいたけど;;)
後半は結構サクサクっと進み過ぎたかな~と思うので、もう一捻りあってもよかったかなと思うのですが、ラストシーンのニンマリ顔にこっちもニンマリ。
でも、ルディも気づいたと思うんだね~あの瞬間。
あの後、彼が何も言わないのか、何かするのかもちょっと気になるところ。

タイトルから連想される謎解き要素はほぼ皆無ですが、悲惨さの少ないナチスとユダヤ人のお話。
辛い時こそユーモアを。
難しいけどね。

さて、やっぱり黒服とかあの軍服とかは、彼の民族ために作られたのだな~と思いますね。
ハリウッド映画とかでアメリカ人が着たりすると何だか変で仕方ないし、イギリス人もやっぱり違う。
あの腰や肩の厚みがあってこその美しさなのだなと思います。
念のために言うけど、私は服飾として、あの軍服が美しいと思うのであって、思想的に傾倒しているということはない。
興味深くはあるけどね。
スペイン内戦下のマドリード。
喜劇役者のホルヘは、裕福ではなかったが、愛する妻と息子と幸せに暮らしていた。
ある日、舞台を終え、家に帰る途中に爆撃に遭う。
家へと急ぐと、そこはがれきの山だった。

1年後、内戦が終わりホルヘが劇団に戻ってきた。
相方のエンリケと再会し、戦争で両親を失いエンリケに引き取られていたミゲルという少年とともに3人で暮らすことになる。
食料にも事欠く生活。
三人は何とか飢えをしのぎ、つつましく暮らす。
だが、ホルヘは、亡くした息子を思い出すからなのか同じ年頃のミゲルに冷たく当たってしまう。

スペイン内戦終了後、フランコ政権は反体制派に対して厳しい弾圧を行っていた。
行方不明になっていた一年の間に反フランコ派に関与したとして、ホルヘはマークされてしまう。
さらに、軍はホルヘの監視のため、劇団に内偵者として送り込む。
劇場や巡業先にやって来ては、軍人達が執拗に反体制派摘発の圧力をかける。
おびえるエンリケは、しきりに海外への脱出を主張するが、ホルヘは断り続ける。
ある日、劇場で上映されたニュースフィルムに、ミゲルは亡くなったはずの母親の姿を見つける。
喜ぶミゲルに、「期待するな」というホルヘだったが、ミゲルの母親を見つけ出し、一人で会いに行く。
彼女は、内戦のショック記憶を失ってしまっていた。
そんな彼女に、ホルヘはミゲルを見込があると褒め、自分が面倒をみると話す。
いつしか、ホルヘはミゲルを息子のように思い始めていたのだ。
そして、「いつか、2人だけのネタを作ろう」とミゲルに約束するホルヘ。
ミゲルの存在が、彼の心の傷をいつしか癒していたのだ。
ある日、軍の命令で、ホルヘ達の劇団は独裁者フランコ総統の前で公演を行うことになる。
いよいよ本番が迫った時、ある陰謀が明らかになる。
それを知ったホルヘは、ミゲルとエンリケとともに、ついにブエノスアイレスへ脱出することを決意する。
彼らに待ち受ける未来とは!?

また、日にちが空いてしまいました<(_ _)>
週末、ウチにいるのにビッ■カメラにいるかと思うくらい息苦しくて……
鬱ですか……やっぱ;;

さて、劇場でビックリしたのは混んでる!ってこと。
だって、スペイン映画だよ!!
そんなに評判の作品だったのか~知らなんだ;;

もう、あらすじの通り(コラコラ;;)
心に傷を負ったおじさんが、これまた心に傷を負った少年との交流を通して立ち直っていく話。
おじさんも少年もね。
スペイン内戦とか映画にはよく出てくるのですが、正直言ってあんまりよく知らなくって……;;
不勉強で申し訳ない。
フランコ政権もファシズムなのかな。
強大な力を持った権力者というのは、ま、そういう人が必要な時もあると思うんだけど、いつまでも力を持っていると厄介なんだよね。
喜劇っていうのは、やはり風刺劇なんだな~と。
チャップリンの独裁者しかり、モンティ・パイソンしかり。
それが、彼らの戦う手段なんだね。
話はちょっとそれまして
エンリケ役はロスト・アイズの素敵な旦那様だった人。
この人、芸人でGAY人なんだね。
バーでかな、ウェイターが彼を気遣ってそっと手に触れるんだけど、その返事にそっと、ホントにそっと指に触れるのが、うぁあっ!!ってなってしまいました。
私だけ?
何か、メッチャ切ないやん(@_@。
今でも、なかなか大っぴらにするのは難しかったりすることですけど、この時代だと命にかかわるだろうしね。
ナチス・ドイツみたいに排除すべき対象になっていたと思われる節がうかがえます。

とりあえず、踏ん張って生きよう。
そうすれば、も少しマシな明日が来るかもしれない。
もちろん、来ないかもしれないんだけど……
それでも、希望と楽しみは持ってなきゃ………という映画、ではないかも;;
人は人が癒す。ということかな。
喜劇とか音楽とかも、やっぱ人が作りだすものだしね。
うぅむ。
見てから時間が経ってしまったので、その時感じた通りに書けていない気がします(-_-;)
ちょっと見た順番と前後しますが、早くご紹介したいので。
お話は
ローマに住む作家志望の青年トンマーゾ。
実家は南イタリアのレッツェにある老舗のパスタ会社。
兄のアントニオの新社長就任が決まり、共同経営者一族の晩餐会が開かれることになり、里帰り。
彼には三つの秘密があった。
一つは、経営学部ではなく文学部を卒業したこと。
二つ目は、小説家になりたいこと。
そして三つ目は最大の秘密……(予告で言ってるから書いちゃうね)自分はゲイだということ。
みんなの前で発表する前に、先にアントニオにそれを打ち明けた。
黙っていればいいじゃないかという兄に「勘当されれば自由になる」というトンマーゾ。
そして、いよいよその時がやって来た。
が、アントニオが先を制して驚愕の告白をしてしまう。(これまた予告にあるから書いちゃうよ)
「僕はゲイだ。」
父ヴィンチェンツォは激怒しアントニオを勘当、ショックのあまり、そのまま倒れてしまう。
何とか持ち直したヴィンチェンツォは、トンマーゾにすがりつく、「お前しかいない」と。
秘密を告白することも出来ず、工場経営も任されることになったトンマーゾ。
一家に平和は訪れるのか?
トンマーゾの作家になるという夢はどうなってしまうのか?

マドンナも大絶賛という本作。
本当に音楽の使い方も最高、ストーリーも◎です。
まあ、目新しいテーマはないといえば、そうなんですけど。

冒頭、荒れ野を行くウェディングドレス姿の美女。
もう、これだけでグッと掴まれちゃいますね。
これは、祖母の回想であると分かるのですが、ここもですが、何度かある回想シーンはセリフが全くないのです。
だけど、何かスゴく伝わって来るものがある。
元々原題は“MINE VAGANTI”浮遊機雷のことだそう。
まぁ、地雷の海版というか……ブイみたいな感じで海をプカプカ漂っていて、船が触れるとドカーン!という。
つまり、いつ何をしでかすか分からない人、というような意味らしいです。
で、これはおばあちゃんのこと。
パッと見、そんな感じは全然しないおばあちゃんなのですが、回想シーンで過去が明らかになるにつれて、だんだんと分かって来る気もします。
パスタのことも経営のことも全然分からないながらもとりあえず父のために頑張るトンマーゾ。
共同経営者の美人だけど変わり者らしいアルバとも、いい雰囲気になるんですけど、もちろんいい仲になったりはせず。(なったらどうしようかとドキドキした;;)
アルバの方はどうも彼に思いを寄せているようなのですけどね。
記念のパスタ作りのために四苦八苦しているトンマーゾの元に、ローマから友人達がやって来ます。
その中には恋人のマルコの姿も。
海でのバカンスに行く途中、ちょっと立ち寄ったという体なのですが、家族に引き留められ泊ることに……
どう見たってゲイゲイしいんだけど、一応頑張って隠そうとするところも、笑わせてくれます。
ここまで、割とシリアスに進んでいたストーリーですが、彼らの登場でグッとコメディ寄りに。
それと、本当に画面が明るくなる。
それまでも、アルモドバル・チックな色遣いで(叔母さんの真っ青なガウンとか)華やかなんだけど、本当にパーっと明るくなるのです。
陽気な踊り子さん達(海でのシーンが好き!)が、帰った後、トンマーゾの中で何かが変わる。
姉が実は自分のことをゲイだと気づいていたと知ったり、祖母が兄のことを知っていたことを知ったり、本当の姿で生きる友人達を見たり。
何が自分の幸せなのか?を考え始める。
おばあちゃんは言う「人の望み通りの人生なんてつまらないわ」
そして、それは、そう生きざるを得なかったおばあちゃんの本当の気もちだったのだろう。
後悔し続ける人生なんて、きっと辛いばかり。
人を恨んだり、勇気のなかった自分を恨んだりして、年月を過ごすなんて……
家族だから、言えないこともたくさんある。
だけど、家族だから、いつかは分かりあえるんじゃない?
まぁ、本当のところはどうなのか分からないんですけど、そうであって欲しいよね。
何だかよく分からない邦題なんですけど、明日は今日よりもちょっぴり上手く生きられるようになる、かもしんない。
という、希望が込められているのかもしれない。
この映画のラストを見ると、そう思う。

この映画、初めに書いたとおり音楽がとってもいい。
中でも何だか懐かしい響きのこの曲は、観終わった後、頭の中をグルグルすること間違いなし。


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