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私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。

赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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ローマ帝国の繁栄も過去のものとなりつつあった4世紀末。
だがエジプトのアレクサンドリアはその美しさを保ち、また学問の中心であり続けていた。
そんな土地であっても珍しかった女性天文学者ヒュパティア。
彼女は美貌と知性に恵まれ、多くの弟子たちから慕われていた。
彼女に愛を告白する者もいたが、ヒュパティアは学問に一生を捧げると決意していた。
当時の人々は古代の神を崇めていたが、ユダヤ教とキリスト教が勢力を広げつつあった。
キリスト教徒達に古代の神々を侮辱された科学者たちは、彼らに報復しようとする。
ヒュパティアはローマの長官に訴えるべきだと反対するが、決定権を持つ父テオンも報復に賛同してしまう。
一時は優勢だったものの、多勢を集めてキリスト教徒や修道兵士がやって来て、科学者たちは何とか図書館に逃げ込んだ。
ローマ皇帝によって下された裁きは、科学者達の罪は問わない代わりに、図書館を放棄するというものだった。
少しでも多くの書物を運び出そうとするヒュパティアは取り乱し、彼女の奴隷であったダオスに厳しい言葉を浴びせる。
傷ついた彼は、その場に残り、キリスト教徒達とともに、神々の像や図書館を破壊する。
この事件以来、アレクサンドリアではキリスト教とユダヤ教のみが認められることになり、多くの人がキリスト教に改宗した。
数年後、改宗したオレステスはアレクサンドリアの長官に、ヒュパティアの生徒であったシュネシオスは主教に、ダオスは修道兵士となっていた。
しかしヒュパティアは、変わらず、地球と惑星の動きを解明しようと研究に励んでいた。
やがて、キリスト教徒はユダヤ教をも弾圧し始め、主教キュリロスはアレクサンドリアの支配を目論むようになる。

封切直後に見て来ましたよ。
珍しいでしょ。
だいたい休日は引きこもりで無気力なんですけど;;
調べたら上映時間が平日の鑑賞は無理なようだったので……
どうしても見たかったし。

宇宙から見た地球、そしてエジプトの映像が何度も挿入されるのが印象的。
現在では当時のアレクサンドリアの栄華を偲ぶものは何も残っていませんが、はるか上空から見るとほとんど何も変わっていないのですよね。
ヒュパティアを演じるのはレイチェル・ワイズ。
何かを発見したり、思いついたりした時の無邪気な表情、キラキラとした瞳。
ピッタリの配役だったと思います。
実際のヒュパティアはもっと近寄りがたい人だったようですが……
当時は“結婚”したら、仕事を続けるわけにはいかなかったようで、そのことも誰の求愛も受けないと決めた原因のようです。
が、何よりも学問に惹かれていたというのが、本当のところでしょうか?
弟子達が宗教のことで揉めた時も「私達は皆、同じ人間で兄弟」だと言います。
ただ、この時、争いは下層民や奴隷の物と、言ってしまうところは、この時代ではかなり先進的で平等な物の見方をしていたヒュパティアといえども支配階級の人だったのですね。
奴隷であるダオスの作った天体模型に感心し、自分の講義中に彼に説明させたりもしていたのに、です。
そばに控えていたダオスの辛そうな表情が印象に残ります。
やがて、キリスト教の包囲網とでもいうべきものがジリジリと彼女に迫りますが、彼女は押し付けられる信仰を拒みます。
ヒュパティアは特に古代の神々を信仰していたという訳ではないようですが、彼女にとっての信仰の対象は学問であり、無理強いされることを何よりも嫌ったのです。
この時代じゃないけど、「剣かコーランか」というのもありましたね。
無理強いされた人間が心から、その神を崇める気になるとは、とても思えないのですけど、どうしてそんなことまでしたいのか、多くの日本人にはなかなか理解しがたいことだと思います。
よその神さんなんか放っとけばいいやん!と、思うんですけどね。
自分達の神が唯一と思っているとしたってですよ。
「あいつらの神さんなんか嘘もんやのに、アホやな~ふふん」で、済まされへんのかな~?
ねぇ?

そこは置いといて
と言いたいところですが、そうもいかないのですね。
この時代は、下層の人達の支配者への不満がキリスト教と結びついてとんでもない暴動になり、街や当時世界中の英知を集めた図書館を破壊しました。
ふと、思えば、現代の私達も同じような光景を何度も目にしてきましたよね。
着ている物や手に持っている武器が違うだけ。
同じようなことを何度も何度も繰り返してきたのに、まだ懲りないんだな~と思うと、何だか悲しくて……
歴史は繰り返すとはいえ、学習してなさ過ぎじゃないの?っていう。

キリスト教がユダヤ教を迫害するようになった時、火の中を渡るという奇跡を行った修道兵士アンモニオスにダオスが尋ねます。
「イエスは許したのに、何故許せないのか?」
アンモニオスは「イエスは神だから、でも、俺は人間だし許せない」と答えるのが、不思議で仕方なくて……
愛して信仰している神様なんだから、気持ち的に無理があるけど頑張って見習おう!って、ならないの?
ならないのかな~?
自分が許してあげたのに、自分を信仰しているって言う人間が許さないのって嫌だと思うんじゃないかな~と思わないのかな?
理解出来ないのは私が無宗教だから?(嫌な感じがしたら、数珠は身につけるけどね;;)
でも、何かね~
あまりにも不寛容だと思うんだな。
宗教で大事なのは『赦し』だと思うんだけど、人としてもね。
難しいことではあるけど。

さて、アレクサンドリア長官であるオレステスは自分の師であり、愛する人でもあるヒュパティアを出来る限り護って来たのですが、それももう出来ないと、シュネシオスとともに改宗を勧めますが、彼女は拒否します。
キュリロスに負けたくないというオレステスでしたが、こんな行動に出ること自体、既に屈しているということですよね。
改宗もせず、学問を志すヒュパティアにキュリロスは『魔女』の烙印を押します。
そして、ヒュパティアは非業の死を遂げるのです。
ただ、映画の方は、彼女を思いやってか、悲しいけれども少しは安らかな最期です。

遠い遠い何世紀も何世紀も昔の物語であり、宇宙から見た地形のように今も変わらない物語でもあります。

ブラックホーク・ダウンの時も何でこんなに悲しいのかよく分からないと思いながらずっと泣いていましたが、これもそんな感じでした。
変わらない地球の姿に、美しい星空に、争ってばかりの人々に、破壊される街に、そしてヒュパティアの過酷な運命に、多分泣く、と思う方はハンドタオル持参でお出かけください。
まぁ、皆さんは私ほど泣き虫ではないと思いますけど……(~_~;)

アレハンドロ・アメナーバルが歴史スペクタクル?と思ったけど、この監督はやっぱり上手い。
いい映画でした。
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西九龍署・刑事課へ配属された新人のホー刑事は、奇妙な犯罪検証を行う先輩刑事バンに出会う。
吊された豚を斬りつけたり、スーツケースの中に入ると階段から落としてくれと言ったり……
自分を殺人事件の被害者と同じ状況に置くことで犯人が思い浮かぶのだった。
比類ない直感と推理。
だが、バンの行動はだんだん常軌を逸していると見られるようになる。

夜間、張り込みを行っていた刑事、コウとウォン。
2人は容疑者を追いかけて森へ入るが、ウォンだけが行方不明となる。

現在。
今は刑事を辞めたバンの元へ、5年前に2日だけ共に働いたという後輩刑事ホーが現れる。
ウォンの失踪事件から18か月。
失踪後にウォン刑事の拳銃を使った強盗事件も発生していた。
捜査を引き継いだホー刑事は、暗礁に乗り上げた事件解決の糸口をつかもうと、バンの意見を求めてやって来たのだった。
2人は共に捜査を開始することに。
コウを尾行し始めると、バンは、コウに7人の異なる人格が宿っていると言いだす。
彼には、中に宿る別の人格が見えるというのだ。
森の中でウォンの気持ちに近づくため、自ら土に埋まろうとするバンに取って代わるホー。
重い砂を払いのけ、やっとのことで起きあがるとバンの姿はなかった。
コウの犯行を確信したバンは、コウ刑事の所へ向かっていたのだった。

ラウ・チンワンか~久しぶりだな~
という訳で、見て来ました。
ジョニー・トーにはそんなに思い入れはないです(笑)
予告編を見た時はあんまり変わってないと思った彼ですが、やっぱり老けましたね、当たり前やけど。

最初、コンビニかどっかのシーンでは霊でも見えるのかと思ったら、そうじゃなくて中の人格が見えるということらしい。
コウ刑事の後をその人格7人がぞろぞろと歩いているシーンが可笑しい。
撮りようによってはコメディーになると思うのだが、あくまでもシリアス。
しかし、アレ?と思う。
7人は7人とも他の人格のことも知っているらしい。
ということは、いわゆる人格乖離ではないらしい。
人格乖離だと、お互いのことを知っていることはほぼないらしいからね。
核となる人物(現実世界を生きている自分ではないことがほとんど)が何人かの存在や性格を把握していてある程度仕切っているということはあるらしいけど。
だから、ホントに乖離しちゃった別人格ということではなくて、オッサンの中に残っている少年の部分とか、乙女な部分とか、オバハンな部分が形を持って現れるという感じのようだ。
それを実際に目に見えるようにしてしまうという、アイディアは面白いね。
事件そのものは、メチャクチャ複雑ってこともないし、私達もコウがやったに決まってると思っている訳で。
つまり、警部コロンボみたいに初めから犯人は分かってて、それをどう推理し真相に近づいていくのか…というお話。

初めは、新人刑事の頃に自分の目でバンの力を見て、信頼しきっていたホーも着いていけない部分が多過ぎるためか、バンの力に懐疑的になっていく。
しかも、そんな頃にバンの元妻に会い、病院に行っていないとか、薬も飲んでいないとか言われたら、自分のしたことも疑うよね。
で、当初はバンにも何も見えていなかったホー刑事の中に怯えた少年が顔を出す。
まぁ、誰でも色んな部分があるよね。
それを人格とまで言っていいのか分からないんだけど。
ホー刑事のバンへの信頼と自信の喪失とともに、私達もちょっとずつ疑い始める。
これはもしかしたらとんでもないどんでん返しがあるんじゃない?

ラストの見せ場は何と言ってもジョニー・トー印の銃撃戦!
そんなに鏡バッカの部屋なんかあるかよ~と言いたくなるけど、そこはグッと堪えて。
自分も銃弾を受けながら、相手に銃を向けるバンが、留めようとする自分の問いかけに答える時、ハッとする。
かもしれない。
そして、ラストは
どんでん返しだったけど、想像と違ってたな~
ほほぉ、そう来ますか。
これは、人格乖離の話じゃないんだけど、共通する部分もあるようで。
新たな人格が出来る時は、自分じゃ対処できなくなって誰かに何とかして欲しい、また、これは自分の身に起こっている出来事ではない、と強く強く思った時に起こりやすいらしい。
で、二重人格とかよく聞くけど、そういうことはあんまりないらしい。
一度、新しい人格で上手く乗り切れた時、その経験が『いい方法』として刻み込まれる。
そして、今度は以前ほど酷い状態でなくても新しい人格を作ってしまうらしい。
つまり、困ったことが起こるたびに対処してくれる人格が出来る、まぁ、それは大げさだけど簡単に言うとそういう感じらしい。
そういう、別人格とまで言わないようなものだけど、緊急の事態に対処出来るよう何らかの力が働くのかも。
女性の描き方には定評のないジョニー・トーですが
ずる賢く仕切るのは女の仕事と思っているのか?
それとも、守護者は女であるべきと思っているのか?

ラウ・チンワンって、初めて見た時、珍しい顔の人だな~と思ったんですよ(笑)
何かに似てる気がするって、ずっと思ってたんですけど、フッとね。
ベロに似てない?ベロ!
早く人間になりたぁ~い!!
ベロは好きだよ。
ベラも美人だし。
ベムは……お洒落さんやね。
オープニングで本当の姿になった時は、怖くって下向いててんけど(>_<)
子供の時やで。

そうそう、ハリウッドでリメイク決まってるんだって。
誰がやるのかな?
1967年。
アメリカ中西部郊外の住宅地にマイホームを構える物理学教授ラリー。
地元の大学で教鞭をとる平凡で真面目な中年のユダヤ人を次々に不運と不幸が襲う。

っていうだけの話(笑)
まぁ、予想はしてたんだけど、「…で!?」っていう、ラスト(^_^;)

キリスト教についてもあんまり知らないし、ましてやユダヤ教なんてもっと分からない。
だから、ユダヤの小さいコミュニティーに暮らす、多分敬虔なユダヤ教徒のことなんて分かる由もない、ので、「へぇ、そんなことが…」と思ってばかりというか。
とはいえ、どこの家庭でも問題や秘密があるもの。
ラリー達の家には、いとこ?兄弟?のアーサーが居候になってもうずいぶん経つ。
娘のサラは、鼻の美容整形を計画しているし、息子のダニーもマリファナに手を出している。
オマケに、妻からは急に別れたいと言われてしまう。
宗教上、普通に離婚が出来ないのか、江戸時代の三行半みたいな離縁状を書いて欲しいという。
つまり、夫側から切ってくれって訳だけど、離婚なんて青天の霹靂なラリーは驚き戸惑うばかり。
また、ラリーが落第点をつけたアジア系学生が不満を言いに来た後、現金入りの封筒が残される。
さらに終身雇用の試験?中の大学にはラリーを誹謗中傷する匿名の投書が届いていると言われ、ジュディス、と再婚相手からは、家を出て行ってくれと言われ、アーサーとモーテルに移り、ワイロ学生の父親が名誉毀損で訴えると押しかけてくる。
不幸の連続を友人に訴えるとラビに助言をしてもらうように勧められる。

けど、誰も何の解決法も持ってないんだよね~だいたい
占いとかも、その人の言って欲しそうなことを察して言うらしいし、偉いお坊さんとかもためになる話はしてくれても、それがズバリ自分の解決法になるかと言ったら、やっぱ違うでしょ。
まぁ、それで「あ、こうしたらえぇんちゃうん!」という、気付きを自分が出来るかどうか、なんだろうな~

その後もラリーは大小様々の不幸に襲われる。
もう、ここまで行くと笑っちゃうしかない気もするけど、当人はそういう訳にもいかないか。
開き直れない、『まじめな人』だから、ドつぼにハマっていくのか……
だんだん、まじめな人じゃなくて、深刻な人に思えてくるんだけどね、ラリー。

繰り返し出てくる、ジェファーソン・エアプレーンの曲が何かもう、ここしかない!ってとこに入ってる(と、思う)。

ラリーの息子が授業中に聴いてて取り上げられたラジオから流れていた曲の歌詞は、ラリーが切望しても会えなかったラビの口から息子ダニーに語られる。
偉いラビの言うことも、ロックの歌詞も似たようなものってことなのか……
要は、受け取る方にかかってるってことなんじゃないのかな。

世の中、不公平で不条理で、まじめに生きてたって不運と不幸のエンドレスにハマったりするけど。
結局、自分で何とかするしかないんだね~残念だけど。

When the truth is found to be lies
and all the joy within you dies
don't you want somebody to love
don't you need somebody to love
wouldn't you love somebody to love
you better find somebody to love

あ、1967っていうLOVE&PEACE前夜っていう時期も大事なんだろうね~。
しかし、この映画、もう公開されないんじゃないかと思ってたんだけど……
あれかな、『トゥルー・グリッド』とバーター?
ジョージ6世は、幼い頃から吃音というコンプレックスを抱えていた。
そのため、人前に出ることを嫌う内気な性格となった。
父王ジョージ5世はそんな息子にも厳しく、様々な式典のスピーチを容赦なく命じた。
ジョージは妻のエリザベスに付き添われ、吃音を改善しようと何人もの医者や言語聴覚士を訪ねるが効果は表れない。
ある日、言語障害専門と看板を掲げるライオネル・ローグのもとへ。
自分ならば治せるというライオネルだが、治療は他の患者同様に彼の診察室で行うという条件をつける。
ジョージがライオネルのもとを訪ねると、彼はここでは私たちは平等だと宣言し、王太子を家族だけが使う愛称『パーティー』と呼び、煙草も吸わせない。
ライオネルはジョージにハムレットの有名な一節を朗読するよう言い、絶対につっかえずに読めると懸けをする。
大音量で音楽が流れるヘッドホンをつけられ、シェイクスピアを朗読するという奇妙な治療に、ジョージは自分には合わないと告げ、出て行ってしまう。
だが、またスピーチに失敗したジョージは、腹立ち紛れに診察室からの帰り際ライオネルに渡された自分の朗読を録音したレコードをターンテーブルに乗せた。
すると、どうしたことか。
つっかえることなくハムレットを朗読する自分の声が……
再びライオネルを訪ねたジョージは、その日から彼の指導のもとユニークなレッスンに励む。

ホントは、アカデミーを獲る前に観に行っておきたかったんですけど、(混雑するから…みんな賞を獲ったとかいうと俄かに来るんだよね。いいんだけど…)他にどうしても見たいというものもなかったし。
座席を予約できる所なら、まぁ、満員でもね。
席はありますから。

観終わって、アカデミーは久々にアカデミーらしい作品に賞をあげたんじゃないかと思った。
昨年の『ハートロッカー』は、私は好きだけど、というか、好きだからこそオスカーを、しかも作品賞で獲る、ということには違和感があった。
自分の好きな映画は、ベネチアやカンヌで勝ってもアカデミー会員にはイマイチ好かれないらしいことを何度も感じてきたからだ。
『ハートロッカー』は、いい映画だと思うのだけど(何度もいうけど私は好きだ)、ちょっと、通ぶって無理してるんじゃないの、アカデミー会員は?
と、思わなくもなかった。
失礼かもしれないけど、もう少し大衆好みな作品にアカデミーはいつも賞をあげてきたと思うんだな。
ここ何年かは違うけど、もっともっと以前はね。
英国の歴史物が強いというデータもあるけど、観終わった後に温かな余韻の残る映画がオスカーにはふさわしい気がする。
まぁ、気がするだけだし、個人的には『悲劇』が好きなんだけど。
まぁ、何ていうか中心に据えられるのは『愛』であるべき、という感じかな~?

さて、これは苦難を乗り越えて国民に最も愛されたといわれる王の第一の難関を乗り越える様を描いた映画ではないかと。
厳しい父親や、好き勝手やり放題の問題児の兄との関係を描く家庭のドラマであり。
献身的に夫を支える妻とそれに応えようとする夫の愛情の物語でもあり。
国王と平民という身分を超えたオッサン二人の友情物語でもある。

さて、ジョージ5世が亡くなり長男のエドワードが即位する。
が、彼は、かねてから交際中のアメリカ人で離婚暦のあるウォリス・シンプソンとの結婚を望み、王位か恋かの選択を迫られる。
彼は王位を退くことを決意する。
ジョージは思いもかけず、国王となることに……
そのために必要な、王位継承評議会のスピーチは上手くいかなかった。
しかし、ジョージはライオネルと特訓し、戴冠式のスピーチを無事に乗り切る。
だが、さらなる試練が彼の前に……
ナチスドイツとの開戦直前、王は国民の心をひとつにするため、世紀のスピーチに挑む……。

次男坊とはいえ、様々な行事に引っ張り出されてはスピーチをさせられてきたジョージ。
それさえも上手くこなせなかったのに、国王となるとさらに大変!!
そんなすぐに治るなら誰も苦労しないしね……。
でも、やっぱり王様なんだから虚勢だろうと何だろうと張って、「あぁ、この人信頼できるなぁ…」と国民に思わせなきゃいけないのだ。
ジョージ5世の言葉が印象的。
「我々王室は最も卑しい者となった。」
それは、まぁ、言い過ぎじゃないの?ですけど、自分のやりたい通りにやりたいことだけやるというのではなく、民のご機嫌をうかがわねばならないのだものね。
ライオネルの治療で、吃音の原因は幼い時に感じた恐怖や抑圧にあるということが分かっていく訳ですが、それだけでなく、何故上手く話さなければいけないのか?
という問いに自分で答えを出していく。

王冠を懸けた恋、という、まぁ世紀のロマンスの陰で重荷を背負いながらもスンゴク頑張った王様の話。
そら、まぁ、聞く分にはロマンチックな気はしますけど、色々な決まりごとがあるし跡取りになるのは嫌や~って飛び出した兄ちゃんは阿保ボンにも思えるし……

史実と違うとか(そら、そうやろ)色々批判的な意見もあるようですが、誰もがいいと思うなんてことあり得ないし、批判も興味の内だと思うしね。
ま、何ていうか、いい映画だったと思う。
クライマックスである開戦のスピーチに臨む2人は指揮者と演奏者のようでもあるけど、指揮者の方が絶対に偉いってこともなく……
一風変わったバディームービーとも言えるので、点が甘くなるのは、仕方ないね(笑)

そうそう、ヒュー・グラントがジョージ6世役のオファーを断ったのを後悔してるとかいう噂だけど、ヒューにはコリンに感じる屈託があんまないんだね。
だから、彼がやったら、こんなに上手くは行かなかったと思うよ。
違う良さがあっただろうけど。

あ、この映画のことを知った時に、『わが教え子ヒトラー』を思い出したんだよね。
こっちは、フィクションだったと思うけど、スピーチが出来なくなってしまったヒトラーと彼の治療にあたったユダヤ人演劇家の話。
こちらも、おススメです。
てか、個人的にはこっちの方が好きかも。
亡くなったんだそう。
御歳89、ということだから大往生なんだろうけど。
こういう
何ていうか
見てうっとりしちゃうような女優さんは、お目にかかることは少なくなりましたね。
コレ↓ はマリリンと共演した『紳士は金髪がお好き』。

jane
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