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私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。

赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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かうんたー
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女は張り詰めた表情で、競馬場を歩き回る。
誰かを探しているようだ。
諦めかけたその時、目当ての人物を見かける。
一年前に別れた男 ビョンウンだ。
彼女、ヒスは、彼に貸したままになっている350万ウォンを返してもらうためにやってきたのだった。

ビョンウンはヒスに再会しても、うろたえる様子は全くない。
返済を迫られて、返すと返事をするものの、すぐに返せるお金などありはしない。
ビョンウンは2、3日で振り込むと約束 するが、ヒスには全く信用が出来ない。
どうしても、今日中に帰してくれと言い張る。
そうして、ヒスは、借金を返済するためのビョンウンの新たな借金行脚の一日に付き添う羽目になる。
そして、それは、ヒスが知らないビョンウンの女たちに出会う旅でもあった…

韓国映画を好んでみることはあまりありませんが、この映画でビョンウンを演じるハ・ジョンウはとても好き、というかお気に入り、というか、彼が出ているなら期待出来るというか……
見る度に、まるで違う人みたいなんですよね。
と言っても、肉体改造したりする訳ではありません。
そりゃ、多少はあるでしょうけど。
大きく外見が変わった訳ではないのに、纏っている雰囲気が全く違うというか。
『チェイサー』を見た後、『国家代表』の試写会に誘ってもらった時、ボブ役の人って見たことあると思うんたけど、誰だったろう?という状態だったのです。
後で、チラシをしっかり見て「あ、ぁあ~」と。

今回は無職の甲斐性ナシなのに、前向きというかお気楽というか、呆れちゃう程のん気というか……
それでいて憎めない男。
ま、この『憎めない』というのは、彼の演じる男の共通点かもしれないですね。
さて
350万ウォンてどれ位なのか始めよく分からなかったんですが、ヒスがコンビニで買ったアイスが1000ウォンということは、レート的なことはともかく大体のウォンの値打ちとしては日本円の1/10位と考えていいようです。
ということは、借金は35万円。
私にとっては、かなりの大金ではありますが、一般的には大金と言うともう少し上の金額なのではないでしょうか?
大体、一年も経ってから何故?
と、借金行脚の途中で訪ねた先の女性に尋ねられたりもしますが、ヒスにはヒスの事情があったのです。
こちらは、おいおい明らかになっていきます。
借金行脚の手初めは、女社長。
ゴルフ談議なんかをした後、ビョンウンは一体どんな説明をしたのか、彼女は「若いお嬢さんが困っているなんて気の毒だわ」と100万ウォンを差し出します。
ヒスに礼を言うように言うビョンウン。
ヒスにしてみれば、自分はビョンウンに貸したお金を返してもらうだけなのに、何故見ず知らずの人にお礼を言わされるのか納得いきません(そりゃ、そうだ)。
それに、女社長とビョンウンの関係もちょっと気になる。
もちろん、観ているこちら側も気になります。
訊かれてビョンウンは「社長はやり手で男女の関係で金を貸してくれるような甘い人じゃない」と言い切ります。
甲斐性ナシの彼は意外にも信用があるようです。
その後も会う女性、会う女性、いやいやではなくどちらかというと喜んでビョンウンのためにお金を工面してくれます。
誰もが彼を好きなようです。
いい人だと口々に言うのです。
もしかして、ホントにいい人だったのかしら?
ヒスの気持ちにシンクロさせられるような構成が、ホントに上手い。
地下鉄の中で、ヒョードル(エメリコ・エンヤ・ヒョードルね)が夢に出てきて自分を励ましてくれたというビョンウンの話に何かが溢れだして、ヒスと一緒に私も泣いてました;;
思えば、いきなり金を返せと言われて「今さら何だ!?」とか言わないし、理由も聞かない。
そりゃ、借りたんだから返すのは当然だけど、普通はやっぱりこういう言葉が出てくると思うんだ。
でも、ビョンウンの口からは出ない。
我慢して飲み込んでいるという感じもしない。
本当にそういう男なんだろう。
ヒスはもちろんお金も必要だったんだろうけど、それよりもビョンウンに会うことが必要だったのではないか?
ラストで彼女が見せる顔がそれを物語っている。

ほぼ二人芝居、どちらもきちんとした力を持っていないと成立しない映画。
観終わった後、何だかいい気分になれる映画。
この気分も、きっとヒスとシンクロしている。
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1906年イギリス領香港。辛亥革命前夜。
ある男がやってくるとの情報が入る。
彼の名は“孫文”。
腐敗した清朝の打倒を掲げる革命家である。
彼の目的は、武装蜂起のための同志との密談。
その情報を聞きつけた北京・紫禁城では西太后の指令により総勢500人の暗殺団による孫文の暗殺計画が進められる。
孫文を守るため、義士団が結成される。
彼らに課された使命は、孫文の影武者と共に囮となり、会談が終わるまでの1時間を500人の暗殺団相手に戦い抜くというものだった。

えぇ~と、サスペンス・アクションが続きますね;;
集められるだけ集めました的なアジアンオールスター。
そのトップに現れるのは……「えぇ~ジャッキー(チェンではない)出てたの!?知らなかった~」と感動した矢先にもう会えなくなっちゃうんですけど(笑)
孫文が暗殺者に命を狙われていたという事実を下敷きにしたお話。
孫文到着4日前からの香港側の準備、暗殺団側の動きと時間を追って進んで行く。
そして、(計ってなかったけど、そうらしい)ラストのリアル1時間。
最初は清朝に汚名を着せられ国を追われた将軍率いる元軍人達が戦いの先頭に立つ手筈が、暗殺団の不意討ちに遭い全滅してしまう。
ここから、市井の人々が立ちあがる。
少林寺を追われた臭豆腐売り、殺された将軍の娘、今は乞食に身を落とした若君、そして孫文を支援してきた有力者の車夫まで。
戦闘シーンも圧巻だけど、親子の愛情あり、悲しい恋の話あり、淡い幸せを夢見る二人の話あり。
アジア人のツボはアジア人がよく分かっているということか?
何だかやっぱり泣かされちゃうね(>_<)
白の王子もとうとうワイヤーか……と複雑な思いだったレオン・ライの出演ですが、様になってましたね。
鉄扇て難しいと思うんだけど、「一番の難関を引き受ける」というリウ若君の言葉通り、闘いの大きな山場でした。

小難しい歴史的な話はあまりありません。
息を飲むような闘いと、それぞれが持つ人間ドラマを感じればいいと思います。

それにしても、まゆ毛のない顔ってやっぱり怖いんだな~と、この映画で暗殺団の首領を演じる胡軍を見てしみじみ思いました(^_^;)
日本では1977年の夏休み大作として劇場公開されるはずだった本作ですが、上映予定の映画館を爆破するという脅迫があったため、公開一週間前に突然上映が中止されたという曰くつきの映画。
普段あまり見るジャンルではないのですが、公開中止の事情などへの興味も相まって見て来ました。

ベトナム戦争で捕虜となったマイケルは祖国に裏切られたとの思いを募らせていた。
彼はテロ組織黒い九月に加担し、スーパーボウルの観客を狙った無差別殺人の計画に加わる。
一方、イスラエル軍のカバコフ少佐はアメリカ国内でのテロ活動を察知し、FBIと協力し、捜査を開始するが……

2時間半という上映時間に最初ちょっとビビりましたが、そこまでの長さは感じさせなかったです。
中盤以降は、本当に時間の流れが速くて。
パレスチナ側のテロ行為をイスラエル側が阻止するという構図が、爆破予告なんかを産んだのかもしれませんが、どちらかに殊更偏っているとも感じない娯楽作品でした。
質の良いサスペンス・アクション映画だと思います。

ところで、テロ実行の舞台となるスーパーボウルですが、えぇ~76年のスティラーズvsカウボーイズ戦じゃないか!!
うわ~ブラッドショーだぁああ(^◇^)
もう、これだけでも早起きした甲斐があったというもの。
あぁ、観に行ってよかった!
大阪での上映はもう終わってしまいましたが、他ではまだ観られるところもあると思いますので、『午前十時の映画祭』早起きしてお出かけください。
18世紀中頃、ヨーロッパの音楽界を震撼させた神童ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
その姉もまた、豊かな他才能の持ち主であった。
その名は、マリア・アンナ・モーツァルト、愛称ナンネル、ヴォルフガングの4歳年上の実姉である。

父レオポルトによって3歳から音楽を学び、たちまちその才能を開花させた14歳のナンネルには、11歳の弟ヴォルフガングがいた。
長い演奏旅行の最中、父はヨーロッパ各地の演奏会で"神童"と絶賛を浴びるヴォルフガングを溺愛し、ナンネルはヴァイオリンに触れることさえ禁じられる。
「女性は作曲家にはなれない」というのが18世紀ヨーロッパの音楽界の常識だった。
やがて、一家は時のルイ15世が君臨するヴェルサイユ宮で演奏する機会に恵まれる。
その滞在中、ナンネルは王太子ルイ・フェルディナンと出会い、恋に落ちる。
ヴォルフガングのヴァイオリン演奏の伴奏を務め、聴衆を魅了するナンネルの音楽の才能に気づいた王太子に作曲を勧められ、創作の歓びに目覚めていくナンネル。
しかし、女性が作曲をするなど、当時では許されないことだった……。

いや~まさかの満席(^_^;)
前の日に用事で梅田に出たついでに券取っといてよかったわ。(先売りしてくれるようになったのは、ありがたいけど足を運ばないといけないのがやや難ですね;;)
しかし、皆さんゴールデン・ウィークも真っ只中というのに、よくもこんな辛気臭い映画に……

不勉強なので、モーツァルトに姉がいたというのもちっとも知りませんでした。
まだ子どもの頃は、ヴァイオリンも弾かせてくれて、熱心に指導してくれたであろう父親も、弟にかまけて姉のことは放ったらかしぽい。
とはいえ、練習をサボるなと厳しいのですが……
演奏しては馬車で移動するという。
イマイチ売れてないバンドがバンでドサ回りするような生活を続けるモーツァルト一家。
並々ならぬ才能を持ちあわせながらも、“天才”“神童”の弟の影となったナンネル。
また、時代ゆえに、自分の内に溢れる音を曲にする術を教えてもらえず形に出来ないナンネル。
馬車の修理に立ち寄った修道院で、ナンネルは思いがけず王の令嬢たちと親しくなる。
中でも、末のルイーザとは秘密も分かち合う中になった。
王太子との出会いも、彼女の恋文の仲介役がきっかけだった。
しかし、恋は実ることはなく、訪ねたルイーザは修道女に(正しくは請願者で、ちょっと違うらしい)。
彼女はナンネルに言う
「もしも男だったら、私たちは世界を変えたかもしれない。あなたは音楽で。私は政治で」
王太子への想いを断ち切ったナンネルは、年の離れた男の元に嫁ぎ、弟の残した作品を後世に伝えることに尽力したが、晩年は目も患い貧しい暮らしだったとか……

時代が時代なら、『モーツァルト』の名は二人の優れた作曲家を指していたかもしれないのに……
歴史ものの姿をしたフェミニズム映画かもしれない。

実際の登場人物の年齢とは色々誤差があるらしいのですが、ま、そこは脚色ということで。
アメリカ人神学生マイケルは、自分の信仰心に疑いを抱き、卒業を間近に控えながら、神父となることを辞退しようとしていた。
しかし、恩師の勧めでバチカンのエクソシスト養成講座を受ることになる。
そして、異端だが一流のエクソシストと言われるルーカス神父の悪魔ばらいを手伝うことに。
ある少女の儀式に立ち会うものの、悪魔の存在を疑うマイケルだったが、やがて彼の思いを打ち砕くような出来事の数々に遭遇していく。

スッゴイ寝不足のまま行ったので、正直所々意識が飛んだりしてるんですけど(笑)
話は分かっている筈(^_^;)
家業の葬儀屋に嫌気がさしたのか、“逃避のため”神学校に入学するマイケル。
友達に、家が嫌だからって神学校だなんてどうかしてると言われて、「うちは代々葬儀屋か神父だ」って、それじゃ逃げきれてないんでは?
神学校に入学し、あっという間に月日は過ぎて、卒業も間近。
成績はいい方なのだが、肝心の神学はイマイチ。
元々そうするつもりだったんじゃないかと思うのだが、神父になるのを辞退する届けを提出する(メールでいいのね;;)。
しかし、彼を見込んだ恩師は考え直すように説得する。
ある夜、マイケルを見かけた恩師が呼びとめようとしたところ、転んだことが引き金となり交通事故で女性が命を落とす。
彼女は居合わせたマイケルに最期の祈りを懇願する。
信仰心のない自分が祈ってもいいのか、躊躇するマイケルだが、結局女性の願いを聞き届け祈りの言葉を唱える。
これが、転機であり、彼が呼ばれたってことなのかもしれないと思わせる。
すべての出来ごとは偶然と思っても、必然と思っても、結局は表裏一体で違いがないのかもしれない。
このことで、さらにマイケルを見込んだ恩師は、彼にバチカンでの“エクソシスト”養成講座を受けるように勧める。
というのは、何だか突然のようですが、エクソシストには信仰心以外にさらに必要なものがあると聞くので(それが何かはよく分からんけど、スゴい事態に立ち向かう必要があるからだろう)、彼にその必要な要素を見たのだろう。
奨学金の返還もちらつかされ、バチカンに向かうも、初日から遅刻で、やる気もないし、疑う心の方が大きい。
ルーカス神父の元で、悪魔ばらいを体験し、少女がいきなり英語を話したり、以前に自分が処置した女性のブレスレットを持っていたり、口から釘を吐き出しても、精神疾患だと言って譲らない。
釘は飲むのはともかく、上手に吐き出すのは至難の業よ;;
認めないのは、恐怖の裏返しなのかも。
ま、こうしてず~っと悪魔ばらいにも悪魔にもルーカス神父にも疑惑の目を持ち続けた彼が、ルーカス神父に悪魔がとり付いたことで“悪魔”と対峙することになる。
本当に悪魔がいる、のなら、神もいるってことなのか?
私には分からないけど、マイケルは何かを確信したのだろう。
今も、神父を続けている。
一応、実話をもとにした形の作品で、ドキュメンタリーぽくしたかったからなのか、悪魔に憑かれた少女とかも、人間の体が頑張って出来る範囲のことしかしていないので、ホラーと思ってみるとちょっと違うかも。
キリスト教徒達の言う“悪魔”が、本当にいるのかは分からないけど。
嫌な感じのものが存在していると感じることはあるよね。
その人がいなくなっても、悪意とか、無念さとか、悲しみとか昇華されずに残っていくものが積み重なっていくんじゃないだろうか?
『戦い』に備えなければいけないのかどうか分からないけど。

神々と男たちに続いて、信仰について考える映画かもしれない。
ま、神々~は男たちは神については揺るぎない信仰を持っていた気がするんだけど。
心が揺れてしまうという点では同じかな?
アンソニー・ホプキンスはまたも怪演です。
興味のある人なら、見てもいいんじゃないですかね。
あ、そうそう。
マイケルのお父ちゃんがルトガー・ハウアーだったんやね!
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