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私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。

赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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かうんたー
数え始め 2006/11/14
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ハリウッドスター、ジョニー・マルコは、かつて伝説のスター達も暮らしていたホテル“シャトー・マーモント”で暮らしている。
華やかだが、享楽的で空虚な毎日。
足を滑らせ、腕にギプスをはめる羽目になったジョニー。
ある朝、ギプスに誰かがサインする気配で目を覚ます。
そにには、別れた妻と暮らす11歳になる娘、クレオの姿が……。
娘をスケートリンクに送り、優雅(って程でもないけど;;)に滑る娘の姿に拍手を送る。
クレオを家に送り届けてホテルに戻ると、またいつものように誰かがパーティーを始めていてバカ騒ぎ。
そして、俳優としての仕事をこなす。
ある日、再びクレオがやって来る。
彼の前妻であり、彼女の母レイラがしばらく家を空けるので、キャンプまで預って欲しいというのだ。
仕事でイタリアに行く予定もあるジョニーは当惑するが、クレオとしばらく過ごすことに。
TVゲームをしたり、イタリアでは豪華なスウィート・ルームのプールで遊んだり、親子しているかと思うと、以前にも関係があった風な女を連れ込んだり……。
授賞式の日、娘のドレス姿に感嘆したり、楽しく過ごすものの落ち着かないのか、逃げるように“シャトー”に戻っていく。
シャトーで二人は穏やかな時間を過ごす。
ごく普通の父と娘のように。
クレオと別れる日、送っていく車の中、クレオが不意に泣き始める。
「ママはいつ戻るんだろう?…」

試写会に行ってきました。
セレブリティーとその娘の話ってことで、まぁ、自分のことも反映されているだろうというソフィア・コッポラの新作。
相変わらず、この人の映画はよく分からない(笑)
原作があった「ヘビトンボ~」って、映画のタイトルは何だっけ?あれはまだ分からないでもなかったんだけど。

娘とは今までにも、月に一回とか、取り決めがあって会ってたと思うんだけど、多分今までにないくらい長く過ごしたことと、娘がこれまた多分初めて吐いた弱音に“父親”としての自分の立場を改めて考えたんじゃなかろうかと…。
今まで、きっといろいろ子どもながらも無理してたんだろうな~、無理させてたんだな~と。
自分にしてやれる多分たった一つのこと。
ただ傍にいる、ということすらしてやれないということ。

ウチは父親はいたけど、遊びに連れてってもらったこともないし、ホントに小さい頃は朝早く仕事に出かけていないし、夜も寝た頃に帰ってくるし、休みの日は疲れ果ててるのか寝てばかりだし…。
いないのとあんまり変わらなかったんだけど。
まぁ、何がいいのか分からないよね。
親子とかって、何が正解なのかとか、分からない。
いなくて寂しいのと、いても寂しいのはどっちがマシなんだろう?

ジョニーは、「オレは空っぽだ」って、嘆くんだけどさ。
みんなそんなに詰まってないと思うんだよ、中身なんか。
ただ、空っぽだって気づいたことが前進なのかもね。
そして、彼はどこへ向かうのか?

この映画での一番の驚きは「えっ!折りたたみなの!?」の出張ポールダンサーのポール。
そして、二番目はジョニーてか、スティーヴン・ドーフの体形の維持方法なんか誰が知りたいのか!?
何か、固そうな出っ腹……
まぁ、ある意味、知りたい気もする(笑)
あ、イタリアでのリモって程でもない車ですが、の運転手さんが男前さんです。
それと、シャトーのエレベーターに時々(ホント、時々なんですけど)ハッとする程素敵なあの人が!

このサントラ、PHOENIXで、別にまぁ嫌いじゃないんで(一時はとても好きだった)いいんだけど、外注出さないで家内制で稼ぐのね~;;
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台北に暮らすカイ。
彼女がパリに留学してしまい、寂しい毎日を送っている。
フランスに彼女を訪ねる日を夢見て、本屋でフランス語入門を立ち読み(てか、座り込んでますが…)する日々。
彼女を想い、パリに電話をかけても、いつも留守電……。
久しぶりに彼女から電話がかかって来た後、号泣するカイ。
そして、決心する。
パリに行くしかない!
一方、本屋で働く女の子、スージー。
とても可愛いのだが、少し寂しげ。
彼女は毎日やってくるカイが気になって仕方がない。
フランス語を習うなら、通っているダンス教室と同じ所に高座があるよ…と、誘ってみたり。

どうしてもパリに行きたいカイ。
親に借金を頼むが断られ、両親の店の常連の地元のボスからお金を借りることに。
そして、その代り…と謎の小包を運ぶよう頼まれる。
パリに立つ前夜、小包を受け取り、友達のカオと別れの食事に出かけ、偶然スージーに出会う。

それは二人のコミカルでロマンティックな一夜の始まり……。

特に何かスゴイ事件が起こる訳でもない…という訳でもないのよ。
預った小包は警察に目をつけられてるらしく、追いかけられたり。
また、その小包に目をつけたボスの甥っ子の手下に追いかけられたり。
カオがさらわれちゃったり。
色々起きるんだけど、多分心配しなくっても大丈夫だな~的な(笑)
カオをさらってきたものの、一緒にマージャンやってボロ負けしてたり(爆)
恋愛相談に乗ったり(笑)
何か、みんな、いい人なのよ。
てか、抜けてるんですな;;
カイもスージーも別に逃げる必要はない気もするのですが、人間追いかけられると逃げたくなるものです。
この追いかける刑事さんの方も、ちょっと色々あったりして…
いざとなると女の子の方が根性据わってるというか、頼りないカイを放っておけないスージーは彼をリード。
何だか分からない小包をめぐって、ドタバタ喜劇が繰り広げられます。
が、
ドタバタっていうのとちょっと違うというか、ト゜タパタみたいな。
濁音じゃなくて半濁音?な感じのコメディー(意味分からん;;)
いつの間にか二人の距離が近くなる、ボーイ・ミーツ・ガール映画のお約束を外さない。
爆笑したりはしないんだけど、何か見てると口角が上がってきちゃうというか、頬が緩んじゃうというか、含み笑いしちゃうというか。
誰もかれも憎めなくって、夜の台北が素敵で、そんで、めっさ水餃子が食べたくなる映画。

そうそう、ジョセフ(・チャン)が出てるってすっかり忘れてたんですが、エンドロール見てて「あ、そうだった」と思ってから「誰?」
刑事かな~?刑事だな~
でも、あんなに下半身むっちりしてました?

1975年、ロサンゼルス。
ジョーン・ジェットは、ロックをやりたいと思っていたが、ギターを習いに行っても「女にはエレキは教えない」と言われるなど、周囲に受け入れられずにいた。
そんなある日、有名なプロデューサー、キム・フォーリーに会う。
女の子だけでロックバンドを作りたいと言うジョーンの言葉を聞いた彼は、同年代のドラマ―を紹介する。
男社会のロック界に、10代の女の子だけのバンドはウケると考えたキムは、ジョーンを筆頭にメンバーを集める。
古いトレーラーで練習を始めるが、何かが足りないと感じる。
それは、グラマラスでセクシーなイメージだった。
同じ頃、シェリー・カーリーは、普通でいることに違和感を持っていた。
ある日、親の留守に出かけたクラブで、キムから声をかけられる。
「楽器が出来るか?それとも歌えるか?」
男勝りな格好のジョーンたちに女性らしいルックスのシェリーが加わり、“ランナウェイズ”が誕生した。
活動を始めた彼女達は、男社会の中で差別を受けながらも実力を身につけ人気を得ていく。
だが、すべてが順調に進み始めた頃、シェリーの父親が倒れる。
父を初めとする家族への罪悪感と愛、ハードなツアーを乗り切るためのアルコールや薬物……
シェリーは次第に精神のバランスを崩していく。
バンド内でも、シェリーばかりが注目を浴び、色物扱いされる苛立ちや嫉妬から、メンバーの仲は悪くなっていく……

え~
映画見てる場合じゃないだろう?
かもしれないんですけど、ウチでTV見て悲しくなってばかりでも何なんで…
とりあえず、今読んでいただける方と、後で読んで下さるかもしれない方にちょっとでもお役に立ったり、楽しんでもらえれば嬉しいです。

さて、実在の世界初、と言ってもいいガールズ・ロックバンド“ランナウェイズ”のデビューに至る経緯と束の間の栄光とそれから…のお話。
キム・フォーリーが「コンセプトバンドの失敗例」というようなことを語った通り、彼女達はあくまでも“造られた”バンドだったというのが、早過ぎる転落の一因でもあるように思う。
同じ音楽が好きな友達と集まって…とかいう自然発生的なバンドではなくて、こういうものなら売れるだろう、と大人が考えた形を押しつけられたバンド。
だから、それぞれのメンバー間の友情と呼べるようなものは、バンドあってこそなので、ちょっとしたことで、あっという間に壊れていったのではないかな…と。
ま、友情なんて結構脆いもんだと思うんだ。
私が、まぁ、あんまり、そういうのに恵まれてないからかもしれないけど、自分と相手の思ってることって、つい一緒だと思いがちだけど、違うんだよね。
期待度とか、色々。
多分。
家族とかでも、難しいもんね。
シェリーの自伝が元だから仕方ないかとは思うんだけど、他のメンバーの感情的なことはあまり出てこない。
家族が出てくるのはシェリーだけ。
ジョーンは「家族なんかいない」、「うちらが家族じゃないの?」と言うけど、彼女に何があってそう思うようになったのか?とか、そういうことは分からない。
これは、自分は何者なのかを探すという普遍的な青春映画でもあると思うのだけど、やっぱり“ランナウェイズ”やジョーンや他のメンバー達のソロ活動とかを知ってたり、思い入れがあったりしないとちょっとつまらないと思うかもしれない。
映画ファンの見る映画ではない。
ロック・ファンが一大旋風を巻き起こした(日本では…かな)史上初とも言えるガールズ・ロックバンドとはどういうものだったのか?の片鱗を知るための映画。
かな?
私は、楽しかったし、考えることもあったけど。
彼女達が残したものは大きかったと、今の時点から振り返ってみれば感じられる筈。
まぁ、仇花だからこそ、心に残るという感じかな?
でも、やっぱりもう少し感情面を描いて欲しかったかな~
まぁ、みんな生きてるし、難しいか……。

あ、クリステンはチラシとかの写真で見るよりもかなりジョーン姐さんでした!

ところで、チェーンソー・アーティストって何だかスゴそうだね~(シェリーが目指してるらしいけど…)
1976年7月28日の深夜、中国河北省唐山市で大地震が発生。
貧しいながらも幸せな生活を送っていた一家も巻き込まれる。
父親は双子の子供を助けようと家に飛びこむが、建物の倒壊に巻き込まれ命を落とす。
翌朝、母親の元に子供達が見つかったとの知らせが届く。
しかし、二人は瓦礫の下敷きになっており、どちらか片方を持ちあげるしかなく、両方を救うことは出来ないと言われる。
周囲から決断を迫られ、母親は声を絞り出す。
「弟を……」。
その声は娘の耳にも届いていた。
父親と娘の死を確認した母は、息子と共に避難場所へ移動する。
しかし、死んだと思われた娘は奇跡的に息を吹き返し、救援隊に救助される。
時は流れ、母ユェンニーと双子の弟ファン・ダーは唐山市を離れずに逞しく生きていた。
息子は女手一つで育ててくれた母を早く楽にしたいと進学よりも独立を望み、家を出ていく。
一方、姉のファン・ドンは軍人夫婦の養子となっていた。
両親と同じ医学を志し大学に進学するが、養母が病死。
また、自分の妊娠を知った彼女は姿を消す。
数年後、唐山で暮らす母の元にファン・ダーが婚約者を連れて戻ってくる。
一緒に住もうと提案するが、母親は亡き夫と娘が眠るこの地を離れたくないと拒絶する。
同じ頃、ファン・ドンが娘と共に、突然養父の元へ帰ってくる。
合わせる顔がなく姿を消していたこと、そしてずっと胸の奥にしまっていた唐山大地震の時の母の選択を養父に打ち明けた。
2008年5月12日、四川を大地震が襲う。
カナダ人と結婚し海外で生活していたファン・ドン、そしてビジネスに成功していたファン・ダーはボランティアとして四川へ向かう……。

試写会に連れてってもらいました。
ディザスター・ムービーかと思ったら、ちょっと違ってたわ。
サブタイトルの方が、まぁ映画のメインでしょうか?
地震はあくまでも導入部というか、それをきっかけに悲しい運命をたどる一家の姿が中心です。
『捨てられた』と思う子ども程悲しいものはない。
と思うの。
だから、自分でなくて弟を助けて欲しいという母親の言葉を聞いた時、ファン・ドンはどんなに悲しかったかと思う。
まぁ、仕方ないんだけど。
どうしようもないことってあるもんね。
生き残った方だって、重い重いものを背負って生きて行かなきゃいけないんだけど、そこまでは考えが回らないですよ。
だって、スゴくショックだもん。
でも、まぁ2008年の地震の時にボランティアとして駆けつけて、その時の状況がどんなだったのか、子どもの自分には分からなかったいろんなことが分かっていく、という。

ベタなんだけど、やっぱりちょっと泣けちゃう~(T_T)
人ってつい、自分ばっかり辛いと思いがちだけど、そうじゃないんだよ~ってことか。
でも、すぐ忘れちゃうんだけど(~_~;)

この映画は、実際に起きた地震をモデルにしている訳で、1976年の大地震は本当にあったんだけど、全然知らないな~。
もちろん、昔々のことなので、当時は知る由もないんだけど、スゴい規模の地震だったようなのに、あまり知られてない気がする。
まぁ、当時の情勢的なこともあるのかな~
あの頃の中国が、外国に支援を頼むとも、あんまり思えないし。
今のように瞬時に世界中に情報が伝わるってわけじゃないし、外まで伝わらなかったのかもね。
しかし、30年以上も経ってるのに、四川のあの倒壊ぶり……
もちろん地震の規模もスゴかったと思うんだけど、もう少しくらいは何とか出来たかもしれないのに……と思う。

すべての母親がこれくらい子供を想ってくれれば、いいのにね。
上海で暮らすユィアーに、ある日一通の手紙が届く。
それは、かつて生き別れた夫のイェンションからで、40数年ぶりに台湾から帰ってくると記されていた。
だが、ユィアーには、今の夫、シャンミン、イェンションとの息子である長男のジェングオ、二人の娘、娘婿、そして二人の孫という家族があった。
一家にとってイェンションの来訪は驚き以外の何物でもなかったが、シャンミンの計らいで、温かく迎えることになった。
ご馳走を振る舞い、家に泊まるようにと、精一杯イェンションをもてなすのだった。
イェンションは長い台湾生活で、もう上海語を話せなくなっていた。
高層ビルが建ち並ぶ街並みも自分が知っていた頃の街とはまるで違っている。
イェンションは、ユィアー達が購入したという建設中の高層マンションを見学に行った折、実はユィアーを一緒に台湾に連れて帰りたいと打ち明ける。
国民党軍の兵士の妻であったユィアーの中国での人生は過酷なものだった。
だか、シャンミンに助けられ、文化大革命の時代も何とか乗り切ってきた。
イェンションの告白に「幸せだったのはあなたと過ごした日々だけ」と、ユィアーも告げる。
これからは2人で暮らしたいと決心するイェンションとユィアーだったが……

タイトル通り、何度も何度も食卓、そしてご馳走が出てきます。
最初はイェンションを迎えるため、旧正月のお祝いよりも豪勢な食事。
共産党の班長さんかなんかまで招いて盛大な歓迎会です。
ユィアーがこれからのことを決めて、夫に打ち明けようと待っていると、シャンミンは大きなカニを買って帰ってきます。
倹約家のシャンミンがいつもなら絶対に買わない大きなカニ、しかも4杯も!
常ならぬ夫の行動に、打ち明けられなくなってしまうユィアー。
シャンミンも2人の気持ちを察していたと思われるのですが、自分だって、何十年も一緒に暮らしてきた訳で、まるで好きじゃないという訳ではないですものね。
この後、2人に打ち明けられ、「今まで何十年も自分と暮らしてきたのだから、これからは好きにすればいい」と言うのですが、「でも、子供たちにも相談しないと」と言います。
この辺り、ちょっと計算高い気もしますね(笑)
反対するでしょうから。
年老いた父さんを捨てるなんて酷いという長女。
俺には関係ないという長男。
台湾から訪ねてきたのは実の父だけど、生まれる前に離れ離れになり顔を見たこともない。
恨んでいいのか、懐かしがるべきなのか、自分でもどうしていいのか分からないのかな…と思います。
今の父は、自分も家族の一員として育ててもらった訳ですから恩があるし、どちらに付くことも出来ないですよね。
次女の婿はお金にしか興味がない風です。
これは、揉めるね;;
ケンカする兄弟達を叱り飛ばし、ユィアーの願いを聞くというシャンミン。
で、まずは離婚しなくちゃ!と役所に行くんですが、ここんとこが面白かった。
混乱した時期でもあり、2人は結婚届けみたいなものは出していなくて事実婚だったのですが、どうしても離婚しなくちゃ!と、ドタバタ劇が……

その後、家族を集めた外食の席でずっと物分かりのいい人だったシャンミンの本音がついに現れます。
何十年も一緒に暮らしてきて、子供はもちろん孫までいるのに、前の夫と暮らしたいと言われちゃ、納得いかないですよね。
とはいえ、ユィアーは親の反対を押し切ってまでイェンションと一緒になったようなので、想いもひとしお。
それに、一番一緒に居たかった頃に離れ離れになってしまったのだから、これも、まぁ、気持ちは分かるし。
イェンションも台湾で新しい家族を持って暮らしていたくせに!
と言われても、中国と台湾の関係は、まぁ、長い間上手くいってなくて、今回特別に帰郷出来ることになった訳で、きっともう一生戻ることは出来ないと思っていただろうし。
台湾で結婚した奥さんが亡くなったこともあって、自分に残された時間を思い、帰郷の機会を得たことで、心残りのないようにしようと思ったことだろう。

3人それぞれに、そりゃあ、そうだよね~と思ってしまう。
結局どうなったかは、見ていただくのが一番なので置いといて……

最後の食卓も最初の食卓同様ご馳走が並ぶが、同じ賑やかさはない。
上海の街は近代的に変わっていくが、同時に大事な物も失くしてしまっているような気がする。
ご飯は何を食べるかもだけど、誰と食べるかが重要だって言うよね。
そういう食卓で育まれる大事なことがなくなりつつある、のかも……
ま、私ゃ、基本的に一人ご飯なんですけど。
そして、知らなかったというか、国民党が台湾に行った(ま、逃げた)ということは、歴史で習ったけど、その家族について考えたことってなかったな~と。
教科書には、もちろんそこまで書いてなかったと思うし、教科書に載ってることって、ローマ時代のことも近現代のことも何だか同じ感覚になってたけど……
そうだよね~家族がいるんだもんね、皆。
やっぱり、争いごとはない方がいいなぁと思う。
大きな戦争も、日常の小さなことも。
避けて通るのは難しいけど。

あ、お粥と揚げパンの朝ごはんに「お~上海!」と思いましたが、どんな味なのかな~?
お粥につけて食べる揚げパン……。
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