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私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。

赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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1990年代のアルジェリア。
人里離れた山間の小さな村の修道院で、カトリックのシトー会に所属する修道士たちが共同生活を送っていた。
彼らは戒律を厳格に守り、貧しい人々とともに働き、病める者の面倒を見て日々過ごす。
修道士の1人、リュックは医者でもあり、近所から訪れる多くの人々を診察していた。
修道士たちはイスラム教徒である地元民とも良好な関係を築いていたが、アルジェリアは内戦の真っ只中にあり、暴力行為やテロがこの土地にも暗い影を落としていた。
やがて、修道院から程近くでクロアチア人労働者が殺される事件が起きる。
軍は修道士たちの保護を申し出るが、修道院長のクリスチャンはこれを辞退する。
奇しくもクリスマス・イブの夜、ついに過激派グループが修道院に乱入する。
負傷した仲間の手当てのために、リュックを連れ出そうとする過激派に、彼は診療所を訪れた人を診察するためにいるのだと、きっぱり断るクリスチャン。
そしてコーランを引用して、キリスト教徒とイスラム教徒が隣人であると説く。
一難去った後、アルジェリアを去るべきか否か、議論が交わされたが、意見はまとまらない。
各自でもうしばらく考えることになる。
大使館からは帰国命令が出ていることを告げられるが、地元住民に慰留され、クリスチャンは迷う。
殺される恐怖、断ちがたい人生への執着。
それぞれが、ひとりの人間として悩み苦しむ修道士たち。
この土地を出て行くか、留まるのか。
やがて彼らは採決の時を迎える……。

いや~、もう、寝不足で行くとヤバいね。
何か、前の晩寝つきが悪くって……じゃ、またにすればいいじゃないか、なんだけど、上映時間の変更やら諸事情あって、そうもいかなかったのです。
さて、無信心な私ですが、宗教がらみの映画は何故か結構見ている気がする。
まぁ、カソリックの司祭の服とかがツボだから…とか、不純な理由もあるのですが(笑)
自分にはあまりないものに対する疑問。
何故、彼らはそんなにも信じることが出来るのか?
会ったこともないのに。
どうして?
映画に出てくる大きな愛はおろか小さな愛にも巡り合ったことはないので、分からないこともいっぱいなのですが、何とも説明しにくいんですよね。
でも、スゴく見て欲しい。
アルジェリアで実際に起こった修道士たちの誘拐及び殺害事件をベースに描いている本作。
この事件には謎がいっぱいあるそうで、いまだにはっきりした犯人も分かっていない。
だけど、これは真実を追求し謎を解く、という類の映画ではない。
信仰というものも、もちろんだけど
生きるということ。
死ぬということ。
そう言ったことについて描かれているのではないかと、私は感じた。
神に何もかもささげた彼らも、やっぱり人の子であり、家族や友人と二度と会えなくなるかもしれないと思えば、恐怖に怯えるのだ。
クリスチャンが、書き残した手紙には、彼らを殺すであろう人間を最後の時の友と書いてある。
コーランにもキリスト教徒を自分たちの隣人だと書いてある。
宗教のもっとも大きなテーマは『赦し』だと思うのだ、個人的にだけど。
だから、テロのニュースを見聞きすると何故こんなに不寛容になってしまったのか…と思うことが多い。
いつまでも恨み続けたりすると、自分が苦しいのに。
とはいえ、なかなか他者を赦せないのも、また、人間である故かもしれない。

心を決めた彼らの、最後の晩餐の場面が素晴らしい。
何の台詞もないのだけど、そしておなじみの『白鳥の湖』の音楽こんなに心が揺さぶられるとは……
音楽として出てくるのはこの曲だけ。
後は彼らが祈りを捧げる讃美歌というのとはちょっと違うな~朗誦というらしいんだけど、のみ。
これがとても美しい。
んだけど、心地良過ぎ……寝不足の人は要注意!
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実在する伝説のプロボクサー、ミッキー・ウォードとその異父兄、ディッキー・エクランドの実話に基づく物語。
マサチューセッツ州。
低所得者の労働者階級が暮らす寂れた街、ローウェル。
兄のディッキーは、かつて天才ボクサーとしてスポットライトを浴びたが、ドラッグで身を持ち崩してしまい、今ではかつての栄光にしがみつくだけ。
弟ミッキーも兄の影響を受け、ボクサーとなるがパッとした戦績はなく、『噛ませ犬』などと呼ばれている。
自分勝手な兄とマネージャーである母アリスに振り回されてばかり。
ミッキーの才能を見込んで、ジムを移らないかという誘いもあったが、彼自身も家族と離れることは出来ないとの想いがあった。
しかし、新たな恋人シャーリーンは、悪影響を与える家族から離れるべきだとミッキーを説得し、父親も息子のためを思って新たなマネージャーを探してくる。
ディッキーとアリスを関わらせないことが、条件であり、ミッキーもそれを飲む。
新しいマネージメントの元、ミッキーは勝利を重ねていく。
そして、ついに世界王者への挑戦権を手にするのだが……

ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックの再結成にマーキー・マークが入ってなくてホントによかった!!
と思っております、赤姫です。
マークはやっぱり映画の仕事しなくちゃね!と思っている訳では全くなく(笑)
ドニ―の弟やからっていらんやろ、コイツ!?と、少女時代(韓国美脚ユニットに非ず)思っていたのでした。
それは置いといて
やっと観て来ました。
なかなか時間が合わなくって、すっかり話題も薄れた頃に見ることになりました。

ディッキーは天才肌。
ミッキーは努力の人。
それでも、ディッキーは弟のハードパンチャーとしての力量を買っており、自分の実現できなかった夢を懸けている。
誰よりも試合相手を観察、分析し的確なアドバイスを与える、かと思うと、急な代役がミッキーよりも9kgも重い相手だと聞いても、試合をやらなければ金を貰えないと言われると弟に試合をさせてしまう。
という、よく分からない人。
ステージ・ママならぬリング・ママのアリスももちろん息子を愛して、ボクサーとして立派にしたいと思っているんだけど、金が絡むとどうにもいけない。
それに、ミッキーよりもディッキーなのだ。
彼女にとっては、今もまだ。
明らかにヤク中のいい加減でどうしようもない家族のお荷物的な息子でも。
まぁ、バカな子程可愛いと申しますから、当然なのかもしれません。
早速に次の試合を決めたアリス達にミッキーは、考えたいと言い、一緒にやって来たシャーリーンも二人のやり方はミッキーのためにならないと言う。
ベガスのジムの条件を聞いたディッキーは、同じ金額を出すと言って、金を工面するために犯罪を犯し刑務所に入れられ、ミッキーもとばっちりで警官に手を潰されてしまう。
こうなって、やっと縁を切る決心がついたミッキーは、新しい体制の元実力を発揮していく。
でも、まぁ、この辺りはマネージメント力というか……
やっぱり、自信をつけさせるためには勝てそうな相手と当たらせたり、色々裏がある訳です。
が、世界王者戦となるとそうもいかない。
元々彼のための試合ではなかったしね。
あくまでも、予想外に相手を倒した結果、お鉢が回って来た…というもの。
で、この予想外に相手を倒せたことの裏には、試合前に面会に行った時のディッキーの言葉があったのです。
刑務所でクスリも抜けてスッキリしたディッキーの分析力はやはり天才的だったということなのでしょうか?
出所してきた兄を一度は拒絶するものの、やはり自分には兄が必要だと思うミッキー。
拒絶されたことに傷つき、怒り、ジムを出ていくディッキーは、それでも今までないがしろにしていた大切なものにようやく気付いたよう。
家族だからって一緒にいなきゃいけない訳ではもちろんないし、そうしない方がいい場合もたくさんある。
でも、一緒にいる方がいいと思えるなら、そうした方がいいのだ。
弟と一緒に夢を掴み取るため、兄は自分を変え、奮い立たせるのだ。
こうして、改めて書いてみると、主役はディッキーみたいだ。
くりべいは、助演なんだけどね(笑)
ミッキーの視線の先に彼のヒーローだったディッキーがいたように、私達の視線の先にもくりべいのディッキーがいるのだ。
ところで
ミッキー・ウォードのボクサーとしてのハイライトは終わりに字だけ出てきたガッティとの3試合らしい。
ボクシング誌でその年のベストマッチのようなのにも選ばれたそうだ。
この映画のハイライトは世界王者戦だけど、超マイナーなタイトルらしい。
それでも、世界王者には変わりない。
兄弟が世界の頂点に上り詰めたところを映画の頂点に持ってきたのは、間違ってないのだろう。

いや~それにしても、大家族で……
私、ダメなんですよ。
テレビでも大家族の何とか~みたいな番組あるじゃないですか。
あれ、本当にダメなんですよね~;;
息苦しいというか、何というか……。

色んな映画で色々変身していくくりべいですが、私が好きだった彼を見るようなことはもうないんだろうな~
ま、『コーンウォール~』みたいな役は年齢的にももう無理だけど。
14歳の少女、マティ・ロスは牧場主の娘。
読み書きが苦手な母に代わって契約書を読んだりするしっかり者。
ある日、彼女の父親が、雇い人のチェイニーに撃ち殺されてしまう。
知らせを受けたマティは、遺体を引き取るため、オクラホマ州境のフォートスミスへとやってくる。
一方、チェイニーは、逃亡者となってインディアン領へ向かい、お尋ね者のネッド率いる悪党達の仲間入りをする。
父親の形見の銃を譲り受け、犯人に罪を償わせることを心に誓った彼女は、大酒飲みだが、頼れる男だと言う連邦保安官ルースター・コグバーンに犯人追跡を依頼する。
最初は子供扱いされ相手にもされないマティだったが、決して諦めない執念に根負けした、コグバーンは依頼を受ける。
そこに、別の容疑でチェイニーを追って来たテキサス・レンジャーのラビーフも加わり、犯人追跡の過酷な旅が始まる。
マティにとって、人生初めての、そして危険な旅。
しかし、チェイニーを捕らえ、罪を償わせることしか彼女には考えられなかった。
そして遂に、チェイニーと対峙する時がやって来た。

1969年のジョン・ウェイン主演西部劇で、彼に悲願のオスカーをもたらした「勇気ある追跡」のリメイク?
オリジナルは見てないから何とも…なんですけど。
この映画で彼がオスカー獲ったのはガンで先が長くなくて同情票が集まったから…というのが頭にこびりついてて、元々西部劇はあまり得意ではないし、どうなのかな~?というのがありました。
念のために付け足しですが、ジョン・ウェインにオスカーの値打ちがないって言うんじゃなくて、あげるんならこの映画よりふさわしい映画があったやろ!ってことだと思います。
主演女優賞候補にもなってマティ役のヘイリー・スタインフェルドも彼女を支える名優達、特にジェフ・ブリッジズも、きっと素晴らしいんだろうけど……
何かね~コグバーンというか、ジェフ・ブリッジズが見てる内に何だかだんだん嫌になってきちゃう感覚があって、いざって時は頼りになるんだけど、何て言うか……ウザい;;
マティはしっかりし過ぎた少女で、何だか怖い。
多分、同じ年頃で近所なんかに住んでたらクズな私はずっとやりこめられっぱなしだったろう……という、何だか恐怖感を与えるヒロイン。
もちろん、父親の仇を自分で討つしかない!という、極限状態で気は張っているだろうし、気合も入りまくっているだろうから、威圧感があって当たり前なのかもしれないんだけど……。
所々の思わず眉間にしわのよるウザさはコーエン兄弟の味なのかもしれない。
悪口ばっかり書いてるようだが、結構面白かった。
ただ、旅の過程が何だか物足りない気がする。
結構、色んなところがあっさり進んじゃうんだよね。
これはやっぱり『旅』とそれによって変わっていく少女やおっさんが主題の映画だと思うので、そこをもうちょっと丁寧に撮ってくれてもよかったんじゃないだろうか。
ラストシーンの唐突な時の流れに、最初は違和感があるけど、ふと気づかされる。
これは、少女の勇気ある仇討ち物語なんだけど、旅の仲間のちょっと風変わりな友情の物語でもあったのだな~

ところで、バリー・ペッパーって、最近出る映画出る映画で唇パリパリじゃない?
愛する母が死に、財産を狙う継父に嵌められ妹殺しの罪を着せられて精神病院に送り込まれたベイビー・ドール。
暗い現実から逃避するために彼女は鮮烈な想像の世界を作り出す。
あるきっかけで、生き残るための極意を授けられた彼女は、仲間を集め、自由を求めて戦う決心する。
手に入れなければならないものは『地図、火、ナイフ、鍵、そしてもう一つ』
彼女達は指揮官のもと過酷な任務をこなしていく。
すべての任務は成功し、彼女達は自由を手に入れられるのか?

ザック・スナイダー監督の初オリジナル作品てことのようですが、この人の画面てやっぱり目が疲れる~((+_+))
原題はSuckerPunchで、まぁ予想外の展開をそのまんま表してるってことでしょうか?
邦題は冒頭に語られる『天使についての話』から取ったんでしょう。
ま、サッカーパンチって言われてもよく分からんし、こんなもんでしょう。
次世代の美(少)女スターの競演、が売りでしょうか?
しかし、ジェナ・マローンがそう言われたドニ―・ダーコはもう10年は前ではなかったかと……
そろそろ当代の美女になって欲しいところ。
プロフィールとか見ると、みんな意外といってるのね。
結構お姉さん達だったです。

さて、精神病院に閉じ込められたという苦痛から逃れるため、ベイビー・ドールは空想の世界に入る。
そこでは、少女達がショーのためにダンスのレッスンに明け暮れる日々。
そして、踊り子達には裏の仕事もあったのだった。
5日後にはベイビー・ドールは大富豪に差し出されることになっている。
それまでに、逃げ出さなくては……!
というのは、ベイビー・ドールの頭の中での危機。
本当は継父に金を握らされた病院の職員がロボトミー手術の手配をした日だ。
さらに、熾烈な戦闘はベイビー・ドールの頭の中のベイビー・ドールの頭の中で起きている。
つまり
本当のところ、何が起きてるのかは分からないんだね~(~_~;)
それは、後で分かるんだけど。

つまんないということもなかったんですけど、色々解せないところもありますし……
しかし、オスカー・アイザックにはあの処理しなくてもいいんじゃないの一際濃い~わ;;
え~っとですね。
観に行こうと思っていた前日、お友達からメールがきまして……
それは、この映画の“秘密”に皆が素直に納得し過ぎるのが納得出来ないから観たら感想を知らせて欲しいというようなものでした。
が、“秘密”とは書いてなくてズバリ書いてあったので……
まぁ、ちょっとオイオイ(~_~;)って感じですかね(笑)
という訳で、分かり切って観てしまったので、ネタバレバレで書きます。
未見の方はそのつもりでお読みください。
まぁ、チラシとか予告編とか観れば、余程鈍感でなければそうじゃないかな~と思っておられることと思います。
私も、まぁ、予想はしていたので、別に恨んではおりません、ハイ(笑)

緑豊かな自然に囲まれた寄宿学校ヘールシャム。
キャシー、ルース、トミーの3人は、この学校で、幼い頃から一緒に過ごしてきた。
しかし、学校は外界と完全に隔絶していて、生徒達は“特別な存在”だと言われており、身体の内も外も健康を保つように万全の配慮がなされ、先生のもとで絵や詩の創作に励む。
彼らには、身寄りも帰るべき家もなかった。
彼らは“特別な存在”であり、他の子どもたちのように大人になって憧れの職業に就くこともないのだ。
18歳になると、学校を卒業し、皆よそへ移っていく。
3人は校外の農場のコテージで暮らすことになった。
いつしか、恋仲になっていたルースとトミーの傍らで、キャシーは孤独を抱えるようになる。
やがて、キャシーは“介護士”の道を選び、3人は離れ離れになっていく。
キャシーは仕事で訪れた病院で、ルースと思いがけない再会を果たすが、“提供”によって彼女の体はすっかり弱っていた。
そして、ルースとともにトミーに再会したキャシー。
ルースの思いがけない告白と詫び。
そして、「本当に愛し合っているならば“提供”に猶予が与えられる」との噂に微かな希望を託すが、噂は以前彼らが他者に語った通りでしかなく、残された時間はあまりにも短かった……。

結構“秘密”をばらさずにかけましたね。
ここら辺くらいなら、まだ予告を観たくらいの状態で映画を観れますよ。
引き返す方は、この辺りで。

この映画、まぁ観たいとは思っていたのですが、ちょっとな~と思うところもありまして……
友達にメールしました。
アンドリュー君はいいとして、何でシャクレとおへちゃなんやろ(・へ・)
何かね、出来ればわざわざ足を運ぶ訳ですし美しいものが観たいじゃありませんか?
じゃ、誰ならいいかといわれても困るんですけどね。
美人女優は絶滅の危機ですから(個人の意見です)。
何か、シャクレだけ年取ってない?と思ってたんですが、プロフィール見直すとそんなことなかったですね。
私は、ベッカム~の劇場公開で多分初めて見たので長い付き合いだからかもしれません。

さて、余談はこのくらいで……読み進めますか?

特別な子ども達の特別な学校に、ある日久しぶりに新任の先生がやってきます。
しかし、この先生には学校の秘密が受け止めきれなかったのでしょうか?
それとも、真実を告げなければと決心したのでしょうか?
子ども達には、実はそれまでも何度も何度も繰り返し告げられていたのですが、そのことをきちんと理解出来てはいなかったのです。
この時代、医療は進み人々の平均寿命は100歳を超えていました。
それは、彼らのような“特別な存在”のおかげだったのです。
彼らの“提供”により、外の世界の人々は長寿と健康を手に入れた訳だったのです。
彼らは大人にはなるけれども、大人でいる時間は外の世界の人々よりもはるかに短かったのです。
自分たちの運命を理解した後も、淡々と受け止めて逃げだそうとはしない子ども達。
ここが不思議といえば不思議かもしれないんですけど。
それが自分の存在する理由であり、どこに行く当てもないのです。
逃げて、それから?

映画は、キャシーの語りと、彼女が手術室に横たわるトミーと合図を交わすシーンで始まります。
これは、キャシーの回想録なのです。
やがて、彼女にも“提供”の時がやってきます。
自分達と自分達が救った人達は何が違うのか?

誰か答えは見つけられるのでしょうか?

校長先生役のシャーロット・ランプリングがいいです。
威厳とカリスマ性を備えた絶対的な存在感。
彼女の言うことなら素直に従うだろうと思わされます。
子供たちに絵や詩を書かせ、魂があることを証明したかったと言う彼女。
でも、心があるとは思っていなかったとも言います。
魂と心の違いとは?

悲しい映画なのでしょうが、不思議と泣きませんでした。
彼らが臓器の入れ物であるように
誰もがただの遺伝子の入れ物であり乗り物であると思っているからかもしれません。
人間は自分の複製を残そうとしているのだと、ずっと思っていましたが、それも違うのだなとこの数年思っています。
自分が残ることはない。
何億年もの昔から、僕らは遺伝子のコピー機なのです。

ここで、人間としてどうするか…というところなんですが
べつに、カタツムリが何にも考えいないと思うのは人間の思い上がりなので、彼らは人間になど想像もつかない思索に耽っているのやもしれませぬ。
で、まぁ、それは置いといて、ルーシー先生が言ったように自分なりに自分というものを考え証明しなければならないのだろう。
人は、普段は忘れがちというか、もしかしたら考えないようにしているのかもしれませんが、皆、絶対に死ぬのだし。
そのことをずっと傍らに置きながら生きるのと、棚に上げて忘れたように生きるのと。

何だか、シャクレじゃないや、ルースが切なかったですね。
多分、いけないことをしたのでしょうけど、『孤独』を何よりも耐えがたいと思ってのことだろうし。
昔の日本映画のヒロインのように秘めるキャシーに、原節子ってこんな感じなのかしら?と思ったり。
残念ながら容貌がだいぶ落ちますけど……;;

グルグルと考えているのは、校長は何故彼らに魂があることを証明したかったのか?ということ。
自分の中では理由が固まりつつある感じなんですけど…皆さんどう思うのでしょう?


『我々人間は偶然のうちに生まれ、出会い、孤独のうちに死んでゆく
こののっぴきならない条件に立ち向かいある者は神に助けを求めある者はもう一度人間に戻ってゆく
もし、我々の存在がただの偶然であり、何の意味も為さないとするならば、我々自身がその意味を創ろうではないか。

と考えたのが、サルトル・カミュ・マルローら無神論的実存主義者の立場なんだね。
ホーホケキョ。』

っていうのを天才バカボンのバカボンもパパも出てこない話で12歳くらいの時に読んだんですけど(一字一句同じではないと思うけど、ホーホケキョは自信ある!)何巻に載ってるかとか、ご存知の方おられませんか?
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