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私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。

赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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かうんたー
数え始め 2006/11/14
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幼いユスフは、人里離れた森に両親と住んでいる。
養蜂家の父、ヤクプは、高い木に仕掛けた巣箱で養蜂を行って生計を立てていた。
ユスフは父が大好きだった。
大嫌いな牛乳もこっそり飲んでくれるし、大事なことは小さな声で話すことも教えてくれた。
ある朝、ユスフが昨夜見た夢の話をしようとすると、ヤクプは「夢を人に聞かれてはいけない」と言い、ユスフは父の耳に夢をささやく。
すると「その夢は誰にも話しちゃダメだ」とに告げる。
この夢は二人の間で永遠の秘密となった。
小学校に入ったばかりで読み書きを学んでいるユスフは、あまり上手く教科書を読むことが出来ない。
上手に音読できたら先生からもらえるご褒美のバッジが手に入るのはいつのことだろう。
そんな折、森の蜂たちが忽然と姿を消す。
ヤクプは家族の生活のため、もっと深くの森へと巣箱を仕掛けに入っていく。
しかし、あさってには戻ると言った父は戻らない。
母のゼーラはユスフを心配し、彼に昇天祭(ミラージュ)の夜を祖母の家で過ごさせることにする。
翌日、母とアララト山の祭りに父を捜しに行くが父は現れなかった。
日が経つにつれ、気丈に振る舞っていた母も、日を追うごとに哀しみに暮れていく。
そんな母を、ユスフは大嫌いだったミルクを飲んで励まそうとするのだが……

いや~寝ますよ(-_-)zzz
プッチーニの愛人に続いて、意識が遠のく映画第二弾。
これも、台詞が少なくて音楽もないというのは、まぁ、分かってたんですけど……
森はダメだ~
ブンミおじさんの時も思ったけど、森はダメです。
程良い仄暗さ、シンと静まり返っているのではなく何かが息づいている小さなざわめき。
胎内って、もしかしたらこんな感じなのかも。
という訳で、頑張って集中しようとしても心地良さが勝つという……
プッチーニと違って呼び鈴を鳴らしてくれる奥様もいません;;
これもまた、どこまで話していいものやら……;;
なので、ネタバレで書きます。
未見の方はご注意ください。

冒頭、男の人が高い木にロープをかけて登っていきます。
しかし、途中でロープをかけた枝が……

予告編を見た時は、蜂を持って出奔したのかしら?
と、一瞬思いましたけど、千両みかんの番頭さんではあるまいし、それはないですね(笑)
ということは、冒頭のシーンのようなことが実際に起こってしまったのかもしれません。
何もかもが淡々と
説明はされず進んでいきます。
ユスフが朝、お父さんの所に行きカレンダーを読んでいるシーンがあります。
やはり、つっかえつっかえで(小学校に入ったばかりなのだから当たり前かもしれませんが)、あまり上手ではありません。
が、お父さんがいなくなってしまってから、前に他の子が読むのを聞いて自信満々だった物語すらもつかえて読めなくなってしまいます。
大好きなお父さんがいなくなって、心に何らかの影響が出たのでしょう。
お母さんは割と厳しくて、お父さんにべったりという感じのユスフでしたから、寂しさは人一倍なのでしょう。
宿題を忘れて、隣の子のノートを横取りしたりしてしまうのも、それが原因かもしれません。
隣の席のハムディ君は可愛くてお気に入りです(*^_^*)
この子、ノートを取り換えられても文句も言わないんですよ。
その前に、ユスフが一生懸命に本を読んでいるシーンでも一緒に力が入ってて、可愛いです。
で、まぁ、そんないい子に意地悪をしてしまったユスフですが、学校を休んでいるとお見舞いに行ったり。
本当は優しい子なのですね。
だから、元気がないお母さんの様子とか、とても心を痛めたと思います。
祭りの後、ついにお父さんが見つかります。
望んだ形ではありませんが……

夕暮れ、ユスフはお父さんが飼っていたミミズクを追って、森の奥深くに入っていきます。
本当に胎内のような森の中。
眠る彼の姿は安らかです。
きっと、悲しみは癒えて、お父さんに約束したようにお母さんと家を守る強い男の子になるでしょう。


余談ですが、『また日本語を解さないと思われる事件』発生。
観終わって映画観を出た所で、声をかけられたのですが(♂)、あまりにも眠くてムニャムニャしい返事だったのか、日本語が分からないと思われてしまいました。
眠くて早く帰りたかったので、捨て置いたのですが、多分、一緒の映画見てた人だと思うんですけど……
日本語字幕読んでますけど。
たま~に、日本人だと思われてない時があるんですけど、じゃ、一体どこの人だと思われてるんだろう(・・?
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1909年、プッチーニは、イタリア・トスカーナ地方の湖畔の景勝地トーレ・デル・ラーゴで、新作オペラ『西部の娘』の作曲に取り組んでいた。
その最中、メイドとして働いていたドリーア・マンフレーディが服毒自殺を図る。
プッチーニの妻エルヴィーラが、プッチーニとドリーアの仲を疑い、人前でドリーアを辱めたのが原因だった。
それを苦にしたドリーアは毒を飲み、その数日後に死亡した。
しかし、後にドーリアは無実であったことが分かる。
では、プッチーニの本当の愛人はだれだったのか?

いや~こんな映画だったとは……
失敗したな~((+_+))
というのは、内容のことではなくて。
この映画、ビックリするほど台詞が少ない。
音楽も、プッチーニが作曲している時にピアノを弾いたりするし、湖上の酒場の女主人が歌ったり、洗濯女が歌ったりするんだけど、全体的に静か。
この時期、やっぱり暑さでよく眠れていないのか寝不足気味で……
瞬きをするのに瞼を閉じた……ら、しばらく開けられなかったり;;
後ろのおっちゃんはゴーゴー寝てました(@_@;)
時折、奥さまがチリンチリンと鳴らす呼び鈴にハッとしたりして、まぁ、だいたい見たと思うんですけど……(笑)

その生涯に様々な女性と関係をもったことが知られるプッチーニ。
彼の作曲したオペラのヒロインと、その折に関係のあった愛人との間には何かしら共通項があったと言われているのだそう。
では、『西部の娘』作曲当時の愛人はドーリアでなければいったい誰なのか?

何か、どこまで書いてよくってどこを秘密にしてなきゃいけないのかよく分からないので、ネタバレも何も考えずに書きます。
ご了承ください。

元々は、ドーリアがお屋敷の準備のために一足先に帰ったところ、プッチーニの娘の不倫現場を目撃したところから始まります。
もちろん、彼女は黙っていたのですが、先制攻撃とばかりに娘の方は父プッチーニとドーリアの親しげな様子から二人の仲が怪しいと母親に告げ口したようです。
「ようです」というのは、台詞がないから。
雰囲気的にきっとそうだろうと。
奥さんは召使たちにもそれぞれに選んだプレゼントをあげたりして、心根の優しい方だと思うのですが、どうも嫉妬深いよう。
言われてみれば、どうも自分の亭主と召使が必要以上に親密な気がしてきたようです。
決定的な証拠を掴んだという訳ではないのですが、状況証拠から奥さんは亭主の相手は召使で間違いない!!と思う訳です。
となるとお気に入りだったドーリアに酷い仕打ち。
いや、お気に入りだったからでしょうか?
それに耐えきれず、ドーリアは死を選んでしまうのですが、端々に垣間見える映像から彼女はプッチーニと愛人間のメッセンジャーだったような……
それゆえに、プッチーニとの間に秘密を共有する親密さがあったのではないかと。
まぁ、若い女中さんと女癖の悪い亭主では疑いたくなるのも当然ではあります。
監督が辿り着いた本当の愛人は、どうもあの人……
そこのところは、見ていただいて確かめていただきたい。

ストーリーの(まぁ、はっきりしたストーリーがあるとは言い難いんですけど)鍵となるのは手紙。
何通か朗読される手紙が物語を運んでいるといえば言えます。
全体的に映像詩と言った方がいいような作品。
ハッキリと描かれるものはごくわずか。
秘めているからこその官能といった感じでしょうか?
そういえば、私が司祭の服や軍服が好きな理由もこれだろうな~(笑)
それはさておき。
美しくて、ミステリアス、色々と考えさせられるよい映画。
ただし、映画観の仄暗さと静か~な感じにうっかり瞼が下りてきがちなので、寝不足でのお出かけはお控えください。
スペイン、大都市バルセロナの片隅で生きる男ウスバル。
彼は、2人の幼い子供たちとの3人暮らし。
決して裕福とはいえず、日々の糧を得るために不法労働者の仕事の斡旋など非合法な仕事をしている。
それもこれも、子どもたちと共に生きていくため。
しかしある日、ウスバルは死を宣告される。
彼の体はガンに侵され、余命は2ヶ月だという。
子どもたちにも、そして別れた妻にも、兄にすら打ち明けられないウスバル。
確実に忍び寄る死の恐怖と闘いながら、彼は愛する子供たちのために出来る限りのことをしようと決意する。

冒頭の思いがけない冬景色にグッと引き込まれる。
実は、見たことないアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ作品。
予告編でポロポロ泣いてしまったので、本編を見たらどうなることか……と思ったけど、大丈夫でした。

いきなり、まだ幼い男の子達の葬儀の場面。
ウスバルは頼まれて子ども達の棺のそばへ。
彼は、見える人らしく。
しかも、見えるだけでなく、その話を聞き、旅立ちの手伝いも出来るらしい。
そうして、少しばかりのお礼をもらう。
ということもあるらしい。
でも、伝える言葉次第では酷くなじられたり……
真実といえども、遺族には聞きたくない言葉もあるものです。
お金をもらうとはいえ、あくまでもちょっとしたお礼ということで、これではとても暮らしてはいけないよう。
裏稼業が本業ということになります。
この非合法な仕事で食べてるというところも、彼の焦りの原因の一つでしょう。
ちゃんとした会社員とかなら、死んだ時に何がしかの保証があるかもしれないし。
そんなことなくても、それなりの蓄えがあったかもしれません。
命が期限付きになったことで、少しでもたくさん子ども達にお金を残そうと、頑張ります。
裏稼業ですけど。
自慢できる仕事ではないですが、彼にはそれなりの思いやりとかもある。
仕事を斡旋した中国人不法移民が寒さに震えているのを見かねて暖房装置を買ったり。
これも、日頃少しずつ感じていた罪の意識が、償うための時間が僅かだと知った結果でしょう。
彼らを束ねている中国人に搾取するな!と怒ったり。
だけど、彼らの言うとおり、彼だって搾取してるんです。
ここら辺が難しいところ。
いい人なんだけど……ねぇ。
移民たちのために買った暖房器具は後に悲劇を呼びます。
色んなことの歯車がだんだん悪い方に噛み合っていってしまいます。
別れてしまった妻は、情緒不安定。
薬物の中毒のためなのか、躁鬱状態です。
それでも、子ども達を託せるとしたら、妻しかいません。
ずい分よくなったという妻と、家族4人で囲んだ食卓は本当に楽しげで、見ているこちらも思わず笑みがこぼれる。
とはいえ、やっぱり幸せな日々は長くは続かないのです。
妻の病状はまた悪くなり、苛立って子供を叩いたりしてしまう。
ウスバルも賄賂を渡して警察に目こぼししてもらっていたのに、とうとう捕まってしまったり。
そうしている内にも病状はどんどん悪くなる。
どんどん旅立ちの日は近づいて来る。
死者の言葉を伝え、旅立ちを手伝ってきた彼の言葉を伝え、旅立ちを手伝ってくれるものはいない。

『光のほうへ』を思い出す、
どうして何もかもが悪い方に転がっちゃうんだろう!?と。

とうとう期限はやって来て、とても悲しい別れがある。
それなのに
最後の場面を見ている時、心がフッと軽くなる気がした。
彼が背負っていた重いものをやっと下ろしたことへの安堵か?
彼がやっと会えた人に見せる、初めて見せた爽やかな微笑みのせいか?
そして、自分も遠からず何も背負わなくてもよくなる日がきっと来るという希望のためか?

向こうには何が待っているのか?
待っているものは、そう悪くない筈だ。
そう思える。

ところで、中国人のおっちゃんのロマンスは要ったんかな~?
確かに、要った気もしますけど……ねぇ。
フセイン政権の崩壊から3週間後のイラク。
戦地に出向いたまま戻らない息子を探して、年老いた母親は、12歳の孫アーメッドを連れ、旅に出る。
息子の嫁は既に亡くなっており、アーメッドは父の顔も知らない。
彼に残されたものは父親の縦笛だけだった。
祖母とアーメッドはわずかな現金を持って、ひたすら歩き、時にヒッチハイクをし、バスを乗り継ぎ、砂漠を旅していく。
祖母はクルド語しか話せず、アーメッドが片言のアラビア語で道を訪ねたりする。
2人は、強欲なようだが、実は気のいいトラックの運転手、逞しく路上で生きる少年、クルド人殺戮に加担し心に傷を負った元兵士らと出会っては別れていく。
過酷なイラクの現状に押しつぶされそうになりながら、息子そして父のいる筈の地を目指す。

一面の砂漠(砂というより石の)
荒れ果てたままの建物
荒涼とした風景が、旅の過酷さを物語る。
12年も音沙汰がない息子を、私には信仰がある、子どもが死ねば自分の一部が死ぬ(から分かるのだ)と、老婆は言い、生きていると言い張るが、本心そうなのか、自分を励ますためなのか……
まるで、ドグマ方式のようにBGMは排除され、聞こえるのは少年が吹く縦笛、トラックの運転手やその他の人々が歌う歌声、喧騒等々。
自分もその場にいるような気分になれればいいが、なかなか入り込めない気もする。
婆ちゃんは、このまま喋らないの?と思う程ずい分喋らない。
かと思うと、喋り出したら止まらなかったりするのだけど。
クルド語しか話せない婆ちゃんはヒッチハイクしたり道を訪ねたりするのもままならず、そういうのは孫の役目。
出会った人達は、結構おっかなかったり素っ気なかったりするのだが、それは余裕がないためで、実は優しいのだな。
トラックの運ちゃんはがめつくお金を取ろうとしたのに、バグダッドについて二人を降ろすとお金を返してくれたりする。
バスで近くの席に乗り合わせた男性・ムサは、二人を放っておけないとあれこれ面倒を見てくれる。
クルド語が何故話せるのかと尋ねると、彼は、昔、無理やり兵士にされてクルド人の村々を襲ったことを打ち明ける。
すると、とたんに婆ちゃんは「人殺し!」となじり出す。
まぁ、気持ちは分かるけど……
何だかとても悲しい場面でした。
だって、好きでやったことじゃないんだもの。
孫は、「傷つけられても許しなさい」と、婆ちゃんが言ったじゃないか!!と言うんだけど、婆ちゃんはなかなか聞き入れない。
目的の刑務所についても、やっぱりだけど息子はいない。
最近見つかった集団墓地に行ったらどうかと言われても、息子の生存を信じたい婆ちゃんは決心がつかない。
しかし、ついに覚悟を決めてアーメッドを連れて墓地へ向かう。
だが、墓地と言っても単に埋められただけみたいなもんで、誰がどこにいるのか分からない。
他の墓地を探してみるよう言われたり……
そんなに、いっぱい人が埋められていることに呆然とする。
戦争ってそんなもんだけど……
やっぱり、酷いもんだ。
探しても探しても息子は見つからず……
そんな人達がいっぱいいっぱいいるらしい。

何だか、とってもやりきれない気持の残る映画でした。

見てる最中に、スッゴイ揺れたんだけど(地震。和歌山でM5.5だったってヤツ)、映画もそのまま続けられ、お客さんも静か。
一人で、ちょっとあわわ(@_@;)ってなってました。
という訳で、中盤若干集中力のない状態で見てしまいましたとさ;;
母親はアルコール依存症で、ロクに面倒も見てもらえない兄弟。
生まれたばかりの小さな弟は、そんな二人の希望だった。
育児放棄した母親の代わりに、ミルクを工面し、煙草を片手に赤ん坊をあやす。
名前をつけなくてはと思い立ち、電話帳からでたらめに選び、教会の洗礼のまねをする。
まるで、でたらめだったけれど、そこには確かに希望があった。

しかし、小さな弟は突然死んでしまう。

それから月日は流れて……

大人になったニックは、シェルターで暮らしている。
刑務所から出てきたばかり。
酒と身体を鍛えることで、日々をただ過ごしていた。

一方、弟は妻を交通事故で亡くし、幼い息子をひとりで育てていた。
親子は互いに強い愛情で結ばれている。
ある日、ソーシャルワーカーに、かつて薬物中毒だったことを引き合いに出され、息子をきちんと育てられないなら引き離すと伝えられる。
クスリはもうやっていないし、ちゃんとやっていけると言う弟だったが、家につくとすぐに息子をリビングに残し、バスルームで慣れた手つきでクスリを打つ。
気を失ってしまい、あわてて部屋に戻ると、息子は床で眠り込んでいた。

疎遠になっていた兄弟は、母親の死をきっかけに葬儀で再会する。
兄は、母親に遺産があったことを兄が弟に告げ、遺産は全部やると言う。
ただ、彼の息子が心配なのだと……。

愛された実感がないのに愛するのは難しい。
だから、兄のニックは恋人のしたことに対処出来なくて、八つ当たりして、刑務所に入る羽目になったりする。
弟は、ちゃんと息子の面倒を見たいと思ってるのに、我慢しきれずに、またもクスリに手を出して、息子を放ったらかしにする羽目になる。
兄は酒浸り、弟はクスリ漬け。
結局、大嫌いだった筈の母親と似てしまっている。

愛しているのに、具体的にどうすればいいのか分からないのだ。

悪人なんじゃない。
だけど、人間として基本的なことが、ちゃんと理解出来てなかったり、分かってても行動出来なかったりするのだろう。
所謂、正しい方法が分からないのだ。
貧しければ、盗めばいいっていうのは、やっぱり違うし。
せっかく手に入れたお金も、いくら増やしたくても、そんな方法は取るべきじゃないし。
何もかもが、どうしてそうなっちゃうんだよ!?と、言いたくなる程、悪い方へ悪い方へ転がっていく。
というよりは、悪い方ばかり選択してしまう人達なのだ。
他のいい方法は思いつけないのだ。
他のいい方法を知らないのだ。

どうして、兄弟が疎遠になったのか。
母親の元をいつ離れたのか。
その辺りのことは描かれない。
だから、想像するしかない訳だけど。
唯一寄り添える存在だった筈の兄弟を引き離したものは何だろう?
小さな弟を失くした辛い記憶だろうか?

弟の息子の名前は、兄弟にとって大きな意味を持つ。
失くしてしまったものを、取り戻すことはとてつもなく難しいけれど。
他の何かで少しずつ埋めていくことは出来るかもしれない。
それは、失われてしまったものとピッタリ同じではないけれど。

辛いことばかりが次々と起こってしまうけど、ニックが「何とかなるさ」と言えるようになったのは、きっといいことなんだろう。
だから、とても悲しいラストシーンも、どこかに光を感じられる。

きっともうすぐ、何とかなるために、何とかしなきゃいけないことに、気づけるようになるだろうって……。

何だか、ボディーブローのように、だんだん後から効いてくる映画。
弟に名前がないのは、誰もが彼のようになり得る、ということを現わしているのかもしれない。
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