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私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。

赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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基本的にホラーは観ないんですけど……
ま、観てきちゃいました。

名作といわれる1981年公開のホラーを3D映像を使ってリメイク。

新米の炭鉱作業員トムは事故を引き起こしてしまい、5人が生き埋めになった。
その中の唯一の生き残りが、ハリー・ウォーデン。
彼以外は全員惨殺されており、彼の犯行と見なされていた。
そのハリーも命は取り留めたものの昏睡状態にあった。
しかし、一年後のバレンタインデーに突然目覚めると、病院内の人を始め、住民22人を次々と殺害し、炭鉱のトンネルの奥へと姿を消した。
そして、ハリーの仕業と思われるバレンタインデーのチョコレートボックスに収められた心臓が発見された。
その事件に遭遇し、自らも襲われたトムは、その日以来姿を消す。
10年後、トムが街に戻ってきた。
実は彼は事故のあった炭鉱の持ち主の息子で、父が亡くなった後、炭鉱を処分するためにやってきたのだった。
炭鉱が唯一の産業である街の人たちは彼に冷たく当たる。
そして、ある夜、炭鉱夫姿にガスマスクをつけ、つるはしを持った、10年前と同じ姿の殺人鬼が出現し、平穏を取り戻していた街は再び恐怖に包まれた。

典型的なアメリカのホラーでしょうか?
アジアン・ホラーのあぁいう怖さとは全く質が違う。
ひたひたと恐怖は迫ってくるんだけども、迫ってくるものの性質がまるで違っている。
東洋の怖さって何か湿ってる感じがしますよね?
ポタポタと水が滴り落ちるような。
そういうんではないですね。
ガツッと来る感じ。
だから、まぁ、怖いよりは驚きの方が私は強かったです。
こういうホラーに付き物の無駄なお色気シーンもあります。
ヒロインはタンクトップで逃げるしね。
なので、いかにもアメリカなホラーが好きな人はどうぞ。

3Dって初めて観たんですが、飛んで来る物とかに身体がビクッと反応しちゃいますね。
それと、何か~気持ち悪くなってくるね;;
多分酔ったんだろうね。
乗り物とかもめっちゃ弱いもん(-_-;)
帰りも気持ち悪かった。

あ、冒頭にナイスショットな感じの映像がありますんで、しっかり見てね。
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ロメールの爺ちゃんが、もうこれで長編は撮らないかも。と、本作の撮影後に言いました。
ならば、やはり観ておくか……と。

5世紀、ローマ時代の最中その影響をあまり受けなかったガリア地方に住む二人の恋人達。
純粋な愛を育んでいた羊飼いの少女アストレと青年セラドン。
二人の両親が不仲だったので、アストレとセラドン大っぴらに付き合うことは出来なかった。
祭の当日、アストレとの打ち合わせ通り別の女性と踊っているセラドン。
しかし、その女性がセラドンに言い寄るのを見たアストレは、彼が裏切ったと思い込んでしまい、彼を避ける。
セラドンはアストレの誤解を解こうとするが、「私の前にもう二度と現れないで欲しい」と拒絶され、絶望して入水自殺を図る。
下流の森では、ドルイド僧の予言の鏡に溺れて横たわる男の姿を見たニンフ(精霊)達がセラドンを助けに行き、彼は一命を取り留め、彼女たちの城へと連れて行かれた。
その美貌からマダムに気に入られ、村へ戻ることを許されないセラドン。
鬱々とした日々を城で過ごしていたが、彼を兄と慕うニンフ、レオニードの計らいで城から脱出する。
しかし、アストレの言葉を忠実に守り、彼女のいる村には戻らず、森で暮らし始める。

一方、セラドンが死んでしまったと思い込んだアストレは悲しみに暮れていた。
そんな彼女を友人たちは励まし、僧侶が主催する祭に一緒に出かける。
祭へ向かう途中、アストレは森でセラドンの作った東屋を見つけ、そこに置いてあった詩が以前彼が書いたものと似ていることに、動揺しながらも喜びを隠せずにいた。
道に迷い、森で夜を明かすことにした一行に、偶然出くわしたセラドンは、眠る彼女に思わず口付けしようとする。
しかし目を覚ましかけたアストレに驚いて、その場から逃げ出してしまう。

そんなセラドンを不憫に思ったレオニードと彼女の親戚でもあるドルイド僧は、アストレに会う機会を彼に与えようとする。

「私の前にもう二度と現れないで欲しい」というアストレの言葉を忠実に守ろうとしつつも、どうしても会いたいと願う、セラドンは僧侶のある案でアストレに近づくのだが……

原作は、17世紀にパリの貴婦人たちの間で大流行した小説『アストレ』
この作品は、大河ロマン小説の原点とも言われていて、全篇5,000ページにも及ぶ。

ということなので、もっと面白いところがあるのかもしれない。
映画ではこの中から『我が至上の愛~アストレとセラドン~』の部分を取り出している。
これがね~まぁ、17世紀のパリの貴婦人達の間で流行っていうから、ハーレクインぽいのかしら?と思ってたんですが。
ま、当たらずとも遠からずというか……
ゆる~いハーレクインというか、でも、ジュニア小説でもこんなん有り得へんわ~;;
みたいな。
お話はもうもう単純至極。
ロメールらしいといえば、とても、らしい、かも。
彼を凄く愛してれば、凄くいい映画だと思うかもしれない。(私はそこまで愛してない;;)

とりあえず、ロケーションと俳優達は美しいので、目の保養にはいいかも。

でも、隣の隣のオッサンはめっちゃ寝てました。
しかも、予告から……
だから、映画がつまらなかったからではないのでしょうが。
いびき五月蝿かったわ~(-_-;)
やっと観れました。
上映時間はどんどん変わっちゃうし、もう諦めかけてたんですけど。

映画は、車に乗った男性がガソリンスタンドに立ち寄る場面から始まる。
スタンドの男は「犠牲祭おめでとう」と声をかけた。
彼は『満タン』と頼み、トーストを注文しスナックと飲み物を買う。
店に流れる音楽を誰の曲かと尋ねる。
店主は彼の知らない名前を言う「黒海岸では有名だ。だが2年前に死んでしまった。あんたと同じように若かったのに。」
彼は再び走り始める。
道は遥か先まで続いているようだ。

場面が変わる。
老人が、飾り窓のような通りを歩いている。
そして、気に入った女の所へ。
彼女が自分と同じトルコ人だと分かると、老人は途端に「恥ずかしいな」と言う。

その老人の元に息子がやって来た。
ドイツの大学で教授をしている。
彼は「読んで」と一冊の本を置いていく。

老人はまた同じ娼婦の元へ。
彼女が気に入ったのか、今稼いでいるのと同じだけ払うから一緒に暮らさないかと持ちかける。

仕事の帰り道、バスに乗った彼女は2人組みの男に脅される。
そのためか、彼女は老人に会い、一緒に暮らす決心をする。

また、老人の元に息子がやって来た。
父が娼婦と暮らしていると知って驚いた彼だが、早くに母を亡くしたからか、「娘に会いたい」と嘆く彼女に同情したのか、心を通わせるようになった。
ある夜、父が倒れた。
重い心臓発作だった。
だが、何とか退院し、息子は父を彼女、イエテルに任せ、戻っていく。
後日、父親とイエテルは口論になり、父親は弾みで彼女を死なせてしまった。

所変わって、イスタンブールでの反政府デモ。
警察が介入し、暴動へと発展する。
そして、一人の女性活動家が逃げる途中に携帯電話を落としてしまう。
その情報によって、逮捕される仲間達。
彼女は、そこにはいられなくなってしまった。
偽造パスポートを手に入れ、ドイツへやって来た彼女、アイテン。
ドイツの組織に身を寄せ、母を捜そうとするが見つからない。
実は、彼女の母親こそイエテルだった。
彼女は娘には「靴屋で働いている」と嘘を吐いていたのだ。
組織のメンバーに借りた金を返すことが出来ず追い出されてしまう。
一番安く食事が出来ると聞いていた大学へやって来たアイテン。
だが、文無しだ。
お金を貸して欲しいとひとりの女子学生に声をかける。
一緒に食事をし、話しを聞くうち、その女子学生、ロッテはアイテンを自分の家に招く。
だが、ある日アイテンは捕まり、不法滞在のため強制送還されてしまう。
彼女を救うため、ロッテはトルコへと旅立った。
何とか、アイテンとの面会を果たしたロッテだが、不慮の事故で死んでしまう。

イスタンブールへやって来たロッテが訪れたドイツ語の書籍を扱う店に、冒頭に登場した男性であり、老人の息子であるネジャットがいた。
彼は大学を辞めて、ここで本屋を営んでいた。

ドイツとトルコをグルグルと行ったり来たり。
生きている人も棺に納まってしまった人も。
当初、全く無関係に見えた人々の間の繋がりが次第に明らかにされ、それぞれ別々に語られていた物語が、実は時間も場所も重なっていたのだと明かされていく。
皆、ほんの少しのすれ違いで、出会うことはなかったのだと。

イエテルの死とロッテの死が、人々を繋ぎ、大切なものを思い出させていく。
3組の家族の生と死と悲しみと憎しみそして、愛が交錯する。

ネジャットの家に下宿していたロッテの遺品を引き取りに来た母、スザンヌは、ロッテの住んでいた部屋で彼女の日記を読んだり、同じベッドで眠ったりするうちに、再び強さを取り戻していく。
犠牲祭へと出かける人々を窓から眺めるスザンヌとネジャット。
犠牲祭の意味を尋ねる彼女にネジャットが説明をする。
そして、彼は思い出す。
幼い頃、父が自分に言ってくれた愛に溢れた言葉を。

そして、「人殺しなんか父親じゃない」そう言って会わないままでいた、出所してトルコへ強制送還された父の元を訪ねる決意をする。
そう、ここで、冒頭にクルンとなるのだ。

釣りに出かけたと言う父、アリを待つネジャット。
スクリーンは、砂浜に座り海を眺める彼の後ろ姿を映し続ける。
私たちは、彼と一緒に待っている。
水平線の向こうから、小さな船影が現われるのを。
早く帰ってこないかと思ったり、もう少しこのまま海を眺めていたいと思ったり、本当に帰って来るのかな?そんなちょっぴりの不安も抱きながら。
彼とただ水平線の向こうを眺めている。

ひとつ気になっていることがある。
ネジャットに渡された本を海辺で読み終えた父、アリが涙を浮かべる。
そこには何が書かれていたのだろう?
彼もまた、息子と同じ思い出を思い出したのだろうか?
冒頭のシーンは、1964年のニューヨーク。
一人の男が語っている。
革命家にとって重要なものは『愛』だと。

アルゼンチン人医師だった彼、エルネスト・ゲバラは、何故、キューバ革命を成功に導き、20世紀最大のカリスマになったのか?
1955年、メキシコ。
持病の喘息を抱えながら、ラテン・アメリカの貧しい人々を救いたいと願い、旅を続けるアルゼンチン人医師エルネスト・ゲバラと、独裁政権に苦しむ故国キューバの革命を決意するフィデル・カストロが出会った。
わずか82人で古びた船で海を渡り、キューバ政府軍と戦うというカストロの作戦に参加を決意するゲバラ。
軍医としてゲリラ軍に加わった彼は、仲間達から厚く信頼され、『チェ』という愛称で呼ばれるようになる。
これは、彼の口癖で、よく使っていた『ねぇ、君』という意味の呼びかけの言葉。
チェ・ゲバラは、平等な社会のために戦い、兵士達に厳しい規律を課し、それを自らも守り、農民達に礼を尽くした。
読み書きの出来ない兵士達を自ら教育する一方、裏切り者には容赦のない罰を課す。
だが、負傷兵はどんなことがあっても、見捨てることはせず、時には敵の兵士さえも助けた。
やがて、カストロに統率力を認められ、司令官として部隊を率いることになったチェ・ゲバラ。
彼の率いたゲリラ戦は成果を挙げ、やがて都市部をもキューバ軍から開放していく。
ハバナは、もう目の前だった。

カストロとの出会い、森の中、ゲリラ戦を戦う様子はカラーで、ニューヨークででの様子はモノクロで撮られている。
前にも書いたとおり、私は39歳~を先に見る羽目になったわけなんですが、こちらが時系列どおりに進んでいくのに対して、1964年の国連総会に出席するゲバラと森の中で戦うゲバラが交錯して描かれている。
カストロとの出会いのシーンも、至極淡白でどうして彼がキューバ革命に賛同する気持ちになったのか、がビンビン伝わってくるということもない。
カストロは確かに熱く語っているし、ゲバラはその言葉に聞き入って頷いているのだけどもね。
このPart1も淡々とゲバラという人物のことを語っている。

印象的だった、というか、何で彼が皆に慕われたのかが分かるというエピソードが。
マスコミとのインタビューが控えているゲバラにスタッフの女性が「メイクはいかが?」と話しかける。
「そんなもの~」という感じで断った後に、他の男性がメイクされているのを見て、「やっぱり、少しやってもらおうか。」と言うのが、何だか可愛かった(*^_^*)

でも、やっぱ、あれですね。
キューバ革命の何たるか、的な知識に乏しい私には背景がぼやけまくっているせいなんやろね、こう、グッと捕まれるようなものがあまりない。
理想に燃えて、自ら率先して戦うゲバラはの熱い気持ちは、ガラス戸の向こうに見えているけど、熱は少し阻まれてしまっている感じ。
あくまでも、彼は心優しく、清く、熱い。
39歳~の記事で書いた、心優しきワーカホリック、の印象は変わらない。
と、同時に、何故彼が若くして命を落としたのかも透けて見える気がする。
あまりにも高い理想を掲げる彼を見て思い出した言葉が『水清ければ魚棲まず』。
人は理性だけで生きているのではない。
彼のように皆が生きられるわけではないのだ。
カストロが目的達成のためならば、清濁併せ呑むことも拒まないのと対照的だ。

ラスト、ゲバラがある兵士の行動に「信じられん」と言うのに、「信じられんのは君の方や」と、つっこみたくなる私は相当資本主義社会に侵されているんでしょう(笑)

余談やけど、デルトロに28歳のゲバラはキツイよね~;;
ベンジャミン・バトン並に加工してもらえばよかったのに(^_^;)

ちなみに、39歳 別れの手紙の記事はこちら
exiled_1
なかなか風邪(?)は、スッキリ治りませんな~;;
それは、出かけてばっかりやから!と釘を刺されそうですが、私にも色々都合があるんです~(>_<)
これも、観ておかないと終わってしまいそうだったので、縁日で賑わう近所を避けながら(通れない;;)行ってまいりました。

『僕は君のために蝶になる』で思いっきり首を傾げさせたジョニー・トー監督の本来撮るべき映画、というか、撮り慣れた映画、でしょうか?

昼下がりの街角、とある家に4人の男が訪ねて来る。
彼らは1人の男を待っていた。
2人はその男を殺すため、2人はその男を守るため。
かつて香港の組織にいたその男、ウーはボスのフェイを狙撃、逃亡していた。
しかし、何故か身の危険を冒して舞い戻ったのだった。
家庭を持ち逃亡に疲れたのだ。
ウーの殺害を、フェイから命じられてやって来た、ブレイズとファット。
タイとキャットは、逆にウーを守るためにやって来たのだった。
実は、5人は幼馴染だったのだ。
固い絆で結ばれていた5人、だが、今は立場を違えていた。

ウーが戻り、家に入ると、その後に続いてタイとブレイズも家の中へ。
3人の男は2階に上がる。
と、銃撃戦が始まった。
しかし、彼らはウーの赤ん坊の泣き出したのを合図のように銃を下ろす。

その夜、男達はウーの妻も交えてひとつのテーブルを囲む。
そして、赤ん坊も含めた7人で記念写真を撮った。

いずれ、死んでいく身の上。
殺される前に「妻子に金を渡したい」というウーのために、5人は一仕事することに。
仲介屋に出向き、マカオのボス、キョンの殺害の仕事を斡旋してもらう。
ブレイズは、この仕事が終わったらカタをつけるとウーに伝えた。
5人はキョンを呼び出してあるレストランへと向かう。
しかし、運命の悪戯か、その場にブレイズたちのボス、フェイが現われたのだ。
ウーがまだ生きていることを知り怒りを爆発させるフェイ。
ブレイズの胸に銃弾を打ち込むと、熾烈な銃撃戦が幕を開ける。

お話的には、何ですか、ひょっとしたら破綻してるかもしれないとすら思うんですけど(笑)
語られることが、とても少ないので、5人が幼馴染だろう、というのも推測するしかないし、ウーは何でボスを殺そうとしたのか?とか、いろんなことが説明されません。
でも、まぁ、これでいいのかなぁと。
そういう枝葉末節はおいといて、このオッサンらの関係性を描きたいということでしょう。
冒頭、ウーを近くの公園(?)で待つ4人は大変渋くてカッコいい。
かと思うと、君らは中二の男子か!?みたいな。
アホっぷりというか、はしゃぎっぷりというか、やっぱり『中二男子』としか形容できませんわ(笑)
最後の銃撃戦は、思ったよりもずい分短くて、「あれ、もう終わり?」という感じで、ちょっと拍子抜けしないでもないのですが、飛び交う銃弾や飛び散る血を美しくさえ見せる手腕はさすが。
『写真』の演出も憎いですね。

それにしても、リッチー・レンがオイシイところを取っていきますが、いや~、ねぇ、もう。
正直、あんなもっさい顔がスター様になるとは思いもしませんでしたわ~(笑)

余談ですが、今回改めてキャストのプロフィールを読んみて、ビックリ!!
え~!!フランシス・ンより、アンソニー・ウォンの方が若いの!?
むむ、恐るべし香港明星!
でも、皆とっくに40歳超えてるんだよね~。
いや~、やっぱり湿度が高いから?(シワがいき難いのかしらん?)

ところで、前述の『僕は君のために蝶になる』は、これより後に撮ってるんだよね~。
ジョニー・トーの向かう先がやっぱりちょっと心配では、ある。
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