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私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。

赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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観てきました。
朝っぱらから。
だって、モーニングショー1回のみなんやもん(~_~;)
夏休み消化中~

シドニー・ルメット監督の『十二人の怒れる男』のリメイク。
舞台を現代のロシアに移し、今のロシア社会が抱える価値観の混乱や多民族国家ゆえの偏見の問題を取り入れつつ、緊迫感のあるドラマに仕上げている。

ロシアのとある裁判所で、チェチェン人の少年がロシア軍元将校の養父を殺害した罪で裁かれようとしていた。
検察は最高刑をある終身刑を求刑。
有罪となれば一生、刑務所から出ることは出来ない。
審議も終了し、後は市民から選ばれた12人の陪審員による評決を待つばかり。
 
彼らは改装中の陪審員室代わりに隣接した学校の体育館に通され、全員一致の評決が出るまでの間、携帯電話も没収されて閉じ込められる。
バスケのシュートを試みたり、格子の嵌められたピアノを弾いてみたり、果てはロッカーに特大のブラジャーを見つけて喜んだり、陪審員達の間には気楽な雰囲気が流れている。
評決を進めようとする男に促されて、残りの11人の男達も評決を下すためにテーブルを囲んだ。
裁判で聞いた隣人たちによる証言、現場に残された証拠品、さらにはそれぞれ予定が差し迫っている男達は、さっさと結論を出してしまおうとする。
「粗暴なチェチェンの少年が世話になったロシア人の養父を惨殺した」として簡単に片付けようとする空気があり、挙手による投票で、全員一致で有罪の結論に至ると思った。
だが、一人の男が同意できないと言い出したのだ。

彼は「結論を出すには早すぎる。一人の人間の一生を左右する問題を簡単に決めていいのか?」と、問いただした。
せめて話し合おうと、再度無記名による投票を提案。
その結果、無実を主張するのが自分ひとりであったなら残る11人に同意をすると言いだした。
結果、無罪を主張する人間は2人となった。
チェチェン人に偏見のあるらしい男が「誰なのか?」と問い詰めると一人の男が名乗り出る。
彼はユダヤ人であり、自分の民族特有の美徳と思慮深さで考え直したと前置きすると、裁判中の弁護士に疑問が湧いたと語る。
被告についた弁護士は目もうつろでやる気がなかったと言うのだ。
これをきっかけに、陪審員たちは事件を改めて吟味する内に、次々と自分の過去や経験を語りだし、裁判にのめりこんでいく……。

タイトル間違ってるよ、と思う。
どっちかと言うと『12人の悩める男』かな。
オリジナルは見たような気もするけど、特に覚えてないので、見てないのかな~
最初は、ちゃっちゃと済ませて、帰ろうぜ~というおっさん達。
しかし、陪審員の一人が独自に、凶器であるとされたとても珍しいナイフが、実は裏通りですぐ買えることを述べたり、目撃者とされた同じアパートの住人が見たのは本当に少年だったのかと状況を再現するうちにエキサイトしていく。
自分の主張を裏付けるために、それぞれ自分の体験を語り、少年の裁判を通して改めて自分と向き合っていく。
一人、また一人と意見を変えていく男達。
ついには頑なに少年が犯人だと主張していた、異民族への偏見をむき出しにした男すら過去に自分が犯した息子への過ちを語りはじめ、少年の無罪を認めるようになる。
だが、そこで陪審員長となった男は、皆に問いかける。
ただ、彼を無罪にして、それで終わりでいいのか?と。
彼にはもう住む家も守ってくれる人もいない、そんな彼をただ外へ放り出してもいいのか?と。

ところどころに差し込まれる映像がある。
戦車の上で雨に濡れる兵士の死体。
焼かれた家、その前で息絶えた人達。
ゲリラ軍兵士達と和やかに遊ぶ少年。
あぁ、これは少年の過去だったのだ。

彼らは最終的にどのような評決を下すのか?
人は人に対して、どこまで責任を負えるのだろう?
また、負わなければいけないのだろうか?
と、柄にもなくシリアスに考えてみたりするのでした(^_^;)

長いけど退屈しません。
でも、ずっと緊張しっぱなしで、ちょっと疲れちゃいますが、機会があって興味を持ってくださった方はぜひ見ていただきたい見応えのある映画です。

蛇足の補足:最初の無記名投票で無罪に投票した二人目と、名乗り出た人は違うと思うんだけど。
だって、紙の折り方が……つか、折ってないし。
私だったら絶対周りにあわせるけど、意見を翻したことに動揺して気が回らなかったのかな~
まぁ、ロシア語が分かるわけじゃないけど、あの挙動不審さと投票した紙さえ見てれば問い詰める必要なんかまったく無いんだけど。
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観ました。

心優しき根岸青年は、オシャレな渋谷系ポップソングミュージシャンを夢見て大分の田舎から上京する。
渾身の激甘ポップソングでデビューを目指すものの、その道のりは険しく……
たまたま応募したレコード会社で、奇抜なメイクの悪魔系デスメタルバンド「デトロイト・メタル・シティ」(通称DMC)のギターボーカル「ヨハネ・クラウザーII世」として売り出される羽目に。
オシャレとポップソングが大好きな大学時代の憧れの美女・相川さんには、自分の正体(?)を隠して活動を続ける根岸青年だったが、DMCのデビューシングル「SATSUGAI(殺害)」は爆発的大ヒット。
自分の意思とは裏腹にクラウザーさんはどんどんカリスマ的存在に……。

日本各地で突如勃発したインディーズバンド戦国時代を制したDMCは、レジェンドを重ねスターダムにのしあがっていく。
しかし、「ボクがしたかったのは・・・こんなバンドじゃない!!」と、苦悩する根岸青年。
DMCの活動の合間に、オシャレミュージシャンとして路上ライブをする日々だが、聴いてくれる人達もごく僅か。
憧れの相川さんとも、上手くいかなくなってしまう。

そんな時、凶暴極まりない世界的デスメタルのカリスマ、ジャック・イル・ダークが音楽界からの引退を発表。
引退を前に世界中のメタルバンドと戦うワールドツアーを敢行するというニュースがアメリカから入ってくる。
そして、日本での対バン相手にDMCが正式指名された。

盛り上がる世間とは裏腹に根岸青年の苦悩はますます深まっていく。
対決の日が刻一刻と迫る中、クラウザーさんは姿を消してしまう。
ジャックとの決戦は、一体どうなってしまうのか?

松山ケンイチって、気になってたんですよ。
口の端がキュルンて巻いてるっしょ?シュミーヤみたい(笑)
この人は憑依系の役者さんみたいですね。(色々分析して考えるより、それがいいと私も思ってたんだけど、世間的にはどうなんだろ?)
オシャレな音楽をやりたい!と思っているのに衣装を着けてメイクをするとクラウザーさんとしての人格が出来上がってしまうという根岸君もまた、憑依系。

素直に楽しめました。
原作もチラッとしか読んだことないので、「こうじゃなきゃ、嫌だ」みたいなこだわりもないし。
人間『好きなもの』に『才能がある』とは限らないんだよね。
両方が一致する人は極々僅かで、まだ近いところに才能があった根岸君は結構幸せなんでは?と思ったりもする(笑)
いや、でも、余計ツライか~(^_^;)
ジャック役のジーン・シモンズ先生も重たそうな衣装着て頑張っとります。

じたばたする根岸君に大笑いして、お母ちゃんのとの会話にじわっと来て、最後楽しい気分で帰れます。
そうそう、エンドロールにマーティ・フリードマンの名前があったんやけど、どこに出てたんか全然分からんかった……。
ジーンのバックバンドとかやろか……
観てきました。
すんごいタイトルですね(^_^;)
原題をそのまま訳したタイトルですが、これだけ聞いて「おぉ!観に行こう!!」とはならないですね~;;
ガルシア・マルケスの作品の映画化です。
彼の作品では『百年の孤独』がず~っと気になっているのですが、未だに読めていません。

どの辺まで書いたらいいのか、加減がよく分からないので、ネタばれありありだと思います。

冒頭、老人と若い娘がハンモック(でしたよね?)で並んで寝ている。
娘は半裸で、2人はただならぬ関係のようだ。
教会の鐘が鳴り、老人は「誰の葬式だろう?」と呟く。
「ペンテコステ(精霊降臨祭)よ。」と言う娘を彼は否定し、起き上がり、窓の外を見る。
「いや、こんなに鐘が鳴らされるのは市長が死んだ時か……」
老人はハッとして、娘に大学へ行くよう告げて、自分も出かける。
ある人のもとへ……。

19世紀後半から20世紀にかけての内戦とコレラの蔓延に苦しむ南米コロンビアが舞台。
若い電報配達員フロレンティーノは、配達先の裕福なラバ商人の娘に一目惚れをする。
日も夜もなく、彼女を想い、恋に身を焦がすフロレンティーノは、熱烈なラブレターでついに娘の心を掴んだ。
しかし、その娘フェルミーナの父は美しい娘を玉の輿に乗せようと考えており、電報配達員であるフロレンティーノとの仲など認めてもらえるはずも無かった。
2人の仲を引き裂こうと、一家は突然引っ越してしまう。

それでも、フェルミーナを想い続け、再会の日をひたすら待つフロレンティーノ。
ついに、彼女は戻ってきた!
の、だが……

久しぶりにフロレンティーノと会ったフェルミーナ、彼を一目見て彼女はハッとした。
そして「あの頃の私は幻想を見ていたのです。」と、彼を拒絶し、去ってしまう。

それでも、思い切れないフロレンティーノは待つ。
ひたすら待つ。
彼女が結婚しても、自分は独身のまま。
とにかく待つ。

そして、何と何と51年と9ヶ月と4日(彼女と出会った日からだろうなぁ)の後、医師である夫と死別したフェルミーナの前に現われて、再び思いを告げる。

い~や~、コレ何やろ?
そんなに待たれたら、どう思う!?と、訊いて回りたい気分である。
奪おうと考えるでもなく、彼女の夫が死ぬのをひたすら待つっていうのも、慎ましいといえば慎ましいが、何だかオドロオドロシイ;;
彼女が結婚し、子どもを儲け、名士の妻として暮らす間、彼は何をしていたのか?
初め、彼は貞節を守ろうとする。
のだが、母の計らいで遠く離れた土地へ就職するために乗ったその船上で、彼の貞操は奪われてしまう。
突然、ある船室のドアが開き、引きずり込まれた彼は襲われてしまうのだ!!
これで、何か吹っ切っちゃったのか、就職もせずに途中で家に帰ってきちゃうフロレンティーノは、次々と女性と逢瀬を重ねる。
そして、船上での不慮の事故を№1とし、関係を持った女達のことを書き綴っていく。
フロレンティーノも叔父の会社を継ぐことになったり、母親がボケちゃったりして大変なんだけど、彼の関心の大部分は女性との逢瀬にあるように見える。

長い長い年月を経て、再び自分の前に夫の死という最悪のタイミングで現われて、愛を告げるフロレンティーノに激怒するフェルミーナだが、彼からの手紙がだんだんとその閉ざされた心を開いていく。
以前のような激しい恋ではない、包み込むような愛情をいつしか彼女も受け入れていく。

ハッピー・エンドなんだけど、思いを叶えたフロレンティーノの目に映っていたのは、今、目の前にいるフェルミーナなのだろうか?
と、ふと思う。
彼の目には、出会った頃のフェルミーナが映っているのだとしたら、それは幸福なんだろうか?

Happy Togetherを思い出す。
『ブエノスアイレス』そのもののことじゃなくてエンディングに流れていたあの曲である。

Imagine me and you,
I do,
I think about you day and night
It's only right,
To think about the girl you love
And hold her tight,
So happy together

てヤツ。

身代わりの彼女を胸に抱き続けた50年余り、彼の想いは本当に報われたのでしょうか?

イギリスの監督だから仕方がないのかもしれないのだけど、スペイン語で撮ってくれたら、もっと雰囲気が違ってたのじゃないかな~と、少し残念。
そんなの関係ないやん。と思うかもしれないけど、言葉の響きは重要だと思うのだ、意味が分からなくても。
コレラのようなこの愛の『狂熱』の本当の意味、つうか、雰囲気はスペイン語訛りの英語では伝わりきらないような気がする。

蛇足の補足:十代のフロレンティーノは違う俳優さんが演じていて(フェルミーナは、ず~っと一緒)再会の場面からハビエルになるんですけど、ハビエルになった途端に振られたみたいなんだよね~
私としては、船で襲われてる途中で変身した方がよかったんじゃないのかな~と。
書くのはちょっとな~と思ってたんだけど気になるので……
ひょっとしたら、物凄く核心に触れる部分かもしれないので、知りたくない方は読まないでくださいね
とはいえ、漫画の方は終わっちゃってるわけで結論が出てるのかもしれないですけど。
これは、推理とかじゃなくて、観察の結果ですね。
え~とね、「ともだち」の人があの覆面みたいなのじゃなくてお面を被ってる時に、襟足とかが見えるでしょ。
見えるんですね。
それを見るとですね、「蔵ちゃん(佐々木蔵之助)に、似てる……?」と思ったんですね~
見える部分の髪の質感とかも。
なので、ケンヂ達の前に現われた「ともだち」も「ともだち」役の人が(顔は見えないけど)演じてるんだとしたら、そうかもしれない。と。
というわけで、これがこうだから「ともだち」はこの人だろう!というようなレベルじゃないの。
これから観に行かれる方は、ちょっと襟足に注意していただいたらどうかな~と。
ま、答えはまだまだ分からないんですけどね。(映画の方では)
すでにご覧になった方も、「いや、あの襟足は○○だろう!」とか「確かに蔵ちゃんぽい」とか教えてくださると嬉しい。
でも、こんなことから考えちゃいかんのだろうなぁ……
累計発行部数2000万部超!
浦沢直樹による世紀のベストセラーコミック、全世界待望の実写映画化!なんだって。
実は、読んだことはありません。
もう、漫画まで手が回らなくって、決まった人をチェックするくらい、しかも文庫になるまで待ったりして……

この作品はやっぱり、予告に負けたっつうか、つられてしまいましたね~
T-REXすごい好きだったんだもん、子どもの頃。
それと「果たして21世紀は来るのでしょうか!?」という台詞が、もう…極め付き?

1969年。
小学生だったケンヂは、オッチョ、ドンキーらの同級生と一緒に原っぱに秘密基地を作った。
そこで、ケンヂは「よげんの書」なるものを書き始める。
悪の組織による世界征服、人類滅亡計画が仲間達の意見を取り入れて綴られていく。
そして、それを阻止する正義の味方も。

1997年。
失踪した姉の赤ん坊の面倒を見るケンジは、ロックスターの夢も破れ、実家の酒屋をコンビニに改造し、しがない店長として働いていた。
だが、得意先一家の失踪と幼馴染のドンキーの死をきっかけに生活が一変する。
世間では「ともだち」と呼ばれる教祖が率いる新興宗教が広まりだし、ケンヂ達の「よげんの書」に書かれていたのとそっくりの怪事件が起こり始める。
数々の事件は「ともだち」の仕業なのか?
「ともだち」は本当に世界を滅ぼすつもりなのか?
「ともだち」の正体は一体だれなのか?

そして、2000年12月31日。
「よげんの書」に書かれた、“人類滅亡の日”がついにやってくる……。

怖いなと思うのは、何もかもが曖昧だということ。
小学生の頃、一緒に遊んだ友達の顔や名前を、全部鮮明に覚えているのは難しい。
30年も経つと記憶はかなりあいまいになっている筈だ。
久しぶりの同窓会に出席し、「世間を騒がす新興宗教が語る予言は、お前が子どもの頃に書いていたものとそっくりだ。」と言われてもまったく思い出せないケンヂ。
周りの友人達がだんだんと思い出していくのに連れて、そんなことがあったような…という気になるのだけど、一番思い出せないのは当の本人だったりする。
ドンキーの死、彼から送られた自分宛ての手紙、そして教団を抜け出してきた男から渡されたもう一通のドンキーからの自分宛の手紙。
そこには「地球を救え」との文字が……
たかがコンビニ店長の自分に何が出来るのかと悩むケンヂだが、姉の子どもカンナにも「ともだち」の手が伸び、ついに決心する。
彼が子どもの頃にいじめっ子に言ったように「無謀だと思っても、やらなきゃいけない時がある」のだ。
原っぱの秘密基地の仲間とともに、ケンヂは曖昧な記憶だけを頼りに動き始める。
ごく普通のサラリーマンや商店主となった彼らに地球を救うことなど出来るのだろうか?

1969年以降の文化や社会的出来事が背景にちりばめられています。
大阪万博、アポロ11号の月面着陸、少年サンデー、平凡パンチ、ボブ・ディランにグループサウンズ……。
ケンヂ達と同年代の人なら、ストーリー以外にも、また別の楽しみが感じられると思います。
画面では活躍しない人たちのネーミングもいい、例えば最初に変死するロボット工学ゼミの学生は「金田正太郎」というのだ!
本作は三章からなるストーリーの第一章、ということで主要キャラクターの紹介が殆どを占めている感じ。
地球を救うための戦いに突入したところで、以下次号!なのだ。
原作では50年にもわたる歳月が描かれているとのことなので、キャストがどんな風になっていくのかも見ものですね。
エンドロールが終わった後に第二章の予告編があります。
どうしても、漏らしそう!!という方以外は最後までじっくりご覧下さい。

エンドロール始まって、バラバラ人が立つのは、まぁ仕方ないと思うんだけど、も~途中でスクリーンを横切る奴らの多いこと多いこと。
しかも、屈むでもなく、足を速めるでもなく普通に歩いてんだよ(--〆)
しかも、2,3回通った女がいたんだよ~!!そんなに近いのか!?
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