私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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オモシロモノ
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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かうんたー
数え始め 2006/11/14
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観て来ました。
同じ劇場では『ゴヤ』もやってて、どっちでもいいなぁ……と思っていたんですが、昼から何だか鬱々とした気分になったので、こちらに。
1944年12月25日、ナチス・ドイツは、完全な劣勢に陥っていた。
そんな時、宣伝大臣ゲッベルスは、ある案を思いつく。
来る新年に、ヒトラー総統の演説をベルリンで行い、大勢の市民を前にしたスピーチを何台ものカメラで撮影。
プロパガンダ映画に仕立てて、国民の戦意を高揚させようというものだ。
ところがこの計画には大きな問題があった。
肝心のヒトラーが自信を喪失していて、とてもスピーチ出来る状態ではなかったのだ。
わずか5日間で総統を立ち直らせるため、ゲッベルスが白羽の矢を立てたのはアドルフ・グリュンバウム教授。
戦前は世界的なユダヤ人俳優であったグリュンバウムは、かつてヒトラーに発声法を指導した実績があった。
また、ユダヤ人ということでヒトラーの内にくすぶる怒りを甦らせるには最適の人物と考えたのだ。
膨大な事務手続きを経て、グリュンバウムはザクセンハウゼン強制収容所からベルリンの総統官邸へとやって来た。
サンドイッチを与えられ、ゲッベルスと対面したグリュンバウムは皮肉な状況に戸惑うが、妻や4人の子供と一緒に暮らせることを条件に、任務を引き受ける。
かくして、二人きりでの指導が始まった。(但し、マジックミラー越しに監視されているけれど)
ふと机上の金塊(?)を手にしたグリュンバウムはヒトラーに殴りかかろうとするが、幼少期のトラウマに苦しむヒトラーの哀れな姿を目にすると実行することは出来なかった。
憎き独裁者を亡き者にする絶好の機会に、彼の心は揺れたのだ。
グリュンバウムの指導の効果で、ヒトラーに復活の兆しが見え始める。
グリュンバウムはこの重責に見合う新たな報酬として、ゲッベルスにザクセンハウゼン収容所の解放を要求。
ゲッベルスは激怒し、グリュンバウムと家族を収容所に送り返してしまう。
しかしグリュンバウムのことをすっかり気に入ったヒトラーは、教師の交代を断固拒否し、ゲッベルスは渋々グリュンバウムを呼び戻す羽目に。
指導の甲斐あって、ヒトラーは見違えるように最盛期を彷彿とさせる威光を取り戻した。
だが、いよいよ演説という日、思わぬトラブルが発生した。
ある事件から声が出なくなってしまったのだ。
グリュンバウムにステージの下に身を隠して演説原稿を読み上げさせ、ヒトラーが口パクで聴衆にアピールするという段取りが急遽整えられる。
銃を突きつけられ、演説原稿を読み上げるグリュンバウム。
このまま世紀の演説は成功するのか!?
ユダヤ人の監督によるヒトラーの映画。
コメディー、というか喜劇ですね。
辛いことこそ笑い飛ばしちゃえ!という、まさに喜劇のあるべき姿だと思います。
ヒムラー役の人、見たことあるなぁ……と思ったら『最期の12日間』のヒムラーと同じ方が演じていました。
180度違うって感じですね。
この映画に登場するヒムラーは何だか憎めません(^_^;)
今回、珍しくこの記事を書く前に他の方のレビューとかチョコチョコッと拝見したのですが、「おちょくり過ぎて悪趣味」と書いておられる方もいらして、そう言われればそうかな…とも思うのですが……
う~ん、徹底的におちょくる、というのも一つの手だと思うのですよね。
それと、ヒトラーをごく普通の(?)弱い人間として描いたというのも、なかなかに画期的なのでは?(『最期の~』も、ある意味そうだったけど)
今もそうなのかどうかよく知らないのですが、ドイツではヒトラーの話はタブーという感じがありましたよね?
自分達とはまるで違う怪物扱いというか……。
この映画は、演説の天才と呼ばれたヒトラーに実は指導者がいたという史実から発想されたフィクションではあるのですが、ある意味今までにない『真実かもしれないこと』を描いているのではないかと思います。
怪物として生まれてくる人はいないのであって、怪物になってしまうのだということ。
エンドロールに、ドイツ人へのインタビューが流れます。
「ヒトラーって?」
子供達は知らないと答え、年配のご婦人は、話したくもないと言う。
辛いことだけど、そろそろしっかりと振り返ってみるべき時なのかもしれない。
どこの国にも当てはまることだろうけど。
原題は『MEIN FUEHRER』。
国民にそう呼ばれたヒトラーが、グリュンバウムをこう呼ぶシーンに、いろんなことがギュッと詰まっている気がします。
グリュンバウムがヒトラーに言った言葉で「演説は国民への愛の告白です。」というものがありました。
政治家の皆さんは、この言葉をどう思うのでしょう?
それ以前に、あんたら国民を愛してんのか?
グリュンバウムを演じたのは、『善き人のためのソナタ』で監視員を演じ、絶賛された旧東ドイツ出身の名優ウルリッヒ・ミューエ。
残念ながらこの作品が遺作となってしまいました。
ヒトラーやゲッベルスと力強く渡り合うグリュンバウムの、静かな気迫をこめた(それでいて軽やかな)演技をご覧いただきたい、です。
同じ劇場では『ゴヤ』もやってて、どっちでもいいなぁ……と思っていたんですが、昼から何だか鬱々とした気分になったので、こちらに。
1944年12月25日、ナチス・ドイツは、完全な劣勢に陥っていた。
そんな時、宣伝大臣ゲッベルスは、ある案を思いつく。
来る新年に、ヒトラー総統の演説をベルリンで行い、大勢の市民を前にしたスピーチを何台ものカメラで撮影。
プロパガンダ映画に仕立てて、国民の戦意を高揚させようというものだ。
ところがこの計画には大きな問題があった。
肝心のヒトラーが自信を喪失していて、とてもスピーチ出来る状態ではなかったのだ。
わずか5日間で総統を立ち直らせるため、ゲッベルスが白羽の矢を立てたのはアドルフ・グリュンバウム教授。
戦前は世界的なユダヤ人俳優であったグリュンバウムは、かつてヒトラーに発声法を指導した実績があった。
また、ユダヤ人ということでヒトラーの内にくすぶる怒りを甦らせるには最適の人物と考えたのだ。
膨大な事務手続きを経て、グリュンバウムはザクセンハウゼン強制収容所からベルリンの総統官邸へとやって来た。
サンドイッチを与えられ、ゲッベルスと対面したグリュンバウムは皮肉な状況に戸惑うが、妻や4人の子供と一緒に暮らせることを条件に、任務を引き受ける。
かくして、二人きりでの指導が始まった。(但し、マジックミラー越しに監視されているけれど)
ふと机上の金塊(?)を手にしたグリュンバウムはヒトラーに殴りかかろうとするが、幼少期のトラウマに苦しむヒトラーの哀れな姿を目にすると実行することは出来なかった。
憎き独裁者を亡き者にする絶好の機会に、彼の心は揺れたのだ。
グリュンバウムの指導の効果で、ヒトラーに復活の兆しが見え始める。
グリュンバウムはこの重責に見合う新たな報酬として、ゲッベルスにザクセンハウゼン収容所の解放を要求。
ゲッベルスは激怒し、グリュンバウムと家族を収容所に送り返してしまう。
しかしグリュンバウムのことをすっかり気に入ったヒトラーは、教師の交代を断固拒否し、ゲッベルスは渋々グリュンバウムを呼び戻す羽目に。
指導の甲斐あって、ヒトラーは見違えるように最盛期を彷彿とさせる威光を取り戻した。
だが、いよいよ演説という日、思わぬトラブルが発生した。
ある事件から声が出なくなってしまったのだ。
グリュンバウムにステージの下に身を隠して演説原稿を読み上げさせ、ヒトラーが口パクで聴衆にアピールするという段取りが急遽整えられる。
銃を突きつけられ、演説原稿を読み上げるグリュンバウム。
このまま世紀の演説は成功するのか!?
ユダヤ人の監督によるヒトラーの映画。
コメディー、というか喜劇ですね。
辛いことこそ笑い飛ばしちゃえ!という、まさに喜劇のあるべき姿だと思います。
ヒムラー役の人、見たことあるなぁ……と思ったら『最期の12日間』のヒムラーと同じ方が演じていました。
180度違うって感じですね。
この映画に登場するヒムラーは何だか憎めません(^_^;)
今回、珍しくこの記事を書く前に他の方のレビューとかチョコチョコッと拝見したのですが、「おちょくり過ぎて悪趣味」と書いておられる方もいらして、そう言われればそうかな…とも思うのですが……
う~ん、徹底的におちょくる、というのも一つの手だと思うのですよね。
それと、ヒトラーをごく普通の(?)弱い人間として描いたというのも、なかなかに画期的なのでは?(『最期の~』も、ある意味そうだったけど)
今もそうなのかどうかよく知らないのですが、ドイツではヒトラーの話はタブーという感じがありましたよね?
自分達とはまるで違う怪物扱いというか……。
この映画は、演説の天才と呼ばれたヒトラーに実は指導者がいたという史実から発想されたフィクションではあるのですが、ある意味今までにない『真実かもしれないこと』を描いているのではないかと思います。
怪物として生まれてくる人はいないのであって、怪物になってしまうのだということ。
エンドロールに、ドイツ人へのインタビューが流れます。
「ヒトラーって?」
子供達は知らないと答え、年配のご婦人は、話したくもないと言う。
辛いことだけど、そろそろしっかりと振り返ってみるべき時なのかもしれない。
どこの国にも当てはまることだろうけど。
原題は『MEIN FUEHRER』。
国民にそう呼ばれたヒトラーが、グリュンバウムをこう呼ぶシーンに、いろんなことがギュッと詰まっている気がします。
グリュンバウムがヒトラーに言った言葉で「演説は国民への愛の告白です。」というものがありました。
政治家の皆さんは、この言葉をどう思うのでしょう?
それ以前に、あんたら国民を愛してんのか?
グリュンバウムを演じたのは、『善き人のためのソナタ』で監視員を演じ、絶賛された旧東ドイツ出身の名優ウルリッヒ・ミューエ。
残念ながらこの作品が遺作となってしまいました。
ヒトラーやゲッベルスと力強く渡り合うグリュンバウムの、静かな気迫をこめた(それでいて軽やかな)演技をご覧いただきたい、です。
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観てきました。
一人の青年が、雪の中、川を渡り、住むもののない荒野へ徒歩で分け入っていった。
彼の名はクリス・マッカンドレス、ヴァージニアの裕福な家庭に育った。
アトランタの大学を優秀な成績で卒業した彼は、大学院進学のための預金もすべて寄付し、所有していた車も、IDも捨て、財布に残った紙幣すらも焼き、旅に出る。
各地で働きながらヒッチハイクを繰り返してアメリカを横断、北上し、一人アラスカに入ったのだった――。
理想の地と夢見ていたアラスカで、彼を待ち受けていたものとは?
クリスの父親はNASAのエンジニアで、後に独立。
何不自由なく育ってきた彼には輝かしい未来が約束されていると誰もが思っていたことだろう。
しかしクリスはいわゆる成功とは正反対の道を選ぶ。
現代の文明社会を偽善だと切り捨てて、究極の自由を求めて大自然へと旅をするのだ。
彼は誰にも干渉されず、干渉もしない究極の『孤独』を求めていたのだろうか?
しかし、旅先で彼は大勢の人と触れ合い、それらの人々に影響を受け、また影響を与える。
彼は出会った人達から何かを学び、彼もその人達に何かを返した筈だ。
彼の旅の過程を見ていると、『文明とも人とも関わることなく生きる』ことが、本当に彼の目的だったのだろうか、との疑問が湧いてくる。
青年期の潔癖さが、彼の行動の原動力なのだとは思う。
しかし同時に、自分が忌み嫌う偽善の中に埋没し、同化してしまうことから必死に逃げようとする強迫観念にも似た思いが、彼を突き動かしているように私には感じられた。
一人きりで自然だけを相手に暮らす内に、彼の中に生まれた変化こそ『赦し』なのかもしれない。
家に向いた彼の足を引き止めたものは、『運命』と呼ばれるものなのかもしれない。
彼の最期は、彼が望んだものとは違っていたのだろうが、悲劇的な不幸の先にある目映い光を、彼は見たのではないだろうか?
いつになく、真面目な感じですか?(笑)
寝ちゃうんじゃないかな~と、ちょっと心配してたんですが、大丈夫でした。
大きくなって知った自分の出生の秘密、なんて昔の少女漫画かドラマみたいだけど、結構こんなことはその辺に転がっているのでしょう。
私が小さい頃、父と母の間には諍いが絶えなくて……、ということはなかったけど、父が母を怒鳴りつけたりするのをずい分見てきたし、私自身も手をあげられたことが何度もあるし、そういう家庭の空気はある程度分かっているつもりだ。
やっぱり、そういうのって傷が残るよね。
当の本人達は何もなかったような顔をしているんだけどさ。
だから、彼の厭世観みたいなものは分かる気がする。
私が、休みの日に余程のことがないと靴を履く気にもなれないのは、そうした感覚なのか、ただの怠惰なのか微妙なところだけど(~_~;)
ことさら悲劇的な部分を強調しない淡々とした語り口の作品で、それがとてもいいと思う。
クリス役のエミール・ハーシュも、(減量のことも含めて)この役に対してとても真摯に向き合ったのだと思う。
そして、何故かこういう自分を探す青年(少年)の映画に欠かせないのか、ジェナ・マローン?
ドニー・ダーコでも16歳の合衆国でも自分を探して彷徨う彼らを、よき理解者として見守る役回りだった彼女。
今回はガール・フレンドではなく、妹ですが。
もう、ずい分と前になるけど、本当に目から鱗が落ちた。という言葉がある。
泉鏡花の戯曲の中にある台詞なんだけど。
鏡花自身はそうではない、ということが言いたかったんだろうけど、それまで多分鏡花と同じ考え方で生きてきた私には彼の否定したい言葉の方が衝撃だった。
だって、否定するってことは、世の中がそうなっている。ということなんだもんね。
「だって、貴方、人に知られないで活きているのは、活きているのじゃないんですもの。」
人から離れ、世界から消えてしまおうとしたように思えるクリスだが、彼こそが本当の意味で活きているのじゃないかと思う。
彼と出会った人々の心の中に、そして、彼の生き様を知った私達の心の中に。
一人の青年が、雪の中、川を渡り、住むもののない荒野へ徒歩で分け入っていった。
彼の名はクリス・マッカンドレス、ヴァージニアの裕福な家庭に育った。
アトランタの大学を優秀な成績で卒業した彼は、大学院進学のための預金もすべて寄付し、所有していた車も、IDも捨て、財布に残った紙幣すらも焼き、旅に出る。
各地で働きながらヒッチハイクを繰り返してアメリカを横断、北上し、一人アラスカに入ったのだった――。
理想の地と夢見ていたアラスカで、彼を待ち受けていたものとは?
クリスの父親はNASAのエンジニアで、後に独立。
何不自由なく育ってきた彼には輝かしい未来が約束されていると誰もが思っていたことだろう。
しかしクリスはいわゆる成功とは正反対の道を選ぶ。
現代の文明社会を偽善だと切り捨てて、究極の自由を求めて大自然へと旅をするのだ。
彼は誰にも干渉されず、干渉もしない究極の『孤独』を求めていたのだろうか?
しかし、旅先で彼は大勢の人と触れ合い、それらの人々に影響を受け、また影響を与える。
彼は出会った人達から何かを学び、彼もその人達に何かを返した筈だ。
彼の旅の過程を見ていると、『文明とも人とも関わることなく生きる』ことが、本当に彼の目的だったのだろうか、との疑問が湧いてくる。
青年期の潔癖さが、彼の行動の原動力なのだとは思う。
しかし同時に、自分が忌み嫌う偽善の中に埋没し、同化してしまうことから必死に逃げようとする強迫観念にも似た思いが、彼を突き動かしているように私には感じられた。
一人きりで自然だけを相手に暮らす内に、彼の中に生まれた変化こそ『赦し』なのかもしれない。
家に向いた彼の足を引き止めたものは、『運命』と呼ばれるものなのかもしれない。
彼の最期は、彼が望んだものとは違っていたのだろうが、悲劇的な不幸の先にある目映い光を、彼は見たのではないだろうか?
いつになく、真面目な感じですか?(笑)
寝ちゃうんじゃないかな~と、ちょっと心配してたんですが、大丈夫でした。
大きくなって知った自分の出生の秘密、なんて昔の少女漫画かドラマみたいだけど、結構こんなことはその辺に転がっているのでしょう。
私が小さい頃、父と母の間には諍いが絶えなくて……、ということはなかったけど、父が母を怒鳴りつけたりするのをずい分見てきたし、私自身も手をあげられたことが何度もあるし、そういう家庭の空気はある程度分かっているつもりだ。
やっぱり、そういうのって傷が残るよね。
当の本人達は何もなかったような顔をしているんだけどさ。
だから、彼の厭世観みたいなものは分かる気がする。
私が、休みの日に余程のことがないと靴を履く気にもなれないのは、そうした感覚なのか、ただの怠惰なのか微妙なところだけど(~_~;)
ことさら悲劇的な部分を強調しない淡々とした語り口の作品で、それがとてもいいと思う。
クリス役のエミール・ハーシュも、(減量のことも含めて)この役に対してとても真摯に向き合ったのだと思う。
そして、何故かこういう自分を探す青年(少年)の映画に欠かせないのか、ジェナ・マローン?
ドニー・ダーコでも16歳の合衆国でも自分を探して彷徨う彼らを、よき理解者として見守る役回りだった彼女。
今回はガール・フレンドではなく、妹ですが。
もう、ずい分と前になるけど、本当に目から鱗が落ちた。という言葉がある。
泉鏡花の戯曲の中にある台詞なんだけど。
鏡花自身はそうではない、ということが言いたかったんだろうけど、それまで多分鏡花と同じ考え方で生きてきた私には彼の否定したい言葉の方が衝撃だった。
だって、否定するってことは、世の中がそうなっている。ということなんだもんね。
「だって、貴方、人に知られないで活きているのは、活きているのじゃないんですもの。」
人から離れ、世界から消えてしまおうとしたように思えるクリスだが、彼こそが本当の意味で活きているのじゃないかと思う。
彼と出会った人々の心の中に、そして、彼の生き様を知った私達の心の中に。
観てきました。
ショッキングなニュースを知った後だったけど、予約しちゃってるから貧乏人は行くしかないのだ。
大学を優秀な成績で卒業したアニー。
母の期待を背負って銀行の面接に行くが、「あなたという人間を説明して」と言われ、何も答えられずに会社を後にしてしまう。
セントラルパークのベンチに座り、自分の行く末を想像するアニー。
そこで、事故に遭いかけた男の子を助けたところから、思わぬ運命の扉が開く。
男の子の母親に『アニー』と名乗ると、彼女は『ナニー』と勘違い。
「前のナニーが辞めて困っていたのよ!」等々まくし立て、「連絡してね!」と名刺を手渡し去っていく。
呆気に取られたものの、自分が何をするべきか分からなくなったアニーは、しばらくの間『ナニー』としてその家で働くことを決める。
マンハッタンのゴージャスなセレブの家で子どもの面倒を見るだけの割のいい仕事、と思っていたのだが……
大学で(多分母親の希望で)経済を学んだものの、人類学への夢を捨て切れないアニー。
面接に失敗したのを機に、アッパーイーストでのフィールドワークを始める。
冒頭とラストがレポートの形を取っていて、(映像もそれに合うように工夫してある)面白い。
彼女が勤めた家は観察対象であるためX家と呼ばれている。
このX家の男の子、グレイヤーの子守が彼女の仕事。
我がまま放題で手のつけられない悪ガキと思っていたが、一緒に過ごすうちに彼の孤独を知る。
そして要求ばかり押し付けて、自分を振り回すミセスXの苦悩と寂しさも。
辞めたいと思いながらも、自分を慕うグレイヤーのことを思うとなかなか言い出せないアニー。
しかし、とばっちりからいきなりクビにされてしまう。
すぐに、出て行くように言われ、最後の給料と渡された封筒の中身は、ほんのちょっぴり。
我慢しきれなくなったアニーは、雇い主に、今まで溜め込んできた本音を叩きつける!!
スカヨハの映画で私が観た中では、一番面白かったかも。
今までこういう『普通』の役って少なかったと思うし、等身大な感じがよかったのかな。
セレブ夫婦を演じてるのはローラ・リニーとポール・ジアマッティ。
ローラ・リニーにゴージャスセレブなんて……と思ってたけど、メイクさんの力なのか、はたまた目が慣れていくのか、見ているうちにディオールのドレスやダイヤのネックレスも違和感なく。
とんでもない、傍若無人ぶりも素なんじゃないかしら?と思わせる芸達者ぶり。
ジアマッティもハゲでチビでデブでお金しか取り柄がないイヤ~な男を好演(褒めてんのよ)。
グレイヤー君も我がまま放題からだんだんと心を開いて、アニーを信頼しきる姿が可愛いです(不憫でもあるけど)。
一応、ラブストーリー的要素も盛り込んで、恋に仕事に悩むお嬢さん方のハートを鷲掴み!なんでしょうか?
『なりたいあなたがきっとみつかる!』というキャプションが付いてますが、まぁ、見つけるのはアニーなんであって……
でも、やっぱり好きなことしなきゃダメなのよ。
好きなことじゃないと頑張れないし。(だから、ちっとも頑張らないのさ、オイラ;;)
高校の時の先生とかが「好きなことは仕事にしないほうがいい」とか言ってたけどさ。
確かに一理あるんだ。
仕事にしたら嫌な面も見るだろうし、ただ好きでばかりいられないけど、『好き』っていう気もちを持てないものを毎日毎日繰り返すなんて……ね。
だから、まぁ、ちょっと恨んでるかもね(笑)
それは、さておき、結論の一つとしては非常に月並みだけど『お金があれば幸せってもんじゃない』ってことなんだと思う。
とはいえ、『幸せには、多少のお金が必要』って持論は(てか、これは某先輩の受け売りだけど)変わらないけど。
あ、そうそう、この映画、久々になかなかいい邦題だったよね。
『ナニー』っていう言葉が日本ではあまり馴染みがないだろうという考えもあってのことなんだろうけど。
原題の『THE NANNY DIARIES』をカタカナにしたりするよりはずっといい。
「何ソレ?」って感じが、個人的には◎です。
ショッキングなニュースを知った後だったけど、予約しちゃってるから貧乏人は行くしかないのだ。
大学を優秀な成績で卒業したアニー。
母の期待を背負って銀行の面接に行くが、「あなたという人間を説明して」と言われ、何も答えられずに会社を後にしてしまう。
セントラルパークのベンチに座り、自分の行く末を想像するアニー。
そこで、事故に遭いかけた男の子を助けたところから、思わぬ運命の扉が開く。
男の子の母親に『アニー』と名乗ると、彼女は『ナニー』と勘違い。
「前のナニーが辞めて困っていたのよ!」等々まくし立て、「連絡してね!」と名刺を手渡し去っていく。
呆気に取られたものの、自分が何をするべきか分からなくなったアニーは、しばらくの間『ナニー』としてその家で働くことを決める。
マンハッタンのゴージャスなセレブの家で子どもの面倒を見るだけの割のいい仕事、と思っていたのだが……
大学で(多分母親の希望で)経済を学んだものの、人類学への夢を捨て切れないアニー。
面接に失敗したのを機に、アッパーイーストでのフィールドワークを始める。
冒頭とラストがレポートの形を取っていて、(映像もそれに合うように工夫してある)面白い。
彼女が勤めた家は観察対象であるためX家と呼ばれている。
このX家の男の子、グレイヤーの子守が彼女の仕事。
我がまま放題で手のつけられない悪ガキと思っていたが、一緒に過ごすうちに彼の孤独を知る。
そして要求ばかり押し付けて、自分を振り回すミセスXの苦悩と寂しさも。
辞めたいと思いながらも、自分を慕うグレイヤーのことを思うとなかなか言い出せないアニー。
しかし、とばっちりからいきなりクビにされてしまう。
すぐに、出て行くように言われ、最後の給料と渡された封筒の中身は、ほんのちょっぴり。
我慢しきれなくなったアニーは、雇い主に、今まで溜め込んできた本音を叩きつける!!
スカヨハの映画で私が観た中では、一番面白かったかも。
今までこういう『普通』の役って少なかったと思うし、等身大な感じがよかったのかな。
セレブ夫婦を演じてるのはローラ・リニーとポール・ジアマッティ。
ローラ・リニーにゴージャスセレブなんて……と思ってたけど、メイクさんの力なのか、はたまた目が慣れていくのか、見ているうちにディオールのドレスやダイヤのネックレスも違和感なく。
とんでもない、傍若無人ぶりも素なんじゃないかしら?と思わせる芸達者ぶり。
ジアマッティもハゲでチビでデブでお金しか取り柄がないイヤ~な男を好演(褒めてんのよ)。
グレイヤー君も我がまま放題からだんだんと心を開いて、アニーを信頼しきる姿が可愛いです(不憫でもあるけど)。
一応、ラブストーリー的要素も盛り込んで、恋に仕事に悩むお嬢さん方のハートを鷲掴み!なんでしょうか?
『なりたいあなたがきっとみつかる!』というキャプションが付いてますが、まぁ、見つけるのはアニーなんであって……
でも、やっぱり好きなことしなきゃダメなのよ。
好きなことじゃないと頑張れないし。(だから、ちっとも頑張らないのさ、オイラ;;)
高校の時の先生とかが「好きなことは仕事にしないほうがいい」とか言ってたけどさ。
確かに一理あるんだ。
仕事にしたら嫌な面も見るだろうし、ただ好きでばかりいられないけど、『好き』っていう気もちを持てないものを毎日毎日繰り返すなんて……ね。
だから、まぁ、ちょっと恨んでるかもね(笑)
それは、さておき、結論の一つとしては非常に月並みだけど『お金があれば幸せってもんじゃない』ってことなんだと思う。
とはいえ、『幸せには、多少のお金が必要』って持論は(てか、これは某先輩の受け売りだけど)変わらないけど。
あ、そうそう、この映画、久々になかなかいい邦題だったよね。
『ナニー』っていう言葉が日本ではあまり馴染みがないだろうという考えもあってのことなんだろうけど。
原題の『THE NANNY DIARIES』をカタカナにしたりするよりはずっといい。
「何ソレ?」って感じが、個人的には◎です。
観てきました。
『ザ・セル』のターセム監督の2作目。
1915年、映画創成期のアメリカ。
オレンジの収穫を手伝っている時に木から落ちて腕に怪我をして、入院中の少女、アレクサンドリア。
ベッドでじっとしていられない彼女は病院内をアチコチ歩き回っていた。
ある日仲良しの看護婦に渡そうとした手紙が風に流されてしまう。
アレクサンドリアは、その手紙を手にした青年を見つけた。
彼は、スタントマンなのだが、スタントに失敗して怪我をしてしまい、歩くことも出来ずにいた。
その青年、ロイはアレクサンドリアの名にちなんでアレキサンダー大王にまつわる話を彼女に聞かせる。
そして言った。
「明日、別の話をしてあげる。愛と復讐の叙事詩だ。」
実は、ロイは自分の怪我と失恋のショックから自殺を考え、そのためにアレクサンドリアを利用しようとしていたのだった。
映画の舞台となるのは、ともに『落ちた』二人の入院している病院と、5(6)人の勇者達が活躍する愛と復讐の物語にふさわしい壮大な景観を持つ土地土地。
これは4年がかりで13の世界遺産を含む世界24カ国以上で撮影されたそう。
ロイが語る、この物語の舞台がとにかく素晴らしく美しい。
現実から逃避するにはもってこいです。
でも、それだけでなく、少女と青年の物語がとてもいい。
ロイの話す物語は、ところどころアレクサンドリアの意向を取り入れ方向を変えたりして、いつしか二人の物語になっていく。
迎えるラストは、少し悲しくて、とても優しく美しい。
自分のことを誰かがこんなにも想ってくれていると知ることは、人に勇気を与えるのだ、ね。
ロイを演じたのは、リー・ペイス。
『グッド・シェパード』や、『上海の伯爵夫人』に小さな役で出ていたとか……
う~ん、『上海~』は観たけど、覚えてないなぁ。
こんな、眉毛の太い子いたかしら?
睫毛も長くて、悲しげに俯く顔がイイ!!
アメリカのテレビ映画でトランス・ジェンダーを演じて注目されて色々賞を取ったようです。(見てみたいなぁ)
そして、アレクサンドリア役のカティンカ・アンタルーちゃんは、これがデビュー作。
監督は彼女の素のリアクションや勘違いなども脚本に活かし、女優としての意識が芽生える前に撮影を終えてしまおうとしたんだとか。
子どもってプクプクしてる方が可愛いわよね~、やっぱり。
ストーリー自体は(どちらも)込み入ったものではなく、どちらかといえば単純なんで、好き嫌いがあるかもしれませんが、個人的にはとってもオススメです。
あの、この世のものとは思えない景色を見るだけでも、一見の価値あり、です。
『ザ・セル』のターセム監督の2作目。
1915年、映画創成期のアメリカ。
オレンジの収穫を手伝っている時に木から落ちて腕に怪我をして、入院中の少女、アレクサンドリア。
ベッドでじっとしていられない彼女は病院内をアチコチ歩き回っていた。
ある日仲良しの看護婦に渡そうとした手紙が風に流されてしまう。
アレクサンドリアは、その手紙を手にした青年を見つけた。
彼は、スタントマンなのだが、スタントに失敗して怪我をしてしまい、歩くことも出来ずにいた。
その青年、ロイはアレクサンドリアの名にちなんでアレキサンダー大王にまつわる話を彼女に聞かせる。
そして言った。
「明日、別の話をしてあげる。愛と復讐の叙事詩だ。」
実は、ロイは自分の怪我と失恋のショックから自殺を考え、そのためにアレクサンドリアを利用しようとしていたのだった。
映画の舞台となるのは、ともに『落ちた』二人の入院している病院と、5(6)人の勇者達が活躍する愛と復讐の物語にふさわしい壮大な景観を持つ土地土地。
これは4年がかりで13の世界遺産を含む世界24カ国以上で撮影されたそう。
ロイが語る、この物語の舞台がとにかく素晴らしく美しい。
現実から逃避するにはもってこいです。
でも、それだけでなく、少女と青年の物語がとてもいい。
ロイの話す物語は、ところどころアレクサンドリアの意向を取り入れ方向を変えたりして、いつしか二人の物語になっていく。
迎えるラストは、少し悲しくて、とても優しく美しい。
自分のことを誰かがこんなにも想ってくれていると知ることは、人に勇気を与えるのだ、ね。
ロイを演じたのは、リー・ペイス。
『グッド・シェパード』や、『上海の伯爵夫人』に小さな役で出ていたとか……
う~ん、『上海~』は観たけど、覚えてないなぁ。
こんな、眉毛の太い子いたかしら?
睫毛も長くて、悲しげに俯く顔がイイ!!
アメリカのテレビ映画でトランス・ジェンダーを演じて注目されて色々賞を取ったようです。(見てみたいなぁ)
そして、アレクサンドリア役のカティンカ・アンタルーちゃんは、これがデビュー作。
監督は彼女の素のリアクションや勘違いなども脚本に活かし、女優としての意識が芽生える前に撮影を終えてしまおうとしたんだとか。
子どもってプクプクしてる方が可愛いわよね~、やっぱり。
ストーリー自体は(どちらも)込み入ったものではなく、どちらかといえば単純なんで、好き嫌いがあるかもしれませんが、個人的にはとってもオススメです。
あの、この世のものとは思えない景色を見るだけでも、一見の価値あり、です。
試写会に行ってきました。
云わずと知れた『三国志』の中でも有名な『赤壁の戦い』をテーマに描いた大作。
三国志をあんまり知らなくても最初に説明があるので、大丈夫そう。
子どもの頃、人形劇(某国営放送の)とか、アニメとかで見たけど、あんまり覚えてないもんですね~。
なので、中国はともかく世界規模で勝負するとなるとどうなのか!?とは思うんですが……
208年、中国三国時代。
天下統一の野望に燃える曹操(魏)は80万もの兵力を率い、他の国を征服していった。
彼の天下統一の野望を打ち砕くため、劉備軍(蜀)の若き天才軍師・諸葛孔明は孫権軍(呉)に力をあわせて曹操軍と戦うよう交渉に向かう。
孫権は孔明の申し出を受け入れ、ここに連合軍が出来上がった。
その数6万、孔明と孫権軍の知将・周瑜の2人は、圧倒的に巨大な勢力へと立ち向かうため、奇策と知略をめぐらし、戦いへと挑む。
そして、曹操の野望の裏には、一人の女性に秘められた目的があった――。
何だかね~スケールも大きいし、『三国志』自体、話としては面白いと思うのですが、何かあんまりハラハラドキドキしない。
戦闘シーンとかもジョン・ウーらしく血も飛び散って、迫力のある映像なのに、どことなくたるい気がする。
何かね~深夜にCATVとかでやってる『プロレス・懐かしの名勝負』みたいな感じがするの。
昭和50年代、後楽園ホール、ジャンボ鶴田vsテリー・ファンク。
名勝負なんだ、名勝負なんだよ!
でも……
今のプロレス(私は主にWWE見てるんだけど)見てると、スピード感に雲泥の差があって、何かトロくさい。
鶴田に限らず、昔のリック・フレアーの試合とか見ても同じ感じがする。
今のスピードや高さに慣れた私の目にはあんまり凄く映らないのだ。
当時凄かったことが分かってても。
つまり
ジョン・ウーらしいスローモーションを多用したアクションシーンが、妙にトロくさい感じがしてしまうのだ、私は。
迫力はあるんですよ。
だから、そう感じてしまう自分が何とも悔しかったりするのだね~
アクションシーンに限らず、一つ一つ大切なエピソードだと思うものの、ちょっと冗漫に感じたり……
前後編にしないで3~4時間でドカーンと作っちゃった方がよかったかも。
興行的には難しいだろうけど。
何といっても、肝心の『赤壁の戦い』を前にして以下次号!!なのだ。
ちょっと、ガクッとしちゃうよね~。
まぁ、ここで切って、引っ張っとかないといけないんですけどね。
胡軍(フー・ジュン)が、今回の楽しみの一つでもあったんですけど、思っていたよりも凄い大役じゃないですか!!
日本の映画紹介とかじゃあんまり取り上げられないし(日本じゃあんまり有名じゃないですから仕方ないんですが)、出番少ないのかしら?と思ってたの。
スッゴイいい役や~ん!
格好いい役どころです。
義に厚い男~(他の人も皆そうなんですけどね;;)、戦闘シーンも男前です。
友達にも「格好いい人いたんやけど、言うてた人?」と言われ~(以前から宣伝しておいた)
通り縋る人達の「あの人格好よかった。」と言う声に「あぁ、それはきっと胡軍のことですよ~!」と言いたくなり(さすがに言ってない;;)。
もう一人、楽しみにしてた人張震(チャン・チェン)は、今のところ動くシーンはないので(孫権だから、この先もなさそうですが)ちょっと残念。
珍しくプレスシート付きの前売り券の販売があったんだけど、お財布の中身の都合で買えず(>_<)
でも、もう1回見るってちょっとしんどいなぁ……。
Part2の前に、もう1回観たいわ。
ところで、金城武の諸葛亮ってどうですか?
個人的には相当イメージじゃないんですけど……
云わずと知れた『三国志』の中でも有名な『赤壁の戦い』をテーマに描いた大作。
三国志をあんまり知らなくても最初に説明があるので、大丈夫そう。
子どもの頃、人形劇(某国営放送の)とか、アニメとかで見たけど、あんまり覚えてないもんですね~。
なので、中国はともかく世界規模で勝負するとなるとどうなのか!?とは思うんですが……
208年、中国三国時代。
天下統一の野望に燃える曹操(魏)は80万もの兵力を率い、他の国を征服していった。
彼の天下統一の野望を打ち砕くため、劉備軍(蜀)の若き天才軍師・諸葛孔明は孫権軍(呉)に力をあわせて曹操軍と戦うよう交渉に向かう。
孫権は孔明の申し出を受け入れ、ここに連合軍が出来上がった。
その数6万、孔明と孫権軍の知将・周瑜の2人は、圧倒的に巨大な勢力へと立ち向かうため、奇策と知略をめぐらし、戦いへと挑む。
そして、曹操の野望の裏には、一人の女性に秘められた目的があった――。
何だかね~スケールも大きいし、『三国志』自体、話としては面白いと思うのですが、何かあんまりハラハラドキドキしない。
戦闘シーンとかもジョン・ウーらしく血も飛び散って、迫力のある映像なのに、どことなくたるい気がする。
何かね~深夜にCATVとかでやってる『プロレス・懐かしの名勝負』みたいな感じがするの。
昭和50年代、後楽園ホール、ジャンボ鶴田vsテリー・ファンク。
名勝負なんだ、名勝負なんだよ!
でも……
今のプロレス(私は主にWWE見てるんだけど)見てると、スピード感に雲泥の差があって、何かトロくさい。
鶴田に限らず、昔のリック・フレアーの試合とか見ても同じ感じがする。
今のスピードや高さに慣れた私の目にはあんまり凄く映らないのだ。
当時凄かったことが分かってても。
つまり
ジョン・ウーらしいスローモーションを多用したアクションシーンが、妙にトロくさい感じがしてしまうのだ、私は。
迫力はあるんですよ。
だから、そう感じてしまう自分が何とも悔しかったりするのだね~
アクションシーンに限らず、一つ一つ大切なエピソードだと思うものの、ちょっと冗漫に感じたり……
前後編にしないで3~4時間でドカーンと作っちゃった方がよかったかも。
興行的には難しいだろうけど。
何といっても、肝心の『赤壁の戦い』を前にして以下次号!!なのだ。
ちょっと、ガクッとしちゃうよね~。
まぁ、ここで切って、引っ張っとかないといけないんですけどね。
胡軍(フー・ジュン)が、今回の楽しみの一つでもあったんですけど、思っていたよりも凄い大役じゃないですか!!
日本の映画紹介とかじゃあんまり取り上げられないし(日本じゃあんまり有名じゃないですから仕方ないんですが)、出番少ないのかしら?と思ってたの。
スッゴイいい役や~ん!
格好いい役どころです。
義に厚い男~(他の人も皆そうなんですけどね;;)、戦闘シーンも男前です。
友達にも「格好いい人いたんやけど、言うてた人?」と言われ~(以前から宣伝しておいた)
通り縋る人達の「あの人格好よかった。」と言う声に「あぁ、それはきっと胡軍のことですよ~!」と言いたくなり(さすがに言ってない;;)。
もう一人、楽しみにしてた人張震(チャン・チェン)は、今のところ動くシーンはないので(孫権だから、この先もなさそうですが)ちょっと残念。
珍しくプレスシート付きの前売り券の販売があったんだけど、お財布の中身の都合で買えず(>_<)
でも、もう1回見るってちょっとしんどいなぁ……。
Part2の前に、もう1回観たいわ。
ところで、金城武の諸葛亮ってどうですか?
個人的には相当イメージじゃないんですけど……