私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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オモシロモノ
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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かうんたー
数え始め 2006/11/14
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観て来ました。
ジェーン・オースティンといえば、『高慢と偏見』などの小説で知られる、18世紀末から19世紀にかけて活躍したイギリスの女性作家。
彼女の作品に、読書会のメンバー6人の人生を描き込んだヒューマンドラマといえるこの作品。
読書会参加者は、彼女の作品へのアプローチを通して心に抱えた問題と向き合っていく。
冒頭パオロ・ヌティーニ(http://anythinggoes.blog.shinobi.jp/Entry/82/で紹介してます)の『New Shoes』に載せて、日常のさまざまな不幸がスクリーンに映し出される。
銀行の窓口を目の前で閉じられたとか、買い物して会計も済ませたのに、出入り口のブザーが鳴って止められて荷物を調べられるとか、自動販売機に入れた紙幣が何度やり直しても戻ってくるとか……
そして舞台は墓地。
ジョスリンの愛犬の葬儀だ。
ブリーダーをしている彼女がとりわけ可愛がっていた犬らしく、彼女の涙は止まらない。
葬儀に訪れていた彼女の友人の一人、バーナデットはしばらく一人にしておけないと、彼女のために何か企画しようと、ジョスリンの古くからの親友でもあるシルヴィアに相談した。
その葬儀の帰り、シルヴィアにも思わぬ事件が降りかかる。
20年以上も連れ添った夫から「好きな人が出来たので別れて欲しい」と言われたのだ。
また、バーナデットは出かけたジェーン・オースティンの映画を上映する映画館で列の前に並んでいた女性に興味を持つ。
彼女は高校のフランス語教師、プルーディ、楽しみにしていたパリ行きがダメになり、本も読まないような夫にうんざりしていた。
そして、オースティンについて、一家言ありそうだった。
バーナデットは彼女と話す内に『読書会』を思いつく。
ジェイン・オースティンの作品だけの読書会だ。
彼女の6作品のために、6人が必要になる。
シルヴィアの娘を入れても、まだ1人足りない。
読書会の打ち合わせをすることになった日、待ち合わせ場所のスタバに、1人の青年が現われる。
ロードレーサーのような、いかにも読書会には不似合いな格好の彼は、ジョスリンがブリーダーの大会が開催されたホテルでたまたま会って、シルヴィアの恋の相手(?)にと、声をかけたのだ。
彼は、SF愛好家で、もちろんオースティンは読んだことがない。
そんなメンバーの6カ月をオースティンの作品を1作ずつ語り合う形で追っていく。
離婚暦6回で、この企画の発案者バーナデットが言うように『オースティンは人生の最高の解毒剤』なのか?
私は、オースティンの作品なんて、読んだことがないのですが、予告が妙に面白そうだったので観に行ってしまいました。
で、行って正解。
予想以上に楽しめました。
でも、読む気にはなってないんだけど(^_^;)
読書会の黒一点のグリッグ(ヒュー・ダンシー)がいいですね~
天然ぽい感じで、読書会メンバーの弟的存在?
誰が見ても、彼がジョスリンに気があることは明らかなのですが、ジョスリンは彼をシルヴィアと引っ付けようとあの手この手。
彼の恋はどうなってしまうのでしょうか?
プルーディが心惹かれる生徒役でトランスアメリカでは息子役を演じていたケヴィン・ゼガーズが出ています。
彼がこの役に決まったのは、プルーディ役のエミリー・ブラントがオーディションに参加してくれて、彼を見て頬を染めたからなんだとか……
それにしても、「彼がスプーンで、私がアイスクリームみたい」って、どんな気もち!?
6人それぞれが、それぞれの結末にたどり着く。
6者6様の登場人物たちに、自分と重なるところが見つけられるかも。
ジェーン・オースティンといえば、『高慢と偏見』などの小説で知られる、18世紀末から19世紀にかけて活躍したイギリスの女性作家。
彼女の作品に、読書会のメンバー6人の人生を描き込んだヒューマンドラマといえるこの作品。
読書会参加者は、彼女の作品へのアプローチを通して心に抱えた問題と向き合っていく。
冒頭パオロ・ヌティーニ(http://anythinggoes.blog.shinobi.jp/Entry/82/で紹介してます)の『New Shoes』に載せて、日常のさまざまな不幸がスクリーンに映し出される。
銀行の窓口を目の前で閉じられたとか、買い物して会計も済ませたのに、出入り口のブザーが鳴って止められて荷物を調べられるとか、自動販売機に入れた紙幣が何度やり直しても戻ってくるとか……
そして舞台は墓地。
ジョスリンの愛犬の葬儀だ。
ブリーダーをしている彼女がとりわけ可愛がっていた犬らしく、彼女の涙は止まらない。
葬儀に訪れていた彼女の友人の一人、バーナデットはしばらく一人にしておけないと、彼女のために何か企画しようと、ジョスリンの古くからの親友でもあるシルヴィアに相談した。
その葬儀の帰り、シルヴィアにも思わぬ事件が降りかかる。
20年以上も連れ添った夫から「好きな人が出来たので別れて欲しい」と言われたのだ。
また、バーナデットは出かけたジェーン・オースティンの映画を上映する映画館で列の前に並んでいた女性に興味を持つ。
彼女は高校のフランス語教師、プルーディ、楽しみにしていたパリ行きがダメになり、本も読まないような夫にうんざりしていた。
そして、オースティンについて、一家言ありそうだった。
バーナデットは彼女と話す内に『読書会』を思いつく。
ジェイン・オースティンの作品だけの読書会だ。
彼女の6作品のために、6人が必要になる。
シルヴィアの娘を入れても、まだ1人足りない。
読書会の打ち合わせをすることになった日、待ち合わせ場所のスタバに、1人の青年が現われる。
ロードレーサーのような、いかにも読書会には不似合いな格好の彼は、ジョスリンがブリーダーの大会が開催されたホテルでたまたま会って、シルヴィアの恋の相手(?)にと、声をかけたのだ。
彼は、SF愛好家で、もちろんオースティンは読んだことがない。
そんなメンバーの6カ月をオースティンの作品を1作ずつ語り合う形で追っていく。
離婚暦6回で、この企画の発案者バーナデットが言うように『オースティンは人生の最高の解毒剤』なのか?
私は、オースティンの作品なんて、読んだことがないのですが、予告が妙に面白そうだったので観に行ってしまいました。
で、行って正解。
予想以上に楽しめました。
でも、読む気にはなってないんだけど(^_^;)
読書会の黒一点のグリッグ(ヒュー・ダンシー)がいいですね~
天然ぽい感じで、読書会メンバーの弟的存在?
誰が見ても、彼がジョスリンに気があることは明らかなのですが、ジョスリンは彼をシルヴィアと引っ付けようとあの手この手。
彼の恋はどうなってしまうのでしょうか?
プルーディが心惹かれる生徒役でトランスアメリカでは息子役を演じていたケヴィン・ゼガーズが出ています。
彼がこの役に決まったのは、プルーディ役のエミリー・ブラントがオーディションに参加してくれて、彼を見て頬を染めたからなんだとか……
それにしても、「彼がスプーンで、私がアイスクリームみたい」って、どんな気もち!?
6人それぞれが、それぞれの結末にたどり着く。
6者6様の登場人物たちに、自分と重なるところが見つけられるかも。
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野球、見ない方が、いい(結果が出る)かも。と、出かけてきました。
やっぱ、歩くと痛いねぇ……(>_<)
ヌーヴェル・ヴァーグの巨匠リヴェット監督が、文豪バルザックの名作を映画化。
19世紀初頭、パリの貴族社会を舞台に男と女の叶わぬ愛が辿る数奇な運命を描く。
らしいんだけれども……
幕開けは、教会のミサ。
ナポレオン軍の英雄、アルマン・ド・モンリヴォー将軍が椅子に腰掛けている。
不意に涙を流し席を立つ将軍。
場所はスペイン・マヨルカ島。
ミサの音楽に彼は何か思うものがあったのか?
再び教会、彼は閉ざされた幕の向こうに懐かしい歌を聴く。
実は、彼は突然消息がわからなくなったランジェ公爵夫人・アントワネットを探し続けていたのだ。
将軍は彼女がこの修道院にいると確信する。
地元の有力者のツテで、本当なら会うことも出来ない修道女への面会を取り付ける将軍。
果たして、彼女は将軍が捜し求めたランジェ公爵夫人だった。
一緒に来て欲しいという将軍。
自由の身ではないという、元公爵夫人。
舞台は5年前に遡る。
パリ社交界の華といわれていたランジェ公爵夫人は、ある舞踏会でモンリヴォー将軍と出会う。
将軍はアフリカ奥地や砂漠での冒険談で、社交界の話題の的となっていた。
ランジェ公爵夫人は彼に好奇心を抱き、自分の屋敷を訪れ、冒険談の続きを聞かせてくれるよう将軍にねだる。
それから、毎晩将軍は夫人の家を訪れるようになった。
将軍は夫人にすっかり夢中になっている。
しかし、公爵夫人は思わせぶりなふるまいで翻弄し、会話を交わすだけにとどめる。
モンリヴォー将軍は彼女の態度に腹を立て逆襲に出る。
完全に優位に立っていた公爵夫人だったが、ある事件をきっかけに立場は逆転し、この『ゲーム』は思いもかけない方向へ展開していく。
当時の社交界で、恋愛は細かい規則のあるゲームのようなものだったのだそうである。
将軍はそんな駆け引きなど知らない男。
一方のランジェ公爵夫人は社交界の中心にいる貴族で、ルールをわきまえた女性。
この二人が繰り広げる緊張感に満ちた会話劇。
かな?
残念なのは、場面や情景がト書きで済まされてしまうのが多いこと。
パンフレットを読んで、「あぁ、なるほどね」と思ったけど。
そりゃ、そうだ。どの映画も『山猫』ほどお金がかけられれば苦労はないのである。
なので、 ゴージャスなのだが、ちょっとしみったれた感じがしてしまう。
『霧に煙るパリの街』ト書きじゃなくて、絵で見たい!
何だか、やたらと疲れてしまう映画である。
将軍役のギョーム・ドパルデューは、脚を切断してからは初めて見るかな?
歩く時に響く義足の音が効果的である。(将軍なんだから、脚の一本や二本なくても不思議はないってことなのだろう、何も説明はない。)
こういう役って、オトン(ジェラール・ドパルデュー)のはまり役とされてたものじゃないかな?
今までの彼の映画を観ていると驚くけど、よい出来だと思います。
夫人は残念ながら、社交界の華というには、ちょっと……と個人的には思うものの、人を翻弄する魅力を秘めているのを感じられると思う。
夫人の友人役で、ミシェル・ピコリが出ています。やっぱりいいですね。
さて、ラストシーン。
この『ゲーム』の勝者は一体どちらなのか?
と思うと共に、「だったらそのままにしとけよ!!」と思わずにはいられない。(観れば、解る。)
男性の恋愛へのある種の憧れの具現化、かな?と思うお話でした。
観て来ました。
タイトルが、直訳しちゃうと何かよう解らんのですが、『血液=石油』ということなんでしょうか?
20世紀初頭、アメリカ。
元々は金を掘っていたしがない男、ダニエル・プレインヴュー。
彼は不屈の精神だけを武器に石油を掘り当てて、実業家としての基盤を築き上げた。
だが、この成功も彼にとってはゴールではなかった。
西部の小さな町リトル・ボストンに石油が湧くとの情報を手に入れ、その地に向かった。
彼は幼い息子のH.W.さえも相手の警戒心を解く道具として利用し、言葉巧みに土地を買い叩く。
こうして建造された油井は彼に莫大な富と権力をもたらした。
それによって町はにわかに繁栄するが、住民の絶大な信頼を集める地元の若きカリスマ牧師イーライは、共同体の秩序を乱すプレインヴューを疎ましく思っていた。
ある日、油井やぐらの爆発事故でH.W.が吹き飛ばされ、聴力を失ってしまう。
息子の悲劇をきっかけに、プレインヴューと共同体、そして彼自身の心もどこかしらバランスを崩し始める。
これも、音がある種ポイントの映画かな?
冒頭から流れる調和が取れているとはとてもいえない音は、否が応にも私達の不安感を掻き立てる。
音楽の担当はRADIO HEADのジョニー・グリーンウッド。
『OK.Computer』で、お別れしたからなぁ…RADIO HEADとは。
ま、何ていうか、居心地の悪~い感じが続きます。
映画自体も、何というか、何なんだろ、これ?
何を心に残したらいいのかなぁ…と。
何が『終わった』んだろう?と。
ポール・ダノは、今回もまったくの別人のようで、やっぱりこのコは凄いわ!と思わせます。
ただ、ダニエル・デイ・ルイスとやりあったんじゃ、さすがに霞んじゃうかな~(^_^;)
凄いんだけどね~
この映画、好感を持てるような人は誰一人いない感じです。
こういう風に生きていくのは、どんな気分なんだろう?
プレインヴューとイーライは、正反対のようで、とても近いのだと思う。
同病相憐れむともいうけど、同族嫌悪(だっけ?)みたいな感じでしょうか?
似すぎていて認められないというかね。
どちらも身内にいたら嫌だなぁ……(-_-;)
血も涙もない欲の塊だけみたいな男に思えるプレインヴューだけど、H.W.が独立したいと言った時の怒りは、愛情の裏返しなんじゃないかと……
愛しているから、離れていくのが我慢できない、というか……
元々、育てる気になったのだって、欲得づくだけとは思えないんだけどなぁ……
私、人がよすぎるのかな(笑)
身を潜めて嵐が通り過ぎるのを待つような心持で観ました。
観終わってしばらくしてから頭痛に襲われて、今も程度はマシになったけど、続いている感じです。
緊張を強いられてたってことなんでしょうか?
私個人としては、特に何も得るものがなかったような気がする映画。
何か、凄いもの観たなぁ……という感じはあるけどね。
ただ、夜空を染める炎の美しさ再認識しました。
ま、二人の男優の怪演振りをご堪能ください。
そして、毒気に当てられてください。
タイトルが、直訳しちゃうと何かよう解らんのですが、『血液=石油』ということなんでしょうか?
20世紀初頭、アメリカ。
元々は金を掘っていたしがない男、ダニエル・プレインヴュー。
彼は不屈の精神だけを武器に石油を掘り当てて、実業家としての基盤を築き上げた。
だが、この成功も彼にとってはゴールではなかった。
西部の小さな町リトル・ボストンに石油が湧くとの情報を手に入れ、その地に向かった。
彼は幼い息子のH.W.さえも相手の警戒心を解く道具として利用し、言葉巧みに土地を買い叩く。
こうして建造された油井は彼に莫大な富と権力をもたらした。
それによって町はにわかに繁栄するが、住民の絶大な信頼を集める地元の若きカリスマ牧師イーライは、共同体の秩序を乱すプレインヴューを疎ましく思っていた。
ある日、油井やぐらの爆発事故でH.W.が吹き飛ばされ、聴力を失ってしまう。
息子の悲劇をきっかけに、プレインヴューと共同体、そして彼自身の心もどこかしらバランスを崩し始める。
これも、音がある種ポイントの映画かな?
冒頭から流れる調和が取れているとはとてもいえない音は、否が応にも私達の不安感を掻き立てる。
音楽の担当はRADIO HEADのジョニー・グリーンウッド。
『OK.Computer』で、お別れしたからなぁ…RADIO HEADとは。
ま、何ていうか、居心地の悪~い感じが続きます。
映画自体も、何というか、何なんだろ、これ?
何を心に残したらいいのかなぁ…と。
何が『終わった』んだろう?と。
ポール・ダノは、今回もまったくの別人のようで、やっぱりこのコは凄いわ!と思わせます。
ただ、ダニエル・デイ・ルイスとやりあったんじゃ、さすがに霞んじゃうかな~(^_^;)
凄いんだけどね~
この映画、好感を持てるような人は誰一人いない感じです。
こういう風に生きていくのは、どんな気分なんだろう?
プレインヴューとイーライは、正反対のようで、とても近いのだと思う。
同病相憐れむともいうけど、同族嫌悪(だっけ?)みたいな感じでしょうか?
似すぎていて認められないというかね。
どちらも身内にいたら嫌だなぁ……(-_-;)
血も涙もない欲の塊だけみたいな男に思えるプレインヴューだけど、H.W.が独立したいと言った時の怒りは、愛情の裏返しなんじゃないかと……
愛しているから、離れていくのが我慢できない、というか……
元々、育てる気になったのだって、欲得づくだけとは思えないんだけどなぁ……
私、人がよすぎるのかな(笑)
身を潜めて嵐が通り過ぎるのを待つような心持で観ました。
観終わってしばらくしてから頭痛に襲われて、今も程度はマシになったけど、続いている感じです。
緊張を強いられてたってことなんでしょうか?
私個人としては、特に何も得るものがなかったような気がする映画。
何か、凄いもの観たなぁ……という感じはあるけどね。
ただ、夜空を染める炎の美しさ再認識しました。
ま、二人の男優の怪演振りをご堪能ください。
そして、毒気に当てられてください。
好きだから、いっそのこと憎いのだ。
好きだから、遠ざけてしまいたいのだ。いっそ、誰の手も届かないところへ。
1930年代のイギリス、第二次世界大戦の足音が近づいている。
政府官僚の長女セシーリア(キーラ・ナイトレイ)と、兄妹のように育った使用人の息子、ロビー(ジェームズ・マカヴォイ)二人は、互いに相手を想っていることに気づく。
しかし、小説家を目指す多感な妹ブライオニー(シーアシャ・ローナン)のついた嘘が、ロビーに無実の罪を着せ、彼を刑務所に送ってしまう。
セシーリアとロビーはどうなるのか?
そして、ブライオニーは?
『つぐない』とは、ブライオニーにとってのつぐない。
姉とロビーの衝撃的な場面を目撃し、ロビーから渡された姉宛の手紙を盗み見たブライオニーは、少女ゆえの潔癖さからか、多感過ぎるためか、その夜起きた従姉妹への暴行事件の犯人をロビーだと証言。
彼は捕らえられてしまう。
音がとても、印象的だ。
最初のシーンからしばらく、私たちを悩ませる羽音。
そして、身体に響くほどのタイプライターのキーを打つ音。
ふと、ブライオニーが言ったことは『嘘』だったのだろうか?と考える。
個人的な感覚だけど、従姉妹を襲った犯人について証言した時、彼女は確信していたように思う。
それまでに彼女が目撃したものが、そう彼女に錯覚させたのではないのだろうか?
そのシーンで、私たちも真犯人の顔を見ることは出来ない。
落ち着いてくるにつれて、細部が明らかになったのではないのだろうか?
それを訂正しなかったことは責められるべきなのかもしれない。
でも、物事はすべて動き出し、自分の手を放れてしまったのだ。
少女に何が出来るというのだろう?
こんなことは『つぐない』にはならないという人は、たくさんいるだろう。
でも、私には充分過ぎる罰を、彼女は受けたように思える。
恋する者達は自分達のことばかり、周りのことはちっとも気にかけない。
あの時、ブライオニーにどう言ってやるべきだったのか、バカでないのなら、ロビーは解って然るべきだった、と私は思う。
さて、珍しく真面目に書いてきたので、ここらでいつもどおり(?)に参りましょう。
キーラ・ナイトレイが、水から上がったシーンで、すごい勢いで顎から水が滴り落ちてましたね。
やはり、あの顎は只者じゃない。
ジェームズ・マカヴォイの瞳はソーダキャンディのように素敵な色合いですが、あの手はダメだ~
あのそっくり返った親指!太くて短いその他の指、信じられない深爪具合。
タイプを打つ手が全然素敵じゃありません。
このカップルでは、うっとりは出来ませんな(^_^;)
最近邦題が気になります。
『つぐない』は、まだいいかなとは思うのですが『贖罪』じゃ、お客が入らなさそうだしね。
でも、贖罪って犠牲を払ってつぐなうこと、なんでしょ?
つくない、より一段階上、って感じがするんだけどなぁ……
同じ監督の『プライドと偏見』がどうも、納得いかないんですね。
まぁ、『高慢』て、いい意味じゃ使わないから、イメージが悪いと思ったんだろうけど、ヒロインは男を「高慢ちきで嫌なヤツ」と思ってるんでしょ?
じゃ、別にいいんじゃないの?と思うんですけどね~
原題は『Pride and Prejudice』、これをどうして『高慢と偏見』にしたのか、もう少し考えてもいいんじゃないのか?
好きだから、遠ざけてしまいたいのだ。いっそ、誰の手も届かないところへ。
1930年代のイギリス、第二次世界大戦の足音が近づいている。
政府官僚の長女セシーリア(キーラ・ナイトレイ)と、兄妹のように育った使用人の息子、ロビー(ジェームズ・マカヴォイ)二人は、互いに相手を想っていることに気づく。
しかし、小説家を目指す多感な妹ブライオニー(シーアシャ・ローナン)のついた嘘が、ロビーに無実の罪を着せ、彼を刑務所に送ってしまう。
セシーリアとロビーはどうなるのか?
そして、ブライオニーは?
『つぐない』とは、ブライオニーにとってのつぐない。
姉とロビーの衝撃的な場面を目撃し、ロビーから渡された姉宛の手紙を盗み見たブライオニーは、少女ゆえの潔癖さからか、多感過ぎるためか、その夜起きた従姉妹への暴行事件の犯人をロビーだと証言。
彼は捕らえられてしまう。
音がとても、印象的だ。
最初のシーンからしばらく、私たちを悩ませる羽音。
そして、身体に響くほどのタイプライターのキーを打つ音。
ふと、ブライオニーが言ったことは『嘘』だったのだろうか?と考える。
個人的な感覚だけど、従姉妹を襲った犯人について証言した時、彼女は確信していたように思う。
それまでに彼女が目撃したものが、そう彼女に錯覚させたのではないのだろうか?
そのシーンで、私たちも真犯人の顔を見ることは出来ない。
落ち着いてくるにつれて、細部が明らかになったのではないのだろうか?
それを訂正しなかったことは責められるべきなのかもしれない。
でも、物事はすべて動き出し、自分の手を放れてしまったのだ。
少女に何が出来るというのだろう?
こんなことは『つぐない』にはならないという人は、たくさんいるだろう。
でも、私には充分過ぎる罰を、彼女は受けたように思える。
恋する者達は自分達のことばかり、周りのことはちっとも気にかけない。
あの時、ブライオニーにどう言ってやるべきだったのか、バカでないのなら、ロビーは解って然るべきだった、と私は思う。
さて、珍しく真面目に書いてきたので、ここらでいつもどおり(?)に参りましょう。
キーラ・ナイトレイが、水から上がったシーンで、すごい勢いで顎から水が滴り落ちてましたね。
やはり、あの顎は只者じゃない。
ジェームズ・マカヴォイの瞳はソーダキャンディのように素敵な色合いですが、あの手はダメだ~
あのそっくり返った親指!太くて短いその他の指、信じられない深爪具合。
タイプを打つ手が全然素敵じゃありません。
このカップルでは、うっとりは出来ませんな(^_^;)
最近邦題が気になります。
『つぐない』は、まだいいかなとは思うのですが『贖罪』じゃ、お客が入らなさそうだしね。
でも、贖罪って犠牲を払ってつぐなうこと、なんでしょ?
つくない、より一段階上、って感じがするんだけどなぁ……
同じ監督の『プライドと偏見』がどうも、納得いかないんですね。
まぁ、『高慢』て、いい意味じゃ使わないから、イメージが悪いと思ったんだろうけど、ヒロインは男を「高慢ちきで嫌なヤツ」と思ってるんでしょ?
じゃ、別にいいんじゃないの?と思うんですけどね~
原題は『Pride and Prejudice』、これをどうして『高慢と偏見』にしたのか、もう少し考えてもいいんじゃないのか?
観てきました。
66歳(なんだね!)にして年間100本以上の「ネバー・エンディング・ツアー」を続ける現役のトップミュージシャンであり、10年間ノーベル文学賞候補に挙がっている詩人(へ~)、ボブ・ディラン。
まさに<生ける伝説>(屍ではない;;)と呼ぶにふさわしい(んだって)孤高のアーティストの半生を、鬼才トッド・ヘインズが映画化。
野心に燃えたフォークシンガー、時代を映すロックの殉教者、1人の女性を不器用に愛した映画スター、ランボーに傾倒した詩人…さまざまな顔をもつ彼を描く。
ディランの持つさまざまな側面が6人の人格に分けられている。
無法者:リチャード・ギア
革命家:クリスチャン・ベイル
詩人:ベン・ウィショー
放浪者:マーカス・カール・フランクリン
映画スター:ヒース・レジャー
ロックスター:ケイト・ブランシェット
一人の人のことだ思うと、まるで多重人格みたいですが……(笑)
これは、でも特別なことでもなく、誰にでもあることだよね?
普通は、複数ある人格を統合する核になる人格があるから、私たちは人格乖離ということにはならないわけだけど、朝いい気分で目覚めても、眠る頃にはどうしてだか悲しくて仕方がないこともある。(逆もまた然り)
これはちょっと違うか…?
でも、誰でも何重人格化ではあるわけで(と、思ってるんだけど)、それらが勝手に歩き出したらこんな感じになるのかも。
ディランの伝記、とか思って観るとちょっと違うかなぁと思ったり……
確かに彼の持っているものを形として表に出すとこうなるのかもしれないけれど、多分もう一度彼の中に収めた時にはみ出す部分がたくさんあると思う。
まぁ、でも、面白かったです。
こういうアプローチもありかっていう……
私は、ディランに対しては特に思い入れも何もないので、純粋に映画として楽しめたのかも。
だいたい観に行った理由は
①トッド・ヘインズ(それにしても、好きな監督に本当にゲイが多いわ;;)
②クリスチャン・ベイル
なので
友達から、ケイト・ブランシェットが凄い!と聞いてて、それも楽しみだったんですけど、ホントに、上手く説明できないんですけど今回の彼女は『いや、何か凄いわ!!』という感じ。
何だろうね?
彼女って単に女性というのではなくて、ちょっと微妙なところというか、特異なところにいる感じがするんですけど……
今回はさらにそれを感じますね。
男っぽいというのとも何か違う。
もちろん、女っぽいのでもない。
何だろうな~
この、何だか知らんけど凄い彼女をぜひご覧くださいませ。
見終わった後の心もちも何とも不思議。
ま、ディランを好きになった~!てことはないけどね。
66歳(なんだね!)にして年間100本以上の「ネバー・エンディング・ツアー」を続ける現役のトップミュージシャンであり、10年間ノーベル文学賞候補に挙がっている詩人(へ~)、ボブ・ディラン。
まさに<生ける伝説>(屍ではない;;)と呼ぶにふさわしい(んだって)孤高のアーティストの半生を、鬼才トッド・ヘインズが映画化。
野心に燃えたフォークシンガー、時代を映すロックの殉教者、1人の女性を不器用に愛した映画スター、ランボーに傾倒した詩人…さまざまな顔をもつ彼を描く。
ディランの持つさまざまな側面が6人の人格に分けられている。
無法者:リチャード・ギア
革命家:クリスチャン・ベイル
詩人:ベン・ウィショー
放浪者:マーカス・カール・フランクリン
映画スター:ヒース・レジャー
ロックスター:ケイト・ブランシェット
一人の人のことだ思うと、まるで多重人格みたいですが……(笑)
これは、でも特別なことでもなく、誰にでもあることだよね?
普通は、複数ある人格を統合する核になる人格があるから、私たちは人格乖離ということにはならないわけだけど、朝いい気分で目覚めても、眠る頃にはどうしてだか悲しくて仕方がないこともある。(逆もまた然り)
これはちょっと違うか…?
でも、誰でも何重人格化ではあるわけで(と、思ってるんだけど)、それらが勝手に歩き出したらこんな感じになるのかも。
ディランの伝記、とか思って観るとちょっと違うかなぁと思ったり……
確かに彼の持っているものを形として表に出すとこうなるのかもしれないけれど、多分もう一度彼の中に収めた時にはみ出す部分がたくさんあると思う。
まぁ、でも、面白かったです。
こういうアプローチもありかっていう……
私は、ディランに対しては特に思い入れも何もないので、純粋に映画として楽しめたのかも。
だいたい観に行った理由は
①トッド・ヘインズ(それにしても、好きな監督に本当にゲイが多いわ;;)
②クリスチャン・ベイル
なので
友達から、ケイト・ブランシェットが凄い!と聞いてて、それも楽しみだったんですけど、ホントに、上手く説明できないんですけど今回の彼女は『いや、何か凄いわ!!』という感じ。
何だろうね?
彼女って単に女性というのではなくて、ちょっと微妙なところというか、特異なところにいる感じがするんですけど……
今回はさらにそれを感じますね。
男っぽいというのとも何か違う。
もちろん、女っぽいのでもない。
何だろうな~
この、何だか知らんけど凄い彼女をぜひご覧くださいませ。
見終わった後の心もちも何とも不思議。
ま、ディランを好きになった~!てことはないけどね。