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私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。

赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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観てきました~。
なかなか面白かったけど、基本的な世界観がちょっと複雑なので、小さい子どもにはしんどいかもね。

物語の舞台はイギリス、オックスフォード。
なのだが、私たちが住んでいる世界にある同じ名前の場所とは異なっている。
つまりは、パラレルワールド。
この世界の住人は皆、動物の形をしたダイモンと呼ばれる自分の分身と共に生きている。

主人公ライラは幼いころに両親を亡くし、オックスフォード大学の学寮で育てられた。
近所の子供達と泥を投げつけあったり、屋根に上ったりとお転婆な彼女は、実はお嬢様、らしい。
ちなみに彼女のダイモンはパンタライモンといい、まだ定まった姿をしていない。

だが、楽しく日々を過ごす一方で、謎の組織によって子供たちが次々と連れ去られるという事件が起きていた。
そして、親友ロジャーまでもが姿を消してしまう。

《黄金の羅針盤》を狙う者達から守るため、ライラに託す学寮長。
実は、彼女だけが、その羅針盤を読むことが出来る特別な存在だったのだ。
それにより謎の組織の秘密が、はるか遠い北の地にあることを知るライラ。
ロジャーと子供たちを救うため、真実を示す《黄金の羅針盤》を手に北へと旅立つ。

んで、色々な出会いを重ねて彼女は成長していき、自分の住む世界の秘密を知る。

というところですかね?
これから…ってところで、終わりです。
というか、『つづく』ですね。

CGの出来、特にクマはよく出来てると思います。
ライラを背中に乗せて走るシーンとか、あるんですけど、本当にちゃんと乗ってるみたいに見える。
後、ライラのダイモンはクルクルと姿を変えるのですが、これもよく出来てます。
可愛いしね。あの、テンみたいな時が好きです~。
ダニエル・クレイグの出番は少ないけど、007よりハマりだと思う。

でもさ~、一番見たいシーンがないのよ。
鎧熊が鎧を着るところが見たいよ~!!
どうやって着るのか、謎です。

ま、ドキドキハラハラ、なかなか楽しめます。
あ、ライラとロジャーの友達、ビリー君は可愛いです。
何で、ビリーの方が可愛いの!?と友達が言っておりましたが(ロジャーの方が出番が多いからね)、やっぱ、可哀想な目に遭う子は可愛くないと駄目だからじゃない?
それにしても、自分の性格(ダイモンは分身であり、人となりを現している)が人から丸見え、というのも何だか怖い話である(^_^;)
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カンヌが一目惚れしたっていうヤツですね。
これねぇ、何と言えばいいのか……
大したことは何も起こらない。
だけど、それはとても特別な一日。
そんな感じかなぁ……

晴れ渡ったイスラエルの空港に降り立った水色の(ちょっと安っぽい)制服に身を包んだ一団。
エジプト警察所属のアレキサンドリア警察音楽隊。
アラブ文化センターの新築祝い、じゃないな……まぁ、出来た祝賀式典での演奏の依頼を受けてやってきた彼ら。
けれども、手違いなのか迎えは一向に現れない。
大使館に助けを求めようという意見を却下し、自分達だけで、目的地に向かおうとする団長トゥフィーク。
空港で案内係に尋ね、バスに乗り込んだ一行だったが、目的地とは似ても似つかぬ、だが名前だけはそっくり(?)な辺鄙な町にたどり着いた。
別の場所にたどり着いたと知り、引き返そうとするのですが、「バスはもうないわよ」と、食堂の女主人。

この町で、楽団の一行が過ごす一夜が描かれています。
お互いの言葉は通じず、片言の英語でやり取りする彼ら。

隣国同士でありながら、イスラエルとエジプトが長い間敵対してきたということとかは、何も描かれません。
ただ、彼らをバカにしたりする若者がいたり、歓迎ムードじゃないことから、何となく友好的じゃないことが分かりますけど。
そんな人たちが、同じ空間で同じ時間を過ごす話。
何かね、『じわ~っ』て感じの映画ですね。
一目惚れっていうのは、ちょっと私の感覚では分からないんですが、少し時間が経ってから「あぁ、好きだったんだぁ…」と思うような。

食堂の女主人ディナと団長のトゥフィークが、夜、出かけて公園(と彼女は呼ぶ)で話すシーンがとてもいいです。
それと、最後、目的地にたどり着き、演奏する楽団の曲で、「生まれ変われたとしても何一つ変えたくない」(ちょっと適当;;)というような言葉が出てきます。
過去をそんな風に思えたら、それは幸せなことですね。

これから観に行く方にご注意!
寝不足の時に行くのはオススメしません。
この映画、静かです。
というか、音が、その場の音しかない感じというか…、ドグマ方式っぽいです。
ディナがりんごを剥いて食べるシーンで鳥肌立ちましたもん(>_<)
(りんごを剥く音や食べる音が苦手です。りんご自体は嫌いじゃないんですが、食べながら「うぉおっ」となります;;)
本当は、アン・リーの映画を見ようかと思ってたんだけど、都合のいい時間の上映がなくって(レイトショー時間で見るには、体調がいまいちだったの;;)
鬱々とした気分が晴れるかもと、血塗れの復讐劇を観ることにしました。
今更だけど、一応粗筋。
舞台は、19世紀のロンドン。
血の気の失せたような顔色の悪い男がこの街に船で返ってくる。
かつて、フリート街で床屋を営み、美しい妻とひとり娘とともにロンドンで幸せに暮らしていた男ベンジャミン・バーカー。
だが、彼の妻に横恋慕した悪徳判事により、罪もなく投獄され、家族を奪われてしまった。それから15年。
名前をスウィーニー・トッドに変え、自分の人生を狂わせた男への復讐が始まる。

一番最初に聞こえてくるのは船乗り、アンソニー君の歌声。
ロンドンを夢見るように歌う彼の歌に、スウィニーの暗く、低く悲しみと憎しみに満ちたロンドンへの侮蔑の歌が重なっていく。
アンソニー君は、後にスウィニーの娘ジョアナに恋をする。
このコ、上手いし綺麗な声です。
ジョニデも思ったよりちゃんと歌えてるね。もちろん、ミュージカルスターには及ばないけど。(舞台ではあの声じゃ駄目だろう…)
映画は現在のシーンはモノトーンのように暗く、同じくジョニデとヘレナ・ボナム・カーターでティムが撮った、コープス・ブライドを思い出す。
スウィニーの幸せな過去や、密かにスウィニーを慕っていたヘレナ演じるパイ屋の女主人ラベットが夢見る彼との未来は、眩しいほどの色合いで、区別をくっきりとつけている。
復讐に燃え、自らの剃刀でその思いを遂げようとするスウィニー、だが舞い込んだチャンスをふいにしてしまう。
もうチャンスは永遠に訪れないと、自暴自棄になるスウィニーに機会を待つように宥めるラベット。
だんだんと目的を果たすための手段であったものが、目的に取って代わっていく様を私たちはまざまざと見る。
惜しむらくは、ジョアナかな?
クリスティーナ・リッチを脱色したような女を、私は美女とは呼べまへん(~_~;)

ミュージカルのストーリーって、他に力を注がないといけないからか、あまり複雑で繊細、というイメージはないんですけど、これも、まぁ、そう。
でも、改めてソンドハイムの才能を思い知らされる。
だって、頭に、耳に残るもの。
まったく違う旋律を歌っていた二人の歌が絡まりあった時の、その響きとか。
曲そのものも、本当に素晴らしいと思う。
トビー君(以前は違う理髪師のもので働いていたが、ラベット夫人のパイ屋手伝っている)の歌なんて、涙が出ちゃうよ。
歌詞もだけど、メロディーが泣かせるのです。ホント。

ラストシーン、悲劇と見るか、ある種のハッピーエンドと見るか……

あ、往年の角川映画かよ?というくらい、ふんだんに血糊が使われます。
スプラッターが苦手な方は、ご注意を。
でも、珍しく味がしなかったんだよね、私。(血を見たり、血の話をすると口の中に血の味がしてくることが多いの;;)
周りの映像と相まって、鮮やか過ぎたせいかもしれない。
チューブから搾り出したばかりのカーマインレッドの絵の具みたいだったんだもん。
観て来ました。
予告で見た時から面白そうだと思ってたんだけど、よかったです。
元になっているのはナチスのベルンハルト作戦。
国家による史上最大の贋札事件といわれ、ナチス・ドイツがイギリスの経済混乱を狙ったもので、強制収容所内の紙幣贋造工場で大量のポンド札が作られたというもの。
この事件を元に、強制的に贋札作りをさせられていたユダヤ系技術者の視点から描いたのだそうです。
国際的な贋作師サリーはある日、贋ドル札が元でとうとう逮捕される。
強制収容所に送られた彼だったが、絵の才能を買われ、他の者たちよりは優遇されていた。
しかし、ある日移送を言い渡され……
連れて行かれたのはザクセンハウゼン強制収容所。
そこには印刷技師や、版画家、写真家、美術学生などが集められていた。
そこで、彼らの仕事が告げられる。
先ずは、『完璧なポンド札』を作ること。
紙の素材などさまざまな面で躓きつつも贋札作りは進んでいくのだが、その成功はナチスに資金を与え、戦況を有利にし、ひいては収容所にいる家族や同胞を苦しめ続けることを意味する。
自分の命か、正義か……
ポンド札を成功された後、ドル札の贋造を言い渡された彼ら。
印刷技師のブルガーは自分達の仕事がナチスに力をつけることだと分かっているので、色々と手を使って印刷が上手くいかないようにします。
しかし、業を煮やした将校に期日までに完成させなければ見せしめに五人を殺すといわれ、彼らの中にも波風が立っていき、贋札製造グループのリーダーであるサリーは決断を迫られます。

この映画の中で、私が心に残っているのは、どんなにひどい状況でも人は他人のことを思いやることが出来るのかな?ってこと。
サリーは、移送される途中でコーリャという青年に出会います。
話すうちに、彼が自分と同じくロシア出身で、しかも同じ美校に通っていたことを知ります。
ロシア語で話すことを嫌がってさえいたサリーですが、彼のことはいつも気にかけていて、結核にかかってしまった彼をあれこれと世話し、薬さえ手に入れようとするのです。
本当にこんな風に、極限でも他人のことを思いやれるのなら人間て捨てたもんじゃない。と思うのですが……

正義に殉じようとする印刷技師を『青い棘』でヘルムート・バーガーの再来(それは言い過ぎだと思うのよ;;)と言われたアウグスト・ディールが演じています。

最初と最後のシーンが海辺なのですが、印象的でとてもいいです。
あと、本当にちょっとのことで人生変わっちゃうんだなぁってこと。
サリーがあの夜、色気づかないで予定通りとっとと逃げてれば、一体どうなっていたのだろう?とかね。

舞台が舞台なので、楽しい映画とはいえませんが、見応えのあるいい映画でした。
興味を持ってくださった方は是非観てください。

余談:やはり、ドイツ人が着るナチスの軍服はいい。あの服にはあの肩と腰が必要なのだなとしみじみ。すみませんね、軍服好きなもので(^_^;)
ん~、思っていたのとは何だか違った。
もっと大人たちに敢然と立ち向かうのだと思ってたんだけど……

弁護士のパパ、雑誌記者のママ、悪戯っ子の弟。
ミッションスクールに通い、バカンスはおじいちゃんとおばあちゃんのボルドーの家へ。
可愛い服、上品でおいしい食事、夕食前のお風呂、大好きなものに囲まれていたアンナの毎日がある日……

激動の1970年代、フランス、パリ。
スペイン独裁政権と戦っていた夫が亡くなったことでフランスにやって来た姉の影響から、アンナの父親は共産主義を支持し始める。
母親もそれに賛成し、アンナの生活はどんどんと変わっていく。
チリに旅立ちそこに住む人々のための運動を始める両親。
支援のため、庭付きの家を出て、小さなアパートへ引っ越し、家にはヒゲ面のおじさん達が入り浸り何やら議論を戦わせている。
ミッキーマウスはファシストだとかワケの分からないことを言って取り上げられ、学校は変わらずに済んだものの、大好きだった宗教学の授業も受けられなくなる。
元の生活に戻りたいアンナ。
家を引っ越す時にクビになった家政婦でキューバから逃げてきたというフィロメナは言っていた。
ぜんぶ、フィデルが悪いのよ。
両親のやり方に反対して抗議したアンナ。バカンスは一人でボルドーに行くことに。
おばあちゃんは服を教会に寄付して、貧しい人を助けている。どうしてそんなやり方ではいけないのか?
それでもアンナは家にやってくるヒゲ面のおじさん達の話を聞いたりするうちに自由や社会のことを彼女なりに考えるようになっていく。

でもね、ちょっと待って。
たまにしか会えないおじいちゃん、おばあちゃん以外、パパもママも出入りするヒゲ面のおじさんたちも皆コミュニスト。
そんな人たちが寄ってたかって説き伏せようとするのだ。
ただ大人に丸め込まれたんじゃないのか?
だいたい皆自分達は安全なフランスにいるじゃないか?
父親だって、自分が若い時フランコ派の父と戦わずに家を出たことや、姉に何も出来なかった後悔を今何とか償おうとしているだけなのでは?
アンナに「自分のことばかり」という彼も自分のことばかり考えているように思えて仕方がない。
『他人のために何かしたい』からするんでしょ?それは自分の欲だと思う。
そのために家族を犠牲にしている。分かって欲しいとか、分かってくれるというのは自分勝手な甘えである。
もちろん、家族にそれを期待するのは悪いことじゃない。誰だってそう思ってる。
だけど、それはやっぱり自分勝手だということをもう十分大人なんだから、分かんないと。
子ども相手に何なんだ!?っていう。
後、気になったのは何度も出てくる『それは別の話』という言葉。
キューバから逃げてきたフィロメナをクビにした両親は、新しくギリシャから来た家政婦を雇う。彼女の夫は投獄されているのだという。
「だから彼女によくして」という両親。フィロメナだってキューバから逃げてきたというと、『それは別の話』と言う。
どう別の話なのか?両親は説明してくれない。
宗教学の授業だって、何故いきなり取り上げられなければならないのか?
知った上で、必要ないというのと知らされないのでは大違いだ。
結局子どもは大人のいいようにされているのだ。
人は皆自分のために生きている。
『他人のために』と何かする人もそんな自分が好きだからやっているのだ。
それを悪いことだとは言わない。
だけど、それは自分がそうしたくてやっているのだということをちゃんと覚えておくべきだ。

そういうわけで、とても鬱々とした気分の帰り道だった(+_+)
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