私が観たり、聴いたりしたものの感想と日常のしょうもないことをウダウダと…
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オモシロモノ
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プロフィール
HN:
赤姫
性別:
女性
趣味:
映画・演劇・音楽鑑賞
自己紹介:
関西在住。生まれ育ちも関西のコテコテ(?)関西人。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
洋画・洋楽・歌舞伎で育ったため(?)、ちょっと感覚がヘンかも……
野球好き。ご贔屓はロッテとやっぱり阪神。
別名(まーちゃん)で時々よそ様に出没。
赤姫とは…歌舞伎に出て来る典型的なお姫様。たいてい真っ赤な着物を着ていて、キラキラとした大きな銀の花櫛を鬘につけ、振る舞いもとても可愛いらしい。
子ども時代の私の憧れでありました。
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かうんたー
数え始め 2006/11/14
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水球の試合のシーンから、映画は始まる。
ソ連対ハンガリー戦のようだ。
ソ連側のファウルを見逃し、ハンガリーに不利な判定を下す審判。
彼は、とうとう持っていたボールを審判に投げつけた。
……そのまま試合は終了。
このシーンは、この当時のソ連とハンガリーの関係を表しているのだろう。
水球の花形選手、サボー・カルチ。
遠征から戻り、大学に顔を出した彼は、講堂で学生達に立ち上がれと呼びかける演説を耳にする。
その中にいた女子学生ヴィキに一目惚れしたカルチは、最初は彼女の気を引くために運動の片棒を担ぐような真似をするのですが、彼自身の中にも愛国心と自由への渇望が芽生えていく。
1956年、独裁的な共産主義政権下にあったハンガリーで、市民達は自由を求める声をあげた。
だが、彼らの前にソ連軍が立ちはだかる。
世界はハンガリーを見捨て、革命は敗れた。
その数週間後、運命の女神の悪戯か、メルボルンで開催されたオリンピックで、ハンガリー水球チームは、ソ連チームと戦うことになった。
のちに「メルボルンの流血戦」として伝えられる、オリンピックの歴史に残る悲劇のゲームである。(チラシより抜粋)
この二つの歴史的事実を映画化した本作。
自由を求めて戦う市民達、その戦いの最中に愛を育む二人を中心に物語は進んでいく。
個人的には、こんな時になんでそんなことしてるのか!?といつも思うのだが、それが種の保存なのだろう。
人間はただ遺伝子の乗り物に過ぎず、遺伝子のいいように操られているという説に私は賛成である。
それは、さて置き
他国に支配されている、というのはやはり辛いし、大変なことなのだろう……と、私には想像するしかない。
自分達が武器を持って立ち上がらなければ!と人々に思わせるというのは、余程のことだ。
多くの犠牲を出したものの、革命は成功した。
……ように見えた。
カルチたち、水球チームはオリンピックに出場するために、メルボルンへと向かう。
そのバスのすぐ横を、市民達に屈し、撤退した筈のソ連軍の戦車が次々と市街地へと進んでいく。
バスを降り、戻ろうとするカルチを幼馴染で同じチームのティビは、殴りつけて気を失わせる。
メルボルン、TVは、何もかも破壊されたブダペストを映し出している。
選手達の多くはアメリカのチームに誘われ、故郷に戻る気を失くし、投げやりになっていた。
だれ切った様子の選手達に監督は言う。
「ハンガリーは、まだやれるんだと世界に見せてやるんだ。自分のためじゃない、みんなのために勝つんだ。」
想像もつかないような世界の話に思えるけど、歴史的な目で見れば、日本だってほんの少し前まで占領下だったのだ。
ひょっとしたら、アメリカやソ連によって分割統治されていたかもしれないというのも聞いたことがある。
もしそうなっていたら、今とは何もかも違っているんだろうか?
ハンガリーという国の、そして、自由を求める人々の記録と記憶がこの中にある。
ソ連対ハンガリー戦のようだ。
ソ連側のファウルを見逃し、ハンガリーに不利な判定を下す審判。
彼は、とうとう持っていたボールを審判に投げつけた。
……そのまま試合は終了。
このシーンは、この当時のソ連とハンガリーの関係を表しているのだろう。
水球の花形選手、サボー・カルチ。
遠征から戻り、大学に顔を出した彼は、講堂で学生達に立ち上がれと呼びかける演説を耳にする。
その中にいた女子学生ヴィキに一目惚れしたカルチは、最初は彼女の気を引くために運動の片棒を担ぐような真似をするのですが、彼自身の中にも愛国心と自由への渇望が芽生えていく。
1956年、独裁的な共産主義政権下にあったハンガリーで、市民達は自由を求める声をあげた。
だが、彼らの前にソ連軍が立ちはだかる。
世界はハンガリーを見捨て、革命は敗れた。
その数週間後、運命の女神の悪戯か、メルボルンで開催されたオリンピックで、ハンガリー水球チームは、ソ連チームと戦うことになった。
のちに「メルボルンの流血戦」として伝えられる、オリンピックの歴史に残る悲劇のゲームである。(チラシより抜粋)
この二つの歴史的事実を映画化した本作。
自由を求めて戦う市民達、その戦いの最中に愛を育む二人を中心に物語は進んでいく。
個人的には、こんな時になんでそんなことしてるのか!?といつも思うのだが、それが種の保存なのだろう。
人間はただ遺伝子の乗り物に過ぎず、遺伝子のいいように操られているという説に私は賛成である。
それは、さて置き
他国に支配されている、というのはやはり辛いし、大変なことなのだろう……と、私には想像するしかない。
自分達が武器を持って立ち上がらなければ!と人々に思わせるというのは、余程のことだ。
多くの犠牲を出したものの、革命は成功した。
……ように見えた。
カルチたち、水球チームはオリンピックに出場するために、メルボルンへと向かう。
そのバスのすぐ横を、市民達に屈し、撤退した筈のソ連軍の戦車が次々と市街地へと進んでいく。
バスを降り、戻ろうとするカルチを幼馴染で同じチームのティビは、殴りつけて気を失わせる。
メルボルン、TVは、何もかも破壊されたブダペストを映し出している。
選手達の多くはアメリカのチームに誘われ、故郷に戻る気を失くし、投げやりになっていた。
だれ切った様子の選手達に監督は言う。
「ハンガリーは、まだやれるんだと世界に見せてやるんだ。自分のためじゃない、みんなのために勝つんだ。」
想像もつかないような世界の話に思えるけど、歴史的な目で見れば、日本だってほんの少し前まで占領下だったのだ。
ひょっとしたら、アメリカやソ連によって分割統治されていたかもしれないというのも聞いたことがある。
もしそうなっていたら、今とは何もかも違っているんだろうか?
ハンガリーという国の、そして、自由を求める人々の記録と記憶がこの中にある。
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試写会に行ってきました。
三度目の映画化だそうですが、私がチラッと知っているのがオリジナルかと思ったら、二作目で最初の映画化は1964年。
1954年にリチャード・マシスンが発表した最初の(だったはず)長編作品が原作。
日本で最初に刊行された時のタイトル『吸血鬼』が示すように、全世界の人間が吸血鬼となってしまうというのが元々のストーリーのようです。
で、見て来たのは、もちろんウィル・スミス版。
死んだように静まり返るNYの街を一台の車が駆け抜けていく、運転しているのはロバート・ネヴィル。
三年前人類に降りかかった災厄をくぐり抜け、ただ一人生き残った男。
彼は、愛犬サムと街を歩き、食料や日用品を調達し、レンタルDVDショップで店員代わりに置いたマネキンに話しかけ、DVDを借りて帰る。
だが、腕時計のアラームがなると、彼は家路を急ぐ。
帰り着き、食事を摂り、犬を洗ってやり、一見のんびりと暮らしているように見える。
が、二度目のアラームがなると、窓という窓に鎧戸を下ろし、扉には厳重に鍵をかけ、明かりもつけずじっとしている。
家の外では、異様な物音が……
事の発端は、癌の画期的な治療薬の発見にあった。
ウィルスを変化させて作られたこの薬は、すばらしい効果をもたらした……ように見えたが、副作用なのか、やがて人々が変異していく。
ウィル・スミス演じるロバート・ネヴィルは軍人であり研究者で、変異した人々の治療薬を開発しようとしていた。
だが、ウィルスはあっという間に蔓延し、NYは閉鎖されることに……
それから、三年後が私達の見る彼が暮らす世界。
ちょっと調べてみたら、原作よりも、二度目の映画化『地球最後の男オメガマン』のリメイクと思った方がいいらしい。
主演は、チャールトン・ヘストンでした(違う人と思ってた;;)。
多分彼だからだろうね。最後は英雄になる。それがレジェンド。
アメリカって、世界を救うのが本当に好きなのね~。と思う(^_^;)
原作でも、もちろん彼はレジェンドになるのだけど、全く意味が違っているようです。(Wiki調べ)
…ある日、ネヴィルは変異したもの達にとうとう捕らえられる。
処刑されようとする彼は、変異したもの達が自分を見る目に恐怖が宿っていることに気付く。
彼は『人々が寝静まった頃、街を徘徊し、殺戮を繰り返す異形のもの』が、自分であると知る。
そう、『俺は、今では、伝説の怪物なのだ(I am Legend)。』
リチャード・マシスンの映画化作品はケビン・ベーコンの『エコー』くらいしか他には見てないのだけど、何かこう哀感がある気がするんだけど……
この作品も、原作は哀しいし、皮肉なラストですね。
作者はアメリカ人なんだけど、(ぽくない気がしますね)彼の感覚は、多分マイノリティーなんだろうな。
お金かかってる大作だし、ホラーっぽくもあるし、正月にこれはどうよ?って内容ではあるけど。
映画としては、なかなか楽しめる作品だと思います。
あ、犬好きの方、犬飼ってる方、また、飼ってた方は、ちょっと、うぅ…(>_<)ってなる箇所があるかも。
私は泣きました(@_@。
そうだ!『ある日どこかで』も、彼が原作でしたね。
三度目の映画化だそうですが、私がチラッと知っているのがオリジナルかと思ったら、二作目で最初の映画化は1964年。
1954年にリチャード・マシスンが発表した最初の(だったはず)長編作品が原作。
日本で最初に刊行された時のタイトル『吸血鬼』が示すように、全世界の人間が吸血鬼となってしまうというのが元々のストーリーのようです。
で、見て来たのは、もちろんウィル・スミス版。
死んだように静まり返るNYの街を一台の車が駆け抜けていく、運転しているのはロバート・ネヴィル。
三年前人類に降りかかった災厄をくぐり抜け、ただ一人生き残った男。
彼は、愛犬サムと街を歩き、食料や日用品を調達し、レンタルDVDショップで店員代わりに置いたマネキンに話しかけ、DVDを借りて帰る。
だが、腕時計のアラームがなると、彼は家路を急ぐ。
帰り着き、食事を摂り、犬を洗ってやり、一見のんびりと暮らしているように見える。
が、二度目のアラームがなると、窓という窓に鎧戸を下ろし、扉には厳重に鍵をかけ、明かりもつけずじっとしている。
家の外では、異様な物音が……
事の発端は、癌の画期的な治療薬の発見にあった。
ウィルスを変化させて作られたこの薬は、すばらしい効果をもたらした……ように見えたが、副作用なのか、やがて人々が変異していく。
ウィル・スミス演じるロバート・ネヴィルは軍人であり研究者で、変異した人々の治療薬を開発しようとしていた。
だが、ウィルスはあっという間に蔓延し、NYは閉鎖されることに……
それから、三年後が私達の見る彼が暮らす世界。
ちょっと調べてみたら、原作よりも、二度目の映画化『地球最後の男オメガマン』のリメイクと思った方がいいらしい。
主演は、チャールトン・ヘストンでした(違う人と思ってた;;)。
多分彼だからだろうね。最後は英雄になる。それがレジェンド。
アメリカって、世界を救うのが本当に好きなのね~。と思う(^_^;)
原作でも、もちろん彼はレジェンドになるのだけど、全く意味が違っているようです。(Wiki調べ)
…ある日、ネヴィルは変異したもの達にとうとう捕らえられる。
処刑されようとする彼は、変異したもの達が自分を見る目に恐怖が宿っていることに気付く。
彼は『人々が寝静まった頃、街を徘徊し、殺戮を繰り返す異形のもの』が、自分であると知る。
そう、『俺は、今では、伝説の怪物なのだ(I am Legend)。』
リチャード・マシスンの映画化作品はケビン・ベーコンの『エコー』くらいしか他には見てないのだけど、何かこう哀感がある気がするんだけど……
この作品も、原作は哀しいし、皮肉なラストですね。
作者はアメリカ人なんだけど、(ぽくない気がしますね)彼の感覚は、多分マイノリティーなんだろうな。
お金かかってる大作だし、ホラーっぽくもあるし、正月にこれはどうよ?って内容ではあるけど。
映画としては、なかなか楽しめる作品だと思います。
あ、犬好きの方、犬飼ってる方、また、飼ってた方は、ちょっと、うぅ…(>_<)ってなる箇所があるかも。
私は泣きました(@_@。
そうだ!『ある日どこかで』も、彼が原作でしたね。
頑張って早起きして見て参りましたよ。
『僕のピアノコンチェルト』
観そびれている間に、モーニングショーだけになってしまったので、とにかく頑張って早起き。
さて、この物語の主人公=ヴィトス君。
ほんの子どもの頃、誕生日にプレゼントされたキーボードのオモチャでいきなりHAPPY BIRTHDAYを(単音でなく)弾きこなす。
半年のピアノレッスンだけでシューマンの『勇敢な旗手』を演奏できるほどに……
また、ピアノだけでなく、他のさまざまの面でも飛びぬけた才能を発揮。
周りの大人たち、特に母親の期待は大きく、彼を12歳で、アカデミーに入れたり、著名なピアニストのレッスンを受けさせようとしたり。
『親には子どもの才能を伸ばす義務がある。』
多分そのとおりだと思う。
でも、家ですら安らげないのは、子どもだって辛いはず。
そんな彼の避難場所となるのが、ブルーノ・ガンツ演じるおじいちゃんの家。
二人でパスタを食べたり、話をしたり、子どもの頃PILOTになりたかったというおじいちゃんと空を飛ぶものを作ったりして、それなりに楽しく過ごしていた。
ところが、雨の激しく降るある夜、母親がふと目を覚ます。
予感がしたのか、ヴィトスの部屋へ行くが、ベッドにはいない。
ベランダを見ると靴が揃えて置かれていて、その窓の下には倒れる息子の姿が!
頭を打ったためか、普通の子どもになってしまったヴィトスなのですが……
おじいちゃんとヴィトスの二人の時間がとてもいいです。
二人だけの秘密とかね。
最後に彼が本当の自分をちゃんと受け止められるようになったことに私達も嬉しい気もちで拍手を送れるはず。
『4分間のピアニスト』
ピアノ教師として、刑務所にやって来た著名な演奏家だったクリューガーは、問題児とされている少女、ジェニーの類まれなる才能を見抜く。
そして、それを開花させることが、自分の残り少ない人生の使命だと考えるのですが……
ジェニーの弾くピアノを『下劣』と言うクリューガー。
その言葉に反抗しながらも、自分に真摯に向き合う彼女に徐々に心を開いていくジェニー。
二人は、新人発掘のコンテスト優勝を目指して、ともに進むのですが……
実は、天才少女だったジェニーは、養父の裏切りから、全てのものに牙をむくようになった。
それでも、ピアノを弾く悦びを思い出したのか、クリューガーの言いつけを守り、コンテストのための練習を続ける。
そんなある日、ある陰謀によって暴力事件を起した彼女は、ピアノを禁止され、コンテスト出場さえも取り消されようとするのですが……
彼女の才能を埋もれさせまいと、クリューガーはある謀を。
ストーリーの合間に何度もフラッシュバックのように挿入されるクリューガーの過去。
それが、彼女の行動の理由を解く鍵になるようなのですが……
ラストの4分間に向けて、全てが集約していく。
その4分間が終わった時の気もちをどう言えば伝わるのか、分からないのですが、とにかく圧倒される。
この4分間は、二人にとって、一生のうちでとてつもなく大事な時間になるんじゃないかな……と思いました。
あ、クリューガーを演じたモニカ・ブライブトロイは、モーリッツ・ブライブトロイのお母んだったのね。
お母んも女優さんだとは、知らなかったよん。
2本見終わって、「天才も大変だな。」と思う私、凡人には分からない苦悩があるのでしょう。
ま、凡人の苦悩も、天才にはわかんないんだろうけどね(^_^;)
『僕のピアノコンチェルト』
観そびれている間に、モーニングショーだけになってしまったので、とにかく頑張って早起き。
さて、この物語の主人公=ヴィトス君。
ほんの子どもの頃、誕生日にプレゼントされたキーボードのオモチャでいきなりHAPPY BIRTHDAYを(単音でなく)弾きこなす。
半年のピアノレッスンだけでシューマンの『勇敢な旗手』を演奏できるほどに……
また、ピアノだけでなく、他のさまざまの面でも飛びぬけた才能を発揮。
周りの大人たち、特に母親の期待は大きく、彼を12歳で、アカデミーに入れたり、著名なピアニストのレッスンを受けさせようとしたり。
『親には子どもの才能を伸ばす義務がある。』
多分そのとおりだと思う。
でも、家ですら安らげないのは、子どもだって辛いはず。
そんな彼の避難場所となるのが、ブルーノ・ガンツ演じるおじいちゃんの家。
二人でパスタを食べたり、話をしたり、子どもの頃PILOTになりたかったというおじいちゃんと空を飛ぶものを作ったりして、それなりに楽しく過ごしていた。
ところが、雨の激しく降るある夜、母親がふと目を覚ます。
予感がしたのか、ヴィトスの部屋へ行くが、ベッドにはいない。
ベランダを見ると靴が揃えて置かれていて、その窓の下には倒れる息子の姿が!
頭を打ったためか、普通の子どもになってしまったヴィトスなのですが……
おじいちゃんとヴィトスの二人の時間がとてもいいです。
二人だけの秘密とかね。
最後に彼が本当の自分をちゃんと受け止められるようになったことに私達も嬉しい気もちで拍手を送れるはず。
『4分間のピアニスト』
ピアノ教師として、刑務所にやって来た著名な演奏家だったクリューガーは、問題児とされている少女、ジェニーの類まれなる才能を見抜く。
そして、それを開花させることが、自分の残り少ない人生の使命だと考えるのですが……
ジェニーの弾くピアノを『下劣』と言うクリューガー。
その言葉に反抗しながらも、自分に真摯に向き合う彼女に徐々に心を開いていくジェニー。
二人は、新人発掘のコンテスト優勝を目指して、ともに進むのですが……
実は、天才少女だったジェニーは、養父の裏切りから、全てのものに牙をむくようになった。
それでも、ピアノを弾く悦びを思い出したのか、クリューガーの言いつけを守り、コンテストのための練習を続ける。
そんなある日、ある陰謀によって暴力事件を起した彼女は、ピアノを禁止され、コンテスト出場さえも取り消されようとするのですが……
彼女の才能を埋もれさせまいと、クリューガーはある謀を。
ストーリーの合間に何度もフラッシュバックのように挿入されるクリューガーの過去。
それが、彼女の行動の理由を解く鍵になるようなのですが……
ラストの4分間に向けて、全てが集約していく。
その4分間が終わった時の気もちをどう言えば伝わるのか、分からないのですが、とにかく圧倒される。
この4分間は、二人にとって、一生のうちでとてつもなく大事な時間になるんじゃないかな……と思いました。
あ、クリューガーを演じたモニカ・ブライブトロイは、モーリッツ・ブライブトロイのお母んだったのね。
お母んも女優さんだとは、知らなかったよん。
2本見終わって、「天才も大変だな。」と思う私、凡人には分からない苦悩があるのでしょう。
ま、凡人の苦悩も、天才にはわかんないんだろうけどね(^_^;)
2007東京国際レズビアン&ゲイ映画祭のクロージング作品だそうなのですが、別にそんなことは考えなくてもいい映画です。
これ↑は、私も後で知ったし。
『ウォン・カーウァイの洗練と、ホウ・シャオシェンの文学性を併せ持つ。』と言われちゃあチェックしないとね。
少し翠がかった(ガラスの瓶越しに覗いているような)映像が、ノスタルジーを感じさせます。
恋をするって大変ね。ってことと、やっぱ女って厄介だな。と思う。
どちらも人事のように書いてしまうのは、人事だから(笑)
どちらも自分から遠いところにあるもののように思うんだよね(~_~;)
でも、みんながとても切ないのは分かるのよ。
だから、恋したことがある人はもっと分かると思う。
そいで、自分の中に埋もれてるかけがえのない時間を思い出せると思う。
別にすごいシーンとかはないので、普通に見てもらっていいと思います。R-15だけど。
いや、やっぱ、スゴイのかな……(^_^;)
主役の一人、ブライアン・チャンは、小泉孝太郎と徳重聡を足して2で割ったような男前です。
この二人、どちらも特に好きじゃないんだけど、彼は男前だと思います。
とりあえず、切なくなりたい方はお出かけください。
それと五月天(MAYDAY)の阿信が担当した主題歌も、すごくいいです。これまた切なくて(@_@。
これ↑は、私も後で知ったし。
『ウォン・カーウァイの洗練と、ホウ・シャオシェンの文学性を併せ持つ。』と言われちゃあチェックしないとね。
少し翠がかった(ガラスの瓶越しに覗いているような)映像が、ノスタルジーを感じさせます。
恋をするって大変ね。ってことと、やっぱ女って厄介だな。と思う。
どちらも人事のように書いてしまうのは、人事だから(笑)
どちらも自分から遠いところにあるもののように思うんだよね(~_~;)
でも、みんながとても切ないのは分かるのよ。
だから、恋したことがある人はもっと分かると思う。
そいで、自分の中に埋もれてるかけがえのない時間を思い出せると思う。
別にすごいシーンとかはないので、普通に見てもらっていいと思います。R-15だけど。
いや、やっぱ、スゴイのかな……(^_^;)
主役の一人、ブライアン・チャンは、小泉孝太郎と徳重聡を足して2で割ったような男前です。
この二人、どちらも特に好きじゃないんだけど、彼は男前だと思います。
とりあえず、切なくなりたい方はお出かけください。
それと五月天(MAYDAY)の阿信が担当した主題歌も、すごくいいです。これまた切なくて(@_@。
観て来ました。
タイトルだけで泣いちゃいそうですが、なんと!!泣かなかったんですよ~
自分でもちょっと意外(笑)
主人公は孤児院で暮らす少年、ワーニャ。
彼はイタリア人夫婦に気に入られて養子に行くことに。
皆は彼を羨み、彼もまた、自分を幸運だと思っていたのですが……
ある日、この前養子に行った友達の母親が彼を探して突然現われます。
「今更来ても遅い。」と追い出され、バス停で悲しみに暮れる彼女は通りかかったワーニャに声をかけ、息子の話を聞くのでした。
後日、彼女が自殺したとの新聞記事が……
ワーニャの心は揺れます。
「もしかしたら、僕のお母さんも探しに来るかもしれない。」
養子に行ってしまったら、もう会えないと聞かされ、彼は自分の過去を知るために必死で文字を覚え、自分の記録を盗み見る。
そして、前にいた施設の住所を頼りに孤児院を抜け出すのですが……
これだけでも、泣きそうでしょ?でも、泣かなかったのですよ。
ワーニャの決心は固く、さまざまな困難にも挫けず、初志貫徹。
彼は本当に、とても強くって、私なんかが可哀想だとか、そんな風に思うのはおこがましい気がしたの。
周りの人たちも、一見そうは見えないんだけど、土壇場で優しいっていうかね。
孤児院の年かさの少年はワーニャに自分の過去を語り、このままイタリアに行くようにと促す。
自分は母親に虐待されていて、ある日腕を折られて声を上げたために近所の人が通報して施設に行くことになった。
怪我が治り、施設を抜け出して戻った彼に母親は言った。
「お前のせいで恥をかいた。消えちまえクズ!」
彼がワーニャを止めようとするのも、彼のことを思ってのこと。
また、行かせようと皆で貯めたお金を盗み出してワーニャを列車に乗せた女の子も彼のことを思っている。
列車や街で出会った人の、ちょっとした親切や、彼を連れ戻すために追いかけていた男がギリギリで見せた優しさ。
そんなものがとても心に沁みる。
それもこれも、ワーニャの強さがあってのことなのですが……
ラスト、ハリウッドだったら感動の再会をメチャクチャ盛り上げてお涙ちょうだいなんだろうけど、そうはしない。
とてもあっさり、そして静かに物語は終わる。
彼が友達の幸せを喜んであげられるということが、何よりも彼の幸せを物語っていると思う。
涙涙の感動大巨編ではなくて、心に小さな灯がともる。
そんな映画でした。
タイトルだけで泣いちゃいそうですが、なんと!!泣かなかったんですよ~
自分でもちょっと意外(笑)
主人公は孤児院で暮らす少年、ワーニャ。
彼はイタリア人夫婦に気に入られて養子に行くことに。
皆は彼を羨み、彼もまた、自分を幸運だと思っていたのですが……
ある日、この前養子に行った友達の母親が彼を探して突然現われます。
「今更来ても遅い。」と追い出され、バス停で悲しみに暮れる彼女は通りかかったワーニャに声をかけ、息子の話を聞くのでした。
後日、彼女が自殺したとの新聞記事が……
ワーニャの心は揺れます。
「もしかしたら、僕のお母さんも探しに来るかもしれない。」
養子に行ってしまったら、もう会えないと聞かされ、彼は自分の過去を知るために必死で文字を覚え、自分の記録を盗み見る。
そして、前にいた施設の住所を頼りに孤児院を抜け出すのですが……
これだけでも、泣きそうでしょ?でも、泣かなかったのですよ。
ワーニャの決心は固く、さまざまな困難にも挫けず、初志貫徹。
彼は本当に、とても強くって、私なんかが可哀想だとか、そんな風に思うのはおこがましい気がしたの。
周りの人たちも、一見そうは見えないんだけど、土壇場で優しいっていうかね。
孤児院の年かさの少年はワーニャに自分の過去を語り、このままイタリアに行くようにと促す。
自分は母親に虐待されていて、ある日腕を折られて声を上げたために近所の人が通報して施設に行くことになった。
怪我が治り、施設を抜け出して戻った彼に母親は言った。
「お前のせいで恥をかいた。消えちまえクズ!」
彼がワーニャを止めようとするのも、彼のことを思ってのこと。
また、行かせようと皆で貯めたお金を盗み出してワーニャを列車に乗せた女の子も彼のことを思っている。
列車や街で出会った人の、ちょっとした親切や、彼を連れ戻すために追いかけていた男がギリギリで見せた優しさ。
そんなものがとても心に沁みる。
それもこれも、ワーニャの強さがあってのことなのですが……
ラスト、ハリウッドだったら感動の再会をメチャクチャ盛り上げてお涙ちょうだいなんだろうけど、そうはしない。
とてもあっさり、そして静かに物語は終わる。
彼が友達の幸せを喜んであげられるということが、何よりも彼の幸せを物語っていると思う。
涙涙の感動大巨編ではなくて、心に小さな灯がともる。
そんな映画でした。